脳と身体と環境を一つの文脈として、この中の時間軸
を縦横に切る(要素還元的に細切れにすると意味消失に
なるので、相互連関しているとする)ことで意識を解き
明かしていきます。
言葉を読む人のイメージに委ねたりコモンセンスとして
妙な造語で誤魔化すことなく、鋭く優しく書いています。
専門家でなければ、脳、身体、環境のそれぞれを科学的
に把握するための基礎知識は十分に身につけられるので
はないでしょうか。
これを読んだ後にAIやマーケティングの仕事への応用を
考えると、週刊誌やガイド本にあるような薄っぺらな
単語や略語というようなバズワードに踊らされることなく
深い洞察ができるようになると思います。
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「意識」とは何だろうか―脳の来歴、知覚の錯誤 (講談社現代新書) 新書 – 1999/2/19
下條 信輔
(著)
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意識の成立過程を追い「心」の全体像を探る。他者の心の存在によってはぐくまれる意識は、脳や心とどのようにつながっているのか。認知・脳科学の最新研究をふまえ、人間の存在の本質にスリリングに迫る。(講談社現代新書)
意識の成立過程を追い「心」の全体像を探る。他者の心の存在によってはぐくまれる意識は、脳や心とどのようにつながっているのか。認知・脳科学の最新研究をふまえ、人間の存在の本質にスリリングに迫る。
意識の成立過程を追い「心」の全体像を探る。他者の心の存在によってはぐくまれる意識は、脳や心とどのようにつながっているのか。認知・脳科学の最新研究をふまえ、人間の存在の本質にスリリングに迫る。
- 本の長さ262ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日1999/2/19
- 寸法10.6 x 1.2 x 17.4 cm
- ISBN-104061494392
- ISBN-13978-4061494398
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商品の説明
著者について
1955年生まれ。マサチューセッツ工科大学心理学科修了(Ph.D.)。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。スミス・ケトルウェル視覚研究所研究員、東京大学教養学部助教授を経て、カリフォルニア工科大学生物学科教授。知覚心理学、認知神経科学の観点から脳・環境・身体の関係を追究。著書に『サブリミナル・マインド』――中公新書――など。
登録情報
- 出版社 : 講談社 (1999/2/19)
- 発売日 : 1999/2/19
- 言語 : 日本語
- 新書 : 262ページ
- ISBN-10 : 4061494392
- ISBN-13 : 978-4061494398
- 寸法 : 10.6 x 1.2 x 17.4 cm
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2016年9月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2016年8月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
知覚の錯誤から始まって、自由意思と倫理までが論じられる。
知覚経験を基点として、環境までも視野に入れて、人間について問うているのである。
この点では、筆者は知覚心理学、認知神経学を専門とすると言うが、哲学的だとも思える。
錯誤する知覚が生み出す意識、及びそれが働く場である心について、深く考察する。
知覚の錯誤には、それを錯誤とする一義的な客観的基準を見出すことはできない。
なぜなら、その基準は主観的な「脳の来歴」(環境への適応についての記憶のマーカー)にあり、それは身体及び環境との関係に依存しているからである。
やはり、意識が働く場である心は、脳を超えて身体、環境へと溢れ出しているのである。
もはや、心をもっている自己はどこに存在するのかと思えるように、心は拡大したり縮小したりする。
自己の存在が不確かであれば、個人の責任を問うことなどにおいて、倫理的な問題が生じる。
筆者は、脳だけを切り取って研究しようとする脳科学と本書でも論じるような心の哲学(脳-身体-環境のシステム)とが認知研究の2つの軸になると言う。
しかし、前者(脳科学)と後者(心の哲学)とでは、脳だけでなく身体と環境までをも含むかどうかという点で、分析の対象が異なる。
それでも、心身二元論を克服するように、両者を統合することができるのだろうか。
知覚経験を基点として、環境までも視野に入れて、人間について問うているのである。
この点では、筆者は知覚心理学、認知神経学を専門とすると言うが、哲学的だとも思える。
錯誤する知覚が生み出す意識、及びそれが働く場である心について、深く考察する。
知覚の錯誤には、それを錯誤とする一義的な客観的基準を見出すことはできない。
なぜなら、その基準は主観的な「脳の来歴」(環境への適応についての記憶のマーカー)にあり、それは身体及び環境との関係に依存しているからである。
やはり、意識が働く場である心は、脳を超えて身体、環境へと溢れ出しているのである。
もはや、心をもっている自己はどこに存在するのかと思えるように、心は拡大したり縮小したりする。
自己の存在が不確かであれば、個人の責任を問うことなどにおいて、倫理的な問題が生じる。
筆者は、脳だけを切り取って研究しようとする脳科学と本書でも論じるような心の哲学(脳-身体-環境のシステム)とが認知研究の2つの軸になると言う。
しかし、前者(脳科学)と後者(心の哲学)とでは、脳だけでなく身体と環境までをも含むかどうかという点で、分析の対象が異なる。
それでも、心身二元論を克服するように、両者を統合することができるのだろうか。
2023年5月30日に日本でレビュー済み
最も明確な視覚的クオリアについては素朴な疑問がある。
まず、視覚的クオリアの品質の高さである。あれだけ解像度の高い高品質の情報が脳の中で どのように実現されているのか?/という疑問である。
次に、第二の疑問であるが、私は酷い禁止であるが、メガネを外したときの視覚的クオリアの品質の低さである。あれだけ解像度の低い低品質の情報が脳の中で どのように実現されているのか?/という疑問である。
まず、視覚的クオリアの品質の高さである。あれだけ解像度の高い高品質の情報が脳の中で どのように実現されているのか?/という疑問である。
次に、第二の疑問であるが、私は酷い禁止であるが、メガネを外したときの視覚的クオリアの品質の低さである。あれだけ解像度の低い低品質の情報が脳の中で どのように実現されているのか?/という疑問である。
2014年11月21日に日本でレビュー済み
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「錯視」の説明から始まって、「脳」の働きが外部環境との相互作用(この蓄積を「来歴」と称しており、この「来歴」という概念が著者のオリジナリティらしい)によって決まり、「無意識」こそが「意識」の貯蔵庫である事を主張した書。著者は心理学が専攻の由で、心理学者にありがちな"ありふれた"議論に終始している。「心」は「脳」の外にあると考えた方が良い、等という言説を述べている点も心理学派にありがちな傾向ではある。引用例が多く、筆致も非常に丁寧で、著者の誠実な人柄は感じたが、説得力は感じなかった。
本書に依らず、「脳」や「意識」の本を読むと、心理学者と物理学者とでは立場・見解が大きく異なる事をその度に痛感させられる。物理学派は当然"物理学還元論"の立場で(私もどちらかと言えばこちらの支持派)、本書でも僅かに触れられているニューラルネットワークに関する物理法則の導出に専心している模様(最近は量子力学の適用を考えている学者も多い)で本書との対比が面白い。本書で、「機械的決定論と自由意志との対立」及び「認知と環境との境界の"ゆらぎ"」に触れているが、量子力学はそれに対する回答の1つなのだと思う。
本書の最後で著者自身が述べている通り、「脳」、「意識」、「無意識」の問題は未だ解明されているとは言い難い。著者は「来歴」という概念で「遺伝子決定論」と「環境絶対論」との折衷を図る意図があった様で、この点には好感が持てた。心理学・物理学を問わず、この分野における刺激的な著書の出現をこれからも期待したい。
本書に依らず、「脳」や「意識」の本を読むと、心理学者と物理学者とでは立場・見解が大きく異なる事をその度に痛感させられる。物理学派は当然"物理学還元論"の立場で(私もどちらかと言えばこちらの支持派)、本書でも僅かに触れられているニューラルネットワークに関する物理法則の導出に専心している模様(最近は量子力学の適用を考えている学者も多い)で本書との対比が面白い。本書で、「機械的決定論と自由意志との対立」及び「認知と環境との境界の"ゆらぎ"」に触れているが、量子力学はそれに対する回答の1つなのだと思う。
本書の最後で著者自身が述べている通り、「脳」、「意識」、「無意識」の問題は未だ解明されているとは言い難い。著者は「来歴」という概念で「遺伝子決定論」と「環境絶対論」との折衷を図る意図があった様で、この点には好感が持てた。心理学・物理学を問わず、この分野における刺激的な著書の出現をこれからも期待したい。
2014年5月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
私が求めていた内容とは少々違いましたが、わかり易い脳科学の本としては面白い内容でした。
2012年1月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
脳を活動させるエネルギーを得る為に肉体は必要という論理ではなく、意識するという活動にとって、肉体もさることながら、まわりの机やテレビや鉛筆、山、川、宇宙全体、なんでもかんでもが「脳の出先機関」であるという考え方に驚きました。確かにそうですね。ひょっとしたら、今まで歴史上で死んで行った人々も「私の脳の出先機関」なのではないでしょうか?
人間とはなにか?のヒントをもらえる一冊だと思います。
人間とはなにか?のヒントをもらえる一冊だと思います。
2014年5月14日に日本でレビュー済み
モノクロがカラーに見える現象があります。その理由を丁寧に解説している本は、自分が探した範囲内では『心的現象論本論』(他に概念装置を解説した『…序説』があります)という本だけでした。そこではモノクロがカラーに見えるのは錯覚ではなく、そう見えるようになっている…その仕組がクールに説明されています。
心的現象論は膨大な量の精神疾患やLSDの服用実験などのエグザンプルを取り上げ、それを解説しています。思想や哲学の文脈で読まれることが多いようですが、うつ病や統合失調症への分析など、緻密な考察と一貫した観点が圧倒的な印象の本です。数学者野田宏のトポロジカルなニューロンによる頭脳モデルやデビッド・ボームによる量子力学的なホログラフィック仮説など、具体的な症例から理論物理学的なものまでノンジャンルで心理=心的現象についての解析が2段組500ページ以上も続きます。
本書『「意識」とは何だろうか―脳の来歴、知覚の錯誤』は、その心的現象論のエビデンスとして読みました。ナゼなら、まったく同じことが書かれているからです。フロイトやビンスワンガー、ヤスペルスといった精神病医学の古典的巨匠からMポンティやサルトル、ベルグソンといった知覚や感覚についての深い考察、フッサールなど言語への関係やヘーゲルやレヴィ=ストロースなど社会との関係、フランス現代思想のドゥルーズ=ガタリなどのスキゾ分析、そしてジャック・ラカンなど…以上の他にも多数の言説と実験論文なども参照しながらノンジャンルでとにかく心的現象への深い探究がされている心的現象論。それと本書はまったく同じことが指摘され同じことが主張されていたのです。異なっているのはタームだけといってもいいかもしれません。この発見は驚きでしたが、新たな可能性や期待をもつことができウレシクなりました。なんといっても心的現象論の思想的哲学的なタームで難しく記述されているものが、『「意識」とは何だろうか』では簡明に説明されているからです。
本書『「意識」とは何だろうか』では、「意識」を可能とする「地」として「無意識」をはじめとするさまざまなものがフォーカスされています。そしてその「地」を知ることで「意識」が拡大され、コントロールの可能性が向上することが示唆されています。それこそが本書の目標であり目的であるのかもしれませんが…。だとすれば、それはますます心的現象論と同じ主旨であることにもなりそうです。個人の「自由」といった認識(この逆が障害観など)も、これまで哲学的なアプローチはありましたが、心理学的なものは本書や心的現象論でしか読んだことがありません。逆に自由を抑制する社会や宗教、国家といったものについての言説は哲学から思想までたくさんあるようですが、どれも人間の心理については言及できていないものばかり。そこには社会科学や人文分野が説得力を失ってきた原因そのものがあるのではとも思われます。ようやく最近では行動経済学のようなダイレクトに人間の心理を起因とする社会科学的なアプローチもでてきましたが…。
心的現象論が思想的哲学的なアプローチをスタートとしているとすれば、本書は心理学からはじまり、両書は同じ結論にたどりついた…ということが言えるかもしれません。たとえば本書の最大のキーワードであるであろう「来歴」という言葉は、<本源的蓄積>や<「五感の形成は、いままでの全世界史の一つの労作である」>というマルクスや資本論の認識ともイコールになります。
本書はプロザックのような向精神薬も含めて、人間の意識との関係をマクロに考察するとともにミクロや分子レベル(代謝など)での因果をもエビデンスとして取り上げています。そのスタンスは一見心理学の分野に見えますが、社会科学全体を見わたせるもので、古代ギリシャの哲学フィロソフィアが本来心理学であったことを思い出させるようなトーナリティのあるものです。
最終章では人工と自然の対立といったものから還流する意識までが取り上げられ、もっともリアルで現在的なものとしてベイトソン的な自己言及を社会全般へのものとしてフォーカスしています。…なのでやはり本書は心理学を超えた社会全般についての本なのでしょう。少なくとも著者のスタンスはそういったものであるようです。
「錯誤」を含めて「イリュージョン」が本書のポイントであり、そのイリュージョンは「来歴」によって生成する…という認識は心的現象論そのものなので、興味のある人は両書を読み比べてみると面白いかもしれません。
心的現象論は膨大な量の精神疾患やLSDの服用実験などのエグザンプルを取り上げ、それを解説しています。思想や哲学の文脈で読まれることが多いようですが、うつ病や統合失調症への分析など、緻密な考察と一貫した観点が圧倒的な印象の本です。数学者野田宏のトポロジカルなニューロンによる頭脳モデルやデビッド・ボームによる量子力学的なホログラフィック仮説など、具体的な症例から理論物理学的なものまでノンジャンルで心理=心的現象についての解析が2段組500ページ以上も続きます。
本書『「意識」とは何だろうか―脳の来歴、知覚の錯誤』は、その心的現象論のエビデンスとして読みました。ナゼなら、まったく同じことが書かれているからです。フロイトやビンスワンガー、ヤスペルスといった精神病医学の古典的巨匠からMポンティやサルトル、ベルグソンといった知覚や感覚についての深い考察、フッサールなど言語への関係やヘーゲルやレヴィ=ストロースなど社会との関係、フランス現代思想のドゥルーズ=ガタリなどのスキゾ分析、そしてジャック・ラカンなど…以上の他にも多数の言説と実験論文なども参照しながらノンジャンルでとにかく心的現象への深い探究がされている心的現象論。それと本書はまったく同じことが指摘され同じことが主張されていたのです。異なっているのはタームだけといってもいいかもしれません。この発見は驚きでしたが、新たな可能性や期待をもつことができウレシクなりました。なんといっても心的現象論の思想的哲学的なタームで難しく記述されているものが、『「意識」とは何だろうか』では簡明に説明されているからです。
本書『「意識」とは何だろうか』では、「意識」を可能とする「地」として「無意識」をはじめとするさまざまなものがフォーカスされています。そしてその「地」を知ることで「意識」が拡大され、コントロールの可能性が向上することが示唆されています。それこそが本書の目標であり目的であるのかもしれませんが…。だとすれば、それはますます心的現象論と同じ主旨であることにもなりそうです。個人の「自由」といった認識(この逆が障害観など)も、これまで哲学的なアプローチはありましたが、心理学的なものは本書や心的現象論でしか読んだことがありません。逆に自由を抑制する社会や宗教、国家といったものについての言説は哲学から思想までたくさんあるようですが、どれも人間の心理については言及できていないものばかり。そこには社会科学や人文分野が説得力を失ってきた原因そのものがあるのではとも思われます。ようやく最近では行動経済学のようなダイレクトに人間の心理を起因とする社会科学的なアプローチもでてきましたが…。
心的現象論が思想的哲学的なアプローチをスタートとしているとすれば、本書は心理学からはじまり、両書は同じ結論にたどりついた…ということが言えるかもしれません。たとえば本書の最大のキーワードであるであろう「来歴」という言葉は、<本源的蓄積>や<「五感の形成は、いままでの全世界史の一つの労作である」>というマルクスや資本論の認識ともイコールになります。
本書はプロザックのような向精神薬も含めて、人間の意識との関係をマクロに考察するとともにミクロや分子レベル(代謝など)での因果をもエビデンスとして取り上げています。そのスタンスは一見心理学の分野に見えますが、社会科学全体を見わたせるもので、古代ギリシャの哲学フィロソフィアが本来心理学であったことを思い出させるようなトーナリティのあるものです。
最終章では人工と自然の対立といったものから還流する意識までが取り上げられ、もっともリアルで現在的なものとしてベイトソン的な自己言及を社会全般へのものとしてフォーカスしています。…なのでやはり本書は心理学を超えた社会全般についての本なのでしょう。少なくとも著者のスタンスはそういったものであるようです。
「錯誤」を含めて「イリュージョン」が本書のポイントであり、そのイリュージョンは「来歴」によって生成する…という認識は心的現象論そのものなので、興味のある人は両書を読み比べてみると面白いかもしれません。