「怒っている人に怒りをかえしてはいけない。
怒っている人には、余計やさしい言葉でお返ししなさい」
そう父に教えられた著者は普通の人間です。
痛がっている他人の声や表情で、人は自分の記憶の痛みを想起するので、他人の痛みを感じます。そして迫りくる自分の状況が、過去の痛みの瞬間を想起させるので、人は自分の未来の痛みを感じます。
これらは、同じく自分の記憶の痛みであり、その状況でいきいきと働くために、人はそれを減少させる行為をするのです。
人は自分の痛みを避けるように、他人の痛みを救おうとする。それは自然な行為です。
しかし人は他人の痛みからは、目を背けることができる。また「こいつは悪人だ」「こいつは悪魔だ」と空想すれば、他人の痛みを空想の道具にし、他人を攻撃することだって人間はやってきたのかもしれない。
憎しみや怒りは、他人の苦痛を一時の快感に変えることができる。
だれでも、イライラしている時、「この野郎」と言って、ものを投げつければ、スッとした気分になれる。イライラがそのものといっしょに飛んでいった気になる。一瞬の空想です。
でもそれは何の解決にもなっていない。
著者は、憎しみや怒りを相手にせず、それを生み出している人の不安やイライラ、苦痛を相手にする。前者は空想でしかなく、後者が実体だからだ。
そして解決策を模索し、提案してゆく。
「君子危うきに近寄らず」というのに、著者は進んで「火中の栗を拾う」ように見える。冒険家？
怒りや憎しみを受け流し、他人の痛みを素直に感じる強さは、ガンジーかも知れない。
著者の武勇伝は語られても、どうすればその心を多くこの世に育てることができるのかは語られてはいない。
でもそれは簡単だ。
イギリスの田舎は、穏やか（gently）な人間、つまりジェントルマンを育てた。
羊牧を中心としたかつてのイギリスの田舎は、隣家がおそらく１ｋｍ以上も離れ、その間に広がる、視野に飛んだ緩やかな起伏のある大地と豊かな自然がある。
平板な土地は、歩いても景色が変わらず、歩くのが苦痛になるのに対して、ゆるやかに起伏する大地は歩くに従って広大な展望が変化し、歩くのがおもしろい。
このため、イギリスの田舎の人間はアウトドアが大好きだ。
このアウトドア好きが、ジェントルマンの強さ、やさしさ、勤勉さ、近代科学を発展させた知性を育てた。
他人の記憶はその他人の顔に結びついて記憶されている。他人と関わるとき、人はその他人の顔を見ているからだ。
これに対して、自分の記憶は自分の顔には結びつかない。自分が行動するとき、自分で自分の顔を見ないからだ。
その代わり、直立活動する人間は、直立姿勢を支える筋肉を働かせ、自分の身体感覚を持ち続けている。このためこの自分の身体感覚に、自分の記憶が結びついている。
好きな人と楽しく関われば、その人との絆は深くなるように、日々楽しく身体を動かせば身体感覚との絆は、太く成長してゆく。
他人との絆が人を支えるように、自分の身体感覚との絆も、人を支える絆に太く大きく成長する。
こうしてイギリスの田舎は、隣家が遠く離れていても、自立し、充実した穏やかな人たちを育てた。
「旧家育ちの母」を持つ著者は、古い日本の生き残りかも知れない。
かつての日本人は、ジェントルマンに匹敵する身体文化を持っていた。
武士の育てた武道や芸道においては「正座」を基本的な姿勢としている。
正座は武家の女たちの日常の作法の基本となり、自ら手本となり子供らをやさしく正座を基本とする生活スタイルに導いた。
憎しみや怒りに伴うような激情から離れ、「無心」という充実して穏やかで自立した精神を追求するこの生活スタイルは、知的で勤勉な武士階級を形成した。
徳川幕府は、国民の７％足らずの武士によって、２６４年の間安定した支配体制を維持した。
武士階級は、明治維新によって、武士自ら消滅させたが、そのはるか後に、武士の生活スタイルを消滅させたのは、「スカート」だった。
ＡＫＢ４８のだれが子供に正座の生活スタイルを教えるだろうか。テレビに登場する女性のスカートからのぞくスラリとした長い足への憧れが、女共に正座の生活スタイルを拒絶させた。
こうしてアジアで一人高く飛行していた日本は、エンジンを失い、落下してきた。
間違っているかもしれないが、私にはついに人間がだれもが持てる飛行エンジンを発明したように思う。
イギリスの田舎以上のスポーツ空間をだれにも簡単に持てるようにしたものは、暴力的等々と批判されるテレビゲームの一種だ。
それは「運動を楽しむ」テレビゲームである。これは、テレビの前の空間を簡単に、テニスコートに変え、ビーチバレー場に、ダンスルームやフィットネスクラブに変え、対戦相手やコーチを用意してくれる。
だれもが楽しく、手軽に一人でも「運動を楽しむ」テレビゲームという飛行エンジンの使い方のポイントは、テレビ台を１ｍ以上高くすることです。自然に姿勢を良くなり身体感覚が安定します。毎日全身運動を楽しむことで、身体感覚という記憶の絆は少しずつ太く大きく成長するはずです。
科学の法則とは、自然現象の例外のない一般的なイメージです。
熟練した職人が無数の失敗の蓄積の中から、成功イメージを持つことができるように、例外のある無数の自然現象の蓄積の中から例外のない一般的なイメージが自然に浮き出てくる。それが自然の法則です。
科学好きとは記憶の集積力を持った人間です。記憶の中に太い絆を持った人です。
科学への飛行エンジンは、やさしさへの飛行エンジンでもある。
「運動を楽しむ」テレビゲームは、本当に人を強くやさしくするだろうか。
暴力的等々と批判されるテレビゲームという小悪魔は、天使を生んだのだろうか。
人がお互いに悪魔呼ばわりし、怒りや憎しみを抱き戦い続けてきた人々のそばにで、怒りや憎しみを離れ、他人の痛みを素直に受け止める強さへの扉は開かれてゆくのだろうか。
この本は、人間について考えるきっかけを与えてくれた。
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