自由貿易が本当に経済的にメリットのあるものかどうかは、E.トッド氏ご本人が本書で語っている通り、分析対象国が自由貿易と保護貿易の間を移行する過程を計量経済学的手法で観察することが必要である(p.79-80)。そして、ご本人は自分にその能力はないと潔く仰っているが(p.80)、どうせトッド氏以外の論者の文章を沢山集めるなら、そういう計量経済学的なハードな論文も本書は1本くらい入れておくべきだったと思う。また、トッド親子以外の文章は、反TPP/新自由主義/(新)古典派経済学の紋切り型のような退屈な文章も含まれるので、総合点は渋めにつけた。
以上のようなケチはつけたものの、経済史・経済学説史の観点からの情報は中々興味深い。例えば、ドイツの近代史から保護主義=排外主義というイメージが強いが、歴史的には自由貿易論の方が(特に米英の)砲艦外交に積極的に利用されてきたこと、保護主義と政治的自由主義は必ずしも背反せず両立してきたこと、国内労働者の利益を確保するために左派政権が外国人労働者排斥を行った19世紀フランスの経験(=左vs右という単純化した区分が、どれだけ意味がなく有害かということを良く教えてくれる歴史的事例だ)などは、大学受験の頃に世界史で勉強して以降、忘却の彼方にあった知識を改めて思い出させてくれた。
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自由貿易という幻想 〔リストとケインズから「保護貿易」を再考する〕 単行本 – 2011/11/9
エマニュエル・トッド
(著),
松川周二
(その他),
中野剛志
(その他),
フリードリッヒ・リスト
(その他),
ダヴィッド・トッド
(その他),
ジャン=リュック・グレオ
(その他),
ジャック・サピール
(その他),
西部邁
(その他),
関曠野
(その他),
太田昌国
(その他),
山下惣一
(その他),
関良基
(その他)
&
9
その他
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TPP参加という愚策。自由貿易は、デフレを招く。リスト、ケインズが構想した「保護貿易」とは何か?自由貿易による世界規模の需要縮小こそ、世界経済危機=デフレ不況の真の原因だ。 したがって、さらなる貿易自由化は、いっそうの需要不足・供給過剰を招き、デフレを さらに悪化させるだけである。「自由貿易」と「保護貿易」についての誤った通念を改 めることこそ、経済危機からの脱却の第一歩である。
- ISBN-104894348284
- ISBN-13978-4894348288
- 出版社藤原書店
- 発売日2011/11/9
- 言語日本語
- 寸法13.5 x 2.5 x 19.5 cm
- 本の長さ272ページ
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商品の説明
出版社からのコメント
本書のねらい
2011 年の念頭にあたって菅直人前首相は、「本年を、明治の開国、戦後の開国に続く、『平成の開国』元年にする」として、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)など貿易自由化に向けた交渉・協議を本格化させる考えを表明し、続く施政方針演説でも「今年6月をめどに交渉参加について結論を出す」と宣言し、TPP参加を「第三の開国」と位置づけた。
元旦社説で新聞各紙も、「日本が交渉に乗り遅れれば、自由貿易市場の枠組みから締め出されてしまう」(読売)「自由貿易の強化は、貿易立国で生きる日本にとって要である。自由貿易を進めるTPPへの参加を進められるかどうか。日本の命運はその点にかかっている」(朝日)などと左右の立場を超えてこれに賛同した。まさに「右も左も自由貿易主義を推進」と仏の人類学者・歴史人口学者エマニュエル・トッドが指摘する通りの状況である(『自由貿易は、民主主義を滅ぼす』)。
このTPP参加問題は、その後の東日本大震災を受けて、一時、棚上げされていたが、9月末、野田佳彦首相が、11月開催のAPECでのTPP参加表明に向けて、早急に結論を出すよう与党幹部に指示し、プロジェクト・チームを急遽、発足させた。これは、APECにおいて米国などがTPPの大枠合意を目指していることを睨んでの動きだが、経済危機と東日本大震災後の復興への対応が迫られている現状において極めて重要であるはずの経済政策を検討するにしては、「バスに乗り遅れるな」式のあまりに拙速な議論である。だが、新聞各紙、とりわけ全国紙の社説は、TPP参加と自由貿易のさらなる推進を相変わらず主張し続けている。なぜなのか?
それは、「自由貿易が成長をもたらす」という漠然としたイデオロギーに囚われ、現在の経済危機の原因と対処法を見誤っているからであろう。
現在の経済危機は、デフレによってもたらされている。デフレとは、需要不足・供給過剰状態を指す。したがって、貿易自由化による安価や製品や労働力の流入は、さらなる供給過剰を意味し、デフレ不況への対処となるどころか、このデフレ状態をさらに悪化させるだけである。また外需頼みの輸出主導型成長も、現在の経済危機に対する根本的解決にならないことは、2008年のリーマン・ショックですでに明らかになっている。
トッドが『デモクラシー以後』で指摘しているように、世界経済危機の真の原因は、自由貿易による世界規模の需要縮小にこそあるのだ。だが、G8やG20に集まる各国の指導者は、これを認めようとせず、「保護主義に走ることこそ脅威である」と異口同音に唱えている。このように「自由貿易」が絶対視され、「保護貿易」がタブー視されるなかで、世界経済危機に対する適切な措置がなされないまま、危機がさらに深刻化する悪循環に陥っているのである。
本書が明らかにするように、リストやケインズが考えていた保護貿易は、排外主義的なイデオロギーなどではなく、時代状況を見据えての柔軟で節度をもったプラグマティックな政策なのであり、トッドの主張する協調的保護貿易論も、労働者賃金の再上昇をきっかけとする世界規模での需要拡大を企図した、デフレ脱却のための処方箋なのである。
「自由貿易」と「保護貿易」についての誤った通念を改めることこそ、経済危機からの脱却の第一歩である。ところが、このような深刻な危機にあって、日本は、全く愚かな政策を選択しようとしている。こうした危機感から本書を企画した。
2011 年の念頭にあたって菅直人前首相は、「本年を、明治の開国、戦後の開国に続く、『平成の開国』元年にする」として、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)など貿易自由化に向けた交渉・協議を本格化させる考えを表明し、続く施政方針演説でも「今年6月をめどに交渉参加について結論を出す」と宣言し、TPP参加を「第三の開国」と位置づけた。
元旦社説で新聞各紙も、「日本が交渉に乗り遅れれば、自由貿易市場の枠組みから締め出されてしまう」(読売)「自由貿易の強化は、貿易立国で生きる日本にとって要である。自由貿易を進めるTPPへの参加を進められるかどうか。日本の命運はその点にかかっている」(朝日)などと左右の立場を超えてこれに賛同した。まさに「右も左も自由貿易主義を推進」と仏の人類学者・歴史人口学者エマニュエル・トッドが指摘する通りの状況である(『自由貿易は、民主主義を滅ぼす』)。
このTPP参加問題は、その後の東日本大震災を受けて、一時、棚上げされていたが、9月末、野田佳彦首相が、11月開催のAPECでのTPP参加表明に向けて、早急に結論を出すよう与党幹部に指示し、プロジェクト・チームを急遽、発足させた。これは、APECにおいて米国などがTPPの大枠合意を目指していることを睨んでの動きだが、経済危機と東日本大震災後の復興への対応が迫られている現状において極めて重要であるはずの経済政策を検討するにしては、「バスに乗り遅れるな」式のあまりに拙速な議論である。だが、新聞各紙、とりわけ全国紙の社説は、TPP参加と自由貿易のさらなる推進を相変わらず主張し続けている。なぜなのか?
それは、「自由貿易が成長をもたらす」という漠然としたイデオロギーに囚われ、現在の経済危機の原因と対処法を見誤っているからであろう。
現在の経済危機は、デフレによってもたらされている。デフレとは、需要不足・供給過剰状態を指す。したがって、貿易自由化による安価や製品や労働力の流入は、さらなる供給過剰を意味し、デフレ不況への対処となるどころか、このデフレ状態をさらに悪化させるだけである。また外需頼みの輸出主導型成長も、現在の経済危機に対する根本的解決にならないことは、2008年のリーマン・ショックですでに明らかになっている。
トッドが『デモクラシー以後』で指摘しているように、世界経済危機の真の原因は、自由貿易による世界規模の需要縮小にこそあるのだ。だが、G8やG20に集まる各国の指導者は、これを認めようとせず、「保護主義に走ることこそ脅威である」と異口同音に唱えている。このように「自由貿易」が絶対視され、「保護貿易」がタブー視されるなかで、世界経済危機に対する適切な措置がなされないまま、危機がさらに深刻化する悪循環に陥っているのである。
本書が明らかにするように、リストやケインズが考えていた保護貿易は、排外主義的なイデオロギーなどではなく、時代状況を見据えての柔軟で節度をもったプラグマティックな政策なのであり、トッドの主張する協調的保護貿易論も、労働者賃金の再上昇をきっかけとする世界規模での需要拡大を企図した、デフレ脱却のための処方箋なのである。
「自由貿易」と「保護貿易」についての誤った通念を改めることこそ、経済危機からの脱却の第一歩である。ところが、このような深刻な危機にあって、日本は、全く愚かな政策を選択しようとしている。こうした危機感から本書を企画した。
登録情報
- 出版社 : 藤原書店 (2011/11/9)
- 発売日 : 2011/11/9
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 272ページ
- ISBN-10 : 4894348284
- ISBN-13 : 978-4894348288
- 寸法 : 13.5 x 2.5 x 19.5 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 636,121位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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2012年6月3日に日本でレビュー済み
全体としては、自由貿易が前提としていると各々が想定するものを批判的に取り上げている評論集である。
第'T部 保護貿易とは何か フリードリッヒ・リストから考える
1 フリードリッヒ・リストの経済学批判/E・トッド
リストの 経済学の国民的体系 (1970年) を取り上げて、イングランド経済がクロムウェル施政下で保護主義により成功を収めた事に注目している。また19世紀当時のヨーロッパとアメリカのバランス、リスト出生の地ドイツの政治的問題を振り返ることで、現在的な国際状況を俯瞰的に見ている。そしてリストが、国民生産と消費の補完性を浮き彫りにし、国内市場の保護を必要と説いていたのを、ケインズの需要政策と重ねあわせている。
2 政治経済学と世界主義経済学 『経済学の国民的体系』第11章/フリードリッヒ・リスト 訳=小林昇
日本国内でほぼ一人とも言えるリストの訳出をした小林氏の国民的体系からの再録。取り上げている章では、ケネー、スミス、セーの世界主義とイギリス経済を対比している。
3 「ホモ・エコノミクス(経済人)」とは何か<インタビュー>/エマニュエル・トッド
前著 自由貿易は、民主主義を滅ぼす と主張は大きく変わってはいない。人類の普遍性について、そして経済人の想定する絶対性への懐疑の二点である。加えてリストについて交わされていて、自由貿易から保護主義、またその逆へ戻る事が可能である事がダイナミックであるとしている。
デモクラシー以後 〔協調的「保護主義」の提唱〕 からの追加的な要素として、フランスがケインズ政策を取った事、しかし企業の国外移転、失業率・給与の低下は止まらない事、極右ルペン台頭、中産諸階級の不安定化とエリート層の正統性の揺らぎ
が同時に起きている事などを挙げている。また基本的にはヨーロッパ規模での経済的保護主義がマシだと思っているが、現実的な政治的争点にならない事を以って、国民戦線の掲げるユーロからの脱退が何もしないより良いという事になりかねないと述べている。
第'U部 自由貿易と保護貿易の歴史
4 保護主義と国際自由主義 その誕生と普及 1789-1914/ダヴィッド・トッド
歴史学者で、エマニュエルの息子でもある同氏による、18世紀末からの英仏独米へ広がりの持つ保護貿易と自由貿易陣営双方による政治的自由獲得の為の系譜。そこには、普仏間を巡る経済戦争、当時のロンドン・イニシアチブへの(エイブラハム・リンカーンの経済顧問である)Henry Careyによる批判、階級闘争と国家主義など、近代国民国家が抱える矛盾とそれへの対処、ホメオスタシスが見て取れる。
5 ケインズの貿易観の変遷 論説『国家的自給』をどう読むか/松川周二
イギリス経済におけるケインズの貿易観、1920年代-自由貿易主義と1930年代-保護貿易主義、をイギリス経済と関税/金本位制後のポンド安と絡めて紹介。
また『国家的自給』がその表題として、反-自由貿易主義である一方、当時の国家的自給運営国、露独伊が”愚行”を行なっているという指摘をしていたとしている。
第'V部 自由貿易こそ経済危機の原因
6 賃金デフレこそ経済危機の根本原因 ヨーロッパ保護貿易プロジェクト/ジャン=リュック・グレオ
2008年金融危機以前からの、賃金デフレ、特に米英西豪で起きたそれにより減じた需要を穴埋めする債務形成、そしてそれらを肩代わりする証券化商品を大量に購入していた仏独。そして最も産業機構が安定しているだろうドイツで起きた工業生産の大幅減。実需を支えるだろうとされる新興国も未だ国内製品の未熟ぶりを克服していない。
そこで、ヨーロッパ保護貿易プロジェクトでの提言、ヨーロッパの生産者に貿易保護を与える組織づくりとそれにより達成される労働の再評価を訴えている。それには、輸入割り当てや関税、炭素税等が含まれるという。
ただし慎重な態度で、それはヨーロッパが非ヨーロッパ、それは主に日米、に対して開かれた投資対象である事を前提とした上で進めるべきであり、競争条件の公平性を保つための暫定的措置であるべきと結んでいる。
7 リベラルな保護主義に向けて 中野剛志
一般に諸個人の自由な経済活動の産物とされる市場を、制度を設計・維持する政治・国家という強制力を持った存在からの視点で捉えている。
それは、一義的には企業努力で決まるはずの経済活動が、為替相場、国際会計基準、銀行の自己資本比率、規格、環境規制などに大きく左右されるという事実から敷衍している。
そして多元性を含む社会倫理を達成するためにある国内法と同様に、国際間でもそれぞれの国の生活世界を脅かさない程度に自由貿易を進めるためにも、国家が仲介者として一度設計に携わる必要性を説いている。政治的リベラルを守るためには、経済活動は一定のルールに縛られるという事である。
それは外部経済というものは一度破壊されると、再び回復するには絶望的な時間が必要か、もしくは返って来ないおそれがあるからである。公害問題や地域共同体の破壊はその最たる例であると。
8 統計の人為性による自由貿易のイデオロギー化/ジャック・サピール
グローバル化がもたらした世界的な経済成長という通説を支える、1980-1990年代の国際貿易のフローに疑問を呈す所から始まる。
それは、国際政治の変化、Comeconという形でのユーラシアでの共産圏崩壊を契機として、域内貿易の国際貿易化ともう一つ、旧ソ連で起きた下請けの現象、労働者の給与と企業利潤の間の付加価値配分の比率の変動で説明されると。そしてこれに原料価格の高騰も拍車をかけるのである。
またGDPの正確さについても言及している。GDPは市場取引を介したものを言うのであり、自家消費する事で完結するような経済活動は含まれない事が多々あるのである。西アフリカでは今もよく見られる、自家消費分の商品作物への転化が顕著である。しかしそれは、富の増大よりもむしろ、新たな供給先の登場による生産物の価格低下、生産しなくなった自家消費分の食糧等の需要増による価格上昇、この2つによる輸出材単位量当たりの購買力低下を引き起こす。同様な例として先進国ではGDP化される家庭経済をあげている。
また既に伝統的な外部不経済の1つになっている、南側諸国への環境問題の輸出はグローバル化の負の側面である。典型的な財の廃棄物である携帯電話は、今後中国インドの発展に伴いそれぞれ7倍、18倍に増大すると見られている。そして、それに対応するべき浄化費用や先進医療制度も、廃棄物を引き受ける国には整うにはまだ早い。これに原生林の破壊とプランテーションへの転用、それに伴う都市人口の増大が環境破壊に拍車をかけるが、これらの損失はタイムラグがあるので会計制度に表れる事は現時点では無いという。
そして、カンクン会議で発表された貿易自由化の推定利益数千億ドルも用いられたリンケージモデルとGTAP、いずれも一般均衡モデル・CGE、に問題があるとされる。
これら320億ドルの利益は、シェアされていき、将来は途上国の成長に従い先進国の生活レベルは低下するという事を受け入れるしかないという事を示した。そして当時フランス国内で右派が競争力を維持する必要性と対外的制約について左派も同じ路線に乗っかっていた、呉越同舟のグローバル観だった。
しかし香港会議ではより現実的なモデルとされるリンケージでも、8000億ドル以上だったのが2900億ドルまで低下、途上国では900億ドル程度しか享受出来ず、中国を除けばほぼゼロとされた。途上国と先進国の一体化は、計算上否定されたのである。そしてこれらは期間内の利益の総計であり、年間にするとさらに減少する。
そして、CGEモデルの問題点は均衡状態が存在しているとされている点にあるが、勿論これは理想状態であり、現実の地域的不均衡とそこから生じる失業率上昇、社会的費用増大が国家間で引き起こされるというのがグローバル化である。
世界経済の全構成員にはメリットは無いとしても、一部の構成員には利益をもたらすのは、農業分野で顕著である。WTO計画の補助金打ち切りは米国に有利、途上国で不利である可能性を示唆している。これは1920-38年期に起きた、需給の調整速度不一致による不均衡が自由競争によりもたらされる「くもの巣理論」という名で知られている。
9 自由競争教という現代の狂気/西部邁
経済学にとって所与のものとされている、資源・組織・情報、それらを志向する意志を交換可能にする力と定義する。そして、国際社会は定常的な「冷たい文明」ではなく、ニーチェが「力への意志」に言及したように、「変化の中での意志の発揚」「意志による変化の創造」を元にしている近代以降の動的なものだと論じている。
また経済学は市場活力を、機会の平等から導いて、マクロ政策等に結びつけるが、その活力が発揮される程度に安定的な結果の平等へは開かれておらず、市場競争を実質的自由と呼ばれるレベルまで上げる事がまだ出来ていないとしている。そして国内経済は社会保障によりまだ確保出来ようが、共同体なき社会体としての国際社会は、所与のものとされる金融・資源・組織・情報において弱い意志力しか持たない国家には、再分配は期待出来ず、最初から敗者として扱われる。
また意志力は、イノヴェーションの分野でも同様に、裸のままではなく保護される事により左右される。「新製品、新技術、新組織、新資源、新販路」が必要とされる、研究開発や軍事を含めた外交、共同体の立て直しや社会体の安定化の為の新経営法も、政府による庇護がある程度欠かせない。それらを支える補助線となる長期予測の元である国家戦略も無いままでは、短期予測も出来ない。ひいては価格の安定も実現せず、雇用・賃金も不安定であり、不公正さが増大する。
10 「自由貿易」とアメリカン・システムの終焉/関曠野
貿易を近代国家の死活問題としているマスメディアや政府関係者の風潮に疑問を投げかけている。それは、必然的に自由貿易と保護貿易とが善悪の問題として語られる危険性を持つからである。
そもそもの自由貿易論は19世紀英国から始まり、当然として国民国家・国民経済の存在を前提とし、マンチェスター学派が言うように資本・労働・企業の生産拠点それぞれの完全自由な国際的移動を想定したことは無かった。しかし、「国富論」からのホイッグ的産業資本家層とトーリー的貴族地主層との論争の決着点をなす「神の見えざる手」の説が国際経済に拡大する事により、穀物法をめぐる攻防の国内的闘争が、英国という例外的な地位にある所で始まった事により、その後の自由貿易論は国際主義になる。
現に19世紀は保護主義全盛で保護プラス開発独裁で成功したのが、ドイツ、アメリカ、日本である。そして、結果的にそれらは攻撃的な経済ナショナリズムに変容したが、それも各国が経済の国際化を達成した後で大衆民主主義の時代に大量失業を生じさせたのがよりその動きを強め、近隣窮乏化政策をもたらした。しかしそれらは完全雇用を達成目指す大戦へと突き進んだ。
そして、大戦後古典的な自由貿易論により正当化されるブレトンウッズ体制もまた、アメリカ中心で互恵性は関係がなく、19世紀末以来のアメリカの対中国への門戸開放政策の延長線上であった。自由貿易論に立ち返るならケインズのバンコール案がまだマシであった。
そしてニクソン・ショックで崩壊した後はむしろ、貿易赤字を以前ほど気にする必要もなくなり通貨・金融の面で操作可能になり、経済成長の限界の問題は、為替差による防衛的措置に取って代わられたし、国際的資本取引が各国の経済主権を後景化させている。
11 自由貿易と世界経済危機のメカニズム<インタビュー>/エマニュエル・トッド
2008年からの世界経済危機について「世界的な需要不足」であり、「際限のない自由貿易は、産業の空洞化と、賃金低下を招く」。また、中国化する世界という予測については、批判的でインドを例にとり「情報産業化はめざましく、技術革新もあり、民主制国家であるインドが今後人口で中国を上回る」との見方をしている。
12 自由貿易と民主主義<インタビュー>/エマニュエル・トッド
日本の政権交代を取り上げ、「世界の民主国家で起きているのと全く同じであり、政権交代しようが危機は相変わらずである」、民主主義の不全については「表層部では、経済思想について自由貿易を解決策であるとするイデオロギー」「途上国に安価な労働力があると、先進国の賃金の高い人々は無用とされる」「景気刺激策も指標を上向きにし、企業利益も伸ばしたが、雇用と賃金は改善せず、中国やインドのような新興国を利するばかりだった」。自由貿易の問題も「民主主義を発明したはずの個人主義」が「共同体否定をする」ようになった事が根底にあるとしている。また「リベラルな民主主義が馴染みにくかった、日本やドイツなど権威主義的な所では、フランスや米英といったリベラルな国に比べて、不平等の拡大はゆっくり進んだ」「民主主義の普及は識字率と結びついていて、識字率が高くなるにつれ、文化的同質性が高くなり、民主的な考え方、共同体意識も高まった」が「高等教育の普及により、教育格差は拡大、平等意識も薄れていった」。政治の規模と経済の規模の一致させる必要性を問われて、「欧州政治は、古典的な民主主義と違い、国際的な新しいタイプの民主主義。ただ理想化は早計で、政治指導者と市民をより和解させる仕組み程度の話。一体化した欧州は幻想である」。
第'W部 TPP参加という愚策
13「環」(Trans-)という概念から考えるTPP問題 「環日本海」と「環太平洋」/太田昌国
TPP、環太平洋経済連携協定にもある「環」概念として、「環日本海諸国図」を最も好ましいとして取り上げている。
それは太平洋を上にしており、日本海はサハリン、中国東北部、朝鮮半島、中国大陸などに囲まれた<内海>である事を感じ取れる。
そしてそこは冷戦期、冷戦構造消滅後の今も対立/抗争の地域として温存されている。
話を翻して、「環太平洋」という概念は広く南米チリから中北米、ロシア・シベリア地域を通り東アジア諸地域、東南アジア、豪州、オセアニアといった30カ国以上の該当国からなる。そして、その中でアメリカは地理的特権を有し、汎米州共同体、環太平洋、環大西洋といった多様な顔を持っている。これらに加え、経済的・軍事的・文化的優位性を元に世界支配を実現していったアメリカは、ソ連崩壊後、「市場原理」の優位性、新自由主義とグローバリゼーションの掛け声の下に、自由貿易を軸にしてきた。
しかし、2005年米州サミットでは、参加国地域での世界に先駆けた70年代以降の新自由主義政策の負の側面を受けたこともあり、政府・民衆レベルで異議が起き、連帯・協同・相互扶助の精神もあって、一大貿易圏を作るというブッシュ構想は潰えた。
しかし、2006年発効のTPPはシンガポール、ニュージーランド、チリ、ブルネイの四カ国のみという「小国のFTA」だったのが、オバマ大統領が参加表明して以降「帝国のFTA」に豹変。再び介入主義へと舵を戻している。
そして日本は、鳩山首相の掲げた「東アジア共同体」も菅首相の野党時代の海兵隊不要論も無かった事になり、逆に環日本海の問題を環太平洋の遥か向こう側に託す事を明言している。また「第三の開国」と呼ばれる以前の開国も第一は不平等条約是正に奔走し、同様の事を江華島事件で行っており、第二の開国と呼ばれるものもアジア太平洋戦争での敗戦を数える奇妙さがある。
14 自由貿易と農業・環境問題 マルサスから宇沢弘文まで/関良基
農産物と工業製品では性質が本質的に異なる事を論じている。マルサスは1815年、穀物の輸入規制に賛成意見を出している。その中で、気候変動による凶作が発生すれば穀物輸出国は輸出規制を行い、英国の供給は危機に瀕する。そして外国産穀物からの自立を促す輸入規制は貿易自由化よりも「国の富と繁栄に寄与するだろう」としている。これ以降食料安全保障論は基本理論を保ち続けている。
一般に農産物価格は激しく変動するのは、価格変動によって需要量に変化が生じづらいからであり、需要曲線は垂直に近くなり、価格弾力性が低い。逆に工業製品は、価格弾力性は高い。これが、近年の投機筋の資金流入を強め、さらに変動幅を増大させる。
そして、アルゼンチンのラウル・ブレビッシュが懸念したような、一次産品需要の所得弾力性の低さから、特化すると交易条件は悪化するとの見方は裏切られ、途上国の穀物自給率が低下する中、米加豪といった先進国からの輸入穀物依存度が高まり、また穀物供給が土地の広い新大陸の先進国に集中したのもあって、生産国での不作の影響で穀物価格が急騰しやすくなった。
リカードの問題である、生産費用不変の仮定を、フランク・グレーアムは1920年代農工業の生産費用を組み込んだモデルにより、保護貿易の理論を提唱。その中で、リカードとは違い、収穫逓減産業である農業に特化しても利益は減るが、保護関税を用いれば収穫逓増産業である工業に特化する事で利益増大する事を説いた。ここでも、2つの財の性質は全く違い、農産品は限界生産費用は逓増するのに対し、工業製品では逓減していく。これが、グローバル化の必要性の有無の差になる。農業には利潤最大点が無いので、自由貿易には限界があるのである。
これらの問題点は、宇沢弘文氏も捉えており、社会的共通資本として、政府が適切な財政的支援をしつつ、社会的管理の必要性を論証している。社会的共通資本には、農村の他に、自然環境、社会インフラ、医療教育、金融制度が含まれている。ゆえに私的資本部門からは課税を行い、市場的均衡と社会的安定性を取り戻す事が可能になるバランスを保つことが求められる。
15 第一次産業を消滅させて本当によいのか?/山下惣一
農業者の立場からTPPに反対している。TPPの場合は、完全自由化を前提としているが、日本は既にコメ、砂糖、でん粉、乳製品などを除いて開放・低関税となっていて、平均関税率は11.7%。EUの19.5%、韓国の62%より低く、アメリカの5.5%に次ぐ市場開放国である。
ウルグアイ・ラウンドで、失敗して以降は、水田が4割減、米価が採算割れしても、毎年ミニマムアクセス米を輸入する始末である。
それも20年以上前から続く農業叩きが凄まじかったと懐古している。その中では、農地を宅地に、コメ自由化でサラリーマンの税負担軽減などいささか性急な意見も見られる。
それらの背景には、前川リポートがある。中身は経済大国の国民が負担感を持っているのは、食料品の値段が高いからであるとし、輸入促進して、食費負担を国際標準にすべきとしている。結果は、年間5800万トンもの食料を輸入する世界一の食料純輸入国となった。
日本の食料品の内外価格差は、東京を1とすれば、ニューヨーク、ロンドン、パリ、ソウルと比べても3〜5割安くなっているが、税負担軽減にはなっていない。
また水産物でも悲惨さは変わらず、漁港数、海岸線の総延長、領海などを考えると世界第6位の海洋国であるとされる日本が、輸入では金額で世界第1位、量で2位。漁業就業者は30年前に50万人いたのが20万人に減少、半分が60歳以上という。
林業も1964年の自由化によって、関税ゼロとなり、90%の自給率は18%にまで低下、山村での生活基盤は壊れた。山は放置され、荒れて伐採期を過ぎた杉の木などが、問題を引き起こしている。
以上、だいぶ長くなってしまったが、一部要約した。
TPP問題以前の、貿易理論、産業政策、環境政策など論点が多岐に渡る事が多く、それらの一部でも吸収することが出来るように感じた。
これこれの部分と言わず、幅広い視野を以って見ていって欲しいと思った。
また僭越ながら、食糧問題などは グローバリゼーションと人間の安全保障 、産業政策などは 持続可能な発展の経済学 を参考にすると良いと思う。
この著者たちの著書を参照するのもまた問題意識を深める機会になるという意味で、いいまとめになっている評論集であった
(ただリストの著作は読みこむのに、非常に疲れると思うので、もしこれから触れてみようという方は、ある程度トッドらのまとめを頭に入れた上での方が無難である)。
第'T部 保護貿易とは何か フリードリッヒ・リストから考える
1 フリードリッヒ・リストの経済学批判/E・トッド
リストの 経済学の国民的体系 (1970年) を取り上げて、イングランド経済がクロムウェル施政下で保護主義により成功を収めた事に注目している。また19世紀当時のヨーロッパとアメリカのバランス、リスト出生の地ドイツの政治的問題を振り返ることで、現在的な国際状況を俯瞰的に見ている。そしてリストが、国民生産と消費の補完性を浮き彫りにし、国内市場の保護を必要と説いていたのを、ケインズの需要政策と重ねあわせている。
2 政治経済学と世界主義経済学 『経済学の国民的体系』第11章/フリードリッヒ・リスト 訳=小林昇
日本国内でほぼ一人とも言えるリストの訳出をした小林氏の国民的体系からの再録。取り上げている章では、ケネー、スミス、セーの世界主義とイギリス経済を対比している。
3 「ホモ・エコノミクス(経済人)」とは何か<インタビュー>/エマニュエル・トッド
前著 自由貿易は、民主主義を滅ぼす と主張は大きく変わってはいない。人類の普遍性について、そして経済人の想定する絶対性への懐疑の二点である。加えてリストについて交わされていて、自由貿易から保護主義、またその逆へ戻る事が可能である事がダイナミックであるとしている。
デモクラシー以後 〔協調的「保護主義」の提唱〕 からの追加的な要素として、フランスがケインズ政策を取った事、しかし企業の国外移転、失業率・給与の低下は止まらない事、極右ルペン台頭、中産諸階級の不安定化とエリート層の正統性の揺らぎ
が同時に起きている事などを挙げている。また基本的にはヨーロッパ規模での経済的保護主義がマシだと思っているが、現実的な政治的争点にならない事を以って、国民戦線の掲げるユーロからの脱退が何もしないより良いという事になりかねないと述べている。
第'U部 自由貿易と保護貿易の歴史
4 保護主義と国際自由主義 その誕生と普及 1789-1914/ダヴィッド・トッド
歴史学者で、エマニュエルの息子でもある同氏による、18世紀末からの英仏独米へ広がりの持つ保護貿易と自由貿易陣営双方による政治的自由獲得の為の系譜。そこには、普仏間を巡る経済戦争、当時のロンドン・イニシアチブへの(エイブラハム・リンカーンの経済顧問である)Henry Careyによる批判、階級闘争と国家主義など、近代国民国家が抱える矛盾とそれへの対処、ホメオスタシスが見て取れる。
5 ケインズの貿易観の変遷 論説『国家的自給』をどう読むか/松川周二
イギリス経済におけるケインズの貿易観、1920年代-自由貿易主義と1930年代-保護貿易主義、をイギリス経済と関税/金本位制後のポンド安と絡めて紹介。
また『国家的自給』がその表題として、反-自由貿易主義である一方、当時の国家的自給運営国、露独伊が”愚行”を行なっているという指摘をしていたとしている。
第'V部 自由貿易こそ経済危機の原因
6 賃金デフレこそ経済危機の根本原因 ヨーロッパ保護貿易プロジェクト/ジャン=リュック・グレオ
2008年金融危機以前からの、賃金デフレ、特に米英西豪で起きたそれにより減じた需要を穴埋めする債務形成、そしてそれらを肩代わりする証券化商品を大量に購入していた仏独。そして最も産業機構が安定しているだろうドイツで起きた工業生産の大幅減。実需を支えるだろうとされる新興国も未だ国内製品の未熟ぶりを克服していない。
そこで、ヨーロッパ保護貿易プロジェクトでの提言、ヨーロッパの生産者に貿易保護を与える組織づくりとそれにより達成される労働の再評価を訴えている。それには、輸入割り当てや関税、炭素税等が含まれるという。
ただし慎重な態度で、それはヨーロッパが非ヨーロッパ、それは主に日米、に対して開かれた投資対象である事を前提とした上で進めるべきであり、競争条件の公平性を保つための暫定的措置であるべきと結んでいる。
7 リベラルな保護主義に向けて 中野剛志
一般に諸個人の自由な経済活動の産物とされる市場を、制度を設計・維持する政治・国家という強制力を持った存在からの視点で捉えている。
それは、一義的には企業努力で決まるはずの経済活動が、為替相場、国際会計基準、銀行の自己資本比率、規格、環境規制などに大きく左右されるという事実から敷衍している。
そして多元性を含む社会倫理を達成するためにある国内法と同様に、国際間でもそれぞれの国の生活世界を脅かさない程度に自由貿易を進めるためにも、国家が仲介者として一度設計に携わる必要性を説いている。政治的リベラルを守るためには、経済活動は一定のルールに縛られるという事である。
それは外部経済というものは一度破壊されると、再び回復するには絶望的な時間が必要か、もしくは返って来ないおそれがあるからである。公害問題や地域共同体の破壊はその最たる例であると。
8 統計の人為性による自由貿易のイデオロギー化/ジャック・サピール
グローバル化がもたらした世界的な経済成長という通説を支える、1980-1990年代の国際貿易のフローに疑問を呈す所から始まる。
それは、国際政治の変化、Comeconという形でのユーラシアでの共産圏崩壊を契機として、域内貿易の国際貿易化ともう一つ、旧ソ連で起きた下請けの現象、労働者の給与と企業利潤の間の付加価値配分の比率の変動で説明されると。そしてこれに原料価格の高騰も拍車をかけるのである。
またGDPの正確さについても言及している。GDPは市場取引を介したものを言うのであり、自家消費する事で完結するような経済活動は含まれない事が多々あるのである。西アフリカでは今もよく見られる、自家消費分の商品作物への転化が顕著である。しかしそれは、富の増大よりもむしろ、新たな供給先の登場による生産物の価格低下、生産しなくなった自家消費分の食糧等の需要増による価格上昇、この2つによる輸出材単位量当たりの購買力低下を引き起こす。同様な例として先進国ではGDP化される家庭経済をあげている。
また既に伝統的な外部不経済の1つになっている、南側諸国への環境問題の輸出はグローバル化の負の側面である。典型的な財の廃棄物である携帯電話は、今後中国インドの発展に伴いそれぞれ7倍、18倍に増大すると見られている。そして、それに対応するべき浄化費用や先進医療制度も、廃棄物を引き受ける国には整うにはまだ早い。これに原生林の破壊とプランテーションへの転用、それに伴う都市人口の増大が環境破壊に拍車をかけるが、これらの損失はタイムラグがあるので会計制度に表れる事は現時点では無いという。
そして、カンクン会議で発表された貿易自由化の推定利益数千億ドルも用いられたリンケージモデルとGTAP、いずれも一般均衡モデル・CGE、に問題があるとされる。
これら320億ドルの利益は、シェアされていき、将来は途上国の成長に従い先進国の生活レベルは低下するという事を受け入れるしかないという事を示した。そして当時フランス国内で右派が競争力を維持する必要性と対外的制約について左派も同じ路線に乗っかっていた、呉越同舟のグローバル観だった。
しかし香港会議ではより現実的なモデルとされるリンケージでも、8000億ドル以上だったのが2900億ドルまで低下、途上国では900億ドル程度しか享受出来ず、中国を除けばほぼゼロとされた。途上国と先進国の一体化は、計算上否定されたのである。そしてこれらは期間内の利益の総計であり、年間にするとさらに減少する。
そして、CGEモデルの問題点は均衡状態が存在しているとされている点にあるが、勿論これは理想状態であり、現実の地域的不均衡とそこから生じる失業率上昇、社会的費用増大が国家間で引き起こされるというのがグローバル化である。
世界経済の全構成員にはメリットは無いとしても、一部の構成員には利益をもたらすのは、農業分野で顕著である。WTO計画の補助金打ち切りは米国に有利、途上国で不利である可能性を示唆している。これは1920-38年期に起きた、需給の調整速度不一致による不均衡が自由競争によりもたらされる「くもの巣理論」という名で知られている。
9 自由競争教という現代の狂気/西部邁
経済学にとって所与のものとされている、資源・組織・情報、それらを志向する意志を交換可能にする力と定義する。そして、国際社会は定常的な「冷たい文明」ではなく、ニーチェが「力への意志」に言及したように、「変化の中での意志の発揚」「意志による変化の創造」を元にしている近代以降の動的なものだと論じている。
また経済学は市場活力を、機会の平等から導いて、マクロ政策等に結びつけるが、その活力が発揮される程度に安定的な結果の平等へは開かれておらず、市場競争を実質的自由と呼ばれるレベルまで上げる事がまだ出来ていないとしている。そして国内経済は社会保障によりまだ確保出来ようが、共同体なき社会体としての国際社会は、所与のものとされる金融・資源・組織・情報において弱い意志力しか持たない国家には、再分配は期待出来ず、最初から敗者として扱われる。
また意志力は、イノヴェーションの分野でも同様に、裸のままではなく保護される事により左右される。「新製品、新技術、新組織、新資源、新販路」が必要とされる、研究開発や軍事を含めた外交、共同体の立て直しや社会体の安定化の為の新経営法も、政府による庇護がある程度欠かせない。それらを支える補助線となる長期予測の元である国家戦略も無いままでは、短期予測も出来ない。ひいては価格の安定も実現せず、雇用・賃金も不安定であり、不公正さが増大する。
10 「自由貿易」とアメリカン・システムの終焉/関曠野
貿易を近代国家の死活問題としているマスメディアや政府関係者の風潮に疑問を投げかけている。それは、必然的に自由貿易と保護貿易とが善悪の問題として語られる危険性を持つからである。
そもそもの自由貿易論は19世紀英国から始まり、当然として国民国家・国民経済の存在を前提とし、マンチェスター学派が言うように資本・労働・企業の生産拠点それぞれの完全自由な国際的移動を想定したことは無かった。しかし、「国富論」からのホイッグ的産業資本家層とトーリー的貴族地主層との論争の決着点をなす「神の見えざる手」の説が国際経済に拡大する事により、穀物法をめぐる攻防の国内的闘争が、英国という例外的な地位にある所で始まった事により、その後の自由貿易論は国際主義になる。
現に19世紀は保護主義全盛で保護プラス開発独裁で成功したのが、ドイツ、アメリカ、日本である。そして、結果的にそれらは攻撃的な経済ナショナリズムに変容したが、それも各国が経済の国際化を達成した後で大衆民主主義の時代に大量失業を生じさせたのがよりその動きを強め、近隣窮乏化政策をもたらした。しかしそれらは完全雇用を達成目指す大戦へと突き進んだ。
そして、大戦後古典的な自由貿易論により正当化されるブレトンウッズ体制もまた、アメリカ中心で互恵性は関係がなく、19世紀末以来のアメリカの対中国への門戸開放政策の延長線上であった。自由貿易論に立ち返るならケインズのバンコール案がまだマシであった。
そしてニクソン・ショックで崩壊した後はむしろ、貿易赤字を以前ほど気にする必要もなくなり通貨・金融の面で操作可能になり、経済成長の限界の問題は、為替差による防衛的措置に取って代わられたし、国際的資本取引が各国の経済主権を後景化させている。
11 自由貿易と世界経済危機のメカニズム<インタビュー>/エマニュエル・トッド
2008年からの世界経済危機について「世界的な需要不足」であり、「際限のない自由貿易は、産業の空洞化と、賃金低下を招く」。また、中国化する世界という予測については、批判的でインドを例にとり「情報産業化はめざましく、技術革新もあり、民主制国家であるインドが今後人口で中国を上回る」との見方をしている。
12 自由貿易と民主主義<インタビュー>/エマニュエル・トッド
日本の政権交代を取り上げ、「世界の民主国家で起きているのと全く同じであり、政権交代しようが危機は相変わらずである」、民主主義の不全については「表層部では、経済思想について自由貿易を解決策であるとするイデオロギー」「途上国に安価な労働力があると、先進国の賃金の高い人々は無用とされる」「景気刺激策も指標を上向きにし、企業利益も伸ばしたが、雇用と賃金は改善せず、中国やインドのような新興国を利するばかりだった」。自由貿易の問題も「民主主義を発明したはずの個人主義」が「共同体否定をする」ようになった事が根底にあるとしている。また「リベラルな民主主義が馴染みにくかった、日本やドイツなど権威主義的な所では、フランスや米英といったリベラルな国に比べて、不平等の拡大はゆっくり進んだ」「民主主義の普及は識字率と結びついていて、識字率が高くなるにつれ、文化的同質性が高くなり、民主的な考え方、共同体意識も高まった」が「高等教育の普及により、教育格差は拡大、平等意識も薄れていった」。政治の規模と経済の規模の一致させる必要性を問われて、「欧州政治は、古典的な民主主義と違い、国際的な新しいタイプの民主主義。ただ理想化は早計で、政治指導者と市民をより和解させる仕組み程度の話。一体化した欧州は幻想である」。
第'W部 TPP参加という愚策
13「環」(Trans-)という概念から考えるTPP問題 「環日本海」と「環太平洋」/太田昌国
TPP、環太平洋経済連携協定にもある「環」概念として、「環日本海諸国図」を最も好ましいとして取り上げている。
それは太平洋を上にしており、日本海はサハリン、中国東北部、朝鮮半島、中国大陸などに囲まれた<内海>である事を感じ取れる。
そしてそこは冷戦期、冷戦構造消滅後の今も対立/抗争の地域として温存されている。
話を翻して、「環太平洋」という概念は広く南米チリから中北米、ロシア・シベリア地域を通り東アジア諸地域、東南アジア、豪州、オセアニアといった30カ国以上の該当国からなる。そして、その中でアメリカは地理的特権を有し、汎米州共同体、環太平洋、環大西洋といった多様な顔を持っている。これらに加え、経済的・軍事的・文化的優位性を元に世界支配を実現していったアメリカは、ソ連崩壊後、「市場原理」の優位性、新自由主義とグローバリゼーションの掛け声の下に、自由貿易を軸にしてきた。
しかし、2005年米州サミットでは、参加国地域での世界に先駆けた70年代以降の新自由主義政策の負の側面を受けたこともあり、政府・民衆レベルで異議が起き、連帯・協同・相互扶助の精神もあって、一大貿易圏を作るというブッシュ構想は潰えた。
しかし、2006年発効のTPPはシンガポール、ニュージーランド、チリ、ブルネイの四カ国のみという「小国のFTA」だったのが、オバマ大統領が参加表明して以降「帝国のFTA」に豹変。再び介入主義へと舵を戻している。
そして日本は、鳩山首相の掲げた「東アジア共同体」も菅首相の野党時代の海兵隊不要論も無かった事になり、逆に環日本海の問題を環太平洋の遥か向こう側に託す事を明言している。また「第三の開国」と呼ばれる以前の開国も第一は不平等条約是正に奔走し、同様の事を江華島事件で行っており、第二の開国と呼ばれるものもアジア太平洋戦争での敗戦を数える奇妙さがある。
14 自由貿易と農業・環境問題 マルサスから宇沢弘文まで/関良基
農産物と工業製品では性質が本質的に異なる事を論じている。マルサスは1815年、穀物の輸入規制に賛成意見を出している。その中で、気候変動による凶作が発生すれば穀物輸出国は輸出規制を行い、英国の供給は危機に瀕する。そして外国産穀物からの自立を促す輸入規制は貿易自由化よりも「国の富と繁栄に寄与するだろう」としている。これ以降食料安全保障論は基本理論を保ち続けている。
一般に農産物価格は激しく変動するのは、価格変動によって需要量に変化が生じづらいからであり、需要曲線は垂直に近くなり、価格弾力性が低い。逆に工業製品は、価格弾力性は高い。これが、近年の投機筋の資金流入を強め、さらに変動幅を増大させる。
そして、アルゼンチンのラウル・ブレビッシュが懸念したような、一次産品需要の所得弾力性の低さから、特化すると交易条件は悪化するとの見方は裏切られ、途上国の穀物自給率が低下する中、米加豪といった先進国からの輸入穀物依存度が高まり、また穀物供給が土地の広い新大陸の先進国に集中したのもあって、生産国での不作の影響で穀物価格が急騰しやすくなった。
リカードの問題である、生産費用不変の仮定を、フランク・グレーアムは1920年代農工業の生産費用を組み込んだモデルにより、保護貿易の理論を提唱。その中で、リカードとは違い、収穫逓減産業である農業に特化しても利益は減るが、保護関税を用いれば収穫逓増産業である工業に特化する事で利益増大する事を説いた。ここでも、2つの財の性質は全く違い、農産品は限界生産費用は逓増するのに対し、工業製品では逓減していく。これが、グローバル化の必要性の有無の差になる。農業には利潤最大点が無いので、自由貿易には限界があるのである。
これらの問題点は、宇沢弘文氏も捉えており、社会的共通資本として、政府が適切な財政的支援をしつつ、社会的管理の必要性を論証している。社会的共通資本には、農村の他に、自然環境、社会インフラ、医療教育、金融制度が含まれている。ゆえに私的資本部門からは課税を行い、市場的均衡と社会的安定性を取り戻す事が可能になるバランスを保つことが求められる。
15 第一次産業を消滅させて本当によいのか?/山下惣一
農業者の立場からTPPに反対している。TPPの場合は、完全自由化を前提としているが、日本は既にコメ、砂糖、でん粉、乳製品などを除いて開放・低関税となっていて、平均関税率は11.7%。EUの19.5%、韓国の62%より低く、アメリカの5.5%に次ぐ市場開放国である。
ウルグアイ・ラウンドで、失敗して以降は、水田が4割減、米価が採算割れしても、毎年ミニマムアクセス米を輸入する始末である。
それも20年以上前から続く農業叩きが凄まじかったと懐古している。その中では、農地を宅地に、コメ自由化でサラリーマンの税負担軽減などいささか性急な意見も見られる。
それらの背景には、前川リポートがある。中身は経済大国の国民が負担感を持っているのは、食料品の値段が高いからであるとし、輸入促進して、食費負担を国際標準にすべきとしている。結果は、年間5800万トンもの食料を輸入する世界一の食料純輸入国となった。
日本の食料品の内外価格差は、東京を1とすれば、ニューヨーク、ロンドン、パリ、ソウルと比べても3〜5割安くなっているが、税負担軽減にはなっていない。
また水産物でも悲惨さは変わらず、漁港数、海岸線の総延長、領海などを考えると世界第6位の海洋国であるとされる日本が、輸入では金額で世界第1位、量で2位。漁業就業者は30年前に50万人いたのが20万人に減少、半分が60歳以上という。
林業も1964年の自由化によって、関税ゼロとなり、90%の自給率は18%にまで低下、山村での生活基盤は壊れた。山は放置され、荒れて伐採期を過ぎた杉の木などが、問題を引き起こしている。
以上、だいぶ長くなってしまったが、一部要約した。
TPP問題以前の、貿易理論、産業政策、環境政策など論点が多岐に渡る事が多く、それらの一部でも吸収することが出来るように感じた。
これこれの部分と言わず、幅広い視野を以って見ていって欲しいと思った。
また僭越ながら、食糧問題などは グローバリゼーションと人間の安全保障 、産業政策などは 持続可能な発展の経済学 を参考にすると良いと思う。
この著者たちの著書を参照するのもまた問題意識を深める機会になるという意味で、いいまとめになっている評論集であった
(ただリストの著作は読みこむのに、非常に疲れると思うので、もしこれから触れてみようという方は、ある程度トッドらのまとめを頭に入れた上での方が無難である)。
2018年11月6日に日本でレビュー済み
図書館本
全くの経済音痴なので、誰が正しいのか?自由貿易より保護貿易なのかという2項対立に答えがあるのか分からない。ただ、経済学部に行った息子曰く「経済学は学問じゃない」というのは正確かもしれない。だからノーベル経済学賞が人類を果たして幸せにしてきたかが不明なのである。ちなみにトッドの著作は何冊か読んでいて、非常に好感が持てるのである、そう、アメリカ帝国の滅亡を予測しているから。
さて本書はトッドや彼の息子のD・トッドなども登場し、さらには日本強靭化の藤井教授のラボに居た経産省の中野せんせ、さらに西部せんせなども登場する。
さて、備忘録的メモ
トッド:リストの経済学では関税は追いつくための技術に過ぎない。だから国内市場を保護することが時として必要であるが、常に必要なわけではない。市場の自由も保護も、それ自体で良いということはいかなる時点においてもないのであり、経済の最大限の活力を保証するのは、まさに一方から他方へ、ついで他方から一方への動きである、ということを証明して、この馬鹿げた論争から最終的に脱出することが、ないとは言えない。そうすればわれわれもこの論争から脱出することが出来るだろう。正直に言う必要があるが、この論争は19世紀半ばから大して進歩していないのである。
リスト:ある国民のなかで人口が食料生産より高い率で増加する場合、とうとう資本が大いに蓄積されてその国民のなかではもう投下の余地が亡くなる場合、機械が大量の人間から仕事を奪って製造品が過剰に積み上げられる場合があれば、それはただ、自然が工業や文明や富の勢力を一つだけの国民に排他的に与えるのを望まないことの証拠であり、また耕作可能な大地の大半には獣だらけが住んでいて人類の大部分は粗野と無知と貧窮とのなかに沈んだままであるということの証拠である。
トッド:子供への愛、それは無償の贈与である。それはこの上なく反経済的な行為である。
D・トッドの論文:民族主義の悪魔、戦争につながるもの、という誤った固定観念から保護主義を解放し、それが歴史的には、上から下へと押し付けられた自由貿易主義とは異なり、諸国の知識人の「水平」な交流の成果であり、左派の平等主義的自由主義が経済の領域で見せる相貌であることを強調する。(アメリカは1950年代末まで極めて高い保護関税を課していた)
ジャン=リュック・グレオ:自由貿易と保護主義は二律背反か? 二律背反とはいえません。競争条件が均等であるときには、自由貿易が必要不可欠です。この条件が満たされない時には、明らかに保護主義が必要なのです。
関:「自由貿易か保護主義か」は大きなイデオロギー的負荷のかかった図式である。そして言論にこのような歪が生じる原因は、「自由貿易」が客観的中立的な政策用語ではなく純然たるイデオロギー用語として使われ影響力を発揮してきたことにある。イデオロギーは人を欺く目くらましの言語である。それは人々の事実誤認を誘う効果によって権力エリートがその真の戦略を隠蔽することを可能にするような組織された言説である。中略 提出されるべき選択肢は貿易か自給かなのである。中略 ここでの自給とは政策上の姿勢に関わることなのである。そしてこれは時代錯誤的な理想であるどころか、国民経済は自給を原則として貿易はそれを補完する2次的なものというかっての常識への復帰を意味する。
E・トッド:私の人口学的分析では中国は国民の富裕化よりも高齢化の方が急速に進み、社会保障を整える前に高齢化社会に入る。危険な社会状況だ。
大田:環日本海という「内海」を認識することの重要性 富山県作成の環日本海諸国図から見えてくるもの。ナショナリズムによらないTPP批判を。「日本文化特殊論」が、ある誇りをもって強調されてきた。それが排他的自民族中心主義を容易に収斂していった苦い歴史も、私たちは経験してきた。「日本海」という呼称とおなじく、きわめて排他的で「井の中の蛙」的な論理に落ち込む隙を、私は排除したいと思う。
山下:1982年 農業は東南アジアに移せ。農家を遊ばせて食わせても経済的に得である(ソニー会長 井深大)、自由化で潰れる農業なら仕方がない(ダイエー社長 中内功)もし米価を国際価格並みに下げれば米作農家は減り農地は手放され地下も下がる。十年後には大都市の百キロ圏内に農地は皆無という青写真を描いていく必要がある(マッキンゼー 大前研一 1986) 農業補助金をゼロにするとサラリーマンの税金は半分で済む。都会の農地を宅地にすれば日本人は三倍の広い家に住める(竹村健一 1986)
E・トッド:民主主義の危機の原因には、まず、教育水準の向上による社会の再階層化があります。さらに、信仰やイデオロギーといった集団的な価値の衰退も原因です。日本では「成長神話」がこの集団的価値にあたります。日中関係では、両大国がいわば「同時代の国」ではないことが、問題を難しくしています。日本は毎年首相が交代することが示す通り、世論のぶれ幅がポピュリズム的に激しく、民主主義の危機が進んでいます。とはいえ、穏健な先進国です。中国は、まだ、大衆の識字化が終わりつつある、欧州で言えば1900年代の段階です。経済の急成長で社会に緊張が走り、政府はナショナリズムでガス抜きをしている。この両国の「時差」が、東アジアの不安定さの背景でしょう。今後に楽観はしていません。政治的指導者は歴史上、誤りが想像しうるときに、必ずその誤りを犯してきました。だから私は、人類の真の力は、誤りを犯さない判断力でなく、誤っても生き延びる生命力だと考えています。(毎日新聞2011年)
全くの経済音痴なので、誰が正しいのか?自由貿易より保護貿易なのかという2項対立に答えがあるのか分からない。ただ、経済学部に行った息子曰く「経済学は学問じゃない」というのは正確かもしれない。だからノーベル経済学賞が人類を果たして幸せにしてきたかが不明なのである。ちなみにトッドの著作は何冊か読んでいて、非常に好感が持てるのである、そう、アメリカ帝国の滅亡を予測しているから。
さて本書はトッドや彼の息子のD・トッドなども登場し、さらには日本強靭化の藤井教授のラボに居た経産省の中野せんせ、さらに西部せんせなども登場する。
さて、備忘録的メモ
トッド:リストの経済学では関税は追いつくための技術に過ぎない。だから国内市場を保護することが時として必要であるが、常に必要なわけではない。市場の自由も保護も、それ自体で良いということはいかなる時点においてもないのであり、経済の最大限の活力を保証するのは、まさに一方から他方へ、ついで他方から一方への動きである、ということを証明して、この馬鹿げた論争から最終的に脱出することが、ないとは言えない。そうすればわれわれもこの論争から脱出することが出来るだろう。正直に言う必要があるが、この論争は19世紀半ばから大して進歩していないのである。
リスト:ある国民のなかで人口が食料生産より高い率で増加する場合、とうとう資本が大いに蓄積されてその国民のなかではもう投下の余地が亡くなる場合、機械が大量の人間から仕事を奪って製造品が過剰に積み上げられる場合があれば、それはただ、自然が工業や文明や富の勢力を一つだけの国民に排他的に与えるのを望まないことの証拠であり、また耕作可能な大地の大半には獣だらけが住んでいて人類の大部分は粗野と無知と貧窮とのなかに沈んだままであるということの証拠である。
トッド:子供への愛、それは無償の贈与である。それはこの上なく反経済的な行為である。
D・トッドの論文:民族主義の悪魔、戦争につながるもの、という誤った固定観念から保護主義を解放し、それが歴史的には、上から下へと押し付けられた自由貿易主義とは異なり、諸国の知識人の「水平」な交流の成果であり、左派の平等主義的自由主義が経済の領域で見せる相貌であることを強調する。(アメリカは1950年代末まで極めて高い保護関税を課していた)
ジャン=リュック・グレオ:自由貿易と保護主義は二律背反か? 二律背反とはいえません。競争条件が均等であるときには、自由貿易が必要不可欠です。この条件が満たされない時には、明らかに保護主義が必要なのです。
関:「自由貿易か保護主義か」は大きなイデオロギー的負荷のかかった図式である。そして言論にこのような歪が生じる原因は、「自由貿易」が客観的中立的な政策用語ではなく純然たるイデオロギー用語として使われ影響力を発揮してきたことにある。イデオロギーは人を欺く目くらましの言語である。それは人々の事実誤認を誘う効果によって権力エリートがその真の戦略を隠蔽することを可能にするような組織された言説である。中略 提出されるべき選択肢は貿易か自給かなのである。中略 ここでの自給とは政策上の姿勢に関わることなのである。そしてこれは時代錯誤的な理想であるどころか、国民経済は自給を原則として貿易はそれを補完する2次的なものというかっての常識への復帰を意味する。
E・トッド:私の人口学的分析では中国は国民の富裕化よりも高齢化の方が急速に進み、社会保障を整える前に高齢化社会に入る。危険な社会状況だ。
大田:環日本海という「内海」を認識することの重要性 富山県作成の環日本海諸国図から見えてくるもの。ナショナリズムによらないTPP批判を。「日本文化特殊論」が、ある誇りをもって強調されてきた。それが排他的自民族中心主義を容易に収斂していった苦い歴史も、私たちは経験してきた。「日本海」という呼称とおなじく、きわめて排他的で「井の中の蛙」的な論理に落ち込む隙を、私は排除したいと思う。
山下:1982年 農業は東南アジアに移せ。農家を遊ばせて食わせても経済的に得である(ソニー会長 井深大)、自由化で潰れる農業なら仕方がない(ダイエー社長 中内功)もし米価を国際価格並みに下げれば米作農家は減り農地は手放され地下も下がる。十年後には大都市の百キロ圏内に農地は皆無という青写真を描いていく必要がある(マッキンゼー 大前研一 1986) 農業補助金をゼロにするとサラリーマンの税金は半分で済む。都会の農地を宅地にすれば日本人は三倍の広い家に住める(竹村健一 1986)
E・トッド:民主主義の危機の原因には、まず、教育水準の向上による社会の再階層化があります。さらに、信仰やイデオロギーといった集団的な価値の衰退も原因です。日本では「成長神話」がこの集団的価値にあたります。日中関係では、両大国がいわば「同時代の国」ではないことが、問題を難しくしています。日本は毎年首相が交代することが示す通り、世論のぶれ幅がポピュリズム的に激しく、民主主義の危機が進んでいます。とはいえ、穏健な先進国です。中国は、まだ、大衆の識字化が終わりつつある、欧州で言えば1900年代の段階です。経済の急成長で社会に緊張が走り、政府はナショナリズムでガス抜きをしている。この両国の「時差」が、東アジアの不安定さの背景でしょう。今後に楽観はしていません。政治的指導者は歴史上、誤りが想像しうるときに、必ずその誤りを犯してきました。だから私は、人類の真の力は、誤りを犯さない判断力でなく、誤っても生き延びる生命力だと考えています。(毎日新聞2011年)
2012年2月7日に日本でレビュー済み
自由貿易に象徴されるグローバリゼーションの危機を主張し続けているE・トッド氏による論考を中心に、自由貿易と保護貿易という命題に含まれる多くの課題を浮き彫りにしてくれる一冊。
そこには、単純に二項対立論ではいかない大きな課題がひそんでいることを明らかにする。
すなわち、
自由貿易は製造業の空洞化を通じて深刻な雇用の流出をもたらす。
不況に対して、景気刺激策を採ったとしても、結果として新興工業国の輸出が増えるだけである。
今の自由貿易は富の偏在を招き、需要を縮小させ、格差を拡大させる。
2008年の世界経済危機も世界規模の需要不足が原因である。
自由貿易と民主主義は両立しない。
など多くの問題点を指摘しつつ
大恐慌後の保護貿易によって経済の収縮が起こったという事実はない。
あのケインズも穏健な保護貿易を主張した。
リカードの比較生産説は農産物には当てはまらない。
など、興味深い説も披露される。
一方で、経済学への批判も鋭い。
トッドが批判する経済学の「経済人」という考え方に加え、今日の世界は三つの作り話、すなわち「自由貿易」、「市場経済」、そして「経済成長」であるという関氏の議論も興味深い。
また、GDPという考え方の欠陥、すなわち金銭に基づく市場取引しか計上しないのに対し、市場以外の貨幣を伴わない交換などGDPにカウントされない部分があり、必ずしも豊かさの指標とは言えないというのが論拠である。
さらには、混迷が続く日本の政治状況について、日本だけでなく先進国共通の現象とし、民主主義の弊害としての社会の階層化が進んでいると危惧する。
急激な円高進行と圧倒的な労働コストの差から、家電業界に代表されるようにいまや日本の製造業は大変な危機に瀕している。
TPPが製造業にとって救世主のようにいわれているが、大いに疑問である。
そこには、単純に二項対立論ではいかない大きな課題がひそんでいることを明らかにする。
すなわち、
自由貿易は製造業の空洞化を通じて深刻な雇用の流出をもたらす。
不況に対して、景気刺激策を採ったとしても、結果として新興工業国の輸出が増えるだけである。
今の自由貿易は富の偏在を招き、需要を縮小させ、格差を拡大させる。
2008年の世界経済危機も世界規模の需要不足が原因である。
自由貿易と民主主義は両立しない。
など多くの問題点を指摘しつつ
大恐慌後の保護貿易によって経済の収縮が起こったという事実はない。
あのケインズも穏健な保護貿易を主張した。
リカードの比較生産説は農産物には当てはまらない。
など、興味深い説も披露される。
一方で、経済学への批判も鋭い。
トッドが批判する経済学の「経済人」という考え方に加え、今日の世界は三つの作り話、すなわち「自由貿易」、「市場経済」、そして「経済成長」であるという関氏の議論も興味深い。
また、GDPという考え方の欠陥、すなわち金銭に基づく市場取引しか計上しないのに対し、市場以外の貨幣を伴わない交換などGDPにカウントされない部分があり、必ずしも豊かさの指標とは言えないというのが論拠である。
さらには、混迷が続く日本の政治状況について、日本だけでなく先進国共通の現象とし、民主主義の弊害としての社会の階層化が進んでいると危惧する。
急激な円高進行と圧倒的な労働コストの差から、家電業界に代表されるようにいまや日本の製造業は大変な危機に瀕している。
TPPが製造業にとって救世主のようにいわれているが、大いに疑問である。