・現代社会を強烈に批判
著者のイリイチは、産業主義的社会を痛烈に批判する論者として知られています。本書の「はじめに」でも、「産業主義的起源の諸職業の消滅を、私は記述したいのだ。p.11」となっており、その批判の矛先があまりにも鋭いので、対象となった学校や病院ばかりでなく、学ぶことや健康の価値まで否定されているように感じてしまいます。決してそんなことはないのですが。
学校を批判する例として、「教師がどんなに自立共生的に自分のクラスを導こうとしても、彼の生徒は彼をとおして、どの階級に自分が属しているかを学ぶ。p.82」とあったりします。階級が現在も存在するという指摘は、フランスの社会学者ピエール・ブルデューとも共通します。
病院を批判する例として、「健康維持は美徳から一転して、科学の祭壇で専門的にとりおこなわれる儀式に変わった。p.22」、「処置が必要と定義される条件がますますふやされていった。p.25」など、治療が必要な病気が、科学の名のもとに作られてしまうと指摘されます。そういえば、最近になって生活習慣病が定義され、その中には肥満が含まれています。肥満は病気に祭り上げられても、医者はこれを治療することができません。治すのは患者自身なのです。病院ばかりでなく学校も、そして企業も同じ構造になっています。病院、学校、企業は、患者や生徒や従業員の自助努力を、意識させることなくスマートに強制しているのです。この‘自助努力’はイリイチにより「シャドウ・ワーク」と、後に名付けられることになります(イリイチ(1981)『シャドウ・ワーク』)。
・道具の自律性
本書の主要テーマは、道具と自立共生(コンヴィヴィアリティ)です。まず道具ですが、これはドリルや注射器といったいわゆる道具ばかりでなく、発電機や自動車のような大きな機械、さらに商品を製造する生産施設も含みます。本書で重要なのは、「“教育”とか“健康”とか“知識”とか“意思決定”とかを生みだす触知しえない商品の生産システムとを、道具のうちに含めるのである。p.58」と道具が説明されている点です。物質的な道具ばかりでなく、いわば社会制度も道具なのです。
そして、「道具は人間の手を逃れて成長する能力をもっているp.188」のです。同様の発想は、著述家のケヴィン・ケリー(2010)
テクニウム――テクノロジーはどこへ向かうのか?
は、テクノロジーの進化も方向性を持って自律していることを示そうとしました。確かに道具の自律性は、人工知能の例をみれば明らかです。また、経済学者のカール・ポラニー(1944、2001)
[新訳]大転換
は、人類が市場経済をつくりあげたが、逆にその市場経済が人類を支配するようになった‘大逆転’を警告しています。テクノロジーも市場経済も、イリイチにとっては道具です。道具は常に大逆転の可能性を秘めているのです。
道具には人間の能力を拡大する領域と、縮小させる領域があり、人類が生き残れるかどうかは、たちの悪い道具を排除し、目的にかなう道具を制御することが、今日の政治課題であるとイリイチは指摘します(p.188-9)。
・自立共生を人間より道具に適用せよ
自立共生(conviviality)は、「人間的な相互依存のうちに実現された個的自由であり、またそのようなものとして固有の倫理的価値をなすもの」と定義されています(p.40)。自由は、相互依存と倫理に支えられているということでしょう。これが我々の目指す世界のあり方となります。
では自立共生を実現するにはどうすればよいのか。結論は「はじめに」に書かれています。自立共生の普通の理解は人間どうしの共生をいうのでしょうが、その共同性は人間どうしより、人と道具との共生を重要視せよというのです。
「こういう限界が認識されると、人々と道具と新しい共同性との間の三者関係をはっきりさせることが可能になる。.....政治的に相互に結びついた個人に仕えるような社会、それを私は“自立共生的”と呼びたい。p.17-8」という部分に、今後の方向性が示されているように思えます。
① 産業主義的生産様式に限界を設定せよ
「今日の産業主義システムはダイナミックなまでに不安定である。それは無限の拡張と、それと同時に生じる新しいニーズの限界なき創造のために組織されている。p.109」、「爆弾をもっと、警察をもっと、医学検査をもっと、教師をもっとというだけではなく、情報をもっと、研究をもっとという絶望的懇願の声があげられる。p.35」などと、産業主義社会の限界を知らない姿が述べられています。満足は欲求との相対的な関係で決まるのですから、欲求が増大する限り、永遠に満足を得ることはないのです。そしてイリイチは、「私は成長は停止すると思う。p.225」と、ゼロ成長社会を予言します。
② 道具は我々の能力を減衰させると認識せよ
「これ以上の成長は、.....人類絶滅による終末か、....B. F. スキナー流の世界規模の集中収容所という形の終末のどちらかである。p.230-1」と、人類絶滅かスキナー流の収容所社会かの二者択一になっているとの比喩がおもしろい。
スキナーは学習理論の心理学者ですが、バーをつつくと餌がゲットできることを鳩に学習させる実験で有名です。産業主義社会ではもはや、バーをつつくことでしか生存を保てなくなったということです。スキナー箱から飛び立って、森の中に餌を探しに行くという本能的に備わった能力を忘れてしまったのが私たちです。さらに、つついても餌が出てこなければ、狂ったようにバーを押し続けているのが私たちであると、イリイチはいいたかったのでしょう。
③ 政治的手段はまだ残されている
しかし、鳩の学習能力がまだ残っていれば別の道具の使い方が学習(共生)できます。イリイチが注目したもののひとつに慣習法があります(p.208)。慣習法は法律の条文がなくても、人々の間で慣習的に守られている規範のことで、法的効力があるとされます。制定法より優先されることもあります。上からの法ではなく下からの法で、長い歴史の間に形成されたものですから連続性があります。また現実の事例の、その当事者によって積み上げられたものですから、産業主義社会が作り出す幻想とちがって力があります。そして普段は意識されないのですが、事が起これば現れる暗黙の了解といったところです。つまり先に挙げたシャドウ・ワークに近いのではないでしょうか。
レイチェル・カーソン(1962)
沈黙の春 (新潮文庫)
が環境問題を警告した書であったように、本書も警告の書です。ですから、具体的な方法論の提示に乏しいという批判は当たらないと思います。そんな批判よりも、産業化した社会が我々の能力を減衰させていること、モア&モアの方法論には限界があることを、本当に理解できるかがより重要です。
以上が本書から私が強制されることなく‘学んだ’ことです。ただしイリイチの著作は守備範囲が広く難解ですから、上記の要約が正しいとは限りません。他の読み方も可能でしょうから、文庫本になったのを機に、是非本書にチャレンジしてみてください。多くのインスピレーションが得られます。
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コンヴィヴィアリティのための道具 (ちくま学芸文庫 イ 57-1) 文庫 – 2015/10/7
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破滅に向かう現代文明の大転換はまだ可能だ! 人間本来の自由と創造性が最大限活かされる社会をどう作るか。イリイチが遺した不…
- 本の長さ256ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日2015/10/7
- 寸法10.7 x 1 x 14.8 cm
- ISBN-104480096884
- ISBN-13978-4480096883
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登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (2015/10/7)
- 発売日 : 2015/10/7
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 256ページ
- ISBN-10 : 4480096884
- ISBN-13 : 978-4480096883
- 寸法 : 10.7 x 1 x 14.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 21,025位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 64位ちくま学芸文庫
- - 371位社会一般関連書籍
- - 634位その他の思想・社会の本
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2006年4月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
同じ著者の『脱学校化の社会』(教育者必読)にもインターネットを予言したような記述があって驚いたが、こちらは実際に初期プログラマーに影響を与えたと言われる本だ。「コンヴィヴィアリティ」と言われても抽象的でピンとこないが、「自立共生的」という訳語を与えられて生き生きしたイメージとして認識することが出来た。ポイントは「道具」という具体的な者への形容詞として使うことであり、そうすることで単なる神秘的なうたい文句にしていないということだ。ガンジーやシューマッハの「適正技術」「中間技術」とならんで、イリイチの「自立共生的な道具」が、今後自立分散的な社会を作る上で重要なキーワードになることは間違いない。
2016年3月31日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
イリイチは、既成の組織や産業が陥っている限界についてストレートに指摘する。そしてそれ以前に本来的に人類社会がもっている、持続可能な価値観、社会的な枠組みとしてコンビヴィヴィリアリティという概念を提示する。
まさに、現在の我々が必要とするこのような重要な概念が、既に1973年にこれほど明確に表されていたことに驚愕する。
たしかに訳文は読みづらいですが、一語一句間違いの無いように丁寧に翻訳をした結果であり、ゆっくりとかみしめて読めば、イリイチの意図が明確に伝わってきます。
まさに、現在の我々が必要とするこのような重要な概念が、既に1973年にこれほど明確に表されていたことに驚愕する。
たしかに訳文は読みづらいですが、一語一句間違いの無いように丁寧に翻訳をした結果であり、ゆっくりとかみしめて読めば、イリイチの意図が明確に伝わってきます。
2021年9月12日に日本でレビュー済み
読み直されて然るべき書物と言えよう。記述が抽象的なのは他の方もコメントしているどおりであるけれども、GAFAに代表されるようなプラットフォーマーの跋扈する現代社会こそ、本書の記述が生きてくると思料している。
2006年6月7日に日本でレビュー済み
翻訳者が解説でいっているとおり、この本の重要性は埋もれている気がする。1979年に「自由の奪回」という表題で出版されていたらしいのだが、翻訳があまりにひどいために新たに翻訳しなおしての再出版したということらしい。1973年に本書が書かれたということだが、現代の日本の問題鋭く予測しているような気がする。まさに、今後読まれるべき本として意味を持ちえてくるのではないだろうか。p119「人々は使用価値を生み出す力を自分自身の時間に付与する能力を奪われ、賃金のために働き、自分の稼ぎを産業的に限定された賃貸空間と交換するように強いられる。」つまり、現在の私たちの生活空間には目の前の風景は他者の所有物であり、子供たちが遊べる公園も意図的に仕切られた空間である。疲れて、道路に座ればそれはその使用において誤っているとみなされ、非難の目を浴びる。自然の山の中ではあたりまえのことなのに、その人間の自由な行動に焦点をあてた発想からくる学習の機会が奪われているのではないかと。
2015年10月26日に日本でレビュー済み
知る人ぞ知るイリイチの代表的著作。
インターネットが変える世界 (岩波新書) で取り上げられているように
コンピューターやネットワークは大企業や政府が独占して使うのが当たり前だった時代に
ハッカーや技術者に個人のための、パソコンやインターネットにつながるインスピレーションを与えたことでも知られている。
表題にもなっているコンヴィヴィアリティ(conviviality)とはイリイチ思想のキーワードで
con--vivial(ともに-生き生きとしている)という意味の名詞形。
産業社会の大量生産(品)に代わるあり方として呈示された。
今回の文庫化でパソコンやインターネットがかつてのハッカーたちが夢見たような
「コンヴィヴィアリティのための道具」になっているのかどうか確かめてみるのもいいのではないだろうか。
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余談だが単行本が長らく絶版で以前は中古でも10000円を越える稀少本だった。
このちくま学芸文庫版もいずれ定価を越えて売買されることを思うと、気が滅入る…。
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コンピューターやネットワークは大企業や政府が独占して使うのが当たり前だった時代に
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表題にもなっているコンヴィヴィアリティ(conviviality)とはイリイチ思想のキーワードで
con--vivial(ともに-生き生きとしている)という意味の名詞形。
産業社会の大量生産(品)に代わるあり方として呈示された。
今回の文庫化でパソコンやインターネットがかつてのハッカーたちが夢見たような
「コンヴィヴィアリティのための道具」になっているのかどうか確かめてみるのもいいのではないだろうか。
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余談だが単行本が長らく絶版で以前は中古でも10000円を越える稀少本だった。
このちくま学芸文庫版もいずれ定価を越えて売買されることを思うと、気が滅入る…。
2019年7月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
厳密性を追求するためか冗長であり、汎用性をねらってか抽象的で読みづらい。恐らく訳のせいではなく、原文が思想家特有の難解文章になっていると思う。読んでもほとんどの人は何が言いたいのか分からないだろう。社会主義を理想化しているような所があり、今となっては時代遅れ。
2016年3月1日に日本でレビュー済み
古書には1万円以上の値段がついていますが、2015年の10月にちくま学芸文庫で同訳文を使った復刊があります。
コンヴィヴィアリティのための道具 (ちくま学芸文庫)
コンヴィヴィアリティのための道具 (ちくま学芸文庫)