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サロメ (光文社古典新訳文庫) Kindle版
- 言語日本語
- 出版社光文社
- 発売日2012/4/20
- ファイルサイズ1528 KB
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商品の説明
著者について
登録情報
- ASIN : B00H6XBL16
- 出版社 : 光文社 (2012/4/20)
- 発売日 : 2012/4/20
- 言語 : 日本語
- ファイルサイズ : 1528 KB
- Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) : 有効
- X-Ray : 有効
- Word Wise : 有効にされていません
- 付箋メモ : Kindle Scribeで
- 本の長さ : 175ページ
- Amazon 売れ筋ランキング: - 95,514位Kindleストア (Kindleストアの売れ筋ランキングを見る)
- - 52位戯曲・シナリオ (Kindleストア)
- - 57位イギリス・アメリカの戯曲・シナリオ
- - 299位光文社古典新訳文庫
- カスタマーレビュー:
著者について
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1975年愛知県蒲郡市生。北九州市出身。京都大学法学部卒。
1999年在学中に文芸誌「新潮」に投稿した『日蝕』により第120回芥川賞を受賞。40万部のベストセラーとなる。
以後、一作毎に変化する多彩なスタイルで、数々の作品を発表し、各国で翻訳紹介されている。2004年には、文化庁の「文化交流使」として一年間、パリに滞在した。
美術、音楽にも造詣が深く、日本経済新聞の「アートレビュー」欄を担当(2009年~2016年)するなど、幅広いジャンルで批評を執筆。2014年には、国立西洋美術館のゲスト・キュレーターとして「非日常からの呼び声 平野啓一郎が選ぶ西洋美術の名品」展を開催した。同年、フランス芸術文化勲章シュヴァリエを受章。
また、各ジャンルのアーティストとのコラボレーションも積極的に行っている。
著書に、小説『葬送』、『滴り落ちる時計たちの波紋』、『決壊』、『ドーン』、『空白を満たしなさい』、『透明な迷宮』、『マチネの終わりに』、『ある男』等、エッセイ・対談集に『私とは何か 「個人」から「分人」へ』、『「生命力」の行方~変わりゆく世界と分人主義』、『考える葦』、『「カッコいい」とは何か』等がある。
2019年に映画化された『マチネの終わりに』は、現在、累計58万部超のロングセラーとなっている。
2021年5月26日、長編小説『本心』(文藝春秋社)刊行。
photo: @ogata_photo
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[受賞歴]
『日蝕』(1999年 芥川龍之介賞)
『決壊』(2009年 芸術選奨文部大臣新人賞受賞)
『ドーン』(2009年 Bunkamuraドゥマゴ文学賞)
『マチネの終わりに』(2017年 渡辺淳一文学賞)
『ある男』(2019年 読売文学賞)
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[審査員・選考委員履歴]
三島由紀夫賞(2008年~2019年)
写真の町東川賞(2008年~2017年)
木村伊兵衛賞(2018年~)
芥川龍之介賞(2020年~)
1954年岡山市生まれ。法政大学教授・翻訳家。児童書やヤングアダルトむけの作品のほか、一般書、ノンフィクションなど、翻訳書は400点以上。訳書に『豚の死なない日』『青空のむこう』『国のない男』『不思議を売る男』『バーティミアス』『パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々』『ジョン万次郎 海を渡ったサムライ魂』『さよならを待つふたりのために』など。エッセイに『翻訳家じゃなくてカレー屋になるはずだった』『翻訳のさじかげん』など。日本の古典の翻案に『雨月物語』『仮名手本忠臣蔵』『怪談牡丹灯籠』。
(写真撮影:根津千尋)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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個人的には、本書に関しては随分と昔に読んだ記憶があったのですが、ビアズリーの挿絵やギュスターヴ・モローの絵画により妖艶かつ凄惨な“宿命の女”=ファム・ファタルのイメージの強いサロメを芥川賞作家でもある平野啓一郎氏が【どう新訳しているのか?】に興味をもち、今回手にとりました。
そんな本書は、80ページの読みやすい言葉づかいで新たなに翻訳された内容に加え、注釈が約40ページ、訳者の解説が約30ページ、原作者のオスカーワイルド専門家の解説が約60ページ、宮本亜門による公演話が10ページ、さらには年表と、現時点での決定版とも言える【お得感溢れる内容】で、予想以上に新しく楽しむ事ができたのですが。
やはり、前述の様にファム・ファタルのイメージの強いサロメを、平野啓一郎の解説によれば【一旦解き放って】"10代の清らかな少女"として解釈、新たにイメージを提示した事に関しては、些か賛否両論あるかもしれませんが印象的で。個人的には【すれ違う視線の物語】である本書に新たな魅力を付加してくれた点、特にクライマックスシーンに関しては【より劇的になったのではないか】と思いました。(公演でサロメ役を務めた、多部未華子にもぴったりなイメージですね!)
森鴎外や三島由紀夫、そして平野啓一郎と古典翻訳を比較したい誰か、また著者の生涯と重ねて世紀末文学を堪能したい誰かにもオススメ。
戯曲ですが読みやすかったです。解説も充実していて、オスカーワイルドの数奇な運命に驚きました。
個人的な話だが、作品を読む前日にスコセッシー監督の「最後の誘惑」を見た事、ナショナルジオグラフィック ニュースのヘロデ王の貴賓席
の発掘写真を見たことがあり、作品を読みながら、ピーター・ガブリエルの幻想的な音楽が頭の中を流れ、中東の砂漠の世界が頭の中をよぎっていた。
だから、私の頭の中にビアズリー的なイメージは全くなかった。
まず、本の構成だが、作品の注釈が約40ページ、平野氏による解説が約30ページ、英文学者でオスカー・ワイルドを専門とする田中氏の解説が約60ページで、
宮本亜門氏によるサロメに寄せてという新国立劇場での演出に関わる話が約10ページ、更に作者の年表が4ページと、
作品約70ページに対して圧倒的な解説の量で、オスカー・ワイルド及びサロメの研究書として十分な分量が添付されているのが特徴である。
特に田中氏の解説が秀逸で、オスカー・ワイルドという同性愛のために懲役刑を受けて失意のうちに英国を離れ、梅毒による脳髄膜炎のために
パリで客死というスキャンダラスな人生を歩んだ作家の人生を俯瞰して描いており、「サロメ」や「ドリアングレイの肖像」という退廃的な印象を持つ作品を描く一方で
「幸福な王子」のような童話をなぜ、ワイルドという作家が描いたのか、私の中での長年の疑問に初めて合点がいった解説であった。
世紀末のデカダンスな作家という紋切り型の偏見に満ちた捉え方でなく、「優しい心」を持つ作家としてワイルドを捉え直すというのは、
やはりワイルドを専門とする田中氏の慧眼だと思った。
さて、まず翻訳だが、simpleでsensitiveでsensualな感じがした。
戯曲のセリフの文章に対して”艶”を感じるというのも不思議な感じだが、
これが率直な感想だ。
平野氏は解説で黒子に徹して翻訳を行ったというようなことを書いているが、そんなことはない、
素晴らしい翻訳文だと思う。
新訳の意味について平野氏の解説の文章が的を得ていると思うのだが、「古風な数十年前の日本語」を更新することで、
作品の舞台の昔と作品自体の昔という3重の昔から、一つの昔をとりはらい、翻訳作品と現代の読者の距離、
時間を取り戻す行為であると思う。
平野氏は同時にビアズリーの描いた淫婦な毒婦というイメージをとりはらい、ワイルドが本来作品に描いた純真な少女として映るようにサロメの
言葉遣いに気を払ったというが、確かに、この結果、サロメが背負った「原罪」が浮かび上がり、作品のテーマがよりハッキリと描き出されたと思う。
作品が描かれた時代や文化が、私たちの住む現在の日本と違い、そのことが作品本来の良さを味わうことを不可能にしていることがしばしばある。
今回の出版は古典新訳出版の一つの到達点で、的確な解説と新しい翻訳が、作品の新たな魅力を引き出せることを証明した好例であると思う。
読書好きの皆様、是非、本書を手に入れて読んでみてください。
一度、シッカリ読んでみたいと思って、本書を購入しました。
物語は、ローマの使節を迎えたヘロデ王が歓迎の宴。
そこに予言者ヨカナーンが水たまりの中から現れ、数々の不吉な言葉を吐く。(なぜ、どうして、どんな水たまりなのか不明)
王の妃のへロディアの連れ子、サロメは美しい娘である。ヘロデ王の目はサロメに釘付けになって離れることができない。
一方、サロメは不吉な予言者ヨカナーンに一目ぼれだ。
王はサロメに踊りを所望。踊ってくれれば、欲しいものは何でも与えると約束。
ここで例の7枚のベールの踊り。
踊り終えたサロメはヨカナーンの首を所望。
王は反対するが、サロメの願いを断り切れずヨカナーンを斬首。
サロメはヨカナーンの唇にキスする。
ヘロデ王はサロメが怖くなり、殺す。
これだけの話だが、この話を正しく読み解くには聖書の知識が不可欠らしく、うるさいほど注釈がついてくる。
話しが終われば、今度は翻訳者の「なぜ自分が翻訳を引き受けたか」について長々と理由を述べる。
このほかに「解説者」が居て、サロメの作者オスカー・ワイルドについて、時代背景について長広舌。
最後に演出家宮本亜門氏による演出家の目による解説。
面倒くさい。
サロメだけでは短い話で一冊の本になりきれないのか。
とにかく、長い長い解説のおしゃべりに付き合う気がない方は、ほかのエディションがあれば、本書は避けたほうがよい。
今までの「サロメ」と言えば、「ファムファタール」のイメージが圧倒的です。
ところが、ここに写っているのは多部未華子です。
イメージ的には対極にあると思えるような配役です。
訳者は、平野啓一郎です。
読み始めると、何ともプレーンなシナリオです。
派手さがなく、ちょっと物足りなささえ感じてしまいます。
ところが、原文よりも長い解説の数々(平野啓一郎、田中裕介、宮本亜門)を読むと、その理由が書かれていました。
役者の演技を引き出す台詞と台詞の「間」を意識してのことと言うのです。
なるほど良いシナリオとは、そういうものかも知れません。
更に、作品以上に読み応えのある田中氏の「ワイルド論」です。
これを読むだけでも、この本を読んだ価値があるように思います。