長井勝一の人生と著者自身からみた白土三平、水木しげるについて書かれています。
ガロでデビューした作家についても書かれており、矢口高雄、林静一の事など歴史的に価値のある本だと思いました。
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ガロ編集長: 私の戦後マンガ出版史 (ちくま文庫 な 4-1) 文庫 – 1987/9/1
長井 勝一
(著)
- 本の長さ320ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日1987/9/1
- ISBN-104480021590
- ISBN-13978-4480021595
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登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (1987/9/1)
- 発売日 : 1987/9/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 320ページ
- ISBN-10 : 4480021590
- ISBN-13 : 978-4480021595
- Amazon 売れ筋ランキング: - 89,007位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 369位ちくま文庫
- - 633位アート・建築・デザイン作品集
- - 877位アート・建築・デザインの絵画 (本)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2014年4月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ガロの代名詞的存在であった編集長の著者が鬼籍に入って久しい。
貸本劇画の雄・佐藤まさあき氏による『劇画の星を目指して』を楽しく読んだ流れで、単行本発刊当初以来の再読。
もっとも、発刊当時私は大学に入ったばかりあるいは高校末期だったので、本書に書かれた貸本はおろか赤本/特価本もどういうものか良く知らず、安部慎一、つりたくにこ、鈴木翁二、林静一、佐々木マキらの、本書で紹介されるある時期のガロを彩った新作家達にばかり目が行ってしまっていたようだ。
時代といえば、長井氏の歩んできた道も波乱万丈だ。
3度も死病・結核で入院した体験は、氏の「力の抜けた」人生観にも大きく影響したに違いない。
ガロの創刊とその方針に大きな影響を与えたのが、白土三平氏と著者の切っても切れない関係。
白土氏の作品には、幼少時代に見たアニメ「サスケ」「カムイ伝」でなじんだのみ。他には、後年ビッグコミックに掲載された「カムイ伝・第二部」を絵柄を見ただけだ。
小島剛石(かつて白土のアシスタントを勤めた)の優美な筆使いや凛とした色気のある女性像を思わせ、なおかつダイナミックな動きの表現にも長けた画風こそ魅力的では合ったが、大長編ゆえ把握しにくい肝心のストーリーが「団塊左翼が支持するイデオロギッシュな話」と、多寡を括っていた。
長井氏の語る白土三平像からすると、どうやらそんな偏狭なものではないようなので、今後個人的に再発見したいところ。
長井氏亡き後のガロ誌を巡ってはその後ややこしい一悶着があったようだが(詳しくは知らない)、過去のマンガ史に残る多彩なコンテンツはさておき、大部数を誇る主要マンガ誌の部数至上主義とは距離を置いた新人発掘の場として、今後に期待したい。デジタル書籍としてだけではなく、なんなら会員制の紙媒体の雑誌として存続させる、という手もあると思う。
デジタル情報は手軽で便利な分、読み手だけではなく、描き手の不合理な思い入れをも排除し無化してしまうように思える。
背筋を伸ばして印刷物に向き合うことも、時には必要だ。
私がリアルタイムで読んだ「月刊ガロ」は80年代のものだった。
もはや全盛期の名残りでしかなかったのかも知れないが、メジャー誌には絶対に載らないような、時には「私だけのために描かれた」とさえ思え入れ込めるマンガの数々が、かつてそこには確かにあったのだ。
貸本劇画の雄・佐藤まさあき氏による『劇画の星を目指して』を楽しく読んだ流れで、単行本発刊当初以来の再読。
もっとも、発刊当時私は大学に入ったばかりあるいは高校末期だったので、本書に書かれた貸本はおろか赤本/特価本もどういうものか良く知らず、安部慎一、つりたくにこ、鈴木翁二、林静一、佐々木マキらの、本書で紹介されるある時期のガロを彩った新作家達にばかり目が行ってしまっていたようだ。
時代といえば、長井氏の歩んできた道も波乱万丈だ。
3度も死病・結核で入院した体験は、氏の「力の抜けた」人生観にも大きく影響したに違いない。
ガロの創刊とその方針に大きな影響を与えたのが、白土三平氏と著者の切っても切れない関係。
白土氏の作品には、幼少時代に見たアニメ「サスケ」「カムイ伝」でなじんだのみ。他には、後年ビッグコミックに掲載された「カムイ伝・第二部」を絵柄を見ただけだ。
小島剛石(かつて白土のアシスタントを勤めた)の優美な筆使いや凛とした色気のある女性像を思わせ、なおかつダイナミックな動きの表現にも長けた画風こそ魅力的では合ったが、大長編ゆえ把握しにくい肝心のストーリーが「団塊左翼が支持するイデオロギッシュな話」と、多寡を括っていた。
長井氏の語る白土三平像からすると、どうやらそんな偏狭なものではないようなので、今後個人的に再発見したいところ。
長井氏亡き後のガロ誌を巡ってはその後ややこしい一悶着があったようだが(詳しくは知らない)、過去のマンガ史に残る多彩なコンテンツはさておき、大部数を誇る主要マンガ誌の部数至上主義とは距離を置いた新人発掘の場として、今後に期待したい。デジタル書籍としてだけではなく、なんなら会員制の紙媒体の雑誌として存続させる、という手もあると思う。
デジタル情報は手軽で便利な分、読み手だけではなく、描き手の不合理な思い入れをも排除し無化してしまうように思える。
背筋を伸ばして印刷物に向き合うことも、時には必要だ。
私がリアルタイムで読んだ「月刊ガロ」は80年代のものだった。
もはや全盛期の名残りでしかなかったのかも知れないが、メジャー誌には絶対に載らないような、時には「私だけのために描かれた」とさえ思え入れ込めるマンガの数々が、かつてそこには確かにあったのだ。
2021年3月16日に日本でレビュー済み
長井勝一(1921-1996)の自伝。飄々としたイメージがあるが、そこに至るまでの道程、博打うち、あるいは山師のような半生がおもしろい。若い頃、本物の「山師」にあこがれ、満州に渡って鉱山に勤めるのだから、あとは推して知るべしか。
戦後、赤本漫画の出版で一儲け。しかし結核を発症。死の淵まで行きかけ、4年間の療養生活。1956年、日本漫画社を立ち上げ、貸本の漫画本で山を当てる。順風満帆だったが、突如廃業してバー経営に乗り出し、大失敗。再度貸本漫画の出版に賭けるべく、三洋社を立ち上げる。これもうまくゆくが、またもや結核。その後62年に青林堂を設立、64年に白土三平と月刊漫画誌『ガロ』を創刊。
漫画の流行はめまぐるしい。波に乗れた時には、飛ぶように売れる。しかし、波はすぐに去る。返品の山また山。まるでジェットコースターのようだ。しかし、博打うちにはこれがたまらない。
三洋社時代、持てるだけの札束を持って、見込みのありそうな漫画家のところに乗り込んでゆき、書いてもらえそうだと、即金で前払いしたというのが印象的。(青林堂の経営難の頃に、漫画家にノーギャラで描いてもらったのとは対照的だ。)
そのような試練を経るうちに、長井の漫画家(の卵)を見守る目が温かくなってゆくのが感じられる。
各章の扉には、水木しげる、赤瀬川原平、高信太郎、鈴木翁二、林静一、渡辺和博描くところの長井。表紙は南伸坊の長井。それぞれに味がある。
戦後、赤本漫画の出版で一儲け。しかし結核を発症。死の淵まで行きかけ、4年間の療養生活。1956年、日本漫画社を立ち上げ、貸本の漫画本で山を当てる。順風満帆だったが、突如廃業してバー経営に乗り出し、大失敗。再度貸本漫画の出版に賭けるべく、三洋社を立ち上げる。これもうまくゆくが、またもや結核。その後62年に青林堂を設立、64年に白土三平と月刊漫画誌『ガロ』を創刊。
漫画の流行はめまぐるしい。波に乗れた時には、飛ぶように売れる。しかし、波はすぐに去る。返品の山また山。まるでジェットコースターのようだ。しかし、博打うちにはこれがたまらない。
三洋社時代、持てるだけの札束を持って、見込みのありそうな漫画家のところに乗り込んでゆき、書いてもらえそうだと、即金で前払いしたというのが印象的。(青林堂の経営難の頃に、漫画家にノーギャラで描いてもらったのとは対照的だ。)
そのような試練を経るうちに、長井の漫画家(の卵)を見守る目が温かくなってゆくのが感じられる。
各章の扉には、水木しげる、赤瀬川原平、高信太郎、鈴木翁二、林静一、渡辺和博描くところの長井。表紙は南伸坊の長井。それぞれに味がある。
2009年5月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
月刊漫画「ガロ」初代編集長として伝説的人物。当然「ガロ」創刊後の話がメインと思いきや半分以上がそれ以前の話で、満州に渡って地図の作成に関わっていたことや日本が負けると身の危険を察知して敗戦直前に帰国、敗戦の翌日に朝から東京中を自転車で見て回ったときの様子も貴重。その後、戦後の混乱期に乗じてまんが出版でぼろ儲けするが体を壊して入院するはめに。
戦後のマンガ状況、特に貸本マンガの世界のことが詳しく描かれている。白土三平氏や水木しげる氏、つげ義春氏との出会いやその後の交流は面白い。「ガロ」出版後は小学館が劇画雑誌の出版を思いつき「ガロ」との合併話を持ち込んだ話は新鮮で、結局その話はつぶれたが、小学館は「ビッグコミック」の創刊という形で結実させた。著者は「ガロ」の新人を発見して育てるという創刊からの目的にこだわったわけだが、本の最後に発掘した新人たちを紹介している。
戦後のマンガ状況、特に貸本マンガの世界のことが詳しく描かれている。白土三平氏や水木しげる氏、つげ義春氏との出会いやその後の交流は面白い。「ガロ」出版後は小学館が劇画雑誌の出版を思いつき「ガロ」との合併話を持ち込んだ話は新鮮で、結局その話はつぶれたが、小学館は「ビッグコミック」の創刊という形で結実させた。著者は「ガロ」の新人を発見して育てるという創刊からの目的にこだわったわけだが、本の最後に発掘した新人たちを紹介している。
2003年5月9日に日本でレビュー済み
1964年に創刊された漫画雑誌「ガロ」の初代編集長、長井勝一(1921~1996)の自伝。マンガの黄金時代を直接的に築き上げた著者・長井氏が、あまりにドラマティックな自身の半生を語る。
マンガ出版史を辿る研究本というよりも、著者の回想記といった体。戦後混乱期~60年代動乱期を軽やかに、図太く生き抜く長井氏のリベラリズムに勇気づけられること請け合い。
副読本として、コミックBOXのバック・ナンバー(1996年5月号「『ガロ』編集長・長井勝一のある日」)を勧める。この本の単行本化を期待したい。
マンガ出版史を辿る研究本というよりも、著者の回想記といった体。戦後混乱期~60年代動乱期を軽やかに、図太く生き抜く長井氏のリベラリズムに勇気づけられること請け合い。
副読本として、コミックBOXのバック・ナンバー(1996年5月号「『ガロ』編集長・長井勝一のある日」)を勧める。この本の単行本化を期待したい。
2020年9月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
初読は2009年か2010年で、カバーは1982年7月発行の3刷。画像のものとはちがう。
再読して気づいたのは、著者の遍歴である。学校が嫌である会社の創業者の立志伝を読んで以来、山師になることを夢みて、満洲へ行った。採鉱が主な仕事だった。抗日パルチザンとの接触や、満洲から逃げ出して、関東軍には内緒で帰国したこともあった。関東軍の写真部では地図作りにチカラを発揮したことが、写植や製版の技術を理解し、それが三洋社から青林堂の創業につながってゆく。
このように書いてしまえば簡単なように見えるが、特価本の仕入れと販売、資金繰りや原稿料の支払い。結核による3、4回の入院はかなりたいへんだったようである。1960年代は、白土三平『カムイ伝』で部数をのばした。著者が執筆を急がせた関係で、夙のカムイがシャクシャインの叛乱を指導するはずのストーリーが、幕藩体制の中で農民として成功し、のちに一揆をおこす正助に比重がかかってしまった。このことを著者は繰り返し書いている。
『カムイ伝』が読まれた背景には、ベトナム戦争と反戦運動、全共闘運動との関係を指摘する評論もある(四方田犬彦『白土三平論』)。〈あとがき〉テープに吹き込んだものを文字におこし、桜井昌一氏の東考社から出版する予定だった。思いのほか時間がかかって、事情が変わり、筑摩書房から出版された。ということが書かれている。参考までに桜井氏の『ぼくは劇画の仕掛人だった」をお読みいただきたい。ということだがこれはかなり高い。参考までに『忍者武芸帳 第1巻 影丸伝・白土三平研究』(小学館、1970年)が安価で入手できる。
こうした戦前・戦中・戦後を生き抜いた人が書いた本は、読んでいて参考になることが多い。あの時代はそうでもしなければ生きられなかったということがよくわかる。事実、私も20年以上。出版で糊口をしのいでいたし、社長や専務、外注先の方から「きれいごとでは会社は続けられない」と言われたものである。
『月刊漫画ガロ』を手にしたのは、叔父が下宿をやっていた関係で大学生の方が捨ててゆく、雑誌の山から見つけた。しかし親に捨てられたので(笑、高校生になり、書店で『月刊漫画ガロ 126』(1974年)をお小遣いで買った。表紙は林 静一だった。すでに『カムイ伝』の連載は終わり、勝又進の描くお寺の小僧と狸の短編、林静一「花散る里」、水木しげる「剣豪とぼたもち」、佐々木マキの街を描いた短編、楠勝平「おせん」、滝田ゆう「寺島町奇譚」などが再録されていた。
かつての青林堂は影も形もなく、奇妙な出版社になってしまった。小さな出版社でも、故人の意思を引き継ぐことこそが、将来の出版に繋がるのではないかと思わざるをえない。
再読して気づいたのは、著者の遍歴である。学校が嫌である会社の創業者の立志伝を読んで以来、山師になることを夢みて、満洲へ行った。採鉱が主な仕事だった。抗日パルチザンとの接触や、満洲から逃げ出して、関東軍には内緒で帰国したこともあった。関東軍の写真部では地図作りにチカラを発揮したことが、写植や製版の技術を理解し、それが三洋社から青林堂の創業につながってゆく。
このように書いてしまえば簡単なように見えるが、特価本の仕入れと販売、資金繰りや原稿料の支払い。結核による3、4回の入院はかなりたいへんだったようである。1960年代は、白土三平『カムイ伝』で部数をのばした。著者が執筆を急がせた関係で、夙のカムイがシャクシャインの叛乱を指導するはずのストーリーが、幕藩体制の中で農民として成功し、のちに一揆をおこす正助に比重がかかってしまった。このことを著者は繰り返し書いている。
『カムイ伝』が読まれた背景には、ベトナム戦争と反戦運動、全共闘運動との関係を指摘する評論もある(四方田犬彦『白土三平論』)。〈あとがき〉テープに吹き込んだものを文字におこし、桜井昌一氏の東考社から出版する予定だった。思いのほか時間がかかって、事情が変わり、筑摩書房から出版された。ということが書かれている。参考までに桜井氏の『ぼくは劇画の仕掛人だった」をお読みいただきたい。ということだがこれはかなり高い。参考までに『忍者武芸帳 第1巻 影丸伝・白土三平研究』(小学館、1970年)が安価で入手できる。
こうした戦前・戦中・戦後を生き抜いた人が書いた本は、読んでいて参考になることが多い。あの時代はそうでもしなければ生きられなかったということがよくわかる。事実、私も20年以上。出版で糊口をしのいでいたし、社長や専務、外注先の方から「きれいごとでは会社は続けられない」と言われたものである。
『月刊漫画ガロ』を手にしたのは、叔父が下宿をやっていた関係で大学生の方が捨ててゆく、雑誌の山から見つけた。しかし親に捨てられたので(笑、高校生になり、書店で『月刊漫画ガロ 126』(1974年)をお小遣いで買った。表紙は林 静一だった。すでに『カムイ伝』の連載は終わり、勝又進の描くお寺の小僧と狸の短編、林静一「花散る里」、水木しげる「剣豪とぼたもち」、佐々木マキの街を描いた短編、楠勝平「おせん」、滝田ゆう「寺島町奇譚」などが再録されていた。
かつての青林堂は影も形もなく、奇妙な出版社になってしまった。小さな出版社でも、故人の意思を引き継ぐことこそが、将来の出版に繋がるのではないかと思わざるをえない。