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一次史料が証す正長元年(1428年)の皇統交替: 万世一系ではなかった!? 神武天皇の血流が絶えて、新たな皇統が興っていた!? 現皇室は15世紀第2四半期に始まった!? ペーパーバック – 2021/12/23

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【内容紹介】
<正長(しょうちょう)元年、1428年に神武天皇以来の皇統が絶え、密やかな易姓革命が成り、旧11宮家を含む現在の皇統が始まった──>
.南北朝が合一されてすでに36年。私たちの〝常識〟として、衰微しつつも皇位の継承は安泰していたかに思われる時期に、まさにこの不可解事は起こったのです。
 実は、北朝皇統の内に皇嗣(皇太子等の皇位継承予定者)たり得る皇族が絶えてしまっていたのです。渦中の人・貞成(さだふさ)王のある年の『看聞日記』に、こう記されています、
「たちまちにして御子孫断絶、不思儀の事なり」と。
 彼の手記『椿葉記』には
「我一流の絶えたる跡を興した」とあり、
 さらに『伏見宮家文書』の一書には、
「およそ天照大神以来の一流の御正統、既に以て失墜(=亡失)す。言語に絶するものなり」と見えます。
 万里小路(までのこうじ)時房の日記『建内記』にも、
「後光厳院流御一流、たちまちにして断絶の儀」と見えます。
『応仁記』は応仁の乱を<皇統が絶えた>とする前提の歴史観で、戦国時代の幕開けを叙述しています。

 そう、皇統の胤が断絶してしまった、というのです。
 そのため、天皇家の当主・後小松上皇(院)の猶子(成人の養子)となった貞成王に、神武以来の皇統を継ぐチャンスが巡ってきたのですが、しかしここに大きな問題が・・・

.伏見宮・後崇光院貞成王(1372~1456年)がにわかに親王宣下を受け、後小松院の猶子となって嫡流皇統の家督を継いだのですが、彼の出自については、ずっと暗雲に覆われていました。
 一次史料をどう読んでも、彼は北朝の持明院統の血流ではないのです。義子の関係でしかないのです。
 彼の嫡男彦仁王は登極して後花園天皇となり、次男貞常王の後裔も含めた旧11宮家共通の祖となるなど、現皇統の祖とされる人物ですが、神武皇統の血流でないとなると、尋常ではない問題が惹起します。

 明治10年刊行の皇室系譜書『纂輯御系図』(元老院刊)は、編述作業の中でそうした状況に困ったようで、貞成王の項目は自家撞着の体にあります。そこに書かれる注記
「父不詳」を巡って、論争が絶えません。
 通釈は生母の父が「不詳」だとして言い繕っていますが、貞成王の生母についてははっきりしていて、彼女の父が誰かも同様です。
 明治初頭の多くの学者も「父不詳」を認識し、扱いに困っていたのです。

※ 拙著の姉妹版に『701年、倭国滅びて日本国建つ』があります。

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章タイトルと小見出し項目リスト】抜粋

プロローグ 時代背景 / 継嗣(けいし)が皆無となり、皇統断絶の危機が…

第1章 「百王説」予言により神武皇統は呪われた!?
 「天皇が君臨する日本の国体は滅びる」と予言した白川伯王家
 「野馬台詩」の予言:神武皇統は100代で滅びる!
 <補稿>日本国皇統に滅ぼされた国の遺臣が滅びの予言を制作!?
 実際に、皇統断絶の予言は成就されていた!?
 15世紀の世人は神武皇統が断絶したと見なしていた!?
 <補稿>天照大神以来の御正統、既に以て断絶!?

第2章 現皇統と旧11宮家共通の祖・貞成親王は「父不詳」?
 元老院刊行の皇統系譜書が注記した「父不詳」の怪
 栄仁親王の猶子であるどころか、その嫡男の猶子に過ぎなかった!?
 混乱している貞成王の生母、養母に関する情報
 崇光院統は断絶していた、つまり栄仁親王とは血の繋がり無し
 <補稿>学者諸氏の通釈にもかかわらず栄仁親王の実子ではない!
 では、貞成王の実父は? 摂関家の某か将軍義満か!?
 <補稿>門跡入室をキャンセルさせた「不思議の障碍」が謎解明の鍵!?
 <補稿>「この日記を火中に投ぜよ」と求めた真意とは?

第3章 「父不詳」の貞成王による北朝崇光院統の相続は陰謀によるのか
 「御相続の人無し」「御子孫断絶」の意味するところは?
 本当に、皇統に皇嗣たり得る者が皆無になってしまっていたのか!?
 伏見宮家断絶を避けるため、血筋が異なる者を相続人とせざるを得なかった!?
 貞成王の実父の人物像は? 少なくとも皇族の線は消える
 伏見宮家を継ぐため継嗣の治仁王を毒殺した!?
 毒殺疑惑を呼ぶ幾つかの不可解
 <補足>近世以前における中風や脚気
 治仁王の急死の詳細
 毒殺による治仁王の死を指し示す証拠は見いだせない
 <補稿>毒殺説の根拠は貧弱な状況証拠だけ
 <補稿>北朝の後光厳院統最後の皇嗣も毒殺された!?

第4章 なぜ、神武皇統の血流にない貞成王の息子は天皇位に即けたのか
 〝つたなき隠士の家〟より出た貞成王が浴した神慮とは?
 後光厳院統(=神武皇統)に断絶の危機が迫ったことが決定要因か?
 皇統出の僧侶を還俗させてもよかったのにそうせず、血縁にない者をなぜ?
 後小松院は自分と同じ血が流れているとして貞成王への親王宣下を強行!?
 後南朝方の皇位要求もあり、今上の意を踏みにじって貞成王の子を践祚させた!?
 <補稿>「御代が尽きる」という北野天神のお告げの意味するところは?
 <補稿>後光厳院統の後小松院も神武皇統の血流になかった!?
 <補稿>「帝など木か金で作って飾り置き、本物は島流しにしてしまえ」と言わしめる世情が背景

第5章 見え隠れする足利義満の影
 夢に現れて貞成王に果報をもたらす義満とは彼にとって何者?
 なぜ、後小松天皇は義満を父に見立てていたのか
 後小松天皇の父は本当に後円融天皇? 義満の可能性は?
 義満は「百王説」予言を成就させようとしていた!?
 <補稿>庭田経有の嘆き「天照大神以来の御正統は断絶す」の真意は?
 後小松天皇が「我は義満公の胤かも」と思っていたことが鍵!?
 血統的に貞成王は第2の後小松院だったのか?

エピローグ 正長元年にこっそり皇統が交替した!?
 皇族以外の胤であることは確か、それを公家衆は是としていた!?
 『看聞日記』と『椿葉記』を以って後花園天皇に新たな皇統成立を自覚させた!?
 予言を恐れて公家社会の滅亡を避けるべく皇統交替が図られた!?

【付録】正長元年の皇統交替を巡る年表

【著者略歴】1957年、埼玉県熊谷市生まれ。
 著書に、紙の本の古代史3部作『あざむかれた王朝交替 日本建国の謎』『盗まれた日本建国の謎』『消された日本建国の謎』(学研パブリッシング)ほか、『倭国と日本古代史の謎』『失われた日本古代皇帝の謎』『三国志を陰で操った倭王卑弥呼』『古代史定説に異議あり』など多数あり。
 電子本Kindleでは、『大宝元年の易姓革命[完全論証版]』などがあり。
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登録情報

  • ASIN ‏ : ‎ B09NT6BDFS
  • 出版社 ‏ : ‎ Independently published (2021/12/23)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2021/12/23
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • ペーパーバック ‏ : ‎ 174ページ
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 979-8785532526
  • 寸法 ‏ : ‎ 11.2 x 1.02 x 17.4 cm
  • カスタマーレビュー:
    4.3 5つ星のうち4.3 5個の評価

著者について

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斎藤 忠
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斎藤 忠(斉藤 忠)。1957年、埼玉県熊谷市(旧大里郡大里村)に生まれ、早稲田大学政経学部政治学科を卒業。

 フリージャーナリストを生業とし、日本史及びキリスト教の研究を続ける。

 1980年代から90年代始めにかけて、東京都杉並区に居住した後、埼玉県比企郡小川町に、次いで比企郡鳩山町に移り、半農生活を営む現在に至る。

 2002~6年には、家庭菜園情報誌「菜園王」(国書刊行会)の編集長を務める。

主な紙の本の著書に、

「間違いだらけの歴史教科書」「古代史定説に異議あり」青年書館

「一冊で歴史上100の大失敗から教訓を得る」友人社

「解読された聖書とイエス・キリストの謎」「イエス・キリストの謎と正体」日本文芸社

「三国志を陰で操った倭王卑弥呼」「封印されたマリアのキリスト教」学習研究社

「倭国と日本古代史の謎」「失われた日本古代皇帝の謎」(学研M文庫)。

「あざむかれた王朝交替 日本建国の謎」「盗まれた日本建国の謎」「消された日本建国の謎」学研パブリッシング

「イエスの謎」共著 学習研究社

「裏天皇の謎と安倍晴明」「キリストになろうとした魔王信長」学研プラス

「天正10年の史料だけが証す本能寺の変の真実」実業之日本社

ほか。電子本になっているもの多数。

 電子本、主にアマゾンのKindle本として、

「一次史料が証す正長元年(1428年)の皇統交替」

「大宝元年の易姓革命[完全論証版]」

「天正10年の史料だけが晴らす明智光秀の冤罪」

「最新の学術成果が証すアーク(聖櫃)とモーセ100の謎」

「人々が語り伝え、論じてきたイエスの謎と正体」

「日本国朝廷により封印された卑弥呼の謎と正体」

 などがある。

 この他に実用書が多数あり。

 

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