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特攻隊員の現実 (講談社現代新書) Kindle版
敵艦への体当たり攻撃で還らぬ人となった20代以下の若者たち。彼ら特攻兵は何を思い、亡くなっていったのか。その現実に迫る一冊。
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2020/1/15
- ファイルサイズ12028 KB
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登録情報
- ASIN : B0836HZKYZ
- 出版社 : 講談社 (2020/1/15)
- 発売日 : 2020/1/15
- 言語 : 日本語
- ファイルサイズ : 12028 KB
- Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) : 有効
- X-Ray : 有効にされていません
- Word Wise : 有効にされていません
- 付箋メモ : Kindle Scribeで
- 本の長さ : 241ページ
- Amazon 売れ筋ランキング: - 281,935位Kindleストア (Kindleストアの売れ筋ランキングを見る)
- - 1,692位講談社現代新書
- - 2,603位日本史 (Kindleストア)
- - 6,488位日本史一般の本
- カスタマーレビュー:
著者について
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1971年、福岡県に生まれる。九州大学文学部卒業、九州大学大学院比較社会文化研究科博士後期課程中退。博士(比較社会文化)。国立歴史民俗博物館歴史研究部助手、同助教を経て、現在埼玉大学教養学部教授。専門は日本近現代史。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2020年3月24日に日本でレビュー済み
レポート
Amazonで購入
特攻の真実が分かるとても良い本です。有難う御座いました。
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
2020年1月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
特攻の現実についての講談社現代新書。特攻は航空特攻に絞られており、人間魚雷等は本書の対象外である。
序文に書かれた著者の意図は次の二点。
一、これまでの特攻論は、①特攻隊員の心情。②軍上層部、メディア等の特攻の意図が中心で、③国民(女学生等)は特攻をどう見ていたのかの視点を欠いていた。本書ではこの③(国民の特攻観視点)を重視する。
二、特攻隊員たちの死の意義を戦後の平和の礎とするのはおかしい。彼らの頭の中には降伏も敗戦もなかったはずである。では、何があったのか。(つまり①も重要)
しかし、著書の意図はどうあれ、本書でまず重視されているのは一の②であるように思う。
つまり、①③を論じるにあたっては、②軍上層部、メディア等の特攻の意図についての著書の確信(むろん調査、思念の結果の確信)のようなものがあって、それを前提に①③が検討されているのである。
その確信のようなものとは、
一、「特攻」は単なる軍事作戦でなく、日本における総力戦の一環である。理由は、目的が、①目前の戦局挽回、に加えて、②戦争を支える飛行機を支える飛行機を作る国民の士気を高め、自発性を呼び起こすこと、にあったからである。つまり、特攻を見習って(特攻に続くために)、飛行機を一機でもたくさん作れという国民への宣伝材料である。
二、「戦局挽回」については、当初は攻撃目標が敵の空母であったが、沖縄戦では米兵の命に変化した。つまり、大勢の米兵を乗船ごと沈めて命を奪い、人命重視という米側の弱点をつき、その戦意をそぐのが方針となった。
三、特攻は科学的新兵器を作れない軍が、新兵器の代用として採用したもので、国民の多くも、「特攻」を一発逆転を可能とする唯一の「新兵器」とみなしていた。この「新兵器」論は、原爆という科学的「新兵器」の登場によって、最終的に否定された。
概略
序章 特攻はなぜ始められたか。
第一部 特攻隊員の現実 第一章フィリピン戦。第二章沖縄戦。
第二部 一般国民と特攻 第一章国民は特攻をどうみていたのか。第二章沖縄戦から降伏へ。
終章 特攻隊員と戦後
私的感想
〇大変興味深い内容で、勉強になった。各章ごとに小括があって、章の内容が数行でまとめられているのも有用である。
〇一番興味深いのは第二部第一章の154~157頁の「マスコット人形の役割」と「少女と特攻隊員」だった。特攻隊員を安心して死へ旅出させるために女学生等がどのような役割を演じさせられたのか、彼女たちが、どうやってその役割を演じたかがよく書けている。
〇新発掘の特攻隊員石渡俊行軍曹(死後少尉に進級)の遺書(44頁)は感動的だった。
〇著述内容は第二部には共感するが、第一部にはちょっと違和感がある。「平和の礎」批判も紋切り型の玄関払いのような感がある。上原良司の思いについても、林尹夫の思いについても、もっと検討が必要だろう。また、第一部の各事例の特攻隊員の心情は非常に多様であるのに、「多くの隊員がそれ(米兵の大量殺害による勝利または和平)を信じて死んでいった」(240頁)とするのもちょっと違和感がある。
〇第二章の最後の海軍少尉杉村裕の魅力的な日記の分析は、その通りと思う。
〇本書の最後が、特攻作戦推進者の戦後の態度批判になっているのは、ちょっと違和感がある。本書のメインは国民の特攻観の分析と批判にあったはずなのだが・・
私的結論
〇著者の言うことは結局、特攻がなぜ続いたのか考え続けることが重要ということだろう。そうですね。
蛇足
〇40頁に「2019年、令和の時代の特攻をめぐる現実」として、ネットオークションで石渡俊行軍曹の資料を入手した内輪話について書き、史料の散逸を嘆いている。これは読者サービスの感もあり、たいへん面白いが、かなりの違和感もある。
〇問題のオークションは、石渡俊行軍曹の遺品約103点が2019年3月から4月にかけ、3回に分けてヤフオクに出品され、落札された件と思われる。第1回の出品が2点落札で、そのうちの大判写真が59入札、28500円の高額落札となり、第2回、第3回と大量出品、大量落札された。最高価格は第3回出品の遺書(本書44頁)で、108入札の70500円である。著者が一部を落札できなかった悔しさは分かるが、「史料の散逸」と嘆くのは少々上から目線だろう。むしろ、今日「特攻」について考えている人がいるのを喜ぶべきではないか。お世話になった出品者まで批判するのは・・・。
序文に書かれた著者の意図は次の二点。
一、これまでの特攻論は、①特攻隊員の心情。②軍上層部、メディア等の特攻の意図が中心で、③国民(女学生等)は特攻をどう見ていたのかの視点を欠いていた。本書ではこの③(国民の特攻観視点)を重視する。
二、特攻隊員たちの死の意義を戦後の平和の礎とするのはおかしい。彼らの頭の中には降伏も敗戦もなかったはずである。では、何があったのか。(つまり①も重要)
しかし、著書の意図はどうあれ、本書でまず重視されているのは一の②であるように思う。
つまり、①③を論じるにあたっては、②軍上層部、メディア等の特攻の意図についての著書の確信(むろん調査、思念の結果の確信)のようなものがあって、それを前提に①③が検討されているのである。
その確信のようなものとは、
一、「特攻」は単なる軍事作戦でなく、日本における総力戦の一環である。理由は、目的が、①目前の戦局挽回、に加えて、②戦争を支える飛行機を支える飛行機を作る国民の士気を高め、自発性を呼び起こすこと、にあったからである。つまり、特攻を見習って(特攻に続くために)、飛行機を一機でもたくさん作れという国民への宣伝材料である。
二、「戦局挽回」については、当初は攻撃目標が敵の空母であったが、沖縄戦では米兵の命に変化した。つまり、大勢の米兵を乗船ごと沈めて命を奪い、人命重視という米側の弱点をつき、その戦意をそぐのが方針となった。
三、特攻は科学的新兵器を作れない軍が、新兵器の代用として採用したもので、国民の多くも、「特攻」を一発逆転を可能とする唯一の「新兵器」とみなしていた。この「新兵器」論は、原爆という科学的「新兵器」の登場によって、最終的に否定された。
概略
序章 特攻はなぜ始められたか。
第一部 特攻隊員の現実 第一章フィリピン戦。第二章沖縄戦。
第二部 一般国民と特攻 第一章国民は特攻をどうみていたのか。第二章沖縄戦から降伏へ。
終章 特攻隊員と戦後
私的感想
〇大変興味深い内容で、勉強になった。各章ごとに小括があって、章の内容が数行でまとめられているのも有用である。
〇一番興味深いのは第二部第一章の154~157頁の「マスコット人形の役割」と「少女と特攻隊員」だった。特攻隊員を安心して死へ旅出させるために女学生等がどのような役割を演じさせられたのか、彼女たちが、どうやってその役割を演じたかがよく書けている。
〇新発掘の特攻隊員石渡俊行軍曹(死後少尉に進級)の遺書(44頁)は感動的だった。
〇著述内容は第二部には共感するが、第一部にはちょっと違和感がある。「平和の礎」批判も紋切り型の玄関払いのような感がある。上原良司の思いについても、林尹夫の思いについても、もっと検討が必要だろう。また、第一部の各事例の特攻隊員の心情は非常に多様であるのに、「多くの隊員がそれ(米兵の大量殺害による勝利または和平)を信じて死んでいった」(240頁)とするのもちょっと違和感がある。
〇第二章の最後の海軍少尉杉村裕の魅力的な日記の分析は、その通りと思う。
〇本書の最後が、特攻作戦推進者の戦後の態度批判になっているのは、ちょっと違和感がある。本書のメインは国民の特攻観の分析と批判にあったはずなのだが・・
私的結論
〇著者の言うことは結局、特攻がなぜ続いたのか考え続けることが重要ということだろう。そうですね。
蛇足
〇40頁に「2019年、令和の時代の特攻をめぐる現実」として、ネットオークションで石渡俊行軍曹の資料を入手した内輪話について書き、史料の散逸を嘆いている。これは読者サービスの感もあり、たいへん面白いが、かなりの違和感もある。
〇問題のオークションは、石渡俊行軍曹の遺品約103点が2019年3月から4月にかけ、3回に分けてヤフオクに出品され、落札された件と思われる。第1回の出品が2点落札で、そのうちの大判写真が59入札、28500円の高額落札となり、第2回、第3回と大量出品、大量落札された。最高価格は第3回出品の遺書(本書44頁)で、108入札の70500円である。著者が一部を落札できなかった悔しさは分かるが、「史料の散逸」と嘆くのは少々上から目線だろう。むしろ、今日「特攻」について考えている人がいるのを喜ぶべきではないか。お世話になった出品者まで批判するのは・・・。
2020年6月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
正直つまらなかったです。まあ、タイトル通りの内容なのですが、ただ現実を書いているだけで新鮮味はありません。あー、そうなんですねーとしか言いようがない。
2020年9月1日に日本でレビュー済み
図書館本
同時に筆者の前著である「日本軍と日本兵」を読んでいます。
本書同様に多くの資料を読み込んで考察する書であると思う。
またネットオークション等に出品される隊員の遺書などの収集も行い、歴史の検証を続けている。
まず初めに、特攻隊員として、1945年8月15日の敗戦を知らずに亡くなった多くの若き日本人に
心よりご冥福をお祈りいたします。そして戦争開始時および敗戦時における物量の差は明らかであり
日本が負ける事は、多くの海軍主計将校はその事実を知っていたというのに。
本書では
特攻隊員の心情
特攻の意図(軍部やメディア)
国民の特攻・戦争論
を、国民の視点を加味して論じている。
特攻隊員の遺書、家族の想い、メディア(ラジオ、雑誌、新聞)の果たした戦争継続、徹底抗戦への責任
女子挺身隊のマスコット人形 特攻機に飾り出撃 美談として雑誌等に掲載
1945年1月―2月 国民の間には「神風」特攻による勝利への絶望が広がる
同時に筆者の前著である「日本軍と日本兵」を読んでいます。
本書同様に多くの資料を読み込んで考察する書であると思う。
またネットオークション等に出品される隊員の遺書などの収集も行い、歴史の検証を続けている。
まず初めに、特攻隊員として、1945年8月15日の敗戦を知らずに亡くなった多くの若き日本人に
心よりご冥福をお祈りいたします。そして戦争開始時および敗戦時における物量の差は明らかであり
日本が負ける事は、多くの海軍主計将校はその事実を知っていたというのに。
本書では
特攻隊員の心情
特攻の意図(軍部やメディア)
国民の特攻・戦争論
を、国民の視点を加味して論じている。
特攻隊員の遺書、家族の想い、メディア(ラジオ、雑誌、新聞)の果たした戦争継続、徹底抗戦への責任
女子挺身隊のマスコット人形 特攻機に飾り出撃 美談として雑誌等に掲載
1945年1月―2月 国民の間には「神風」特攻による勝利への絶望が広がる
2020年1月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
特攻隊に関する本は数多く存在するが、一般民衆の立場から見た特攻隊というテーマはなかなか新鮮で、面白そうだと思ったのだが、実際に本書を読んでみると、他の特攻関連の本と既視感を覚えるほどほとんど内容が似通っており、退屈だと思わずにはいられなかった。
本書の40ページによると、著者は本書を書く為の史料を、なんとネットオークションで調達したらしい。便利な時代だなぁと思いながら読み進めていくと、著者は出品されていた史料の内、ほんの一部しか落札できなかったらしい。その事に関する恨み節も書かれているが(歴史史料の散逸とかなんとか)そんな事はチラシの裏にでも書いておいてくれ。著者も一応プロの歴史学者なのだから、弱音を吐かずに史料を集める努力をしていただきたい。
そのような訳で手に入れたせっかくの新出史料だが、特に真新しいというか、おっ、と興味をそそられるような内容は、残念ながらなかった。特に特攻隊員の悲惨さなんて、今まで散々読んできて食傷気味なもので。
本書のそもそものテーマである、特攻に対する一般民衆の視点については、日本人の精神主義への偏重ぶりや、掌の返し方の鮮やかさなどが読めて、なかなか面白かった。日本人は今も昔も何も変わっていないと思わされる。
終章では戦後の特攻隊員の扱いや、彼らの上官たちの対応を批判的に書いているが、それらは本来のテーマではないので終章に持ってくる必要はなかろう。読者は終章の内容が結論だと思いがちだから。
全体的に読むべき所の少ない本だったと言える。
本書の40ページによると、著者は本書を書く為の史料を、なんとネットオークションで調達したらしい。便利な時代だなぁと思いながら読み進めていくと、著者は出品されていた史料の内、ほんの一部しか落札できなかったらしい。その事に関する恨み節も書かれているが(歴史史料の散逸とかなんとか)そんな事はチラシの裏にでも書いておいてくれ。著者も一応プロの歴史学者なのだから、弱音を吐かずに史料を集める努力をしていただきたい。
そのような訳で手に入れたせっかくの新出史料だが、特に真新しいというか、おっ、と興味をそそられるような内容は、残念ながらなかった。特に特攻隊員の悲惨さなんて、今まで散々読んできて食傷気味なもので。
本書のそもそものテーマである、特攻に対する一般民衆の視点については、日本人の精神主義への偏重ぶりや、掌の返し方の鮮やかさなどが読めて、なかなか面白かった。日本人は今も昔も何も変わっていないと思わされる。
終章では戦後の特攻隊員の扱いや、彼らの上官たちの対応を批判的に書いているが、それらは本来のテーマではないので終章に持ってくる必要はなかろう。読者は終章の内容が結論だと思いがちだから。
全体的に読むべき所の少ない本だったと言える。
2021年6月11日に日本でレビュー済み
ラジオを通じて語った特攻隊員による別れのことばは、本人の心境、そしてそれを聞いていた家族の思いを想像すると、なんとも心が痛む。軍からの視点で語られることが多かった特攻について、これまでとは異なる国民の立場から見たイメージや期待などを知ることができた。その分、悲しみもいっそうこみ上げる。
2020年1月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この本の内容を端的にまとめると、従来は「特攻を命じた側」から責任追及的に書かれることの多い特攻論の視点を変え、フィリピン戦から開始された特攻がどのような理由で開始され、どのように進められて、どのような結末を迎えたのか、そして、その経緯に沿って、特攻隊員や、銃後の国民の特攻に対する思いや接し方がどう変遷していったのか、オークションまで駆使して収集したらしい特攻隊員の遺書、当時の国民の手記、マスコミ報道などの資料を駆使して論じた、というものだと思いますが、私には、初めからこの作者の考える、特に斬新的でもない既視感に溢れた特攻ストーリーがあって、その流れに相応しい資料をチェリーピッキング(多くの事例の中から自らの珍説に有利な事例のみを抽出する詭弁述)しているようにしか見えません。
そもそも、この作者が主張する「特攻は米兵の命を奪うことで和平につなげる」とする特攻の目的とやらが事実誤認のうえに、結局は特攻は(作者想定の)目的を果たせずに失敗であった、という前提に立った作者のストーリー構成が、前述の通り従来からの使い古された既視感溢れるものにしか過ぎないからです。
と言うのも、特攻を詳細に分析、評価するためには、敗戦により資料が処分されたり、散逸してしまった日本側より、大量の資料を残しているアメリカ側の資料の検証が不可欠と思うのですが、日本側の特攻に関する本というのはなぜか日本側の資料やら証言ばかりを集めて、アメリカ側の資料を軽視しがちで、この本も例外ではなく、そのお約束に則ってしまっているからです。
この作者は以前に、日本軍礼賛本が出版されたことになぜか苛立ち、その反論として、日本軍と日本兵を嘲り、卑下する「日本軍と日本兵 米軍報告書は語る」なる本を出版したことがあります。そのときにこの作者は「Intelligence Bulletin」という米軍の戦訓広報誌や、アメリカ軍の公式報告書等の中を必死に探し回り、日本軍や日本兵を嘲り、卑下する記述を見つけ出しては、その本にチェリーピッキングして引用してました。
日本軍と日本兵 米軍報告書は語る (講談社現代新書)
しかし、この本においては、作者が特攻がアメリカ軍に与えた効果を検証するために引用したと思われるアメリカ側の公式資料は、巻末の参考資料を見る限りでは、公式報告書ベースで、米国戦略爆撃調査団報告書「日本戦争経済の崩壊 戦略爆撃の日本戦争経済に及ぼせる諸効果」のたったひとつとお粗末な限りで、アメリカの資料を必死に探し回った前著との姿勢の違いが明らかです。また、引用したたった一つの報告書にしても、題名の通り、数ある米国戦略爆撃調査団報告書の中でも、戦争経済を論じたお門違いのもので、同調査団報告書の中でも、日本軍の航空戦略を論じて、特攻も緻密に分析評価した報告書「UNITED STATES STRATEGIC BOMBING SURVEY SUMMARY REPORT(Japanese Air Power)」や太平洋戦争全般の評論で、特攻に関する評価もある報告書「UNITED STATES STRATEGIC BOMBING SURVEY SUMMARY REPORT(Pacific War)」については全く無視と資料の選択の基準も全く意味不明です。この両資料についてはインターネットで誰でも容易く見れる上、「UNITED STATES STRATEGIC BOMBING SURVEY SUMMARY REPORT(Japanese Air Power)」に至っては完全な翻訳本も出ており、現在でも容易く入手できるのにも関わらずです。
ジャパニーズ・エア・パワー―米国戦略爆撃調査団報告/日本空軍の興亡
おそらく、アメリカ軍の特攻への評価が作者の想定しているストーリーには相応しくないレベルで高かったので、わざと見えないふりをしたのでは?と訝しがってしまします。
他にも、アメリカ軍の戦時中の特攻に関する多くの報告書(アメリカ軍の公式HPで誰でも閲覧可能)にも詳細な分析や評価がありますが、当然ながら全く参照しておりません。
また、必死に集めた日本側の資料についても、自分の主張にかなう二次資料を全く検証せずに、分析や裏付け調査が不十分なまま、盲信して引用しています。この作者が盲信して引用した二次資料の例としては、作家高木俊朗氏の著書『陸軍特別攻撃隊』が挙げられますが、この本については、作者高木氏がこの本の実質的主人公である「不死身の特攻兵」こと陸軍特別攻撃隊「万朶隊」佐々木友次伍長に入れ込むあまり、当時、戦地で直接「万朶隊」を取材した記者の証言などで、他の万朶隊隊員のものとされている美談が、なぜか佐々木伍長のものになっていたり、万朶隊隊長の岩本益臣大尉の奥様の、できの悪い恋愛小説みたいな、やたらに詳細で歯の浮くような心理描写がしつこく挿入されていたりと、先入観なしで見れば、単なるノンフィクション風戦記小説にしか見えないのですが、我々のような素人の一般読者がその記述を信じてしまうのは仕方ないとしても、仮にも学者を名乗っている作者には、ちゃんと記述の裏付け調査と検証をして、記述が信用できて引用していいものなのか合理的に判断して欲しかったと思います。
陸軍特別攻撃隊1 (文春学藝ライブラリー)
そして、アメリカの厖大で詳細な資料によって特攻を詳細に分析したのであれば、日本軍が特攻にかけたリソースは、日本軍の戦力全体のなかでほんの一部であったことや、日本軍が費やしたリソース相当以上の損失をアメリカ軍は被っており、日本軍が本気で特攻に全力を注いできたなら、戦局が変わった可能性もあったとアメリカ軍が評価していることなども当然に認識できたことでしょう。その上で、本当に特攻は失敗であったのかを、たとえば特攻の戦術としての有効性などという、今までとは違う、真に斬新的且つ多角的な視点での検証も可能となったはずで、そういう観点から見ても、この本は、戦後から一貫して刷り込まれてきた特攻像を踏襲するだけの、従来から日本で出版されてきた特攻の分析モドキ本の範疇を超えるものではありません。
日本軍が特攻を開始した理由は、戦後に多くの日本軍の特攻指揮官や特攻隊員ら多くの特攻関係者を尋問し、大量の日本軍資料を参照して下したアメリカ軍の結論がもっとも的を射ていると思われます。
「1944年夏までには日本軍は何処においてもアメリカ空軍に太刀打ちできないということが、日本空軍司令官らにも明らかになっていた。彼等の損失は壊滅的であったが、その成し遂げた成果は取るに足らないものであった。」
「そのような環境下で日本軍は神風技術を進展させた。操縦士は敵艦に向かってまっすぐに航空機を操縦すればよいのであるから、敵の戦闘機や対空砲の弾幕を突破できれば、敵艦船に命中するのに大した技倆は必要なかった」
「日本人によって開発された唯一の、最も効果的な航空兵器は特攻機(自殺航空機)であり、戦争末期数か月に日本全軍航空隊によって、連合軍艦船に対し広範囲に渡って使用された。」
「日本が海上艦船に対する使用に考案したもっとも効果的な兵器が特攻機(自殺攻撃機)であった。」
「日本軍はこの攻撃を持続させる方法として、これらを天皇のために死ぬ“神聖な使命”として宣伝したが、この攻撃が開始された理由は、簡単に言えば冷静で合理的な軍事決定であった。」
というものですが、端的に言えば、アメリカ軍は単純に特攻を「極めて有効な兵器であった」と兵器の一つとして評価し、日本軍は通常の攻撃方法ではアメリカ艦隊に太刀打ちできなかったので、唯一太刀打ちできる有効な戦法として、自殺攻撃(特攻)を「冷静で合理的」に開始決定したと分析していたわけです。
アメリカ軍にそのように高評価させるに至った特攻の桁違いの有効さは、アメリカ海軍の特攻分析報告書Anti-Suicide Action Summary(アメリカ軍のHPで閲覧可能)に詳しく
フィリピン戦で特攻が開始された1944年10月以降1945年4月の沖縄戦初期までに、米軍艦艇の視界内に入った通常攻撃機は2152機内有効攻撃58機(有効率2.7%)に対して、特攻は784機内有効攻撃216機(同27%)と有効率は特攻が通常攻撃の10倍の有効率となり、また1回の攻撃を命中させる為に失われる航空機の数は、通常攻撃が6.1機に対し特攻機が3.6機と、皮肉にも十死零生の特攻の方が少なかったりします。
日本側の証言によっても、この経緯は同じようなもので、航空特攻を開始した司令官第一航空艦隊の大西瀧治郎中将は「大戦初期のような練度の高い者ならよいが、中には単独飛行がよっとこせという搭乗員が沢山ある、こういう者が雷撃爆撃をやっても、被害に見合う戦果を期待できない。どうしても体当たり以外に方法はないと思う。しかし、命令では無くそういった空気にならなければ(特攻は)実行できない」、「空母を一週間くらい使用不能にし、捷一号作戦を成功させるため、零戦に250kg爆弾を抱かせて体当りをやるほかに確実な攻撃法は無いと思うがどうだろう」という考えで航空特攻を開始していますが、要するに航空機による通常攻撃ではもはや戦果を挙げることが困難になったので、そう大きな効果は期待できないが、有効性の高いと思われる体当り攻撃を開始しようというものであり、攻撃の確実性(有効性)向上が第一の理由であって、敵をたくさん殺傷しようなんて目的はありません。
しかし、初回の特攻で関行男大尉率いる敷島隊が護衛空母を撃沈してみせたので、予想外に特攻にも艦船を撃沈できる効果があると知った大西中将ら日本軍上層部が、特攻の目的を拡大していきましたが、これもあくまで、通常艦船攻撃の延長線上であって、急降下爆撃や雷撃と同様に対艦攻撃手段の一種に過ぎなかったわけです。
従って、他の対艦攻撃方と同様に、特攻の目的はあくまでも艦船の撃沈であって、特攻が拡大していくに連れて、特攻の欠点となる、搭載爆弾の威力不足、激突時の速度不足、魚雷攻撃とは異なって喫水線への攻撃が困難なことなどから、命中率は桁違いに高いものの、被害艦の沈没率の低さに日本軍は対策を余儀なくされて、桜弾というモンロー効果を利用した大型爆弾の開発や、激突時に加速する特攻専用機の開発などを行っていきます。
この作者は特攻機による攻撃がアメリカ軍艦隊に多くの死傷者を生じさせていることを知って、それを特攻の目的であったと誤解してしまったようですが、特攻の被害艦の死傷者が多かったのは、日本軍も想定していなかった副次的な効果に過ぎません。
特攻機は搭載した爆弾もさることながら、特攻機の機体自体が可燃性の強い航空燃料を大量に搭載した大型の焼夷弾そのものであり、突入した艦に航空燃料による猛烈な火災を発生させて、その火災によって多くのアメリカ兵が焼死したり重篤な火傷を負うことになりました。
アメリカ軍はこの効果に頭を悩まして、United States Navy ACTION REPORT FILM CONFIDENTIAL 1945 MN5863 『Combating suicide plane attacks』というハウツービデオ(ニュース映画)まで作成し、「特攻機は機体自体が搭載している航空燃料で強力な焼夷弾になる。」と指摘のうえで「対空戦闘に必要最低限の人数以外は退避させる」「一か所に大人数で集まることを禁止」「全兵員が長袖の軍服を着用し袖や襟のボタンをしっかりとめる、顔など露出部には火傷防止クリームを塗布する」「全兵員のヘルメット着用義務化」などときめ細やかな指示を兵士にしております。
日本軍も途中からこの効果に気がついたらしく、戦後の米国戦略爆撃調査団による尋問に日本軍将官は「特攻は通常攻撃より効果が大きい、その理由は爆弾の衝撃が飛行機の衝突によって増加され、また航空燃料による爆発で火災が起こる」と燃料による火災を特攻の大きな効果として認識したと証言しており、日本軍が特攻機の命中時の効果を高める為、航空燃料を余分に積んでいたことも判明しています。
ちなみに航空特攻によるアメリカ軍の死傷者は諸説あるものの18,000人~46,000人と言われており、航空特攻による日本軍の戦死者3,948名と比較すると、人的損失については、少ない犠牲で多大な効果を上げていることがわかります。
以上の通り、特攻は単に通常攻撃の代替手段として開始され、結果的にアメリカ軍に多大な人的な損害を被らせたものの、人命そのものを目標に掲げたいたわけではありませんでした。人命重視のアメリカ軍と異なり、日本軍の興味はあくまでも艦船の撃沈破数であったのは、最大の特攻戦となった沖縄戦で、海軍は空母、陸軍は輸送船などと従来通り、艦船撃沈を目標に掲げていたことや、誇るように架空の撃沈艦数を積み上げていった大本営の過大戦果報告を見ても明らかでしょう。日本軍は大量の敵艦を撃沈した(過大評価ではあったが)ことで特攻を高く評価し、国民鼓舞の材料として最大限活用し、一方のアメリカ軍は、大量の人的損失と損傷艦を被ったことで特攻を高く評価し、国民に与える影響が大きいとして報道管制まで行って、情報を統制したことも、人命重視のアメリカ軍と軽視の日本軍の違いがよく解る事象とも言えるでしょう。
あと、作者の想定する特攻の目的「特攻は米兵の命を奪うことで和平につなげる」の和平の部分についても、航空特攻を開始した大西中将が、当初から「もう戦争を終わらせるべきである。講和を結ばなければならないが、戦況も悪く資材もない現状一刻も早くしなければならないため、一撃レイテで反撃し、7:3の条件で講和を結んで満州事変の頃まで大日本帝国を巻き戻す。フィリピンを最後の戦場とする。特攻を行えば天皇陛下も戦争を止めろと仰るだろう。この犠牲の歴史が日本を再興するだろう」などと考えていたという話もありますが、では実際に、日本軍が特攻に国の存亡をかけた講和の成立を委ねるほどに全力を尽くしていたのか?というと実はそうではなく、フィリピン戦では特攻機の損失数は、日本軍の戦闘による航空機の損失数のわずか14%とごく一部、沖縄戦については、損失数に対する特攻機の比率は63%に上昇するものの、作戦出撃機の延べ機数で比較すると、海軍航空隊だけでも、特攻機1,868機に対して、通常作戦機は合計7,878機であり、圧倒的に通常の航空作戦を行っていた機数の方が多かったということになります。
アメリカ軍も「圧倒的に有効な」特攻に日本軍が全力を尽くしてこなかったことに胸をなで下ろして、フィリピン戦では「特攻が開始されたレイテ作戦の前半には、レイテ海域に物資を揚陸中の輸送艦などの「おいしい獲物」がたっぷりあったのに対して、アメリカ軍は陸上の飛行場が殆ど確保できていなかったので、非常に危険な状況であったが、日本軍の航空戦力の主力は通常の航空作戦を続行しており、日本軍が特攻により全力攻撃をかけてこなかったので危機は去った。」と評価し、沖縄戦後においては「十分な訓練も受けていないパイロットが旧式機を操縦しても、集団特攻攻撃が水上艦艇にとって非常に危険であることが沖縄戦で証明された。」「アメリカが(特攻により)被った実際の被害は深刻であり、極めて憂慮すべき事態となった」「日本が(特攻で)より大きな打撃力で集中的な攻撃を持続し得たなら、我々の戦略計画を撤回若しくは変更させ得たかもしれない」と評しています。
2000年にアメリカ空軍が作成した報告書「PRECISION WEAPONS, POWER PROJECTION, AND THE REVOLUTION IN MILITARY AFFAIRS」においても
「神風は比較的少数であったにも関わらず、連合国の海軍の計画と作戦を大幅に変更する力を明らかにした。明らかに、後の時代の対艦巡航ミサイルのように、神風はその実際の戦力に比例せず、戦略に影響を及ぼす可能性があった。」
と評価されています。
つまり、もっと日本軍が特攻に戦力をつぎ込んでいれば講和まで至ったかは解りませんが、さらにアメリカ軍は苦しめられたであろうと誰ならぬアメリカ軍自身が認めていたことになります。
日本軍が第二次世界大戦中に失った航空機はあらゆる理由で54,000機に上りますが、うち特攻機は諸説あるものの、おおむね2,500機と全損失の中の5%にも達しません。このように、日本軍は大戦末期で「全軍特攻」などと勇ましいフレーズを掲げていたときですら、特攻は航空作戦の一部にしか過ぎなかったわけです。
そもそも、日本軍の大戦末期の方針であった「一撃講和」というのは、別に特攻に限ったことではなく、陸上戦、海上戦、航空戦を含めた総体的な決戦でアメリカ軍に一撃加えて有利な講和に持ち込もうという“戦略”的な目標であって、“戦術”のひとつで航空作戦のごく一部の特攻でそれを成し遂げられなかったからといって、特攻は無為であったなどというのは、この作者は戦略と戦術の違いを十分に理解できていないのではないでしょうか?作者はこの本の文中で「特攻は単なる軍事作戦ではなく日本における総力戦の一環とみるべきである」とも主張していますが、これこそ言葉遊びに過ぎず、特攻に限らず、あらゆる軍事作戦すべてが総力戦の一環で、その総合が総力戦と私は思うのですが、なんで特攻だけが一環扱いされるのか意味がわかりません。そして上記の通り、その多くの軍事作戦の中でも、特攻作戦に投じられたリソースは限られれたものであったわけです。
また、この作者はこの本に関連し、特攻を前向きに評価する意見に対して「木(特攻)を見て森(戦争)を見ず」と揶揄する発言もしています。
でも、私から見れば、特攻を軍事作戦の一手段として正確に評価できないこの作者は「森(戦争)を見たつもりになって木(特攻)を見ず」であり、木はあくまでも、森を構成する一部にしか過ぎないことを理解しておらず、森に対する自分の評価をその木にまで押し広げているだけに過ぎないように思えます。森は森で、そしてそのそれを構成している多種大量の木についても、個別にそれぞれ分析や評価してしかるべきでしょう。
以上の通り、この作者はこの本であたかも新たな視点で特攻を評価、分析した気になっているようですが、結局のところ、戦後まもなくから今日に至るまで、散々特攻の評価として言われ続けてきた「有利な講和ができなかったから特攻は所詮無駄死にだった」「戦争に負けたから全ては無駄だった」という極論を、特に目新しくもない資料をチェリーピッキングしながら述べているに過ぎません。さらに、この作者は、特攻を命じた軍指導部は当然として、それを止めずに戦果を期待した天皇陛下、勇ましい報道で国民を煽り続けたマスコミ、そして軍やマスコミに煽られた銃後の国民、全てが特攻に関して責任があるから、日本国民は総懺悔すべきとでも主張したげと感じましたが、同様な思想で書かれた特攻関連本で、大島隆之氏著(というか実質NHK著)「特攻 なぜ拡大したのか」というのも近年出版されており、この作者の「特攻日本国総有罪論」「特攻日本国総懺悔論」も特に目新しい主張ではありません。
特攻 なぜ拡大したのか
悲劇の陸軍航空隊初の特攻隊「万朶隊」の石渡俊行軍曹の新発見の遺書など興味深い記述もありましたが、結局は今までの特攻分析モドキ本と同様に、特攻隊の遺書を読者の感情移入のツールに使っているだけなのも、自分の誤った主張のために、アメリカ軍をとことんまで苦しめて誇り高く散華していった英霊を利用するのはいい加減に勘弁して欲しいという感想しかありませんでした。石渡軍曹の遺品については、個別にネットオークションに出されたようで、別々の人が落札してしまい、自分で全部を落札できなかったこの作者はこの本で「歴史史料の散逸だ」とか嘆いています。ネットオークションで落札できなかった愚痴を自分のSNSではなく、天下の公器に等しい商業出版物で嘆くのもどうかと思いますが(笑)私から見れば、誤った主張に利用されるために、石渡軍曹の遺書などがこの作者に落札されたことが残念でならず、本来ならば特攻隊員の慰霊施設などで適切に管理、展示してもらいたかったと感じました。
この作者がこの本を書くきっかけになったのは、「日本軍と日本兵 米軍報告書は語る」を出版したさいに行われた、現代ビジネス社の作者へのインタビューだと思うのですが、そのインタビューでこの作者は「(米軍がもっとも恐れた日本軍の戦術は)航空特攻だと思います。最も少ない犠牲で最も多数の米兵を殺傷できる戦法だからです。人命重視の米軍からみるとこれは怖い」みたいな話をしていたので、この作者が「日本軍と日本兵 米軍報告書は語る」を書くときに、一般ではあまり知られていないアメリカ軍の戦訓広報誌「Intelligence Bulletin」などというマニアックな資料をわざわざ持ち出して、鵜の目鷹の目で日本軍への嘲り、卑下記述を探し出した労力で、今度はアメリカ軍の資料で特攻について詳細な調査してくれるのでは?と期待して発売日にこの本を買いました。
しかし、この作者はこのインタビューで他にも「沖縄戦で数千機(この時点で既に間違ってますが(笑))の特攻機を出動させたにもかかわらず、沖縄の陥落が目前となって米軍が音をあげないことが判明したとたん、昭和天皇が和平を口にするなど降伏への動きが表面化していくのは、最後の希望が絶たれたことの表れだったのでしょう。」という話もしており、どうやらこの本はそっちの方の視点を重視して書かれたようで、内容はまったくもって期待外れで大いに失望しました。従って、評価は最低にさせて頂きます。
この作者には、戦後脈々と受け継がれて凝り固まってしまった特攻論からいい加減に脱却していただき、その卓越した語学力や資料収集力で、例えば、実際にはごく一部の戦力しか投入していなかった特攻を、なんで当時の軍部は「全軍特攻」などとまやかしを言ったのか?そして、なんで当時の軍部のまやかしを戦後になってもみんな信じてしまっているのか?など、真に斬新的な視点の特攻論を期待しております。
そもそも、この作者が主張する「特攻は米兵の命を奪うことで和平につなげる」とする特攻の目的とやらが事実誤認のうえに、結局は特攻は(作者想定の)目的を果たせずに失敗であった、という前提に立った作者のストーリー構成が、前述の通り従来からの使い古された既視感溢れるものにしか過ぎないからです。
と言うのも、特攻を詳細に分析、評価するためには、敗戦により資料が処分されたり、散逸してしまった日本側より、大量の資料を残しているアメリカ側の資料の検証が不可欠と思うのですが、日本側の特攻に関する本というのはなぜか日本側の資料やら証言ばかりを集めて、アメリカ側の資料を軽視しがちで、この本も例外ではなく、そのお約束に則ってしまっているからです。
この作者は以前に、日本軍礼賛本が出版されたことになぜか苛立ち、その反論として、日本軍と日本兵を嘲り、卑下する「日本軍と日本兵 米軍報告書は語る」なる本を出版したことがあります。そのときにこの作者は「Intelligence Bulletin」という米軍の戦訓広報誌や、アメリカ軍の公式報告書等の中を必死に探し回り、日本軍や日本兵を嘲り、卑下する記述を見つけ出しては、その本にチェリーピッキングして引用してました。
日本軍と日本兵 米軍報告書は語る (講談社現代新書)
しかし、この本においては、作者が特攻がアメリカ軍に与えた効果を検証するために引用したと思われるアメリカ側の公式資料は、巻末の参考資料を見る限りでは、公式報告書ベースで、米国戦略爆撃調査団報告書「日本戦争経済の崩壊 戦略爆撃の日本戦争経済に及ぼせる諸効果」のたったひとつとお粗末な限りで、アメリカの資料を必死に探し回った前著との姿勢の違いが明らかです。また、引用したたった一つの報告書にしても、題名の通り、数ある米国戦略爆撃調査団報告書の中でも、戦争経済を論じたお門違いのもので、同調査団報告書の中でも、日本軍の航空戦略を論じて、特攻も緻密に分析評価した報告書「UNITED STATES STRATEGIC BOMBING SURVEY SUMMARY REPORT(Japanese Air Power)」や太平洋戦争全般の評論で、特攻に関する評価もある報告書「UNITED STATES STRATEGIC BOMBING SURVEY SUMMARY REPORT(Pacific War)」については全く無視と資料の選択の基準も全く意味不明です。この両資料についてはインターネットで誰でも容易く見れる上、「UNITED STATES STRATEGIC BOMBING SURVEY SUMMARY REPORT(Japanese Air Power)」に至っては完全な翻訳本も出ており、現在でも容易く入手できるのにも関わらずです。
ジャパニーズ・エア・パワー―米国戦略爆撃調査団報告/日本空軍の興亡
おそらく、アメリカ軍の特攻への評価が作者の想定しているストーリーには相応しくないレベルで高かったので、わざと見えないふりをしたのでは?と訝しがってしまします。
他にも、アメリカ軍の戦時中の特攻に関する多くの報告書(アメリカ軍の公式HPで誰でも閲覧可能)にも詳細な分析や評価がありますが、当然ながら全く参照しておりません。
また、必死に集めた日本側の資料についても、自分の主張にかなう二次資料を全く検証せずに、分析や裏付け調査が不十分なまま、盲信して引用しています。この作者が盲信して引用した二次資料の例としては、作家高木俊朗氏の著書『陸軍特別攻撃隊』が挙げられますが、この本については、作者高木氏がこの本の実質的主人公である「不死身の特攻兵」こと陸軍特別攻撃隊「万朶隊」佐々木友次伍長に入れ込むあまり、当時、戦地で直接「万朶隊」を取材した記者の証言などで、他の万朶隊隊員のものとされている美談が、なぜか佐々木伍長のものになっていたり、万朶隊隊長の岩本益臣大尉の奥様の、できの悪い恋愛小説みたいな、やたらに詳細で歯の浮くような心理描写がしつこく挿入されていたりと、先入観なしで見れば、単なるノンフィクション風戦記小説にしか見えないのですが、我々のような素人の一般読者がその記述を信じてしまうのは仕方ないとしても、仮にも学者を名乗っている作者には、ちゃんと記述の裏付け調査と検証をして、記述が信用できて引用していいものなのか合理的に判断して欲しかったと思います。
陸軍特別攻撃隊1 (文春学藝ライブラリー)
そして、アメリカの厖大で詳細な資料によって特攻を詳細に分析したのであれば、日本軍が特攻にかけたリソースは、日本軍の戦力全体のなかでほんの一部であったことや、日本軍が費やしたリソース相当以上の損失をアメリカ軍は被っており、日本軍が本気で特攻に全力を注いできたなら、戦局が変わった可能性もあったとアメリカ軍が評価していることなども当然に認識できたことでしょう。その上で、本当に特攻は失敗であったのかを、たとえば特攻の戦術としての有効性などという、今までとは違う、真に斬新的且つ多角的な視点での検証も可能となったはずで、そういう観点から見ても、この本は、戦後から一貫して刷り込まれてきた特攻像を踏襲するだけの、従来から日本で出版されてきた特攻の分析モドキ本の範疇を超えるものではありません。
日本軍が特攻を開始した理由は、戦後に多くの日本軍の特攻指揮官や特攻隊員ら多くの特攻関係者を尋問し、大量の日本軍資料を参照して下したアメリカ軍の結論がもっとも的を射ていると思われます。
「1944年夏までには日本軍は何処においてもアメリカ空軍に太刀打ちできないということが、日本空軍司令官らにも明らかになっていた。彼等の損失は壊滅的であったが、その成し遂げた成果は取るに足らないものであった。」
「そのような環境下で日本軍は神風技術を進展させた。操縦士は敵艦に向かってまっすぐに航空機を操縦すればよいのであるから、敵の戦闘機や対空砲の弾幕を突破できれば、敵艦船に命中するのに大した技倆は必要なかった」
「日本人によって開発された唯一の、最も効果的な航空兵器は特攻機(自殺航空機)であり、戦争末期数か月に日本全軍航空隊によって、連合軍艦船に対し広範囲に渡って使用された。」
「日本が海上艦船に対する使用に考案したもっとも効果的な兵器が特攻機(自殺攻撃機)であった。」
「日本軍はこの攻撃を持続させる方法として、これらを天皇のために死ぬ“神聖な使命”として宣伝したが、この攻撃が開始された理由は、簡単に言えば冷静で合理的な軍事決定であった。」
というものですが、端的に言えば、アメリカ軍は単純に特攻を「極めて有効な兵器であった」と兵器の一つとして評価し、日本軍は通常の攻撃方法ではアメリカ艦隊に太刀打ちできなかったので、唯一太刀打ちできる有効な戦法として、自殺攻撃(特攻)を「冷静で合理的」に開始決定したと分析していたわけです。
アメリカ軍にそのように高評価させるに至った特攻の桁違いの有効さは、アメリカ海軍の特攻分析報告書Anti-Suicide Action Summary(アメリカ軍のHPで閲覧可能)に詳しく
フィリピン戦で特攻が開始された1944年10月以降1945年4月の沖縄戦初期までに、米軍艦艇の視界内に入った通常攻撃機は2152機内有効攻撃58機(有効率2.7%)に対して、特攻は784機内有効攻撃216機(同27%)と有効率は特攻が通常攻撃の10倍の有効率となり、また1回の攻撃を命中させる為に失われる航空機の数は、通常攻撃が6.1機に対し特攻機が3.6機と、皮肉にも十死零生の特攻の方が少なかったりします。
日本側の証言によっても、この経緯は同じようなもので、航空特攻を開始した司令官第一航空艦隊の大西瀧治郎中将は「大戦初期のような練度の高い者ならよいが、中には単独飛行がよっとこせという搭乗員が沢山ある、こういう者が雷撃爆撃をやっても、被害に見合う戦果を期待できない。どうしても体当たり以外に方法はないと思う。しかし、命令では無くそういった空気にならなければ(特攻は)実行できない」、「空母を一週間くらい使用不能にし、捷一号作戦を成功させるため、零戦に250kg爆弾を抱かせて体当りをやるほかに確実な攻撃法は無いと思うがどうだろう」という考えで航空特攻を開始していますが、要するに航空機による通常攻撃ではもはや戦果を挙げることが困難になったので、そう大きな効果は期待できないが、有効性の高いと思われる体当り攻撃を開始しようというものであり、攻撃の確実性(有効性)向上が第一の理由であって、敵をたくさん殺傷しようなんて目的はありません。
しかし、初回の特攻で関行男大尉率いる敷島隊が護衛空母を撃沈してみせたので、予想外に特攻にも艦船を撃沈できる効果があると知った大西中将ら日本軍上層部が、特攻の目的を拡大していきましたが、これもあくまで、通常艦船攻撃の延長線上であって、急降下爆撃や雷撃と同様に対艦攻撃手段の一種に過ぎなかったわけです。
従って、他の対艦攻撃方と同様に、特攻の目的はあくまでも艦船の撃沈であって、特攻が拡大していくに連れて、特攻の欠点となる、搭載爆弾の威力不足、激突時の速度不足、魚雷攻撃とは異なって喫水線への攻撃が困難なことなどから、命中率は桁違いに高いものの、被害艦の沈没率の低さに日本軍は対策を余儀なくされて、桜弾というモンロー効果を利用した大型爆弾の開発や、激突時に加速する特攻専用機の開発などを行っていきます。
この作者は特攻機による攻撃がアメリカ軍艦隊に多くの死傷者を生じさせていることを知って、それを特攻の目的であったと誤解してしまったようですが、特攻の被害艦の死傷者が多かったのは、日本軍も想定していなかった副次的な効果に過ぎません。
特攻機は搭載した爆弾もさることながら、特攻機の機体自体が可燃性の強い航空燃料を大量に搭載した大型の焼夷弾そのものであり、突入した艦に航空燃料による猛烈な火災を発生させて、その火災によって多くのアメリカ兵が焼死したり重篤な火傷を負うことになりました。
アメリカ軍はこの効果に頭を悩まして、United States Navy ACTION REPORT FILM CONFIDENTIAL 1945 MN5863 『Combating suicide plane attacks』というハウツービデオ(ニュース映画)まで作成し、「特攻機は機体自体が搭載している航空燃料で強力な焼夷弾になる。」と指摘のうえで「対空戦闘に必要最低限の人数以外は退避させる」「一か所に大人数で集まることを禁止」「全兵員が長袖の軍服を着用し袖や襟のボタンをしっかりとめる、顔など露出部には火傷防止クリームを塗布する」「全兵員のヘルメット着用義務化」などときめ細やかな指示を兵士にしております。
日本軍も途中からこの効果に気がついたらしく、戦後の米国戦略爆撃調査団による尋問に日本軍将官は「特攻は通常攻撃より効果が大きい、その理由は爆弾の衝撃が飛行機の衝突によって増加され、また航空燃料による爆発で火災が起こる」と燃料による火災を特攻の大きな効果として認識したと証言しており、日本軍が特攻機の命中時の効果を高める為、航空燃料を余分に積んでいたことも判明しています。
ちなみに航空特攻によるアメリカ軍の死傷者は諸説あるものの18,000人~46,000人と言われており、航空特攻による日本軍の戦死者3,948名と比較すると、人的損失については、少ない犠牲で多大な効果を上げていることがわかります。
以上の通り、特攻は単に通常攻撃の代替手段として開始され、結果的にアメリカ軍に多大な人的な損害を被らせたものの、人命そのものを目標に掲げたいたわけではありませんでした。人命重視のアメリカ軍と異なり、日本軍の興味はあくまでも艦船の撃沈破数であったのは、最大の特攻戦となった沖縄戦で、海軍は空母、陸軍は輸送船などと従来通り、艦船撃沈を目標に掲げていたことや、誇るように架空の撃沈艦数を積み上げていった大本営の過大戦果報告を見ても明らかでしょう。日本軍は大量の敵艦を撃沈した(過大評価ではあったが)ことで特攻を高く評価し、国民鼓舞の材料として最大限活用し、一方のアメリカ軍は、大量の人的損失と損傷艦を被ったことで特攻を高く評価し、国民に与える影響が大きいとして報道管制まで行って、情報を統制したことも、人命重視のアメリカ軍と軽視の日本軍の違いがよく解る事象とも言えるでしょう。
あと、作者の想定する特攻の目的「特攻は米兵の命を奪うことで和平につなげる」の和平の部分についても、航空特攻を開始した大西中将が、当初から「もう戦争を終わらせるべきである。講和を結ばなければならないが、戦況も悪く資材もない現状一刻も早くしなければならないため、一撃レイテで反撃し、7:3の条件で講和を結んで満州事変の頃まで大日本帝国を巻き戻す。フィリピンを最後の戦場とする。特攻を行えば天皇陛下も戦争を止めろと仰るだろう。この犠牲の歴史が日本を再興するだろう」などと考えていたという話もありますが、では実際に、日本軍が特攻に国の存亡をかけた講和の成立を委ねるほどに全力を尽くしていたのか?というと実はそうではなく、フィリピン戦では特攻機の損失数は、日本軍の戦闘による航空機の損失数のわずか14%とごく一部、沖縄戦については、損失数に対する特攻機の比率は63%に上昇するものの、作戦出撃機の延べ機数で比較すると、海軍航空隊だけでも、特攻機1,868機に対して、通常作戦機は合計7,878機であり、圧倒的に通常の航空作戦を行っていた機数の方が多かったということになります。
アメリカ軍も「圧倒的に有効な」特攻に日本軍が全力を尽くしてこなかったことに胸をなで下ろして、フィリピン戦では「特攻が開始されたレイテ作戦の前半には、レイテ海域に物資を揚陸中の輸送艦などの「おいしい獲物」がたっぷりあったのに対して、アメリカ軍は陸上の飛行場が殆ど確保できていなかったので、非常に危険な状況であったが、日本軍の航空戦力の主力は通常の航空作戦を続行しており、日本軍が特攻により全力攻撃をかけてこなかったので危機は去った。」と評価し、沖縄戦後においては「十分な訓練も受けていないパイロットが旧式機を操縦しても、集団特攻攻撃が水上艦艇にとって非常に危険であることが沖縄戦で証明された。」「アメリカが(特攻により)被った実際の被害は深刻であり、極めて憂慮すべき事態となった」「日本が(特攻で)より大きな打撃力で集中的な攻撃を持続し得たなら、我々の戦略計画を撤回若しくは変更させ得たかもしれない」と評しています。
2000年にアメリカ空軍が作成した報告書「PRECISION WEAPONS, POWER PROJECTION, AND THE REVOLUTION IN MILITARY AFFAIRS」においても
「神風は比較的少数であったにも関わらず、連合国の海軍の計画と作戦を大幅に変更する力を明らかにした。明らかに、後の時代の対艦巡航ミサイルのように、神風はその実際の戦力に比例せず、戦略に影響を及ぼす可能性があった。」
と評価されています。
つまり、もっと日本軍が特攻に戦力をつぎ込んでいれば講和まで至ったかは解りませんが、さらにアメリカ軍は苦しめられたであろうと誰ならぬアメリカ軍自身が認めていたことになります。
日本軍が第二次世界大戦中に失った航空機はあらゆる理由で54,000機に上りますが、うち特攻機は諸説あるものの、おおむね2,500機と全損失の中の5%にも達しません。このように、日本軍は大戦末期で「全軍特攻」などと勇ましいフレーズを掲げていたときですら、特攻は航空作戦の一部にしか過ぎなかったわけです。
そもそも、日本軍の大戦末期の方針であった「一撃講和」というのは、別に特攻に限ったことではなく、陸上戦、海上戦、航空戦を含めた総体的な決戦でアメリカ軍に一撃加えて有利な講和に持ち込もうという“戦略”的な目標であって、“戦術”のひとつで航空作戦のごく一部の特攻でそれを成し遂げられなかったからといって、特攻は無為であったなどというのは、この作者は戦略と戦術の違いを十分に理解できていないのではないでしょうか?作者はこの本の文中で「特攻は単なる軍事作戦ではなく日本における総力戦の一環とみるべきである」とも主張していますが、これこそ言葉遊びに過ぎず、特攻に限らず、あらゆる軍事作戦すべてが総力戦の一環で、その総合が総力戦と私は思うのですが、なんで特攻だけが一環扱いされるのか意味がわかりません。そして上記の通り、その多くの軍事作戦の中でも、特攻作戦に投じられたリソースは限られれたものであったわけです。
また、この作者はこの本に関連し、特攻を前向きに評価する意見に対して「木(特攻)を見て森(戦争)を見ず」と揶揄する発言もしています。
でも、私から見れば、特攻を軍事作戦の一手段として正確に評価できないこの作者は「森(戦争)を見たつもりになって木(特攻)を見ず」であり、木はあくまでも、森を構成する一部にしか過ぎないことを理解しておらず、森に対する自分の評価をその木にまで押し広げているだけに過ぎないように思えます。森は森で、そしてそのそれを構成している多種大量の木についても、個別にそれぞれ分析や評価してしかるべきでしょう。
以上の通り、この作者はこの本であたかも新たな視点で特攻を評価、分析した気になっているようですが、結局のところ、戦後まもなくから今日に至るまで、散々特攻の評価として言われ続けてきた「有利な講和ができなかったから特攻は所詮無駄死にだった」「戦争に負けたから全ては無駄だった」という極論を、特に目新しくもない資料をチェリーピッキングしながら述べているに過ぎません。さらに、この作者は、特攻を命じた軍指導部は当然として、それを止めずに戦果を期待した天皇陛下、勇ましい報道で国民を煽り続けたマスコミ、そして軍やマスコミに煽られた銃後の国民、全てが特攻に関して責任があるから、日本国民は総懺悔すべきとでも主張したげと感じましたが、同様な思想で書かれた特攻関連本で、大島隆之氏著(というか実質NHK著)「特攻 なぜ拡大したのか」というのも近年出版されており、この作者の「特攻日本国総有罪論」「特攻日本国総懺悔論」も特に目新しい主張ではありません。
特攻 なぜ拡大したのか
悲劇の陸軍航空隊初の特攻隊「万朶隊」の石渡俊行軍曹の新発見の遺書など興味深い記述もありましたが、結局は今までの特攻分析モドキ本と同様に、特攻隊の遺書を読者の感情移入のツールに使っているだけなのも、自分の誤った主張のために、アメリカ軍をとことんまで苦しめて誇り高く散華していった英霊を利用するのはいい加減に勘弁して欲しいという感想しかありませんでした。石渡軍曹の遺品については、個別にネットオークションに出されたようで、別々の人が落札してしまい、自分で全部を落札できなかったこの作者はこの本で「歴史史料の散逸だ」とか嘆いています。ネットオークションで落札できなかった愚痴を自分のSNSではなく、天下の公器に等しい商業出版物で嘆くのもどうかと思いますが(笑)私から見れば、誤った主張に利用されるために、石渡軍曹の遺書などがこの作者に落札されたことが残念でならず、本来ならば特攻隊員の慰霊施設などで適切に管理、展示してもらいたかったと感じました。
この作者がこの本を書くきっかけになったのは、「日本軍と日本兵 米軍報告書は語る」を出版したさいに行われた、現代ビジネス社の作者へのインタビューだと思うのですが、そのインタビューでこの作者は「(米軍がもっとも恐れた日本軍の戦術は)航空特攻だと思います。最も少ない犠牲で最も多数の米兵を殺傷できる戦法だからです。人命重視の米軍からみるとこれは怖い」みたいな話をしていたので、この作者が「日本軍と日本兵 米軍報告書は語る」を書くときに、一般ではあまり知られていないアメリカ軍の戦訓広報誌「Intelligence Bulletin」などというマニアックな資料をわざわざ持ち出して、鵜の目鷹の目で日本軍への嘲り、卑下記述を探し出した労力で、今度はアメリカ軍の資料で特攻について詳細な調査してくれるのでは?と期待して発売日にこの本を買いました。
しかし、この作者はこのインタビューで他にも「沖縄戦で数千機(この時点で既に間違ってますが(笑))の特攻機を出動させたにもかかわらず、沖縄の陥落が目前となって米軍が音をあげないことが判明したとたん、昭和天皇が和平を口にするなど降伏への動きが表面化していくのは、最後の希望が絶たれたことの表れだったのでしょう。」という話もしており、どうやらこの本はそっちの方の視点を重視して書かれたようで、内容はまったくもって期待外れで大いに失望しました。従って、評価は最低にさせて頂きます。
この作者には、戦後脈々と受け継がれて凝り固まってしまった特攻論からいい加減に脱却していただき、その卓越した語学力や資料収集力で、例えば、実際にはごく一部の戦力しか投入していなかった特攻を、なんで当時の軍部は「全軍特攻」などとまやかしを言ったのか?そして、なんで当時の軍部のまやかしを戦後になってもみんな信じてしまっているのか?など、真に斬新的な視点の特攻論を期待しております。
2022年11月22日に日本でレビュー済み
テーマがテーマだけに読むのが辛かったです。
特攻隊戦死者は3948人も及ぶそうです。この本で取り上げてるのはもちろん一部の方でしかないのですが憂鬱な気分になりました。
特攻隊戦死者は3948人も及ぶそうです。この本で取り上げてるのはもちろん一部の方でしかないのですが憂鬱な気分になりました。