収録されている作品は「外套」と「鼻」の二編、どちらもゴーゴリの代表作です。
「外套」は主人公のキャラクターが立っていて特に良かったです。
うだつが上がらない男の物語で、自分はこちらのほうが好きでした。
仕事にまじめであり、物静かな性格であり、生活は貧しいが小さな幸せや希望もある、
その姿は親しみ深くかわいらしくもあり、悲哀とユーモアが満ちています。
「鼻」も外套と設定は似ているものの、こちらのほうがユーモアの度合いは高いです。
それに頭に映像が浮かぶ印象的な場面も多く、外套に比べて読みやすさもあります。
ゴーゴリの文体の雰囲気や設定などはドストエフスキーにもしっかり受け継がれており、
読んだ人はその後のロシア文学への大きな影響を確かに感じると思います。
ロシア文学を語るうえで欠かせない存在のゴーゴリ、素敵な作品でした。
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外套・鼻 (岩波文庫 赤 605-3) 文庫 – 2006/2/16
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- ISBN-104003260538
- ISBN-13978-4003260531
- 出版社岩波書店
- 発売日2006/2/16
- 言語日本語
- 寸法10.5 x 0.9 x 14.8 cm
- 本の長さ120ページ
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2006/2/16)
- 発売日 : 2006/2/16
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 120ページ
- ISBN-10 : 4003260538
- ISBN-13 : 978-4003260531
- 寸法 : 10.5 x 0.9 x 14.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 78,817位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 85位ロシア・ソビエト文学 (本)
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- - 531位岩波文庫
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5 星
何度読んでも味わい深いストーリー
📚ゴーゴリ『外套』感想聖化された清貧の徒である下級官吏アカーキーが、己の分を超えた外套という転機を通して、俗世の闇へと失墜、死んだのち悪霊と化すストーリー。訳者の平井肇さんは、半世紀も前に亡くなってらしたんですね😳久し振りに再読し終えましたよ☆
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2018年5月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
人間の本質を描くのが文学、ということを思い出させてくれる作品。
2015年6月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ゴーゴリの作品を初めて読んだ。
原訳に忠実で現代人に読みやすく編集されているのがとても良い。
「外套」は160年以上昔の作品なのに、少しも古さを感じさせない。
現代の豊かな衣類の暮らしの中でも十分な説得力がある。
ロシア文学になじみがなくて、名作と言われるものも読んでいないのがわかった。
原訳に忠実で現代人に読みやすく編集されているのがとても良い。
「外套」は160年以上昔の作品なのに、少しも古さを感じさせない。
現代の豊かな衣類の暮らしの中でも十分な説得力がある。
ロシア文学になじみがなくて、名作と言われるものも読んでいないのがわかった。
2022年11月21日に日本でレビュー済み
名作でしょう。子供のころ、「鼻」の人形劇を教育テレビで見た記憶がある。なかなか面白いと思っていたが、原作を読んだ。たぶん2度目だと思うが、それでも名作というものは、新鮮な感覚が得られる。悲喜劇ともいえる外套も同様、面白かった。何度も読まれるべき名作。訳も大変よい。
2009年4月1日に日本でレビュー済み
ロシアの下級役人であり、とても面白い名前のバシマチキン・アカーキイ・アカーキエヴィッチ(バシマチキンは短靴の意、アカーキイは父の名前、それを重ねるのが少しユニークなことらしい。私の解釈では日本人で例えるならきっと『鈴木 鈴木夫さん』くらいの感じか?)は下級かもしれませんが、誠実に勤める役人です。内気な面もあって職場でも浮いた存在ですが、仕事に誇りを持つ職人かたぎとも言える人物です。そのアカーキエヴィッチが遭遇する不条理な話しです。
とても不思議なトーンで語られるこの民話のような話しは非常に不条理で、途中までカフカを思わせるような(それでいて私はカフカにはあるズレる笑いは無い感じ)話しが、最後の最後で急にフッとチカラを抜かされる、良い意味での脱力感があって良かったです。もちろん最期の展開にはいろいろ読み手側の好みが分かれるかも知れません、私にはもうひとつでしたが、民話的語り継がれるべき話しとしてはありだと思います。
もちろん古典的作品ですから当たり前なのかもしれませんが、もう少し何かが心を打つかとも思ったのですが、私には少ししっくりこなかったです。期待し過ぎた部分もあるかとは思いますが。
「鼻」も、いわゆる不条理な話しなのですが、こちらにはそこはかとなくファニーな感じがあって良いのですが、もう少し『何か』が欲しくなりました。その『何か』ワカラナイし言葉に出来ないのがもどかしいのですが。
民話的話し、またはカフカの作品に興味のある方にオススメ致します。
とても不思議なトーンで語られるこの民話のような話しは非常に不条理で、途中までカフカを思わせるような(それでいて私はカフカにはあるズレる笑いは無い感じ)話しが、最後の最後で急にフッとチカラを抜かされる、良い意味での脱力感があって良かったです。もちろん最期の展開にはいろいろ読み手側の好みが分かれるかも知れません、私にはもうひとつでしたが、民話的語り継がれるべき話しとしてはありだと思います。
もちろん古典的作品ですから当たり前なのかもしれませんが、もう少し何かが心を打つかとも思ったのですが、私には少ししっくりこなかったです。期待し過ぎた部分もあるかとは思いますが。
「鼻」も、いわゆる不条理な話しなのですが、こちらにはそこはかとなくファニーな感じがあって良いのですが、もう少し『何か』が欲しくなりました。その『何か』ワカラナイし言葉に出来ないのがもどかしいのですが。
民話的話し、またはカフカの作品に興味のある方にオススメ致します。
2020年1月30日に日本でレビュー済み
📚ゴーゴリ『外套』感想
聖化された清貧の徒である下級官吏アカーキーが、己の分を超えた外套という転機を通して、俗世の闇へと失墜、死んだのち悪霊と化すストーリー。
訳者の平井肇さんは、半世紀も前に亡くなってらしたんですね😳
久し振りに再読し終えましたよ☆
聖化された清貧の徒である下級官吏アカーキーが、己の分を超えた外套という転機を通して、俗世の闇へと失墜、死んだのち悪霊と化すストーリー。
訳者の平井肇さんは、半世紀も前に亡くなってらしたんですね😳
久し振りに再読し終えましたよ☆
📚ゴーゴリ『外套』感想
聖化された清貧の徒である下級官吏アカーキーが、己の分を超えた外套という転機を通して、俗世の闇へと失墜、死んだのち悪霊と化すストーリー。
訳者の平井肇さんは、半世紀も前に亡くなってらしたんですね😳
久し振りに再読し終えましたよ☆
聖化された清貧の徒である下級官吏アカーキーが、己の分を超えた外套という転機を通して、俗世の闇へと失墜、死んだのち悪霊と化すストーリー。
訳者の平井肇さんは、半世紀も前に亡くなってらしたんですね😳
久し振りに再読し終えましたよ☆
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2015年9月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
サンクトペテルブルク滞在前に読み、大いに楽しめました。ただ訳が古めかしいので、古い翻訳本に慣れていないと読みづらいと思います。(私の場合、実家にたくさんあって慣れていました)
2011年9月29日に日本でレビュー済み
ゴーゴリの『外套』、これもまた面白かった。面白いといっても、物語の展開そのものがそうなのではなく、彼の文章力、とりわけ人物を描きだす力が圧倒的に素晴らしい。登場人物の性格を読者の脳裏にまざまざと浮かべさせる描写だけでなく、比喩も独特で、状況設定も計算されている。実際にはその人を知らないのにあたかも昔から自分の周りにいて、性格も風貌もよく知っているような人だと感じ、あっという間に感情が移ってしまう。
主人公は、名もない下級官吏。名もないその人の名前はアカーキー・アカーキエヴィッチという男で、ロシアの名前に馴染みのない人には特殊に感じるかもしれないが、ファーストネームが、父称(この場合アカーキエヴィッチ)と似ているということは、お父さんの名前をとってつけたからである。例えば、タロウという名前の人のお父さんの名前がヒデオなら、その人は正式にはタロウ・ヒデオヴィッチと呼ばれる。ヒデオさんの息子の名前も同じくヒデオにするとしたら、ヒデオ・ヒデオヴィッチという具合。欧米流に言えばヒデオJr.とかヒデオSr.という訳だ。昔は生まれたカレンダー月から名前をとる習慣があり、ろくなものがなかったので、おばあちゃんが面倒臭くなって、息子の名前と同じアカーキーと名づけた。この世に生を受けたその時に投げやりな名前を授かったことになる。しかもゴーリーキーはこうまでも言う。
『(洗礼の時)ワーワー泣き出し、いやにシカメ面をした。まるで将来九等官になることを予感したと言うような顔であった。』
考えてもみてください、皆さんが小説家で、50歳を過ぎても万年ヒラの下級役人、何の取り柄もない平凡な人物を描くとしたら。英雄ナポレオンを書くのとはワケが違って、有象無象の輩の中でも誰も気づきさえしない忘れ去られたような存在の人に焦点をあてて、その「忘れ去られた」小人物の性格を描ききるのである。作家としての技量が求められる。
ゴーゴリーによるアカーキーの描写をみてみよう。
『いくらかアバタ面で、髪が少し紅く、いくらかショボショボした目をしていて、ひたいの上に小さな禿げがあり、両頬にしわが浮かんでいる。そして顔色といったら、よく言う痔病もちというやつだが』
『守衛たちは、彼が通り過ぎるとき起き上がらないばかりか、彼の方をみようとさえしなかった。まるで受け付けのところを、つまらない蠅が通り抜けたみたいだった。』
『馬車馬みたいにはたらいて、しかも得たものはお尻の痔くらいなものだった。』
また「痔」が出てきた! アカーキーは服装にも、食事にも無関心である。
『彼はじぶんの服のことなどまるで考えたこともなかった。彼の略服は緑色というのではなくて、なんだか赤茶けた粉を振りかけた色をしていた。』
赤茶けた粉を振りかけた!すごい表現だな。さらに言う。
『おまけに彼は通りをあるくときも、ちょうど窓からいろんなゴミはほおり出されるその時に、その窓下にさしかかるという特別なわざをもっていたので、いつもその帽子には西瓜の皮とかメロンの皮とか、こういった類のつまらないものがのっかっているのであった。』
かわいそうなアカーキー!
『(食事の際)その味なとまるで気をつけず、蠅であろうが、何か分からぬものがくっついていようが、かまわずいっしょに飲み込むのであった。』
また蠅!ゴーリキーはよっぽどハエと痔になにかこだわりを持っているのかしらないが、ご覧の通りアカーキーのことを散々に言い貶す。しかし、ボロクソに言っておきながらなぜか、読む者に彼がこのつまらぬ存在のアカーキーに愛情を持っているのをよく感じさせるのである。読んでいる私もアカーキーのことを愛すべき友達に思ってしまった。よくよく考えれば、私の中にもアカーキーのように他人から見たら忌み嫌われる無頓着なところがあるのだ。
描写だけでない。他の登場人物もアカーキーの「小心者」ぶりを引き立てる設定になっている。
彼はボロボロのコートを仕立て直そうと仕立屋に赴くのだが、この仕立屋の主人は何も立派な店構えの評判なテーラーではない。元農奴で、裏通りで看板もないアパートの一室で服を仕立てている男である。そんな元農奴にもアカーキーはビクビクしてしまう。直しが出来ず、新調しないといけないと言われるともう絶望感に襲われる。そうでなくとも、つぎはぎパッチで事を済まそうと考えていたアカーキーはその値段交渉にビクついていたのである。それを給料の何カ月分もする外套を新調するしか手がないというのだから、彼にとっては死活問題になる。他にももろもろアカーキーの小世界に取り巻く人物が出てくるのだが、まあ、こんな具合にゴーゴリは九等官役人アカーキーの話を紡いでいくのである。
人間の存在に優劣はない。どんな人でもそこには自分と同じ価値の世界がある。その世界が大きな舞台か、誰も気にかけない取るに足らない程のものであるか、そんなことは本当は関係ないのである。この小説を読んだ私はアカーキーの世界に引き込まれて行き、彼の精神逡巡を堪能した。似たようなことは私の周りでもよくよくみると起きている。アカーキーのように小銭貯金箱を何年もかかって貯めているし、彼のボロ・コートが年々擦り切れて小さくなっていくように、私の車はもう何年も外装の一部が禿げ、段々大きくなって皆が心配してくれるまでになった。口では高尚なことを言ってみても食べる時はマナーがなっていないと嫁からは苦情が出る始末。服も10年前のものを平気で今でも着ている。なんでこの私がアカーキーを卑下出来ようか!^^
ちなみにアカーキーはなけなしの金をはたいて外套を新調することとなるのだが、その外套をみにつけた彼は、今までの質素で平穏な生活とはまったく異質な華やかさに接することろなる。皆さんもそんな経験をしたことがあると思う。普段は派手な暮らしぶりを忌み嫌っていても、新車をかったりしたときとか、豪邸に住む金持ちを妬んで、あんな成金には成りたくないと嘯いているものの、小さなマイホームを買った時の高揚感とか、貴金属の装飾品は要らないと普段から言っているものの、恋人から0.3カラットのダイアモンドの指輪をもらった時とか・・・。ささやかな喜びと言って質素倹約を旨とする自己を正当化しようとするものの、実はその物質的な充足感にもまんざらでもないと感じている自分を発見する。今まで生きてきた世界とは全く異質な世界の一端に触れ、当惑するもののその世界に引き込まれてしまい、その新生活を夢想してしまうことはどんな人にもあることだと思う。
主人公は、名もない下級官吏。名もないその人の名前はアカーキー・アカーキエヴィッチという男で、ロシアの名前に馴染みのない人には特殊に感じるかもしれないが、ファーストネームが、父称(この場合アカーキエヴィッチ)と似ているということは、お父さんの名前をとってつけたからである。例えば、タロウという名前の人のお父さんの名前がヒデオなら、その人は正式にはタロウ・ヒデオヴィッチと呼ばれる。ヒデオさんの息子の名前も同じくヒデオにするとしたら、ヒデオ・ヒデオヴィッチという具合。欧米流に言えばヒデオJr.とかヒデオSr.という訳だ。昔は生まれたカレンダー月から名前をとる習慣があり、ろくなものがなかったので、おばあちゃんが面倒臭くなって、息子の名前と同じアカーキーと名づけた。この世に生を受けたその時に投げやりな名前を授かったことになる。しかもゴーリーキーはこうまでも言う。
『(洗礼の時)ワーワー泣き出し、いやにシカメ面をした。まるで将来九等官になることを予感したと言うような顔であった。』
考えてもみてください、皆さんが小説家で、50歳を過ぎても万年ヒラの下級役人、何の取り柄もない平凡な人物を描くとしたら。英雄ナポレオンを書くのとはワケが違って、有象無象の輩の中でも誰も気づきさえしない忘れ去られたような存在の人に焦点をあてて、その「忘れ去られた」小人物の性格を描ききるのである。作家としての技量が求められる。
ゴーゴリーによるアカーキーの描写をみてみよう。
『いくらかアバタ面で、髪が少し紅く、いくらかショボショボした目をしていて、ひたいの上に小さな禿げがあり、両頬にしわが浮かんでいる。そして顔色といったら、よく言う痔病もちというやつだが』
『守衛たちは、彼が通り過ぎるとき起き上がらないばかりか、彼の方をみようとさえしなかった。まるで受け付けのところを、つまらない蠅が通り抜けたみたいだった。』
『馬車馬みたいにはたらいて、しかも得たものはお尻の痔くらいなものだった。』
また「痔」が出てきた! アカーキーは服装にも、食事にも無関心である。
『彼はじぶんの服のことなどまるで考えたこともなかった。彼の略服は緑色というのではなくて、なんだか赤茶けた粉を振りかけた色をしていた。』
赤茶けた粉を振りかけた!すごい表現だな。さらに言う。
『おまけに彼は通りをあるくときも、ちょうど窓からいろんなゴミはほおり出されるその時に、その窓下にさしかかるという特別なわざをもっていたので、いつもその帽子には西瓜の皮とかメロンの皮とか、こういった類のつまらないものがのっかっているのであった。』
かわいそうなアカーキー!
『(食事の際)その味なとまるで気をつけず、蠅であろうが、何か分からぬものがくっついていようが、かまわずいっしょに飲み込むのであった。』
また蠅!ゴーリキーはよっぽどハエと痔になにかこだわりを持っているのかしらないが、ご覧の通りアカーキーのことを散々に言い貶す。しかし、ボロクソに言っておきながらなぜか、読む者に彼がこのつまらぬ存在のアカーキーに愛情を持っているのをよく感じさせるのである。読んでいる私もアカーキーのことを愛すべき友達に思ってしまった。よくよく考えれば、私の中にもアカーキーのように他人から見たら忌み嫌われる無頓着なところがあるのだ。
描写だけでない。他の登場人物もアカーキーの「小心者」ぶりを引き立てる設定になっている。
彼はボロボロのコートを仕立て直そうと仕立屋に赴くのだが、この仕立屋の主人は何も立派な店構えの評判なテーラーではない。元農奴で、裏通りで看板もないアパートの一室で服を仕立てている男である。そんな元農奴にもアカーキーはビクビクしてしまう。直しが出来ず、新調しないといけないと言われるともう絶望感に襲われる。そうでなくとも、つぎはぎパッチで事を済まそうと考えていたアカーキーはその値段交渉にビクついていたのである。それを給料の何カ月分もする外套を新調するしか手がないというのだから、彼にとっては死活問題になる。他にももろもろアカーキーの小世界に取り巻く人物が出てくるのだが、まあ、こんな具合にゴーゴリは九等官役人アカーキーの話を紡いでいくのである。
人間の存在に優劣はない。どんな人でもそこには自分と同じ価値の世界がある。その世界が大きな舞台か、誰も気にかけない取るに足らない程のものであるか、そんなことは本当は関係ないのである。この小説を読んだ私はアカーキーの世界に引き込まれて行き、彼の精神逡巡を堪能した。似たようなことは私の周りでもよくよくみると起きている。アカーキーのように小銭貯金箱を何年もかかって貯めているし、彼のボロ・コートが年々擦り切れて小さくなっていくように、私の車はもう何年も外装の一部が禿げ、段々大きくなって皆が心配してくれるまでになった。口では高尚なことを言ってみても食べる時はマナーがなっていないと嫁からは苦情が出る始末。服も10年前のものを平気で今でも着ている。なんでこの私がアカーキーを卑下出来ようか!^^
ちなみにアカーキーはなけなしの金をはたいて外套を新調することとなるのだが、その外套をみにつけた彼は、今までの質素で平穏な生活とはまったく異質な華やかさに接することろなる。皆さんもそんな経験をしたことがあると思う。普段は派手な暮らしぶりを忌み嫌っていても、新車をかったりしたときとか、豪邸に住む金持ちを妬んで、あんな成金には成りたくないと嘯いているものの、小さなマイホームを買った時の高揚感とか、貴金属の装飾品は要らないと普段から言っているものの、恋人から0.3カラットのダイアモンドの指輪をもらった時とか・・・。ささやかな喜びと言って質素倹約を旨とする自己を正当化しようとするものの、実はその物質的な充足感にもまんざらでもないと感じている自分を発見する。今まで生きてきた世界とは全く異質な世界の一端に触れ、当惑するもののその世界に引き込まれてしまい、その新生活を夢想してしまうことはどんな人にもあることだと思う。