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大いなる看取り: 山谷のホスピスで生きる人びと (新潮文庫 な 69-1) 文庫 – 2009/12/24

4.9 5つ星のうち4.9 17個の評価

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 新潮社; 文庫版 (2009/12/24)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2009/12/24
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 文庫 ‏ : ‎ 446ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4101301816
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4101301815
  • 寸法 ‏ : ‎ 10.5 x 1.7 x 15 cm
  • カスタマーレビュー:
    4.9 5つ星のうち4.9 17個の評価

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中村 智志
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カスタマーレビュー

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上位レビュー、対象国: 日本

2023年8月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
死生観について考えさせられた。自分が死ぬときに備えたいと思った。
2012年10月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
山谷におけるホスピス「きぼうのいえ」を舞台として
入居者たちの語る過去の物語と、スタッフと入居者たちの看取り/看取られる物語
看取る人/看取られる人がいかにして死んでいくのか、が書かれています

料理人、ヤクザ、キザな人、鷹揚な人、
親族と決別した人、親族が見舞いに来る人、赤の他人が見舞いに来る人
看護士に看取られる人、筆者に看取られる人
さまざまな人物が登場し、看取りに至る物語が、抒情的感傷的にならず、淡々とした語り口なのがよかったです
入居者たちは隠蔽すべき過去を抱え、人生を終える場として「きぼうのいえ」に入所するわけですが
生活する入居者・スタッフの人々はとても明るい雰囲気です

山谷の肉体労働者たちに共通する過去の隠蔽という雰囲気はありません
入居者たちがなぜ過去を語るのか、
それは死に臨んでの人生の清算なのか、おしゃべり好きなのか、筆者がインタビュー上手なのか
死を看取る・看取られるという場である「きぼうのいえ」が入居者に過去を語らせるのか

本書を読んでいて想像が尽きないところですが、それはともかくとして
静かに穏やかに健やかに息を引き取っていく入居者たちの生き様が印象的でした
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2014年2月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
畳の上で死ねないような「ならず者」が末期患者になり、面倒を診る人がいなくて運ばれていく、ある施設を紹介したノンフィクション。心豊かになれる本でした。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2011年12月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書 は山谷のドヤ街の真ん中で民間のホスピス「きぼうのいえ 」を営む職員とそこに集まった入居者の物語。声高な主張もない、高邁な弁舌もない。たんたんと職員と入居者の一人ひとりのヒストリーを紡いでいくだけの本。山田洋次の「おとうと」のモデルでもある。
入居者の共通点は「行き場がない人」「死にいたる病を抱えている人」「家族との絆が切れて孤独だった人」「頑なで愛されなかった人」。多くは生保をとり自治体から紹介されて移り住んだ。
ホスピスをたちあげた夫妻を支えているのは特定の宗派ではない「宗教」、人の生と死の在り方についての信念であるが、この夫妻にもほとんどボランティアの職員にも1人一人のヒストリーに基づく理由がある。人に寄りそうことで自分も生きていける理由が。
病院の職員と患者のような敷居はない。平等に福祉を施すのではなく、人として入居者を愛そうとする。病院のホスピスでは考えられない場面が展開する。スタッフに看護師もいるが、セデーション以外の医療は追求しない。朝おこしに行ったら逝っていたという看取りもある。ハープを聴きながらの看取りもある。手を握って懸ける言葉は、「がんばったね。十分がんばったね。逝きたくなったら逝っていいからね」。
煙草もパチンコも自由。胃瘻から酒を1升も注いでへべれけになっても許される。末期、中の良いスタッフと北陸の生まれ故郷に最期の旅をしたりもしている。
入居者のヒストリーは多彩だ。自分ではもう食べられなくとも料理を作ってふるまう高級料亭の板前。元731部隊付きの特務機関員で戦後は公安警察のホームレス。親指をつぶしてスティックが持てなくなった麻薬中毒のジャズドラマー。
声高な人権の主張はないけれど、人権とは、人間とは、死と生とは、さまざまにインスパイァされる。
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2012年2月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
中村氏の本は興味深く読んでいます。 いろいろな人生を辿ってきた人の看とりを自分と照らし合わせながら読みました。
違う立場の人間両方の情深さと現実の厳しさの葛藤が垣間見えます。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2008年6月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
 人生の最後の日々には、その人の生き方が凝縮して表れるといわれる。ドヤ街、山谷のホスピス〈きぼうのいえ〉を終の棲家として選んだ人々は、世間から冷遇された壮絶な人生を送ってきた人たちが多い。普通であればネガティブな感情を抱いたままで死を迎える可能性が高いこうした人々を、〈きぼうのいえ〉のスタッフは温かい愛情で包みこむことで、その最後の日々を安らかなものへと変えていこうとしている。
 筆者はこのホスピスで暮らしている(いた)人々に丹念なインタビューを行い、人生に傷ついた者だけが語りうる、奥行きに満ちたライフヒストリーを、施設で働くスタッフたちの人となりの紹介とも絡めながら見事に描き切っている。しかし、この本は感動的なライフヒストリーをただ寄せ集めただけのものには終わっていない。「あとがき」で筆者自身が述べているように、ホスピスで暮らす人々が送った人生への興味が、それを超えた生と死の問題へと筆者の興味関心を変容させ、こうした問題に対する筆者の思索が内容にもそのまま反映されているからである。
 本書にも登場するキューブラー・ロス博士はその自伝の中で、肉やコーヒーを口にする自分が神秘体験をしたのは不思議だとある講演会で述べたところ、一人の高僧から死に行く人々の言葉を熱心に聞くことが一番の霊性修行なのだと指摘されたという体験を記している。死に行く人々の言葉を心を込めて聞き、それを肯定も否定もすることなく受容すること。筆者もまたこうした行為を行うことで、ある種の自己変容を体験したのではないか。そして他者をそのまま受容する、愛情に満ちた筆者の文章に触れることで、読者もまたある種の自己変容を体験することになるような気がする。少なくとも私はそうだった。
19人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2010年2月2日に日本でレビュー済み
この本に触発されて、山田洋次監督の「おとうと」制作が行われたことを知り、この本を手にしました。

「きぼうのいえ The House of Hope」−山谷に作られたホスピス。
そこには、ヤクザや元731部隊員をも含む様々な人たちが辿り着きます。
この本を読む前は、「死」を告知された人々が、辿り着く終着点と考えていました。
でも、この本を読んでゆくと、そこには「生」を強く感じます。
告知された「死」までの間、いかに「生きる」のか、その事の重大性を強気感じさせてくれます。
そして、彼らを励まし、助ける人たちの強い「熱」を感じます。
更には、そうした場所から離れている自分に後めたさを感じます。

この本を読む時、「暗さ」を予感していましたが、見事に外れました。
案に相違して、そこには「生」の輝きがありました。
それには、入居者同士、入居者とスタッフの強い絆を感じたからかも知れません。
又、デーケン教授が語るように、心温まる人が共にいる事とともに、「ユーモアの精神もホスピスの精神の中心にあります」と言う事なのかも知れません。
いずれにしても、入居者はその生活を楽しんでいるように見えます。
それだけに、重いテーマでありながら、変な言い方ですが、楽しみながら読むことが出来ました。
13人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2013年3月3日に日本でレビュー済み
山谷の「きぼうのいえ」を、以前なにかで読んで知っていたので、手に取りました。
二十代の後半にやたらと結婚式に呼ばれたように、身内であったりお世話になった方であったりが次々に亡くなって、お葬式に呼ばれることが最近とても多いので、自分自身のことも含めて考えさせられること頻りでした。それでも、決して恵まれていたとは言えない境遇の人たちの、たくさんの「看取り」の様子を読み終わって、それらの最期を思い返したとき、屋上で開かれていた花火大会の、夜空に描かれた幾重もの花のような笑顔を連想したことは、なんとも救いでした。
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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