このレビューを書いている本日は、アレクシオス帝の命日です。たまたま今週読み終わったので、どうせなら帝の命日に書こうと思って書いてます。
題名通り、中世女性史家アンナ・コムネナの人と作品を扱った著作です。前半第一部が伝記、後半第二部が著作解説となっています。
日本の一般向け書籍でアンナ・コムネナに関してまとまった内容が最初に紹介されたのは、橋口倫介『
中世のコンスタンティノープル
』(1982年)ではないかと思います。しかし、この著作ではアンナ・コムネナに絡めて帝国教育事情や神学宗教事情が63-88頁までと、結構な記述があるのにも関わらず、コムネナその人に関してはあまり印象に残っておらず、アンナ・コムネナのことが記憶に強く刻まれたのは、井上浩一氏の30年前の著作『
生き残った帝国ビザンティン
』です。アンナの名前は三か所ほどで登場しているだけで、「アンナが・・・と書いている」という程度の記載であり、アンナ・コムネナその人自身に関する内容ではないのですが、「帝国は息を引き取ろうとしていた」(187と188頁)というアンナの史書からの引用の一文は、アレクシオスが即位した当時の帝国の状況を鮮やかに照射して非常に印象に残り、昨年12月『
アレクシアス
』日本語版を入手した時まっさきに探したのがこの一文です。
39年前に最初に読んだビザンツ本である和田廣『
ビザンツ帝国
』で「皇帝の紫衣は最高の死に装束」というキラーワードを知り、テオドラについて詳しく知りたくて読んだのが橋口倫介『中世のコンスタンティノープル』だったのですが、この本ではアンナに関するキラーワードというものがなかったため印象に残らなかったのかもしれません。和田廣『ビザンツ帝国』は、マケドニア朝ルネサンスで記述が終了しているため(フォティオスとそれに続く人々)、橋口本の冒頭の三名のポートレートのうち、テオドラ、フォティオスまではすんなり入り込めたのですが、次のアンナは未知の人だったので、ざっと流して大城壁の攻防の章あたりに飛んでしまったのではないかと思われます。初心者の私には詳しすぎましたので、次に鳥山成人『
ビザンツと東欧世界
』を読み、この本が私にとっての初めてのビザンツ通史本となったのですが、この本でも、”皇女アンナは次のように言っている”、としてアンナの一文が橋口倫介『十字軍』から引用されているだけで、ここでもほとんど印象に残りませんでした。タイムライフ社の『
ビザンティン
』でも「女流歴史家の中ではもっとも偉大な存在と思われるアンナ・コムネナは、その父である皇帝アレクシオス1世の統治時代について叙述した」(137頁)とあるだけで、この文言にも興味は惹かれませんでした。
次にアンナ・コムネナについての印象が刻まれたのは、やはり井上氏の『
ビザンツとスラブ
』第一部(1998年)で、「女性歴史家が伝える帝国再建」との節が建てられ、アレクシオスの時代を、アンナの史書を中心に記載していることを節の題名で宣言している点で訴求力がありました。アンナ自身に関しては数行しか記載はありませんが、「全体として『アレクシオス一世伝』は客観的な叙述を展開しており、信頼できる第一級の史料である」「もっと注目されてよい人物であろう」(p152)との一文に乗せられてアンナ・コムネナの著作『アレクシオス一世伝』に興味を持ってしまった人は少なからずいるのではないかと思います。
このように著者は、日本において、一般書でアンナ・コムネナとその著作のアピールを効果的に行ってきた方であるため、「客観的な記述」「信頼できる第一級の史料」「もっと注目されてよい」の文責を回収するべく、いつかは出るかも知れないと想定されていた通りの内容が形となって結実したのが本書である、という位置づけになるのではないかと思います。こういう書籍なので、数か月前に本書の出版がアナウンスされたとき、既視感ともいうべきものがありました。書くべき人が書き、出るべき内容の書籍が出た、そして題名まで既視感を感じてしまうものがありました。題名からはボエティウス『哲学の慰め』が連想され※1、これもまた、想定されていたかのように感じられました。
そうして実際に読了してみると、実はもう何年も前に読んでて、今回これが再読なのではないか?と思ってしまう程馴染む内容で読みやすく(『アレクシアス』を読んでいるからかも知れませんが)、著者の術中にすっかりはまってしまっていることに気づくことになった次第です。
『アレクシアス』日本語版の実物がなければ、本書の効果も限定されたものになったかも知れません。しかし今や、本屋や図書館にいけば日本語版が置いてあり、本書各所で出典が記載されていることで、容易に内容を確認できます。これは画期的なことです。
高校時代橋口倫介『中世のコンスタンティノープル』を読んだわけですが、この本では、アンナの著書を「ビザンティン文学史上最高の傑作」(p70)と書いている一方、「いろいろな欠陥や、彼女の傲慢さ、衒学癖が批判されている」(p68)とも書いてあり、高校生目線からすると、ヘロドトスやトゥキディデス、中世「ニーベルンゲンの歌」も岩波文庫に入っているのに、ビザンツ文学の日本語訳はひとつもないのを見ると、大した作品じゃないのでは?と思ってしまったところがあったのではないか、と思うわけです。しかし今や、高校生がいきなり『アレクシアス』を読むのは無理としても、本書を読んで興味を持った場合、書店や図書館で、『アレクシアス』の現物を確認できる時代になりました。読まずとも、実物を実見するだけでもインパクトが違います。そうして知ることができるのです、「いろいろな欠陥や、彼女の傲慢さ、衒学癖」なんて批判は、エヴェレストとK2(ゴッドウィンオースティン)を比較してあれこれ言うような、一般の水準をはるかに越えたレベルの話であって、そもそも中世の著作物に現代の基準を持ち込んで近代的だから良い・近代的でないから悪い、というような批判は、圧倒的な著述力で繰り広げられる、900年前の西アジアの一角に生きた人々の行いに向かい合う一般読者にとっては、それこそ「衒学的」であると
『アレクシオス』は、必ずしも通読する必要はない書籍です。各巻や各章が独立した記載であるため、むしろ、本書『歴史学の慰め』のような各種歴史書を読みながら、「さて、当時の世界は実際どうだったのだろうか」と、当時の世界を覗くための窓として都度利用する、というようなスタイルが適しているように思えます。読者は、アンナの目を通して当時の世界にタイムスリップできるのです。『歴史学の慰め』という最適な旅行ガイドを手にしながら
とはいえ、そうはいっても『アレクシアス』が「歴史書」を名乗っている以上、史料として扱った場合にどうなのか、も知りたいところで、その点が詳述されているのが本書の第二部の第四章です。
ここでは井上氏が『アレクシアス』の記述を分析しています。歴史学者の史料読解の実例として、史学科を志望する受験生等には非常に参考になる内容なのではないかと思います。それまでの三章は、割と一般的な書籍解題内容で、『アレクシアス』がどのような書籍であるのかを解説しています。間違っているものと思いますが、個人的な印象では、第二部は本来三章までで終わっていたのではないか、と感じました。p170の第二部冒頭で、本書がどういう書籍なのかを問い、次の三章でこの問に対して、どういう書籍なのか、その特徴が語られており、更に第一章に「アンナと歴史学」※2、第四章に「アンナ・コムネナの歴史学」という同じような題名の章が再度登場していること、更に、第一部は各章ほとんど15-16頁(一部14/17頁)、第二部も1-3章は30-31頁で一定しているのにも関わらず、第四章だけが43頁あります。第四章はあとから構想されたか、或いは、事実上第三部的な内容として書かれたが、『アレクシアス』の「客観性」も特徴の一つには違いない、ということで紙幅も少ないことから第二部に併合されたのか、というような印象を受けました。他の章と比べた場合の頁の配分基調を変えてまでも書き込んだように見える第四章は、読み応えがあります。
第四章の論点は、アンナの主観性が論議されてきたことから、『アレクシアス』や「歴史書とはいえない文学作品」特有の論点だとの誤解も招きそうなので記載しますと、あらゆる文章や文書は主観的です。例えば、法律、財務諸表とか領収書などの文書史料は、改竄や捏造はあっても歴史書と違って個人の主観が入りにくいことから、歴史書(文章史料)よりも客観的だとされ、近代歴史学は、それまでの文章史料に代わって文書史料を基本対象に据えました(p263のランケはこの段階)。しかし20世紀後半からは、客観度が高いと思われていた文書史料であっても、社会の共同主観的(これを客観性という)なバイアス(法律と実体の乖離が発見される等)があり、逆に文章史料であっても、精査することで史実の断片(虚構を書いた側/読んで信じた側の心性など)を見出すことができる、と利用されるようになってきました(文学作品や聖人伝など)。個人の著作物が主観的、或いは個人の意見が出てくる著作が主観的で、没個性化した著作や集団の共同主観が客観的、という主客の単純化こそが、素朴実証主義であるわけです(素朴実証主義の定義は論者によって内容にずれが多いため、「素朴実証主義とは何か」的な学術論集なども出てきてもいいのではないかと思います)。
第二部冒頭(170)で、アンナは、ギボンに「冷静で客観的であるべき歴史書としては大きな欠陥」と評されている、とありますが、「冷静で客観的な歴史書」なんてものがこの世に存在しているのか、かつて存在していたのか、疑問です。彼の衰亡史、特にビザンツ時代の部分を読めば、ギボンは「自分が冷静かつ客観的であると思い込んでいる人」だとの印象を抱くばかりです(近代以降の歴史学論文であれば基本的に冷静で客観的であると思いますが例外もありますし、共同主観的なものは意識されにくく、なかなか乗り越えがたい点があります)。どんな歴史書であれあらゆる史料には主観要素はあるものとして解析するのが現代歴史学であるはずなので、アンナの史書の主観性が近代歴史学の場でことさら論議の的となってきたのであるとすれば、それは「近代」特有の現象なのではないかと思います。現在ではどの歴史書/史料であろうと同じであり、そこにあるのは主観性の度合いの相違だけです。
このように、第四章の内容は、特に「主観性の高い歴史書(というものがあるとすれば)」だけに該当する内容ではなく、あらゆる史料に該当する内容であり、歴史学の研究法の実践例を知る、という点でも非常に有用です(lectio difficilior probalilior(281)の登場した聖書の文献批判の概説書としては、『
捏造された聖書
』が有用です)。
最後に二三追記をして終わりたいと思います。
1.結婚後‐アレクシオス死没までの20年間については、第一部5章(75-89頁)の15頁しかないのが残念。子育てに忙しい期間だったと思われるため史料がまったくないのかも知れませんが
2.コムネノス朝時代の皇族の女性達の文芸サークルの全体像を追った論説としては、佐伯(片倉)彩那「アンナ・コムネナ『アレクシオス1世伝』の成立背景――12世紀コンスタンティノープルにおける女性の文学活動を事例に―― 」都市文化研究 (18) 2016年3月(PDF公開)が有用です。10世紀日本における女流文学の輩出が、道綱の母の親族関係周辺で生まれたのと同様(『王朝日記随筆集』(日本国民文学集7/河出書房/1956年)の解説p359)、『アレクシアス』も、孤立して出現したものではなく、多くの女性が関与した宮廷サークルの中で誕生したことがわかり、お薦めです。
3.アンナ(1083-1154/5)と同年代の、著作が現存する女性著作家に、西欧ではヒルデガルト(1098-1179年)、中国では李清照(1084-1155年)、日本だと『讃岐典侍日記』の藤原長子(1079-)がいて、ただの偶然だと思いますが、なにか同時代的現象に感じてしまいます
4.本書末尾でロンドン・パリ・ローマにもいったことがない、とありますが、その後に「(でもそれ以外の世界のほとんどは行ってるけどね)」と続く「故意の沈黙」があるのではないかと思いました。
※1ボエティウスという人は、反逆容疑で投獄された獄中で『哲学の慰め』を書いています。著者が本書で佐藤優『獄中記』に言及して「羨ましくて仕方がない」(132)などと書いているのを見て、本書が売れて巨額の印税を脱税すれば入れるかも?本書をせっせと宣伝して著者に巨額な印税が入るよう支援するべくレビューを書きました(嘘です)。
※2 この章ではアンナは歴史学とは無縁のままだった(180)とされていますが、論説「アンナ・コムネナ『アレクシオス伝』‐著者問題をめぐって‐」(『人文研究』54-2/2003年)p7において、『アンナ・コムネナの追悼文』では、アンナが歴史にも通じていたと伝える、と記載しています。追悼文の「歴史に通じていた」は、『アレクシアス』の著述活動のことを示しているのかもしれませんが、論説では続いて「序文の書き出し自体、ヘロドトスを意識した文章で、彼女が歴史学にも 造詣が深かったことを語っている。彼女が体系的な教育を受けたことは確かであろう」とあります。p180の記載との接続性について気になりました。
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歴史学の慰め:アンナ・コムネナの生涯と作品 Kindle版
皇女にして、西洋古代・中世でただひとりの女性歴史家
歴史学は何のためにあるのだろうか? 私たちがより良い未来を生きるためである。しかし辛い日々を送る者にとって、歴史学が生きる糧となることもあった。歴史学が男の学問だった西洋古代・中世にあって、アンナ・コムネナは、不幸な我が身への慰めを歴史学に見いだした。ビザンツ帝国中興の祖である父アレクシオス一世の治世を描いた『アレクシアス』は、こうして誕生した。
権威ある「緋色の生まれ」としての誇り。皇帝である父への敬愛。皇妃となっていたはずの人生。ヨハネス二世となる弟との確執。アンナは、政治や戦争といった公のことがらについて真実を伝えるのが歴史家の務めであることを承知のうえで、自身の人生や溢れくる思いまでも歴史書に盛り込んだ。
本書は、第一部でアンナ・コムネナの数奇な生涯を語り、第二部では、ビザンツ歴史文学の最高傑作と言われる一方で批判も受けてきた『アレクシアス』を、ビザンツの歴史学や歴史書の性格、ビザンツ知識人にとって歴史学とは何だったのかという文脈から分析する。そして、長らく指摘されてきた年代の誤りの謎や、世界の翻訳者たちが苦心してきた不可解な記述の謎をも考察していく。
歴史学は何のためにあるのだろうか? 私たちがより良い未来を生きるためである。しかし辛い日々を送る者にとって、歴史学が生きる糧となることもあった。歴史学が男の学問だった西洋古代・中世にあって、アンナ・コムネナは、不幸な我が身への慰めを歴史学に見いだした。ビザンツ帝国中興の祖である父アレクシオス一世の治世を描いた『アレクシアス』は、こうして誕生した。
権威ある「緋色の生まれ」としての誇り。皇帝である父への敬愛。皇妃となっていたはずの人生。ヨハネス二世となる弟との確執。アンナは、政治や戦争といった公のことがらについて真実を伝えるのが歴史家の務めであることを承知のうえで、自身の人生や溢れくる思いまでも歴史書に盛り込んだ。
本書は、第一部でアンナ・コムネナの数奇な生涯を語り、第二部では、ビザンツ歴史文学の最高傑作と言われる一方で批判も受けてきた『アレクシアス』を、ビザンツの歴史学や歴史書の性格、ビザンツ知識人にとって歴史学とは何だったのかという文脈から分析する。そして、長らく指摘されてきた年代の誤りの謎や、世界の翻訳者たちが苦心してきた不可解な記述の謎をも考察していく。
- 言語日本語
- 出版社白水社
- 発売日2020/7/15
- ファイルサイズ12571 KB
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商品の説明
著者について
京都大学文学部卒、同大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。大阪市立大学名誉教授。主要著訳書:『生き残った帝国ビザンティン』(講談社学術文庫)、『ビザンツ皇妃列伝――憧れの都に咲いた花』(白水Uブックス)、『ビザンツ 文明の継承と変容』(京都大学学術出版会)、『世界の歴史(11)ビザンツとスラヴ』(共著、中公文庫)、ヘリン『ビザンツ 驚くべき中世帝国』(共訳、白水社)、ハリス『ビザンツ帝国の最期』『ビザンツ帝国 生存戦略の一千年』(白水社)
登録情報
- ASIN : B08WC45WBR
- 出版社 : 白水社 (2020/7/15)
- 発売日 : 2020/7/15
- 言語 : 日本語
- ファイルサイズ : 12571 KB
- Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) : 有効
- X-Ray : 有効にされていません
- Word Wise : 有効にされていません
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- 本の長さ : 354ページ
- Amazon 売れ筋ランキング: - 261,498位Kindleストア (Kindleストアの売れ筋ランキングを見る)
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著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2020年8月15日に日本でレビュー済み
2023年2月18日に日本でレビュー済み
この本の主人公はアレクシアスを書いたアンナ・コムネナなのだから、やはり彼女の喜怒哀楽や中世の女性としては傑出したその知性を瑞々しく描いている。
その一方で著者は歴史家の立場から、何から何まで彼女を肯定的に捉えることはせず、弟に対して陰謀を企んだ可能性は十分高いことを示し、また彼女の性格のうちいささか陰湿にも取れる部分も載っている。
陰謀を企んだ彼女が弟により助命され、その著書が現代まで残ったことにより、名君ヨハネスの影が薄くなってしまっている印象は否めない。死の床につく父の指から指輪を抜き取り、遺志を継ぐために宮殿へ向かうヨハネスという感動的な場面は世にもっとよく知られてもいいと思うのだが。皮肉な話である。
その一方で著者は歴史家の立場から、何から何まで彼女を肯定的に捉えることはせず、弟に対して陰謀を企んだ可能性は十分高いことを示し、また彼女の性格のうちいささか陰湿にも取れる部分も載っている。
陰謀を企んだ彼女が弟により助命され、その著書が現代まで残ったことにより、名君ヨハネスの影が薄くなってしまっている印象は否めない。死の床につく父の指から指輪を抜き取り、遺志を継ぐために宮殿へ向かうヨハネスという感動的な場面は世にもっとよく知られてもいいと思うのだが。皮肉な話である。