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笑い (光文社古典新訳文庫) Kindle版
「笑い」を引き起こす「おかしさ」はどこから生まれるのだろうか。ベルクソンは形や動きのおかしさから、情況や言葉、そして性格のおかしさへと、喜劇のさまざまな場面や台詞を引きながら考察を進める。ベルクソンの主要著作群のなかで異彩を放つ、「ベルクソン哲学の可能性が最も豊饒に秘められた」、独創性あふれる思考の営み。ベルクソンの著作のなかでもっとも版を重ねたロングセラーを分かりやすい訳文と詳細な解説で読み解く
- 言語日本語
- 出版社光文社
- 発売日2016/6/20
- ファイルサイズ919 KB
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登録情報
- ASIN : B01KHBFF4W
- 出版社 : 光文社 (2016/6/20)
- 発売日 : 2016/6/20
- 言語 : 日本語
- ファイルサイズ : 919 KB
- Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) : 有効
- X-Ray : 有効にされていません
- Word Wise : 有効にされていません
- 付箋メモ : Kindle Scribeで
- 本の長さ : 239ページ
- Amazon 売れ筋ランキング: - 41,034位Kindleストア (Kindleストアの売れ筋ランキングを見る)
- - 141位光文社古典新訳文庫
- - 586位思想
- - 756位哲学・思想 (Kindleストア)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2023年11月4日に日本でレビュー済み
他の翻訳と比べて訳注の精度が高いと思う。
2024年3月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
哲学的だと嫌厭なしに、日本の精神性にも、生活を、支えるゆとりの必要性をかんじました。
日常、仕事や人間関係でも緊張や常套文句ばかりだと、感情不和は免れません。
緊張と緩和による話題、コンプライアンスとか重きを置かず、伸び伸びとしたゆたかさ、発想の貧困化著しい現代において、コミュニケーションをより人間性豊かにするには、こういった心理的刺激無くして成り立たないようにおもいました?
日常、仕事や人間関係でも緊張や常套文句ばかりだと、感情不和は免れません。
緊張と緩和による話題、コンプライアンスとか重きを置かず、伸び伸びとしたゆたかさ、発想の貧困化著しい現代において、コミュニケーションをより人間性豊かにするには、こういった心理的刺激無くして成り立たないようにおもいました?
2016年7月3日に日本でレビュー済み
一口に笑いといってもいろいろある。愛想笑い、微笑、エイフェックス・ツインの邪悪な笑いまで。このテーマは限りなく範囲が広く、手の付け難いものだと思う。ベルクソン『笑い』ではそれを絞って議論がなされる。論旨は直截・明快。深みには入っていかない。
内容は現物を見て確かめられたし。なお、平凡社ライブラリー版にはフロイトの「不気味なもの」とジリボンの「不気味な笑い」が併録されている。ジリボンの論文ではカフカやラヴクラフトまでも登場するので、親しみやすいと思う。解釈も大切。
内容は現物を見て確かめられたし。なお、平凡社ライブラリー版にはフロイトの「不気味なもの」とジリボンの「不気味な笑い」が併録されている。ジリボンの論文ではカフカやラヴクラフトまでも登場するので、親しみやすいと思う。解釈も大切。
2016年6月29日に日本でレビュー済み
しなやかで、たえず動いている我々の身体や動作が、ちょっとした「こわばり(硬直性)」を見せる時、それが「おかしなもの」に感じられるというのが、ベルクソンの名著『笑い』の中心テーゼである。悲劇と喜劇の違いなど、本書は本当に豊かな内容に満ちており、私は学部の学生のとき、岩波文庫の林達夫訳を読んで感嘆した覚えがある。名訳で鳴る林訳は、1938年以来だから、かくも長く読まれてきたわけだが、最近、新訳が二つ出たことを喜びたい。それらを比べてみよう。衣服は、身体に合わないときだけでなく、昔の流行なども、ただちに笑いをもよおすという有名な箇所。「着物」という林訳の訳語が、何とも古く感じられるのが面白い。竹内信夫訳も増田靖彦訳も、流れのあるとてもよい日本語だ。/林訳「ここに至って、着物がおかしなものになるのがいかに容易であるかがわかる。流行はどれもみなどこかにおかしなところがあると言って、差支えないであろう。ただそれが現在の流行である際には、着物がそれをつけている人たちと全く一体をなしていると思われるくらいに、それに我々が慣れているだけである。」/竹内訳「そうなると、身につけている服が滑稽なものになるというのが、どれほどたやすいことであるかも理解できるだろう。あらゆるファッションは、どこかおかしなものである、と言っても的外れではないことになろう。ただ、現在流行のファッションに関してだけは別で、われわれがそれに慣れっこになっているために、流行の服はそれを着ている人と一体をなしているように思われる。」/増田訳「だとすれば、衣服が笑いをもたらすものになるのはどれほどたやすいかということも簡単に察することができる。どのような流行にもどこか笑いを禁じえない側面があると言っても差支えないだろう。ただ、それが現在の流行である場合は、わたしたちがそれにあまりにも慣れてしまっているために、衣服とそれを着ている人とが一体になっているようにみえる、というだけだ。」
2022年5月8日に日本でレビュー済み
例えて考えてみよう。この世は宇宙含め素粒子で出来ている。どこからどこの口角が上がって、どこからどこまで心が惹かれたら笑いになるのか?機械と人間での相違間で笑いとなり、緊張が緩んだら笑いとなると言うが、その位置まで自らを導く「心」は宇宙物質なのだから、宇宙物質の「心」をトップに置いての議論がなされるのかなと思いきや、2番煎じの「体」から考える「心」を元に論じている。心から始まらなければ意味ないのだよ。
2020年2月6日に日本でレビュー済み
"笑いはこの泡のように生まれるのだ。それは社会生活の外面において、軽い謀反のあることを告知する。それはそれらの動揺の流動的形態を即座に描き出す。それもまた塩分を含んだ泡である"1900年発刊の本書は"生の哲学者にしてノーベル賞受賞者である著者が古典喜劇を題材に【笑いの要素や社会的有用性】を哲学的に論じた刺激的一冊。
個人的にはドイツ系哲学者の論理的で隙のない文章は確かにわかりやすくも多少の息苦しさも覚える為に癒し的に度々手にとってしまうのが『生命の跳躍(エラン・ ヴィタール)』も有名な著者作なのですが。この本に関してはまだ未読だったので今回手にとりました。
さて、そんな本書はまず人々が笑いを好む事に着目して、笑いの発生には【人間的であること、無感動・無関心、関係性が必要な事】を指摘したり、社会全体が緊張をもって次第に均衡的な流動性や優美さを求め、その延長として【普遍的、個別性のある芸術】があるのと反対に笑いは機械的ぎこちなさを『繰り返し』『関係ない事柄の交差』『言葉の創造』といった形で類型的、反復できる事で【社会的放心として有用な機能を果たしている】事を述べているわけですが。当時においては非常に先駆的な内容だとは思いますし、相変わらず美しい文章ですが。その読後感は【率直に言って難解】です。(モリエールの古典喜劇を知っているのが前提な感じですし。。)
とは言え、著者が【楽しみながら本書を書いている】ような印象が時間を超えて文章から伝わってくるような感覚は割と意外で新鮮でしたし、また題材にしている古典喜劇を【無理やり吉本新喜劇のお笑いに置き換えて】本書をやわらかくイメージしながら読み直すと、何となくではありますが私なりに咀嚼できた気がしたり。ええ何となくですが(笑)
笑いの積極的効果に【いち早く着目した本】として、しばしば引用される一冊として。またお笑いについて哲学的にうんちく話をしたい方にもオススメ。
個人的にはドイツ系哲学者の論理的で隙のない文章は確かにわかりやすくも多少の息苦しさも覚える為に癒し的に度々手にとってしまうのが『生命の跳躍(エラン・ ヴィタール)』も有名な著者作なのですが。この本に関してはまだ未読だったので今回手にとりました。
さて、そんな本書はまず人々が笑いを好む事に着目して、笑いの発生には【人間的であること、無感動・無関心、関係性が必要な事】を指摘したり、社会全体が緊張をもって次第に均衡的な流動性や優美さを求め、その延長として【普遍的、個別性のある芸術】があるのと反対に笑いは機械的ぎこちなさを『繰り返し』『関係ない事柄の交差』『言葉の創造』といった形で類型的、反復できる事で【社会的放心として有用な機能を果たしている】事を述べているわけですが。当時においては非常に先駆的な内容だとは思いますし、相変わらず美しい文章ですが。その読後感は【率直に言って難解】です。(モリエールの古典喜劇を知っているのが前提な感じですし。。)
とは言え、著者が【楽しみながら本書を書いている】ような印象が時間を超えて文章から伝わってくるような感覚は割と意外で新鮮でしたし、また題材にしている古典喜劇を【無理やり吉本新喜劇のお笑いに置き換えて】本書をやわらかくイメージしながら読み直すと、何となくではありますが私なりに咀嚼できた気がしたり。ええ何となくですが(笑)
笑いの積極的効果に【いち早く着目した本】として、しばしば引用される一冊として。またお笑いについて哲学的にうんちく話をしたい方にもオススメ。
2016年9月24日に日本でレビュー済み
ベルクソンの新訳が続々と出ている。『笑い』で言えば、岩波文庫、白水社の新旧全集版、平凡社ライブラリー、ちくま学芸文庫、本書と実に6種類ある。『笑い』はベルクソンの他の著作とは違い、内容的にはさほど難解でもないので、あまり評判の良くない岩波文庫の林達夫訳でも評者は苦にならないが、より読み易いに越したことはない。本シリーズに加わったことを喜びたい。ただし、比較的平易な本書も深く吟味するにはベルクソン哲学の理解は欠かせない。「ベルクソンによるベルクソン入門」とも言われる『精神のエネルギー』や『思考と動き』との併読を薦めたい。
ベルクソンによれば、「笑い」とは「しなやか」であるはずの生の表面を覆う「自動的」なものや「機械的」なものへの反射的なリアクションである。習慣、癖、反復、惰性、形式、類型、常識、等はいずれも自由な精神の働きを妨げ、それがもたらす「ちぐはぐ」な感じが「笑い」を生む。「生の飛躍(エラン・ヴィタール)」を重んじるベルクソンにとって、それは生の硬直化(こわばり)であり否定的なものでしかない。だから「笑い」という「罰」によって是正されなければならない。笑う者も笑われる者も、ともすれば陥りがちな生の硬直化を反省する契機が「笑い」であり、喜劇の意義もそこに見出される。
「笑い」という現象の一面をついた興味深い仮説だが全面的には首肯し難い。ベルクソンは悲劇を典型的な芸術だと見做すが、喜劇は悲劇の特権性を際立たせるネガとしての位置付けしか与えらない。生命と機械、精神と身体、自由と必然、一回性と反復、個性と類型、創造と模倣・・・こうした二元論を前提に、前者を悲劇、後者を喜劇の特質だとするのだが、そもそも優れた芸術にあってはそれらが対立しながら統一しているはずだ。でなければ一回性を本質とする「生の飛躍」を作品として固定化すること自体が無意味になる。悲劇であれ喜劇であれ、繰り返し演じられそれが観客を魅了するのは、卓越した演技は機械的でありながら流れるような生命の躍動感に溢れているからだ。演技とは必然性の自覚のうちに自由を見出すことに他ならない。「笑い」についてユニークな卓見に満ちた本書も、芸術論、ことに演劇論として片手落ちの感は否めない。
ベルクソンによれば、「笑い」とは「しなやか」であるはずの生の表面を覆う「自動的」なものや「機械的」なものへの反射的なリアクションである。習慣、癖、反復、惰性、形式、類型、常識、等はいずれも自由な精神の働きを妨げ、それがもたらす「ちぐはぐ」な感じが「笑い」を生む。「生の飛躍(エラン・ヴィタール)」を重んじるベルクソンにとって、それは生の硬直化(こわばり)であり否定的なものでしかない。だから「笑い」という「罰」によって是正されなければならない。笑う者も笑われる者も、ともすれば陥りがちな生の硬直化を反省する契機が「笑い」であり、喜劇の意義もそこに見出される。
「笑い」という現象の一面をついた興味深い仮説だが全面的には首肯し難い。ベルクソンは悲劇を典型的な芸術だと見做すが、喜劇は悲劇の特権性を際立たせるネガとしての位置付けしか与えらない。生命と機械、精神と身体、自由と必然、一回性と反復、個性と類型、創造と模倣・・・こうした二元論を前提に、前者を悲劇、後者を喜劇の特質だとするのだが、そもそも優れた芸術にあってはそれらが対立しながら統一しているはずだ。でなければ一回性を本質とする「生の飛躍」を作品として固定化すること自体が無意味になる。悲劇であれ喜劇であれ、繰り返し演じられそれが観客を魅了するのは、卓越した演技は機械的でありながら流れるような生命の躍動感に溢れているからだ。演技とは必然性の自覚のうちに自由を見出すことに他ならない。「笑い」についてユニークな卓見に満ちた本書も、芸術論、ことに演劇論として片手落ちの感は否めない。
2019年12月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「笑い」の研究には、アリストテレス以来多数の先行研究があることを教えられた。
この本は、豊富な実例を挙げて、笑いの実相を解き明かしている。なるほど、と納得しながら読んだ。
芸術のエッセンスを説明するところ(pp.200-202)はすぐれた分析である。
笑いと人生そのものの共振を感得させる指摘が多く、共感した。
この本は、豊富な実例を挙げて、笑いの実相を解き明かしている。なるほど、と納得しながら読んだ。
芸術のエッセンスを説明するところ(pp.200-202)はすぐれた分析である。
笑いと人生そのものの共振を感得させる指摘が多く、共感した。