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訂正可能性の哲学 ゲンロン叢書 Kindle版
- 言語日本語
- 出版社株式会社ゲンロン
- 発売日2023/9/1
- ファイルサイズ2055 KB
- 販売: Amazon Services International LLC
- Kindle 電子書籍リーダーFire タブレットKindle 無料読書アプリ
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出版社より
「哲学とはなにか、と問いながらこの本を書いた」
「本書は、五十二歳のぼくから二十七歳のぼくに宛てた長い手紙でもある──」
世界を覆う分断と人工知能の幻想を乗り越えるためには、「訂正可能性」に開かれることが必要だ。ウィトゲンシュタインを、ルソーを、ドストエフスキーを、アーレントを新たに読み替え、ビッグデータからこぼれ落ちる「私」の固有性をすくい出す。『観光客の哲学』をさらに先に進める、『存在論的、郵便的』から四半世紀後の、到達点。
もくじ
第1部 家族と訂正可能性
‐
第1章 家族的なものとその敵
第2章 訂正可能性の共同体
第3章 家族と観光客
第4章 持続する公共性へ
-
第2部 一般意志再考
第5章 人工知能民主主義の誕生
第6章 一般意志という謎
第7章 ビッグデータと「私」の問題
第8章 自然と訂正可能性
第9章 対話、結社、民主主義
-
おわりに
文献一覧
索引
商品の説明
著者について
登録情報
- ASIN : B0CHF1QM5D
- 出版社 : 株式会社ゲンロン (2023/9/1)
- 発売日 : 2023/9/1
- 言語 : 日本語
- ファイルサイズ : 2055 KB
- Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) : 有効
- X-Ray : 有効にされていません
- Word Wise : 有効にされていません
- 付箋メモ : Kindle Scribeで
- 本の長さ : 336ページ
- Amazon 売れ筋ランキング: - 15,791位Kindleストア (Kindleストアの売れ筋ランキングを見る)
- - 250位思想
- - 314位哲学・思想 (Kindleストア)
- カスタマーレビュー:
著者について
1971年東京生まれ。批評家・作家。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。株式会社ゲンロン創業者。専門は哲学、表象文化論、情報社会論。著書に『存在論的、郵便的』(新潮社、第21回サントリー学芸賞 思想・歴史部門)、『動物化するポストモダン』(講談社現代新書)、『クォンタム・ファミリーズ』(新潮社、第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』(講談社)、『ゲンロン0 観光客の哲学』(ゲンロン、第71回毎日出版文化賞 人文・社会部門)、『ゆるく考える』(河出書房新社)、『ゲンロン戦記』(中公新書ラクレ)ほか多数。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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私は自然科学系の研究者ですので、自分の日頃の仕事に沿わせながら本書を読んでいました。自然科学の知見はいずれも訂正可能な仮説であり、その仮説を少しでも良い方向に「訂正」するために必要な小さな発見を積み重ねるのが研究者の日常ですので、本書の特に第一部の記述は、私共が仕事の中で無意識に従っている思考や動機を適切に概念化・可視化して説明してくれているものと感じられました。訂正可能性が作動するために必要な条件として本書で挙げられている遡行的な再解釈、開放性と閉鎖性の対立、観光客的な立場、誤配(つなぎかえ)、家族の属性である強制性・偶然性・拡張性などは、いずれも科学研究者の共同体とその働きの中に対応物を見出すことができます。本書を通して、今までにほとんど考えたことのないような視点から自分の日々の仕事を見直してみることができ、またそれが生きていく上での励みになるように感じました。これは私のような専門外の者が哲学書を読むことの意義であると思います。
しかしながら本書の中では、訂正可能性を担うものとして、自然科学やそれに従事する研究者の共同体についてはまったく言及されていません。訂正可能性が発現する契機として民主主義や公共性の問題が本書では深く掘り下げられていますので、それらと並行した歴史を持つ科学の意義に関しても何かしら論じられていても良さそうなものですが、むしろ本書のあとがきでは、自然や人間社会の規則に対して訂正可能性を実装する役割を持つ哲学に対して、科学はあくまでその外側から規則の成り立ちや作用機作を明らかにするものとだけ位置づけられているように見えます。本書を読み終わってこの点がやや意外に感じられました。
生身の人間が偶発的な試行錯誤を繰り返しながら、人工知能民主主義の幻想を本質的にどう乗り越えるか。西洋系哲学史観の要所を凝縮して、「訂正可能性の哲学」という著者独自の観点から論じる。怒涛の風波に圧されて断崖絶壁に追い詰められた緊迫感とそれに挑む気迫を覚える。
ウィトゲンシュタインの前期「論理哲学論考」と後期「哲学探究」の位置付けは、象徴的な提示だ。「訂正可能性」という用語に、当初「おやっ?」と感じるが、前著「観光客の哲学」の「観光客」に込められた意味と同じく、リアルにイメージが湧きやすい深みのある比喩表現だ。
怒涛の勢いを増す超生成系AIの潮流とその根本的課題を学ぶうえで、著者独自の視座が貫かれた貴重な「哲学」書だ。
人と人とのコミュニケーション、あるいはその前提となる共通理解はいかにして可能か。それは「誤配」であり、分かり合えるのは偶然に過ぎず、確実な根拠などないとデリダは言う。しかしともかく手紙は配達され、開封され、そして読まれる。「誤配」と判明しない限りコミュニケーションは何の問題もなく継続される。不思議と言えば不思議だが、まずはその事実を受入れるところから始めよう。こうした構えは郵便本に既に潜在していた。
ウィトゲンシュタイン的に言えば、言語ゲームのルールは記述され得ないが、事実としてゲームは遂行される。「家族」という概念も同じで、根拠はよくわからないがともかく人々に受け入れられるある種の関係性のメタファーだ。底の抜けた関係性であったとしても、そこからしかコミュニケーションも社会も始まらない。関係の自明性は常に不確実性にさらされる。でもだからこそ「訂正可能」であり、それを許容する開かれた態度が必要になる。これは未来の予定調和を暗に想定するポパーの「反証可能性」とは似て非なるものだ。「熟議」ではなく「喧噪」に民主主義の可能性を探るのも、冷たい合理性より素朴な実感の方がはるかに頼りになる、それが東が自らの社会実践から得た確信であるからだろう。
「脱構築」と言いながら、デリダがそうであったように浅田はあくまで「脱」に加担する。「逃走せよ!」と煽りつつ何処へ逃げるかを示さない。逃げる場所があると脳天気に信じる古典的左翼よりはましだが、浅田の意図がどうあれ、結局は負けを前提とした悪あがきのポーズを演じたに過ぎず、そういうものとしてニューアカデミズムは消費された。それに比べて「訂正可能性」は実に平凡ではあるが、はるかに大人の哲学だ。「脱」を許容しつつも、遡行的に見出された「構築」を謙虚に受け止め、熱くそしてまたユルく社会にコミットする。それはネット社会がもたらす分断とデジタル民主主義のシニシズムに抗する東浩紀の取り合えずの到達点だ。
プラトン、ルソー、アレントはじめ古代から現代の哲学者を総動員(=アベンジャーズ)して、今席巻するハラリ、落合陽一、成田悠輔はじめとする人工知能民主主義(=サノス)という強敵に抗う様はマーベル映画のようでスリリングでした(特にルソーの解釈が面白かったです)。集大成を書き上げた著者の新フェーズに期待します。
わかり易く 解説されていて 哲学の教科書としても とても参考になりました
それにしても 人工知能民主主義って怖いですネ
はじめて シンギュラリティって聞いたとき まさか コンピュータが 人を超えることなんて無いだろうと想ってましたが 生成AIなんて出てくると
人が わざわざ コンピュータに歩み寄って 感情など持たず コンピュータより 成り下がることは
あるのかなぁ なんて考えます😱
・共産主義も自由主義も保守もリベラルも結局は、家族という概念をもとに作られている。
・どの家族的な集団にも独自に成立しているルールが存在しており、時折その規則は偶然によって訂正されうるものである。
・アルゴリズムによって、一般意志が決まってしまう人工知能民主主義の危険性は、民意が固定化しまい訂正不可能なところになる。
ポピュリズム、民衆主義の暴走、フェイクニュースとインターネットや民主主義の限界を問いたくなる現代だからこそ、その可能性について考え続けたい。そのきっかけを本書は与えてくれる。
余談であるが、当時、大学二年生だった私は一般意志2,0を読んで、社会学を勉強していた僕はインターネットやデータサイエンスの可能性に胸を膨らませてIT業界に進んだ。
そんな私にとっては、東が時間が経った今、現代における一般意志はどのように形成されるべきなのかは
とても気になる話であり、その期待を大きく超える内容だった。
個人的には著者の本には共感を覚えることが多いことから本書についても手にとりました。
さて、そんな本書は『友』と『敵』の観念的な対立に支配された状況から、そのどちらにも分類できない"中途半端な"存在『観光客的な連帯』こそが脱出の鍵となり、その新たな連帯のモデルは『家族』に求められると主張した2017年に出版した『観光客の哲学』を引き継ぎ、プラトンやウィトゲンシュタイン、クリプキ、アーレントなとを横断しながら『家族』を閉ざされた関係ではなく【訂正可能性に支えられる持続可能な共同体】として再定義する第一部。
そして、同じく2011年に出版した『一般意志2.0』の主題を引き継ぎ、近代民主主義の出発とされるジャン=ジャック・ルソーの思想、彼が『社会契約論』で提起した『一般意志』まで遡って、現代世界が直面する民主主義の危機、新たに誕生した人工知能民主主義がルソーの理想を引き継ぎつつも【結局は実現できないので、現実の厄介さを引き受け構想されるしかない】と結ぶ二部で構成されているのですが。
全体的に、本来ならもっと複雑であろう内容や議論をあえて意図的に、わかりやすさを引き受けて書いてくれているので。とても読みやすくも【解釈のアクロバティックさ】に知的好奇心を刺激されました。
また、2010年の総括的な話としても、主に二部で語られるユヴァル・ノア・ハラリや、落合陽一、成田悠輔の著作や思想には『人類への過信』もしくは逆にデータ至上主義の『人間性の欠如』どちらにも危うさを感じていたので。個人的には【膝を打つような読後感】でした。
現代社会や民主主義を考える補助線に、また読書会の課題本としてオススメ。
社会契約というか自然状態というのは文化人類学の成果で明らかなように啓蒙思想の時代の学者たちの思考実験に過ぎないのですから、一歩引いた視点で見てもいいのかもしれません。もちろんヨーロッパと未開社会では違いますが。
啓蒙思想の本は少ししか読んだことがありませんが、理解するにはローマ帝国の歴史を知っていた方がよさそうでした。今は塩野七生の本がありますので困らないでしょうが。