本書は、ここ10年で最も重要な文献ではないかと思います。
本書で取り上げる議論は、功利主義を詳細に検討してきた哲学系の議論と、期待効用理論ベースの
ゲーム理論と、人間の利他性を説明しようとする進化心理学系の議論がメインで、近年の数理モデルだ
ったり進化心理学系の議論から社会を説明しようとする系列のものと思われるかもしれません。
が、実は伝統的【社会学】にとって超重要。
検討される合理性の道具的把持とは、合理性が行為を介して何らかの目的を達成するための「手段」と
される考え方で、これによれば、行為それ自体を目的としたものを分析できないと指摘しています。
数学的に合理的行為をモデル化できるような状況から組み上げて複雑な社会的相互作用環境における
行為を説明しようとするのは倒錯であって、実際には合理的行為としてモデル化されたものそれ自体が、
複雑な社会的相互行為状況から複雑さを切り詰めて取り出されたものなのだから、説明の順序が倒立し
ている、という主張です。
その過程で、近年の進化心理学的な社会行為への説明にも反論しています。
もちろん、非常に難解なので、私自身、理解したとは到底言えず、再読精査の必要を感じ中。
それでも、道具的合理性の哲学的基礎やゲーム理論、自然主義的パースペクティブなどを批判的に検討
する中から「模倣的規範同調性」に焦点を合わせていく全体の構成は、構成としても主張内容としても、
功利主義を検討するところから主意主義を抽出してきたパーソンズの『社会的行為の構造』とパラレルで
す。道具的合理性の限界を照らす部分では、明らかにパーソンズの二重の偶有性問題と同型の問題を
指摘していもいます。
本書の批判的検討と主張内容は、熟読玩味の必要は依然としてありますが、伝統社会学が、経済学的
数理モデルだったり脳科学・進化心理学系の議論と互していくための必須のものではないか、と。
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ルールに従う―社会科学の規範理論序説 (叢書《制度を考える》) 単行本 – 2013/2/8
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社会科学においてもっとも基礎的な問題である規範問題について、哲学、社会心理学的実験、進化理論、社会学や経済学の知見を用いて基礎理論を構築する。社会科学を統合するまったく新しい試み。
- 本の長さ564ページ
- 言語日本語
- 出版社NTT出版
- 発売日2013/2/8
- 寸法15.8 x 3.4 x 21.8 cm
- ISBN-104757142366
- ISBN-13978-4757142367
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商品の説明
著者について
【著者】ジョセフ・ヒース
トロント大学准教授(哲学&公共政策)。
著書に『資本主義が嫌いな人のための経済学』(NTT出版)がある。
【訳者】瀧澤弘和(たきざわ・ひろかず)
中央大学経済学部教授。
共訳書に『比較制度分析に向けて 新装版』『市場を創る』(ともにNTT出版)がある。
トロント大学准教授(哲学&公共政策)。
著書に『資本主義が嫌いな人のための経済学』(NTT出版)がある。
【訳者】瀧澤弘和(たきざわ・ひろかず)
中央大学経済学部教授。
共訳書に『比較制度分析に向けて 新装版』『市場を創る』(ともにNTT出版)がある。
登録情報
- 出版社 : NTT出版 (2013/2/8)
- 発売日 : 2013/2/8
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 564ページ
- ISBN-10 : 4757142366
- ISBN-13 : 978-4757142367
- 寸法 : 15.8 x 3.4 x 21.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 208,589位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 230位経済思想・経済学説 (本)
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- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2014年9月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
行動経済学に興味のある人であれば、おもしろく読めると思います。かなり歯ごたえはあります。訳文は良心的で読みやすい方だと思います。かならずしも原語が示されているわけではないので、アメリカのAMAZONで原著も購入しました。言語論的合理論の立場の書作なので、経験論者にとってはときどき腹の立つ記述もあります。
2020年8月10日に日本でレビュー済み
本書は経済学者の瀧澤弘和氏によって翻訳された経済学書である。瀧澤氏はベストセラー『現代経済学―ゲーム理論・行動経済学・制度論』(中公新書)を著している。著者のヒースは、『資本主義が嫌いな人のための経済学』(NTT出版)も著している。
従来の経済学が‘期待効用’を基に理論を組み立てているとすれば、本書は‘ルールに従う’ことを基にして理論を組み立てている(日本語版に寄せて p.iv)。ではどういうルールかというと、副題にあるように「Practical Reasoning and Deontic Constraint」となる。
1.Practical Reasoning(実践的理由付け)
「原因」と「理由」は区別されるべきである。厳密な物理法則によって決まる因果関係は「原因」を使用するが、人間の行為のように物理法則によって説明できず、行為が成された後、行為の正当化のために与えるものが「理由」である。アメリカの分析哲学者セラーズは自然科学的な論理が支配する「自然の論理空間」に対して、因果法則から相対的に自立した「理由」が支配する領域を「理由の論理空間」と呼んだ。
「理由の論理空間」はセラーズの後を引き継いだブランダムの推論主義によって、「理由を与え求めるゲーム」というアイデアとなる。4.6節は「理由を与え求めるゲーム」というタイトルになっている。もっともヒースはブランダムを全面的に支持してはいないようだが。
コミュニケーションの現場で「ルール」が成立する。それはアプリオリな道徳法則でもなく、物理的因果関係に基づく功利主義から派生するのでもなく、言語的な習慣・実践から捉えられる。私たちは日々の対人行動で、どうしてそうするのか互いに理由を与えあっている。彼はその理由にコミットしており、理由から生じる帰結に責任を負っている。そして彼はそのコミットメントを実行する資格が付与される。
「理由を与え求めるゲーム」の具体例となるので、ブランダムのスコア記録係(scorekeeper)というアイデアを紹介したい。AさんはBさんの規範的コミットの内容とその帰結を推論する。ブランダムは、この役割をスコア記録係と呼ぶ。また、BさんもAさんの行為に関してスコア記録係を務めれば、両者の言語ゲームの中に、規範的なルールが形成されることになる。「あなたはこのような時、いつもそうしますね。それが正しいと思っているのですね。私もそれが正しいと思いますので、私もそうすることにします。」といったところでしょうか。
2.Deontic Constraint(義務的制約)
繰り返すが、コミュニケーションの現場で「ルール」が成立する。義務的制約などといえばカントを連想するが、カントの倫理観は、何やら孤独な彼の独白といった印象である。そんな彼の倫理観を間主観的なダイアローグに変換させたのが、ハーバーマスのコミュニケーション的転回であった。彼の著書『コミュニケーション的行為の理論』にある「理想的な対話状況」など、現実にはありそうにもないが、人々のコミュニケーション的理性が認める規則や理由に基づいて合意されるものこそ民主的な基盤であると認めるのである。ヒースの発想は、このハーバーマスのコミュニケーション的理性に近い。
ハーバーマスは、概念や規範を実在するものと捉えるのではなく、コミュニケーション的行為の中で捉えようとするのだが、その都度のコミュニケーション状況ないし理由の論理空間を反映した多様な結論を容認するというより、普遍的な規範・正義を目指すことを前提に話し合われるのが良いとする。同じようにヒースも、幾つもの選好を容認するのではなく、こうすることが良いことだと義務的制約がかかるとする。
3.認知主義と非認知主義(第5章)
第5章は「選好の非認知主義」とタイトルされている。この非認知主義は認知主義と対になる用語で、これを理解すると本書も読みやすくなる。
【認知主義】;認知主義とは、選好の対象となる事実はそこにあり、それを認知しているとする⽴場である。従って真偽が問えることになる。
【非認知主義】;⾮認知主義とは、選好は事実を述べているのではなく、判断者の情動、欲求、賛意・不賛意といった態度を表しているにすぎないとする⽴場である。
ヒースは第5章の「選好の非認知主義」で、これを批判する(p.514)。従ってヒースは認知主義ということになる。ただし、初めからこうすることが正しい、これが正義だと決めつけてしまうような認知主義ではないところが、彼の理論を分かりにくくしている。
4.自然主義に‘ルールに従う’を加える(第6章)
人の行為を自然主義的に説明することが科学だとされることが多い。第6章に「社会生物学に抗して」という節がある(6.6節)。社会生物学などは、人類に備わった道具的合理性(自然科学的思考)や互恵的利他性を、進化の結果として直接に導こうとする。しかし、それには限界があり、‘ルールに従う’ことを生物学や生理学的説明に還元しきれるものではない。ヒースは、‘ルールに従う’ことには文化進化的な意味があるとする。
「われわれは‘ルールに従う’ことがたまたま(突然変異で)好きになった知的生物であるだけではない。‘ルールに従う’ことこそ、われわれを現在あるような知的動物にしたのである。(p.343)」と、この章がまとめられている。さらに、「ヒースは、自然主義的なパースペクティブを通して得られた以上の議論を道徳哲学に結びつけ、道徳哲学以上の含意を引き出そうとする。(p.518-9)」のだ。
正直ヒースが何をいいたいのか分からなくなることがある。そんな時、この要約が役に立てば幸いである。彼は真実に近づいていると思われる。本書はじっくりと読む価値がある。
従来の経済学が‘期待効用’を基に理論を組み立てているとすれば、本書は‘ルールに従う’ことを基にして理論を組み立てている(日本語版に寄せて p.iv)。ではどういうルールかというと、副題にあるように「Practical Reasoning and Deontic Constraint」となる。
1.Practical Reasoning(実践的理由付け)
「原因」と「理由」は区別されるべきである。厳密な物理法則によって決まる因果関係は「原因」を使用するが、人間の行為のように物理法則によって説明できず、行為が成された後、行為の正当化のために与えるものが「理由」である。アメリカの分析哲学者セラーズは自然科学的な論理が支配する「自然の論理空間」に対して、因果法則から相対的に自立した「理由」が支配する領域を「理由の論理空間」と呼んだ。
「理由の論理空間」はセラーズの後を引き継いだブランダムの推論主義によって、「理由を与え求めるゲーム」というアイデアとなる。4.6節は「理由を与え求めるゲーム」というタイトルになっている。もっともヒースはブランダムを全面的に支持してはいないようだが。
コミュニケーションの現場で「ルール」が成立する。それはアプリオリな道徳法則でもなく、物理的因果関係に基づく功利主義から派生するのでもなく、言語的な習慣・実践から捉えられる。私たちは日々の対人行動で、どうしてそうするのか互いに理由を与えあっている。彼はその理由にコミットしており、理由から生じる帰結に責任を負っている。そして彼はそのコミットメントを実行する資格が付与される。
「理由を与え求めるゲーム」の具体例となるので、ブランダムのスコア記録係(scorekeeper)というアイデアを紹介したい。AさんはBさんの規範的コミットの内容とその帰結を推論する。ブランダムは、この役割をスコア記録係と呼ぶ。また、BさんもAさんの行為に関してスコア記録係を務めれば、両者の言語ゲームの中に、規範的なルールが形成されることになる。「あなたはこのような時、いつもそうしますね。それが正しいと思っているのですね。私もそれが正しいと思いますので、私もそうすることにします。」といったところでしょうか。
2.Deontic Constraint(義務的制約)
繰り返すが、コミュニケーションの現場で「ルール」が成立する。義務的制約などといえばカントを連想するが、カントの倫理観は、何やら孤独な彼の独白といった印象である。そんな彼の倫理観を間主観的なダイアローグに変換させたのが、ハーバーマスのコミュニケーション的転回であった。彼の著書『コミュニケーション的行為の理論』にある「理想的な対話状況」など、現実にはありそうにもないが、人々のコミュニケーション的理性が認める規則や理由に基づいて合意されるものこそ民主的な基盤であると認めるのである。ヒースの発想は、このハーバーマスのコミュニケーション的理性に近い。
ハーバーマスは、概念や規範を実在するものと捉えるのではなく、コミュニケーション的行為の中で捉えようとするのだが、その都度のコミュニケーション状況ないし理由の論理空間を反映した多様な結論を容認するというより、普遍的な規範・正義を目指すことを前提に話し合われるのが良いとする。同じようにヒースも、幾つもの選好を容認するのではなく、こうすることが良いことだと義務的制約がかかるとする。
3.認知主義と非認知主義(第5章)
第5章は「選好の非認知主義」とタイトルされている。この非認知主義は認知主義と対になる用語で、これを理解すると本書も読みやすくなる。
【認知主義】;認知主義とは、選好の対象となる事実はそこにあり、それを認知しているとする⽴場である。従って真偽が問えることになる。
【非認知主義】;⾮認知主義とは、選好は事実を述べているのではなく、判断者の情動、欲求、賛意・不賛意といった態度を表しているにすぎないとする⽴場である。
ヒースは第5章の「選好の非認知主義」で、これを批判する(p.514)。従ってヒースは認知主義ということになる。ただし、初めからこうすることが正しい、これが正義だと決めつけてしまうような認知主義ではないところが、彼の理論を分かりにくくしている。
4.自然主義に‘ルールに従う’を加える(第6章)
人の行為を自然主義的に説明することが科学だとされることが多い。第6章に「社会生物学に抗して」という節がある(6.6節)。社会生物学などは、人類に備わった道具的合理性(自然科学的思考)や互恵的利他性を、進化の結果として直接に導こうとする。しかし、それには限界があり、‘ルールに従う’ことを生物学や生理学的説明に還元しきれるものではない。ヒースは、‘ルールに従う’ことには文化進化的な意味があるとする。
「われわれは‘ルールに従う’ことがたまたま(突然変異で)好きになった知的生物であるだけではない。‘ルールに従う’ことこそ、われわれを現在あるような知的動物にしたのである。(p.343)」と、この章がまとめられている。さらに、「ヒースは、自然主義的なパースペクティブを通して得られた以上の議論を道徳哲学に結びつけ、道徳哲学以上の含意を引き出そうとする。(p.518-9)」のだ。
正直ヒースが何をいいたいのか分からなくなることがある。そんな時、この要約が役に立てば幸いである。彼は真実に近づいていると思われる。本書はじっくりと読む価値がある。
2013年5月16日に日本でレビュー済み
本書の扱う問題は明快である
「なぜ人は、利己的に振舞うのではなく規範・制度・道徳に従って行動し、そのような社会を維持できるのか」
これは社会科学の基礎に対する根源的な問いであり、これまで多数の社会学者や哲学者によって考察されてきた。
本書は、そうしたさまざまな成果から、脳科学、心理学、経済学等の知見まで縦横無尽に使い、この問いに答えを与えていく。
ゲーム理論的な考えに対しては、帰結主義を批判しつつプロセスに対しても重み付けを行えるような手法を提案する。
本書では(なぜか)言及されていないが、アマルティア・センの 合理的な愚か者―経済学=倫理学的探究 で指摘されている議論をより精緻にした印象を受けた。
行為の背後に「意図」を置こうとする議論に対しては、現代哲学の成果を用いて、それが知覚における「センス・データ」と同様の誤りであることを論じる。
欲求や信念を確固とした、それ以上さかのぼれないものとしておくことなく、志向的状態としての理解を与えている。
規範や秩序の存在については、さまざまな進化ゲーム的な説明も過去には与えられている。
しかし、こうした議論は「なぜ他の霊長類では人間のような協力が見られないのか」に答えられない、と筆者は応答する。
筆者は「文化が与える権威」をカギとし、権威(例えば殉教者への尊敬のまなざし)のために人々が模倣するため、進化的に不利であってもそれが生き延びることはありうると論じる。
本書の議論は、盛山 制度論の構図 (創文社現代自由学芸叢書) と極めて相補的である。
本書が「なぜ規範・制度が存在し、維持可能か」を論じるのに対し、盛山書はそうした難問を迂回し「規範や制度の存在は認めつつ、それをどのように記述するべきか」を論じている。
この二冊はともに社会科学を志すならば避けては通れない本だとさえいえよう。
「なぜ人は、利己的に振舞うのではなく規範・制度・道徳に従って行動し、そのような社会を維持できるのか」
これは社会科学の基礎に対する根源的な問いであり、これまで多数の社会学者や哲学者によって考察されてきた。
本書は、そうしたさまざまな成果から、脳科学、心理学、経済学等の知見まで縦横無尽に使い、この問いに答えを与えていく。
ゲーム理論的な考えに対しては、帰結主義を批判しつつプロセスに対しても重み付けを行えるような手法を提案する。
本書では(なぜか)言及されていないが、アマルティア・センの 合理的な愚か者―経済学=倫理学的探究 で指摘されている議論をより精緻にした印象を受けた。
行為の背後に「意図」を置こうとする議論に対しては、現代哲学の成果を用いて、それが知覚における「センス・データ」と同様の誤りであることを論じる。
欲求や信念を確固とした、それ以上さかのぼれないものとしておくことなく、志向的状態としての理解を与えている。
規範や秩序の存在については、さまざまな進化ゲーム的な説明も過去には与えられている。
しかし、こうした議論は「なぜ他の霊長類では人間のような協力が見られないのか」に答えられない、と筆者は応答する。
筆者は「文化が与える権威」をカギとし、権威(例えば殉教者への尊敬のまなざし)のために人々が模倣するため、進化的に不利であってもそれが生き延びることはありうると論じる。
本書の議論は、盛山 制度論の構図 (創文社現代自由学芸叢書) と極めて相補的である。
本書が「なぜ規範・制度が存在し、維持可能か」を論じるのに対し、盛山書はそうした難問を迂回し「規範や制度の存在は認めつつ、それをどのように記述するべきか」を論じている。
この二冊はともに社会科学を志すならば避けては通れない本だとさえいえよう。
2013年2月26日に日本でレビュー済み
この本は、哲学の本ですが、経済学を含めた社会科学全般に関心がある方の必読本だと思います。
20世紀の社会科学は道徳性の問題を閑却し、基本的に信念と選好を持って合理的に意志決定する主体のみを考えてきました。社会秩序はこうした合理的主体のインタラクションによって説明されるべきものだと考えてきたのです。しかし、人間にとって道徳性は基本的なものであり、信念と選好の組み合わせで説明できるものではありません。逆に、人間の合理性は道徳性(正確には規範同調性)を人間が備えたことから説明されるべきものなのです。本書では、このことが哲学的観点からのみならず、最新の発達心理学、進化生物学などの知見を動員して説得的に説明してあります。
同著者の既刊本『 資本主義が嫌いな人のための経済学 』と比べ内容は高度だとは思いますが、訳者による解説・概要が本書の全体像を把握しやすくしているので、まずはこちらから読むとよいかもしれません。(私は解説・概要を読んだ後、本書が社会科学における重要な一冊になると分かりました。まだ完全には消化できていませんが…)
目次は当ページで確認できるので、ここでは概要を抜粋します。
「原理」を組み込んだ合理的行為の理論の構築(第1章‐第3章)
志向的状態の発生と選考の非認知主義に関する議論(第4章‐第5章)
規範的コントロールなしには合理的でありえない(第6章‐第7章)
意志の弱さと自己コントロールについて(第8章)
複雑な文化的人工物としての道徳(第9章‐第10章)
20世紀の社会科学は道徳性の問題を閑却し、基本的に信念と選好を持って合理的に意志決定する主体のみを考えてきました。社会秩序はこうした合理的主体のインタラクションによって説明されるべきものだと考えてきたのです。しかし、人間にとって道徳性は基本的なものであり、信念と選好の組み合わせで説明できるものではありません。逆に、人間の合理性は道徳性(正確には規範同調性)を人間が備えたことから説明されるべきものなのです。本書では、このことが哲学的観点からのみならず、最新の発達心理学、進化生物学などの知見を動員して説得的に説明してあります。
同著者の既刊本『 資本主義が嫌いな人のための経済学 』と比べ内容は高度だとは思いますが、訳者による解説・概要が本書の全体像を把握しやすくしているので、まずはこちらから読むとよいかもしれません。(私は解説・概要を読んだ後、本書が社会科学における重要な一冊になると分かりました。まだ完全には消化できていませんが…)
目次は当ページで確認できるので、ここでは概要を抜粋します。
「原理」を組み込んだ合理的行為の理論の構築(第1章‐第3章)
志向的状態の発生と選考の非認知主義に関する議論(第4章‐第5章)
規範的コントロールなしには合理的でありえない(第6章‐第7章)
意志の弱さと自己コントロールについて(第8章)
複雑な文化的人工物としての道徳(第9章‐第10章)
2015年3月3日に日本でレビュー済み
人はルールに従うが、それがどのように起こるのか、学術的に考察されている。物語調ではない。論文的である。
2014年1月1日に日本でレビュー済み
私は、この本の訳に興味を持ちました。
初心者である私は、読み応えとしてはたっぷりでしたが、訳がとてもわかりやすく読み超えました。
ありがとうございます。
初心者である私は、読み応えとしてはたっぷりでしたが、訳がとてもわかりやすく読み超えました。
ありがとうございます。