元・朝日新聞記者、雑誌「AERA」編集部勤務などを経て現在フリージャーナリストとして活動されている烏賀陽 弘道さんの著作。
目次は
第一章 新聞の記事はなぜ陳腐なのか
第二章 「断片化」が脳死状態を生んだ
第三章 記者会見は誰のためのものか
第四章 これからの報道の話をしよう
第五章 蘇生の可能性とは
となっています。
本当に抽象論で申し訳ないのですが、新自由主義的価値観が一般化したせいなのか、社会構造そのものの変質のせいなのか、実際には複数の要因が重なっているのでしょうが、日本社会には「自分の仕事に誇りを持つ」「仕事そのものを愛する」という姿勢が消失しつつあり、「仕事はあくまでお金を稼ぐための、または地位を得るための手段」「出る杭は打たれるのだから、安定した生活を守り出世をするためには、お上に楯つかず組織内の既成のルールに従うのは当然のこと」「自分ごときが何をやってもどうせ世の中は変わらない、リスクを冒しても仕方ない」という意識が主流となり、それが責任と覚悟を持って「生きる」ということの本質を深く考え、身を持って体現するという主体的能動的な姿勢が稀になり、そうした冷めたニヒリズムが新聞にもメディアにも政治にも表れてきているのではないかと感じます。
東京新聞さんなど地方の新聞社には骨のある報道をされるところもありますが、著者の在籍した朝日新聞社では、記者の仕事はおおむね体力的に過酷なルーチンワーク的なものであり、主体的に疑問を持ってそれを追求し読者に問題提起する記者はむしろ例外、しかもそうした姿勢は記者としての評価の対象ではなかったと言います。
本書のような著作は、「社会的地位の高い職業について、世の中から尊敬されて、経済的にも恵まれる」ことより「記事を書く」仕事そのものに充実を感じる絶滅危惧種フリー記者の烏賀陽さんだからこそ書くことができる貴重なものだと思います。
意識の高い人や報道の仕事に関係している方を除いて、一般生活者の多くは、報道機関の裏側事情には詳しくないのではと思います。かくいう私も数年前までは「記者クラブ」という制度の存在さえ知りませんでした。報道について意識し出したのは、本書でも紙幅を割いて言及されていますが、やはり3.11の福島原発事故以後のことです。
欧米には記者クラブのような制度はなく、そもそも基本的にジャーナリストは新聞社に固定で所属せず、フリーでやれる実力がないと務まらないということや、「政府や官庁のもつ公的情報へのアクセスを、私企業社員の親睦団体にすぎない記者クラブが制限する正当性はどう考えてもない」にも関わらず、旧型のメディア企業は独占的特権を守るために維持しているのです。
本日、「NEWS23」でアンカーを担当されている岸井成格さんが、番組内での安全保障法制批判によって、放送法に違反したと「放送法遵守を求める視聴者の会」という団体から意見広告を出され、TBS上層部に圧力がかかって、番組を降板させられるとの報道を目にしました。
岸井さんは、権力というそもそも宿命的に腐敗する悪魔的な力に対して健全な警戒心を持ち、それを臆することなく発信することのできる貴重なジャーナリストです。TBSは脊椎反射的に萎縮することなく、国民の目であり耳である報道機関としての見識を発揮していただきたい。長い目で見れば、ここで踏ん張って報道機関としての矜持を示せば国民の心の中にはTBSに対する信頼が残ります。国民の側も、このようなことで気骨のあるジャーナリストの力が殺がれることのリスクと、日本メディア全体の反政府的な報道の自粛という今後の悪影響が引き起こす事態の深刻さを自覚し、それぞれに適した形で意見を表明し、岸井さんの行って来られた誠実な報道姿勢に報いるべきです。報道の内容について声を挙げることは、こちらが思う以上に効果を発揮します。あの報道機関・番組は良い記事・特集をしているな、仕事に情熱を持ったいいジャーナリストがいるなと思ったらぜひどんどん声にしていきましょう。
Kindle 価格: | ¥594 (税込) |
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報道の脳死(新潮新書) Kindle版
なぜ「彼ら」はここまで無能で無力な存在になったのか。大震災と原発事故報道においても横並びの陳腐なネタを流し続けた新聞とテレビ。緊急時に明らかになったのは彼らの「脳死」状態だった。パクリ記事、問題意識の欠如、専門記者の不在……役立たずな報道の背景にあるのは、長年放置されてきた構造的で致命的な欠陥である。新聞記者、雑誌記者、フリーをすべて経験した著者だから下せる「報道の脳死」宣言。
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2012/4/15
- ファイルサイズ4324 KB
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出版社より
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25
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40
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価格 | ¥660¥660 | ¥594¥594 | ¥880¥880 |
【新潮新書】烏賀陽弘道 作品 | 知られざる「真の発明者」の存在から、原子力博士が通信カラオケを開発した事情まで。新事実続々、驚きと感動に満ちたカラオケ史の登場。 | 大震災、そして原発事故という事態において、大メディアの報道は陳腐で役立たずだった。「脳死状態」の原因である構造的で致命的な欠陥を鋭く指摘する。 | 「オピニオンは捨てよ」「主語のない文章は疑え」「妄想癖・虚言癖の特徴とは」──ポスト真実時代を生き抜くための正しい情報選別法を大公開! |
商品の説明
出版社からのコメント
【抜粋】 はじめに 「3.11報道」で見えた日本の報道の問題点は何でしょうか。「ポスト3.11」という新しい時代に、報道はどんな姿になるのがいいのでしょうか。そのためには何をすればいいのでしょうか。それを議論するための一つの視点を提供すること。それが私がこの本を書く目的です。 2011年3月11日に起きたM9・0の東日本大震災。それが引き起こした巨大津波。そして福島第一原子力発電所の暴走と、放出された放射能による広範囲にわたる放射能汚染。どれひとつとっても国や社会が想定しうる最高度の甚大クライシスです。これより深刻な危機は「戦争」「大規模テロ」ぐらいしかありません。 このクライシスをまとめて「3.11危機」あるいは単に「3.11」と呼びましょう。3.11は日本という国が維持してきた様々なシステムの問題を露呈しました。東京の中央省庁、地方行政、電力業界、学界など、数が多すぎて数えきれないほどです。地震の巣のような日本の上にある原子力発電所が、実は想像以上に脆弱であること。放射能の飛散予測、住民の避難など「万一」に備えた準備をしていない、あるいはしていてもほとんど役に立たなかったこと。その多くが論者の指摘と批判を受けていますので、ここでその全部を上げることはしません。 その中でも新聞やテレビを中心とした「報道」のあまりにも惨めな醜態の数々に、被災者だけでなく、読者・視聴者は激しく落胆し、怒りました。私は福島県の被災者に聞いて回って確かめましたが、報道が機能不全を起こしたために、とるべき行動がわからないまま放射性物質に被曝する実害まで起きています。こうした「報道が本来果たすべき機能を果たさないために、国民の生命や財産が大規模に毀損されること」を、私は「報道災害」と呼んでいます(詳しくは『報道災害 原発編』〔幻冬舎新書〕をご覧ください)。 東京の都心に家族と暮らす一人の市民として、私は放射性物質の影響から避難する必要があるのかどうか、3月11日以降、必死でテレビや新聞を注視しました。しかし結果は虚しかった。いくらそこに書いてあることを丹念に読み、スクラップして情報をつなぎあわせても、逃げるべきかどうか、わからないのです。私は新聞社に17年勤めた「ニュース記事をつくる側」の人間ですが、その私でもさっぱりわからないのです。一般の人々はもっと混乱したことでしょう。 結局、外国のニュース媒体のサイトや政府機関のウエブ、ネットラジオ、果てはツイッター、フェイスブックといったSNSまで連日ぐるぐるまわりようやく「どうやら東京から危急に脱出する必要はなさそうだ」という感触を得たのです。その判断の根拠になった多くは、外国の政府やニュース、SNSで知り合ったアメリカ人やヨーロッパ人が教えてくれた情報であり、日本の新聞やテレビは「存在してもしなくても同じ」くらいに不能でした。 私たちはもう、結論を出していいのではないでしょうか。「戦争にも匹敵する危機の中、市民が命をかけた判断をするときに、判断材料として役立たない報道に何の存在価値があるのだろうか」と。「存在価値はない」と。
著者について
烏賀陽弘道(うがやひろみち) 1963(昭和38)年生まれ。京都大学経済学部卒業後、朝日新聞社に入社。名古屋本社社会部、「AERA」編集部勤務などを経て2003年退社。以降、フリージャーナリストとして活動。著書に『カラオケ秘史』『朝日ともあろうものが』『報道災害 原発編』(共著)など。
登録情報
- ASIN : B00ASUXY3C
- 出版社 : 新潮社 (2012/4/15)
- 発売日 : 2012/4/15
- 言語 : 日本語
- ファイルサイズ : 4324 KB
- Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) : 有効
- X-Ray : 有効にされていません
- Word Wise : 有効にされていません
- 付箋メモ : Kindle Scribeで
- 本の長さ : 145ページ
- Amazon 売れ筋ランキング: - 399,468位Kindleストア (Kindleストアの売れ筋ランキングを見る)
- - 1,382位新潮新書
- - 14,050位社会学 (Kindleストア)
- - 14,794位社会学概論
- カスタマーレビュー:
著者について
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うがや・ひろみち
1963年1月京都市生まれ。
1986年、京都大学経済学部を卒業し朝日新聞社に入社。名古屋本社社会部などを経て1991年からニュース週刊誌「アエラ」編集部員。
1992~94年に米国コロンビア大学国際公共政策大学院に自費留学し、軍事・安全保障論で修士号を取得。
1998~99年にアエラ記者としてニューヨークに駐在。
2003年に早期定退職。
以後フリーランスの報道記者・写真家として活動している。
http://ugaya.org/
https://note.mu/ugaya
Facebook: https://www.facebook.com/hiromichiugaya
Twitter: @hirougaya
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2012年4月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
3.11からしばらくの後、全くと言ってよいほどTVを見なくなった。口幅ったい物言いかもしれないが、ただ騒々しく、穢らわしいとまで感じるようになったからだ。
事実、3.11の報道に対して、日本のTVは(それまでと同様)無力だった。地震・津波の直後は、いわゆる当局発表そのままの「20kmの同心円」が描かれた日本地図を背景に、SPEEDIのデータはおろか、風向きすらも考慮に入れない、役に立たない解説がだらだらと流れた。ドイツ気象庁のウェブサイトは早くからトップページで日本地図と放射能の飛散状況を提示していたにも拘わらず、だ。その後、甚大な放射能被害について、当局や東京電力株式会社への、真実を明らかにするような責任追及は何もなかった。東電の、資本・人的ネットワークが、この国の権力構造とどのように、どの程度関係しているのか、TVからは見えてこなかった。絶望した。東京電力が2010年に広告費として260億円もの金を使っていたのを知ったのは、昨年9月の英エコノミスト誌を通してだった。
新聞でも状況は似たようなもののようだ。このクライシスの最中に、ニュースと呼ぶべきでない、「微笑ましい」逸話を、各社揃ってニュースとして取り上げていたのだ。たとえば、津波で流されずに生き残った、復興のシンボルとなるべき松の木の話など。
僕は、こうした「パクリ」の記事が存在することを、本書の著者である烏賀陽氏のウェブ上での報告を読むまで知らなかった。そうして、氏が、被災地を取材し報告する情報にいちいち愕然とした。原発近くのコンビニエンスストアが丸ごと放置され、腐臭を放ち、ATMは破壊され、金が奪われていたというJBPRESSの記事は、その中のただ1つの例に過ぎない。
著者の烏賀陽氏は、1986年から2003年まで朝日新聞社に勤務しておられ、僕のような新聞社の内情に疎い人間には信じがたい「内輪の論理」をよく知っておられる。どうして、ニュース価値のない記事が記事になるのか、どのようにして、日本のマスコミがアジェンダ・セッティング(「より善い輿論を創るための議題設定」)の能力を著しく欠くようになっていったのか、肌で知っておられる。そうした話を本書で詳しく知り、僕はただ悔しいと思った。僕たちは、僕たちが制度の中に当然持つべきものを欠いているのだ。
『報道の脳死』というタイトルは、ジャーナリズムの理念を体現する機関としてのマス・コミュニケーションが、日本において死滅したことを示している。具体的には、市民の自由のために、権力から独立して権力を監視し、真実およびその意味(世界像の中の位置づけ)を伝え、アジェンダを設定し、開かれた言論空間を用意するべき機関が、日本においては3・11以後、機能不全にあるということだ。1981年に生まれた僕にとっては、そうした役割をかつて新聞社が担ったのだという記憶はない。(権力に与するマスコミの姿は知っていても。)ただ、とりわけ3.11以後、日本の旧メディアに強い不信感を持つようになった僕にとって、それらは死んだも同然だ。
著者が書くように、インターネットがこれからの報道のメディアとして主流になるのは間違いない。ただし―これも著者が書くように―現時点では、インターネット上には、価値ある記事にお金が支払われる仕組みも、次世代のジャーナリストを育てる土壌も、まだない。烏賀陽氏は、その両方をネット上で実践しておられるユニークなジャーナリストだ。氏の普段の報道の仕事に敬意を払うとともに、高い倫理観と問題意識をもったジャーナリストを育てる試みを応援していこうと思っている。
事実、3.11の報道に対して、日本のTVは(それまでと同様)無力だった。地震・津波の直後は、いわゆる当局発表そのままの「20kmの同心円」が描かれた日本地図を背景に、SPEEDIのデータはおろか、風向きすらも考慮に入れない、役に立たない解説がだらだらと流れた。ドイツ気象庁のウェブサイトは早くからトップページで日本地図と放射能の飛散状況を提示していたにも拘わらず、だ。その後、甚大な放射能被害について、当局や東京電力株式会社への、真実を明らかにするような責任追及は何もなかった。東電の、資本・人的ネットワークが、この国の権力構造とどのように、どの程度関係しているのか、TVからは見えてこなかった。絶望した。東京電力が2010年に広告費として260億円もの金を使っていたのを知ったのは、昨年9月の英エコノミスト誌を通してだった。
新聞でも状況は似たようなもののようだ。このクライシスの最中に、ニュースと呼ぶべきでない、「微笑ましい」逸話を、各社揃ってニュースとして取り上げていたのだ。たとえば、津波で流されずに生き残った、復興のシンボルとなるべき松の木の話など。
僕は、こうした「パクリ」の記事が存在することを、本書の著者である烏賀陽氏のウェブ上での報告を読むまで知らなかった。そうして、氏が、被災地を取材し報告する情報にいちいち愕然とした。原発近くのコンビニエンスストアが丸ごと放置され、腐臭を放ち、ATMは破壊され、金が奪われていたというJBPRESSの記事は、その中のただ1つの例に過ぎない。
著者の烏賀陽氏は、1986年から2003年まで朝日新聞社に勤務しておられ、僕のような新聞社の内情に疎い人間には信じがたい「内輪の論理」をよく知っておられる。どうして、ニュース価値のない記事が記事になるのか、どのようにして、日本のマスコミがアジェンダ・セッティング(「より善い輿論を創るための議題設定」)の能力を著しく欠くようになっていったのか、肌で知っておられる。そうした話を本書で詳しく知り、僕はただ悔しいと思った。僕たちは、僕たちが制度の中に当然持つべきものを欠いているのだ。
『報道の脳死』というタイトルは、ジャーナリズムの理念を体現する機関としてのマス・コミュニケーションが、日本において死滅したことを示している。具体的には、市民の自由のために、権力から独立して権力を監視し、真実およびその意味(世界像の中の位置づけ)を伝え、アジェンダを設定し、開かれた言論空間を用意するべき機関が、日本においては3・11以後、機能不全にあるということだ。1981年に生まれた僕にとっては、そうした役割をかつて新聞社が担ったのだという記憶はない。(権力に与するマスコミの姿は知っていても。)ただ、とりわけ3.11以後、日本の旧メディアに強い不信感を持つようになった僕にとって、それらは死んだも同然だ。
著者が書くように、インターネットがこれからの報道のメディアとして主流になるのは間違いない。ただし―これも著者が書くように―現時点では、インターネット上には、価値ある記事にお金が支払われる仕組みも、次世代のジャーナリストを育てる土壌も、まだない。烏賀陽氏は、その両方をネット上で実践しておられるユニークなジャーナリストだ。氏の普段の報道の仕事に敬意を払うとともに、高い倫理観と問題意識をもったジャーナリストを育てる試みを応援していこうと思っている。
2015年2月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
<前半>
主要紙がいかに陳腐な記事ばかりであるかの批判.
陳腐な記事を「パクリ記事」「セレモニー記事」「カレンダー記事」などに分類し,具体例を多数あげているので,大変面白く読める.
<中盤>
なぜ新聞社が機能不全に陥っているかの分析.
記者の資質の問題ではなく,新聞社の組織の問題として分析しており,面白い.
ただし,やむを得ない問題点をあげつらっているように感じる部分もある.
例えば,大きな新聞社の硬直性や組織非効率のために生じる問題の指摘は面白い.
専門性の高い記者をそのテーマに機動的に割り当てていない点などは,
もったいない限りだと思う.
一方で,コスト削減・効率化を進めたために生じた組織の縦割り構造を
問題視しているが,これはある程度は仕方ないんじゃないかと思う.
効率化するためには担当を専門分化して,結果として
自分の管轄範囲外のことに無知になるのは,ある程度は避けられないし,
簡単には解決できない.
実際,その解決策は本書で示されていない.
昔は「遊軍記者」がいて活躍していたのに,
マスコミ斜陽化に伴う人員削減でほとんどいなくなった,と書かれているが,
斜陽化して削られたのなら仕方ないだろう...
最終的には,消費者が高質な記事にそれだけの価値を認めていないということではないか.
<終盤>
新聞の蘇生の可能性を探っており,いくつか改善策が示されているが,
前半に比べると具体的な提案は少なく,物足りない.
紹介されているアメリカのジャーナリズムの独立精神・批判精神はもちろん参考になるし,
夕刊廃止の提言も意義深いと思う.
(夕刊を出すために「新聞社」が「通信社」の役割まで担わされており,記事の掘り下げができていないらしい)
特に物足りないのは,本書の最後の部分.
インターネットの普及によりメディアの構造が大きく変わりつつあると繰り返し指摘しながらも,
今後どうすべきか,どうあるべきか,を示していない.
既存の新聞・テレビは「ヨボヨボの老人」に過ぎず,
一方でインターネットは「天才かもしれないがよちよち歩きの赤ん坊」(p.244)なので,
われわれは「模索しながら,そろりそろりと前に進むしかない」(p.251)
というのだが,この結論はいただけない...
このように提案は物足りないが,前半の批判はとても面白いので星4つとさせていただいた.
主要紙がいかに陳腐な記事ばかりであるかの批判.
陳腐な記事を「パクリ記事」「セレモニー記事」「カレンダー記事」などに分類し,具体例を多数あげているので,大変面白く読める.
<中盤>
なぜ新聞社が機能不全に陥っているかの分析.
記者の資質の問題ではなく,新聞社の組織の問題として分析しており,面白い.
ただし,やむを得ない問題点をあげつらっているように感じる部分もある.
例えば,大きな新聞社の硬直性や組織非効率のために生じる問題の指摘は面白い.
専門性の高い記者をそのテーマに機動的に割り当てていない点などは,
もったいない限りだと思う.
一方で,コスト削減・効率化を進めたために生じた組織の縦割り構造を
問題視しているが,これはある程度は仕方ないんじゃないかと思う.
効率化するためには担当を専門分化して,結果として
自分の管轄範囲外のことに無知になるのは,ある程度は避けられないし,
簡単には解決できない.
実際,その解決策は本書で示されていない.
昔は「遊軍記者」がいて活躍していたのに,
マスコミ斜陽化に伴う人員削減でほとんどいなくなった,と書かれているが,
斜陽化して削られたのなら仕方ないだろう...
最終的には,消費者が高質な記事にそれだけの価値を認めていないということではないか.
<終盤>
新聞の蘇生の可能性を探っており,いくつか改善策が示されているが,
前半に比べると具体的な提案は少なく,物足りない.
紹介されているアメリカのジャーナリズムの独立精神・批判精神はもちろん参考になるし,
夕刊廃止の提言も意義深いと思う.
(夕刊を出すために「新聞社」が「通信社」の役割まで担わされており,記事の掘り下げができていないらしい)
特に物足りないのは,本書の最後の部分.
インターネットの普及によりメディアの構造が大きく変わりつつあると繰り返し指摘しながらも,
今後どうすべきか,どうあるべきか,を示していない.
既存の新聞・テレビは「ヨボヨボの老人」に過ぎず,
一方でインターネットは「天才かもしれないがよちよち歩きの赤ん坊」(p.244)なので,
われわれは「模索しながら,そろりそろりと前に進むしかない」(p.251)
というのだが,この結論はいただけない...
このように提案は物足りないが,前半の批判はとても面白いので星4つとさせていただいた.
2012年7月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ウガヤさん、やっぱりおもしろいですね。
東日本大震災時の取材に対する苦言に、
なるほどなぁと膝を打ちまくりです。
とくに心に残ったのは、84ページの「記者は賎業である」からのくだり。
被災者の感情を傷つけないようにするか悩んだ記者に対し、
「罵声を浴びようと、悪者になろうと、記録するべきは記録する」という「職責のために憎まれ役を引き受ける覚悟」が必要なのだ。(p.86)
と一括。
ジャーナリズムの本質を見たような気がしました。
東日本大震災時の取材に対する苦言に、
なるほどなぁと膝を打ちまくりです。
とくに心に残ったのは、84ページの「記者は賎業である」からのくだり。
被災者の感情を傷つけないようにするか悩んだ記者に対し、
「罵声を浴びようと、悪者になろうと、記録するべきは記録する」という「職責のために憎まれ役を引き受ける覚悟」が必要なのだ。(p.86)
と一括。
ジャーナリズムの本質を見たような気がしました。
2012年5月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
なぜ新聞報道はダメなのか、なぜ新聞社が脳死なのかを実例を元にまず解説。続いて、本来ジャーナリズムはどうあるべきなのか。インターネット時代を迎えて、これから社会にとって必須のジャーナリズムはどう成立しそうか。これらを著者の体験に基づいて分かりやすく解説しています。現在の新聞報道に疑問を持つ人は必読。