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戦国武将と男色: 知られざる「武家衆道」の盛衰史 (歴史新書y 42) 単行本 – 2013/12/1

3.8 5つ星のうち3.8 11個の評価

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 洋泉社 (2013/12/1)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2013/12/1
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 271ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4800303036
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4800303035
  • カスタマーレビュー:
    3.8 5つ星のうち3.8 11個の評価

著者について

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乃至政彦
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ないしまさひこ。歴史家。昭和49年(1974)生まれ。高松市出身、相模原市在住。平将門、上杉謙信など人物の言動および思想のほか、武士の軍事史と少年愛を研究。著書に『謙信×信長 手取川合戦の真実』(PHP新書)、『平将門と天慶の乱』『戦国の陣形』(講談社現代新書)、『謙信越山』(JBpress)など。共著に『天下分け目の関ヶ原合戦はなかった』(河出書房新社)ほか。テレビ出演、監修、講演でも活動中。

カスタマーレビュー

星5つ中3.8つ
5つのうち3.8つ
11グローバルレーティング

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上位レビュー、対象国: 日本

2020年4月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
その事象(?)の性質上、記録に残り辛く、また厳密な検証もほぼ不可能と思しき事柄について、果敢に切り込み、確定的でなくとも蓋然性高い見解をまとめた有益な啓蒙書だと思います。アカデミックな観点からはいろいろ物言いもつくのでしょうが、巷にはびこる面白おかしき俗説にまず一石を投じるという意味で、本書の価値は偉大なものだと思います。もちろん、根拠となる資料が乏しいのですから、そこから導き出される作者の見解についても、評価はかなりバラつくでしょう。しかし何よりもその「根拠」のあやふやさについて、これほど広汎に事例を集め、わかりやすくまとめたという時点で立派な仕事です。在野無冠の斬込み隊長の面目躍如たる一冊。広く読まれるべき良書です!
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2014年3月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
男色にまつわる裏話的なお話かと思いきや、『男色である』と言われていることに対しての信憑性を考察した読み物です。改めて冷静に男色を考察することができる新鮮な本でした。
14人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2016年12月2日に日本でレビュー済み
武士道とエロスとか頼長とか、だいたいみんなホモみたいな雰囲気がある
平安時代の公家の衆道から武家の衆道への流れを解き明かす
で、軍記物でも側近のあの武将は殿様に掘られて偉くなったとか
衆道がらみのいざこざが大変な問題を引き起こすみたいな記述が多い
しかし調べてみるとガセばっかじゃん、という結論に
普通に両刀使いばっかで普通に男とも恋をして、という中で
衆道が原因でどうの、というのはあんま信用出来ないよ、という話
ただ衆道といっても年下の少年をレイプしてるだけじゃん、という批判は昔からあって
相思相愛のタテマエすら瓦解して江戸時代には社会問題になる
ちなみに後書きで安産型のふくよこやかな女性と
華奢な美少女とどっちが恋愛の対象になるかって話があって
ああなるほどという結論に至っていた。嗚呼
5人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2014年4月29日に日本でレビュー済み
「戦国武将と男色」と題されているが、本書には往時の男色に対する偏見と否定しか見いだせない。
たとえば、215ページには、ある戦国大名が「日夜ただ酒宴遊興に耽り、男色・女色の評をなし」と記された書物を引用しているが、その後で「男色を好む大名は嘲笑の的であり、一代で失墜した大名に似つかわしい趣味とされていたわけである。」と断じて憚らない為体だ。
ここは「色に耽る大名は」としなければならない筈である。
それを敢えて「女色」を省いて「男色」のみを「嘲笑の的」と、すり替えているわけである。
一事が万事。
日本史上における男色を、あらゆる手段を通じてネガティヴな論法で貶下した一冊でしかない。
悪左府頼長と源義賢との性的関係をも、何らの根拠もなく「そこに精神的な結びつきはなく、公家の淫らな趣味につきあわされたに過ぎない」と、まったく主観的、感情的に語って恥じないありさま(47ページ)。
涙ぐましい努力は買うが、この一書から過去の日本の実相を見いだすことは出来まい。

往昔の男色を小児性愛に近いからという口実で、きわめて否定的に描こうとしてはいるものの、つい戦前までの女色もまた、初婚や「芸妓・娼妓の水揚げ」の年齢から言えば、当人の意思とは無関係な小児性愛的なものでしかなかったのは、周知の事実である(しかも、本書には男性どうしの偕老同穴や、年上の男性との性的関係にも言及されているのにも拘わらず、一貫して全くのペドフィリア扱いである)。
史料の引用も恣意的かつ浅薄で、古代ギリシアの「神聖部隊」に至っては、数多ある文献のなかからプルータルコスの「ペロピダース伝」だけを引いて、「史実を離れた想像の産物である可能性が高い。」だなどと書いては、無知無学を露呈して憚らない状態である。

 また著者は、「深刻な差別や弾圧は、マイノリティとマジョリティの妥協点が崩れた時に発生する」と書いているが(259-260ページ)、キリスト教社会における長きにわたる「差別や弾圧」や、近年のイスラーム圏に見られる「弾圧や迫害」を、この論法で説明し切れるとでも思っているのだろうか。
 同筆者には、是非とも本書と同じ論法で「戦国武将と女色」といった作品を著し、そこで戦国時代に女色がいかに蔑視されていたかを究明して貰いたいものである。いわく太閤秀吉は、茶々以外の女人とは一切性的関係をもたなかったし、それも「そこに精神的な結びつきはなく、茶々が力づくで太閤の淫らな趣味につきあわされたに過ぎない」云々といったぐあいに。

ともかく、まともな読者ならば、本書に資料的価値-----それもきわめて偏った-----しか有意味なものを一切見いださないことであろう。

●追記・さらに著者は、例えば伊達政宗の場合のように、何としても一次史料を否定出来ないとなると、彼は「極めて例外的な人物である」とか「極めて個性的な英雄だった」だ等と断じて、苦し紛れに政宗を変人扱いして逃げを打っている(p.196)。 これは到底、まともな学者のとるべき態度とは言えないであろう。
また、男色を否定するためとあらば、信憑性の乏しい軍記物や徳川時代中期の文献まで持ち出して来る有様である。これでは、研究者としての資質すら問われ兼ねないだろう。
更に64頁には「どんな男色好きでも、親族に手出しする例はないだろう」という記載があるが、古今東西の歴史上「親族間の男色例が夥しく残されている」ことは夙に指摘されている史実である。苟も歴史研究家たる者が、かくも視野が狭いのは恥ずべき事態でしかない。
かてて加えてお粗末極まりないのは、上杉謙信にまつわる「異性との恋愛話」(147頁~)である。伊勢姫らの所謂「謙信の女色相手」は、公卿の日記にも良質の系図にも見出せず、存在確認すら出来ぬ人物だからである。現在これらの物語は「後世の好事家が捏造したフィクションだ」と看做されている。かかる妄譚を記すのは読者を迷わす不誠実至極な執筆態度だと断じられても已むを得ぬだろう。
重ねて苦言を呈するならば、91頁に足利将軍以外の「幕府の重臣クラス(の男色愛好は)・・・管領細川政元(が)その嚆矢と言えるだろう」等と書かれているが、実際は政元の父・細川勝元が十代の若き管領だった頃から-----つまり、応仁の乱勃発の遙か以前より-----男同士の情痴のもつれで刃傷事件に巻き込まれ、愛人(もちろん男性)を殺された一件は有名な実話である。
自己の専門分野に於いて、かつ「戦国史研究家」を名のる著者にとって、これは致命的な無知・不勉強だと断言出来よう。
今少し古文献を読み込み深く勉強してから責任を以て執筆して貰いたいと切に願う次第である。

●まだまだ指摘したい箇所・欠点は数あれど、新書という多くの一般読者が入手しやすい廉価本で、こういった偏見と差別心に満ちた作品を刊行したことは、偏に著者のみならず出版社もまた、その責めを問われるべきではないだろうか。
ここに猛省を促したい。
先ず「男色に対する否定と偏見ありき」という姿勢からは何ら有意義な結果は生み出されないという真実を深く肝に銘じて。
79人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2020年10月14日に日本でレビュー済み
乃至政彦先生の本です。
在野の研究者のようです。
「男色」と書いて「なんしょく」と読む、いわゆるゲイの世界なわけですが、
腐った女子が好きなゲイの世界というより、
戦国時代の男色は、いわゆるショタコン(少年好き)という感じで、ゲイというのとは少し違うようです。

なんとなく、戦国時代の戦国武将って、腐った女子の世界で、
上杉謙信が女だったり、というトンデモ説もありますし、
そういう、ゲイ…じゃなかった、男色が普通でしょ?デフォでしょ?という印象を受けますが、
実は、そうではないぜ、ということを、主に言っている本だと感じました。
もちろん、ショタコンで、少年大好き、という変態もいたわけですが、
おおむねは、まともというか、男より女だよね、という、ごく一般的な感覚を持った方も多かったようで、
そういう意味では、変態と普通の人がシャッフルされた、現在の状況とたいして変わらないんだよな、という印象を受けました。

有名な、武田信玄と高坂弾正の「ラブレター」なんかも分析されていて、
読みようによっては、普通の手紙で、ことさら男色関係を想定しなくてもいい、
ということは、勉強になったのですが、
ただ、この乃至先生は、「資料ではそうなってるけど、実際はこうだったんじゃない?」という論法が多くて、
それをやりはじめたら、資料によって読み解く歴史、という、歴史学の原則を踏み外しているような印象を受けました。

とりあえず、自分の言いたいことが先にあって、それを補強するために、資料を使う、という印象を受けてしまう話のすすめかたで、
すこし「あれ?そうか?」と思わないではない箇所がいくつかありました。

まあでも、男色を知りたい人はいいんじゃないでしょうか。
ただ、通勤電車の中でむきだしでは読めないよなぁ。
5人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2014年5月31日に日本でレビュー済み
男色の歴史について、徹底的に調べ上げ、客観的に描かれた名著。
男色を否定せず、史料を駆使し、クールに事例を挙げていく手腕は見事である。
また史料の扱い方もうまいので、研究本を書きたいと思っている方には、格好の教科書になるだろう。
些細な表現をあげつらって指弾する輩も多いようだが、そんなことを気にする必要はない。
主観的で調査力のない歴史研究新書が多い中で、乃至氏の作品は、どれも素晴らしい出来である。
これからも、様々な分野を掘り下げていってほしい。
12人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2016年12月12日に日本でレビュー済み
本書は、巷に流布する男色に関する俗説や軍記物で紹介される男色には創作が多く、
根本的な見直しをするために書かれたもののようです。
序章では、男色の歴史を14C後半~15C前半の吸収期、15C前半~16C中頃の途上期、16C中頃~17C初期の純化期の3期に分け、
通説的イメージを否定して始まります。
第1章で公家・宗教・武家社会の難色を紹介し、
第2章で足利将軍が小姓を対象にし、文化的思考の強い地方へ波及した経緯を語ります。
第3章で大内義隆と武田信玄の通説を見直し、
第4、5、6章で、東国、奥州、西国大名の男色を紹介します。
ここでは主に俗説の否定ですが、男色好きと語られがちな人物像は史料的根拠が乏しく、印象論によるところが大きいようです。
第7章で織豊期~江戸期を語り、森蘭丸の実在を否定しています。
終章では、諸国での男色禁止令の発布と、幕府の禁令を紹介し、
武士の男色は正徳・享保年間に廃れ、庶民レベルでも天保年間に絶滅したとして終わります。
俗説の否定ばかりが目につく内容ですが、かつて広く衆道が広まり、その対象が同性愛とは異なり、小児性愛だったようです。
5人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2014年7月13日に日本でレビュー済み
戦国時代の衆道については、渡邊大門氏が著作内で嘆いたように資料が「ほとんど見受けられない」らしく、その内実・政治への影響など真相に迫りたい者にとっては、客観的かつ公平な研究著作を得たい最大の「謎」分野なので、非常に期待の持てるタイトルと思い購読しましたが…。
結果、衆道どころか「男色」に対する嗜好上の「否定派」の理解におもねる、一個人の見解書でした。
たしかに俗説ばかりあふれる分野なのでそれらを一から見直すためのこういった「意見」提起は必要ですし、新たな発見の助けにはなりましたが、結局それらも現代人である著者の憶測に過ぎない結果に終わっています。
要するに、有名な俗説は「すべて否定」のスタンスです。
自説…というより昨今の戦国ブームによる女性たちの憧憬に辟易している男性読者に向けた、賛同・支持派を得るための内容なので、読み手に誤解させる文脈・表記の箇所もみられました。
(例・上杉景勝の養子取得の件。これは政治上形のみとして一時的に行われ直後に解消された、武家当主としてとるに足らない出来事ですが、あたかも「衆道には縁のない人物」の証拠のように、唐突に書かれています。もとよりその時期自体がここで登場するには不適切なものです)

なので、この本は「腐女子の横行に嫌悪する男性歴史ファンの溜飲を下げるための書」といえます。
個人的には、百瀬明治氏や戸川淳氏らの著作のほうが、より公正で冷静、かつ的を得た「分析」をされていると思います。
63人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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