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公共性の構造転換☆〔第2版〕☆ 単行本 – 1973/1/1

3.9 5つ星のうち3.9 16個の評価

市民的公共性の自由主義的モデルの成立と社会福祉国家におけるその変貌をカント、ヘーゲル、マルクスにおける公共性論を援用しながら論じる。第2版には批判への応答を含む。いまや古典的な名著。
目次
一九九〇年新版への序言

序言

第一章 序論 市民的公共性の一類型の序論的区画
第一節 出発点の問い
第二節 代表的具現の公共性の類型について
第三節 市民的公共性の成立史によせて

第二章 公共性の社会的構造
第四節 基本構図
第五節 公共性の制度(施設)
第六節 市民的家族 公衆に関わる私生活の制度化
第七節 文芸的公共性と政治的公共性との関係

第三章 公共性の政治的機能
第八節 モデルケースとしてのイギリスにおける発展
第九節 大陸における諸変型
第一〇節 私的自律の圏としての市民社会 私法と自由化された市場
第一一節 市民的法治国家における公共性の矛盾をはらんだ制度化

第四章 市民的公共性 イデーとイデオロギー
第一二節 公論 論点の前史
第一三節 政治と道徳の媒介原理としての公開性――カント
第一四節 公共性の弁証法によせて――ヘーゲルとマルクス
第一五節 自由主義理論にあらわれた公共性の両価的把握
――ジョン・ステュアート・ミルとアレクシス・ド・トックヴィル

第五章 公共性の社会的構造変化
第一六節 公共圏と私的領域との交錯傾向
第一七節 社会圏と親密圏の両極分解
第一八節 文化を論議する公衆から文化を消費する公衆へ
第一九節 基本図式の消滅 市民的公共性の崩壊の発展経路

第六章 公共性の政治的機能変化
第二〇節 民間文筆家たちのジャーナリズムから
マス・メディアの公共サーヴィスへ 公共性の機能としての広告
第二一節 公開性の原理の機能変化
第二二節 造成された公共性と非公共的意見 住民の選挙行動
第二三節 自由主義的法治国家から福祉国家への変形過程における政治的公共性

第七章 公論の概念のために
第二四節 国家法的擬制としての公論 この概念の社会心理学的解体
第二五節 問題解明の社会学的な試み
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商品の説明

内容(「MARC」データベースより)

〈市民公共性〉というカテゴリー概念をめぐり、人文社会科学の様々な領域を横断し、今日の社会思想シーンに劇的な衝撃を与えたハーバーマスの代表的著作。原書新版への序文をあらたに訳出・増補して復刊。

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 未来社 (1973/1/1)
  • 発売日 ‏ : ‎ 1973/1/1
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 357ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4624011236
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4624011239
  • カスタマーレビュー:
    3.9 5つ星のうち3.9 16個の評価

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ユルゲン・ハバーマス
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カスタマーレビュー

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上位レビュー、対象国: 日本

2014年10月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
近代国家は「人民主権」を前提にしている。それは、中学校の社会科で習ったが、その先の「人民主権は公論である」というところまでは頭になかった。なるほど、と思った。そしてこの本は「公論」の歴史を幅広く丹念に説いていて、教えられるところが多い。たとえば、フランス革命直後の1800年ごろ、ナポレオンが自分の新聞を発行したことは『ナポレオン言行録』で知っていたが、当時多くの政治家や政治グループがそういう手段をとっていたことをこの本で教えられた。そして、彼らが、公論こそが政治的真理を示すものだと認識していた、と読んで感心した。

翻って、日本の現状は悲しい。世論の70%が原発に反対しているが、政治家・官僚・学者・マスコミは旧態依然として「原発を重要なベースロード電源」とするエネルギー基本計画を策定して、再稼働に邁進している。つまり、世論と政策決定との乖離が甚だしい。
要するに公論形成の社会的回路ができない。たとえば、川内原発の審査書の「説明会」を原子力規制委員会は一方的に説明する場として行われるが、市民の意見を聞く(公論を政策に取り入れる)という発想はまったく無い。
どのように市民社会を形成していくかを考えるための基本文献である。
10人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2020年10月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ハーバーマスの思想に触れることができますが、難解です。解説本も一緒に読まれることを勧めます。
2012年10月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
経済的豊かさを享受する六七十年代における黄金成長期の前、「戦う民主主義」が争点となったことからも分かるようナチスドイツからの脱却、ベルリンの壁が造られたばかりの冷戦期ゆえの激しい葛藤。緊張した歴史的文脈上にこの本が書かれたことをできれば読む前に抑えておきたい。カントの構想した市民的公共性の自由主義モデルを挙げ、その構造と機能、成立と変貌を追う。一つの個別学科の枠内にとどまらず広範囲を視野に入れ野心的アプローチをしていく力作。1〜4章の成立過程、5〜7章の変貌過程という単純な構造でありながらも文章は難解。
6人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2017年7月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ヨーロッパにおける間接民主主義が、夜のカフェで行われてきた「政治談議」によって初めて、政治と社会を繋いでいたことを指摘し、公共とは、政府が提供するものではなく、そういった一連の市民活動まで拡大して考えるべきとした点がとても印象に残った。なるほど、「公共性」の「構造転換」だ。
6人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2010年10月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
 日本で政権が交代し民主主義らしい政治が動き出した今このときに読むとハーバマスが抽象的に表現していることが具体的に見えて来ます。50年前に書かれたこの本を読むと今現在の日本の政治状況が明快になる。不思議な感じです。「1990年新版への序言」は1990年版のあとがきとして読むとよいと思います。
6人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2013年7月3日に日本でレビュー済み
 この書で、ハーバーマスが取り上げているのは、<市民的公共性>(die buergerliche Oeffentlichkeit)である。それは、十八世紀および十九世紀初期の西欧諸国で、政府が主張する公共性に対して、「市民」(ピープルではない、ブルジョアである)の側から対抗的に主張される公共性であり、読書し、議論する公衆、メディアとしての新聞・雑誌・書籍、人びとが集うコーヒー・ハウスやサロンとともに登場してきた公共性である。
 しかし、この<市民的公共性>は、自由主義的で、ブルジョア的な公共性であった。そこそこの財産、地位、教養をもち、社会の中位よりも上に位置する人びとが構成する<公共性>であった。 かかる<市民的公共性>がその外延を下方に拡大したことがあったとはいえ、社会の下位に位置する労働者や貧農はその外部の存在であった。
 しかし、この外部の民衆から出現する<公共性>をハーバーマスは、"plebejische Oeffentlichkeit" (訳者の細谷貞雄は「人民的公共性」と訳している)と呼んでいる。イギリスではチャーチスト運動がこれに入る。しかし『公共性の構造転換』は序文で簡単に触れるだけで、この概念を展開し」
ていない。「市民的公共性」の変種と見ているようで、よくわからない。"plebejische Oeffentlichkeit" という言葉でいいのか。わたしは、むしろ、Volksoeffentlichkeitのほうがいいのではないか。
  とにかく、読みにくい。読むのが苦痛である。また大変わかりにくい。忍耐が必要だ。一般の読者にはオススメできない本である。
[2018年追記]
 ポピュリズムの起源に、19世紀ロシアのナロードニキがあげられたり、19世紀末のアメリカ「人民党」があげられることがあるが、19世紀中頃のイギリスのチャーチスト運動をあげる見解もある。ポピュリズムは「普通のピープル」の願望や利害を忠実に表現・代表する運動だが、それは「市民的公共性」の外部からの政治運動であろう。
 
17人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2009年11月11日に日本でレビュー済み
「公共」概念の歴史的変遷を、語彙の意味を実体的に対象として語る前半の語り口は、今にして思うと、フーコーの「知」の考古学への類縁性さえ感じられ、面白い。Private、Pubic Opinion、Oeffentlichの意味の推移は面白いが、逆に、その背景、基盤になっている社会構造、支配構造の変遷は、教科書的なオーソドックスなものであって、すると、語彙の意味を俎上にそれだけを歴史的に語る手法は、少し無理に話を難しくしてやしないか、と思えてくる。その辺りが、比べては何だがフーコーの著作にある意外性みたいなものはない。尤も、他に類書が目に付かないので、これだけでも十分偉業だ。だが、第四章の「市民的公共性」を思想史的に展開するくだりは、まさに「おはこ」で、現代屈指の理論史家の面目躍如で、ホッブス、ロック、モンテスキュー、ルソー、カント、ヘーゲル、マルクス、それにベンサム、バーク、ミルらの理論を、公論の観点で歴史的に纏め上げる手腕は見事。読み応え十分だが、また、真の市民社会思想史を目の当たりにする思いだ。カントで頂点を迎える「公論」の積極的な評価は、ヘーゲルの市民社会の問題点の指摘と共に、むしろイデオロギーでもあることが暴かれ、結局、より「高度な」エリートによる議論と検討を重視する方向転換は、思想土壌の異なる英国の功利主義者の主張も同断であることが分かり、興味深い。一方、マルクスは、公論、市民社会の前提そのものを問い質し、privateとpublicと制度そのものの区別を無化してしまう社会主義へ転じる。時代的な影響で、左翼の著者はマルクスへの評価が高いが、今にしてみれば、一番無茶な解決方法だった。五章以降は、今となると、無理に国家の福祉政策を悪者扱いにしたり、私的領域の侵食、その本来の機能(何だ?)の形骸化をアジテートしながら公論の危機を叫ぶ、奇妙な議論の連続となっている。どうにでも言える話を、さっさと決めたスタンスで否定的に決め付けるばかりで、多面的な現代社会を柔軟に考察できているとは思えない。本書は、結局歴史的事実として、公論が一度たりとも、著者の期待する批判的・規範的機能を発揮したことは無いことを正直に示しているにも拘らず、そこに何がしかの期待を寄せてしまうのは、長髪でジーンズを履いてフォークソングを謳って「運動」をしていた時代の雰囲気無しには理解不能なものだろう。でも、時代的なずれを矯正すれば、現代は、「公論」の批判的・規範的機能の発揮を模索する社会であることは事実であり、改めて本書に向かう意義はあると思う。五章以降の思い込み先行は辟易するが、現代のマス・メディア、生活などに関する文献渉猟も驚嘆すべきもので、その勤勉さだけでもお手本だ。しかも本書は後年の著者が陥る、枝葉の理論史に拘泥し、本論が見え難くなる悪癖はなく全体に読みやすい。例外を除けば、「世論」とは訳さず「公論」と訳した翻訳者は何時もながら配慮が行届き、教えられることが多い。総じて名著であると思う。
35人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2008年4月12日に日本でレビュー済み
世界的な議論を呼び起こした本書に対し、いまだ日本語翻訳本のレビューがないのは奇妙なので、一筆書いておこう。この書は、政府役人や貴族と異なる私的市民がコミュニケーションを通して構築する公共性が、18世紀のヨーロッパでどのように誕生・発展し、19世紀以降の行政権力と貨幣経済の発展によって、どのように閉塞したかを、歴史社会学的に解明した画期的な古典である。1962年の初版では、「有産階級的な市民(ブルジョア)社会」が公共性を担うアクターとされていたのに対し、東欧革命直後の1990年に再版された序文では、それとは異なる「非経済的な市民社会(Zivilgesellschaft)」がこれからの社会の公共性を担う重要なアクターとして提唱されている。こうしたハーバーマスの公共性論に対して、我が国では、排除というエレメントを軽視しているという批判(斎藤純一など)やヨーロッパ中心的という批判(山脇直司など)があるが、国家や政府の公式(official)とは異なる市民的公共を考える上で、本書は必読書と言ってよいであろう。
49人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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