プライム無料体験をお試しいただけます
プライム無料体験で、この注文から無料配送特典をご利用いただけます。
非会員 | プライム会員 | |
---|---|---|
通常配送 | ¥410 - ¥450* | 無料 |
お急ぎ便 | ¥510 - ¥550 | |
お届け日時指定便 | ¥510 - ¥650 |
*Amazon.co.jp発送商品の注文額 ¥2,000以上は非会員も無料
無料体験はいつでもキャンセルできます。30日のプライム無料体験をぜひお試しください。
新品:
¥1,980¥1,980 税込
ポイント: 60pt
(3%)
無料お届け日:
3月21日 木曜日
発送元: Amazon.co.jp 販売者: Amazon.co.jp
新品:
¥1,980¥1,980 税込
ポイント: 60pt
(3%)
無料お届け日:
3月21日 木曜日
発送元: Amazon.co.jp
販売者: Amazon.co.jp
中古品: ¥1,150
中古品:
¥1,150

無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
いつかたこぶねになる日: 漢詩の手帖 単行本 – 2020/11/10
小津 夜景
(著)
{"desktop_buybox_group_1":[{"displayPrice":"¥1,980","priceAmount":1980.00,"currencySymbol":"¥","integerValue":"1,980","decimalSeparator":null,"fractionalValue":null,"symbolPosition":"left","hasSpace":false,"showFractionalPartIfEmpty":true,"offerListingId":"tJiCxJQoRRzXnPNxrTZZpvJLhyBs1iOcU94mGddcdp%2B2wtjRCmPNiwYvb1o9906RwQTE6qOQjonyesw6S2AtYQ5mlc0O%2FRq2rzgmZYhtZVNh1Vc29YZr0dI5YGvrGr6no%2F2zVjVO4dc%3D","locale":"ja-JP","buyingOptionType":"NEW","aapiBuyingOptionIndex":0}, {"displayPrice":"¥1,150","priceAmount":1150.00,"currencySymbol":"¥","integerValue":"1,150","decimalSeparator":null,"fractionalValue":null,"symbolPosition":"left","hasSpace":false,"showFractionalPartIfEmpty":true,"offerListingId":"tJiCxJQoRRzXnPNxrTZZpvJLhyBs1iOcmzPBIURHSFeihDySf5xboZWPQ2PHlDpORTllTgGW%2FAsTY8hNN7S7%2BgzVigndmfQ%2B4RrPG8YVHGgfrT3pry6t1yohEA9nzxK4yYZp26q2HX1xtymmArj5OvTGbm1dhWh9hC1BUaknE42XtEqnfj356u5xoPVsYVQL","locale":"ja-JP","buyingOptionType":"USED","aapiBuyingOptionIndex":1}]}
購入オプションとあわせ買い
池澤夏樹さん推薦!!!
「この人、何者?
極上のエッセーで、文体が弾み、とんでもなく博識で、どうやらフランス暮らし。俳句を作る人らしい。一回ごとに漢詩の引用があるが、その漢詩はいつも角を曲がったところに立っている。しなやかな和訳と読解が続く。
世の中は驚きに満ちている、と改めて思った。」
(本書帯文より)
フランス在住の俳人・小津夜景さんがつづる、漢詩のある日々の暮らしーー
杜甫や李賀、白居易といった古典はもちろんのこと、新井白石のそばの詩や夏目漱石の菜の花の詩、幸徳秋水の獄中詩といった日本の漢詩人たちの作品も多めに入っていて、中国近代の詩人である王国維や徐志摩も出てきます。
巻末には本書に登場する漢詩人の略歴付。
「この人、何者?
極上のエッセーで、文体が弾み、とんでもなく博識で、どうやらフランス暮らし。俳句を作る人らしい。一回ごとに漢詩の引用があるが、その漢詩はいつも角を曲がったところに立っている。しなやかな和訳と読解が続く。
世の中は驚きに満ちている、と改めて思った。」
(本書帯文より)
フランス在住の俳人・小津夜景さんがつづる、漢詩のある日々の暮らしーー
杜甫や李賀、白居易といった古典はもちろんのこと、新井白石のそばの詩や夏目漱石の菜の花の詩、幸徳秋水の獄中詩といった日本の漢詩人たちの作品も多めに入っていて、中国近代の詩人である王国維や徐志摩も出てきます。
巻末には本書に登場する漢詩人の略歴付。
- 本の長さ272ページ
- 言語日本語
- 出版社素粒社
- 発売日2020/11/10
- 寸法13.2 x 1.9 x 18.6 cm
- ISBN-104910413006
- ISBN-13978-4910413006
よく一緒に購入されている商品

対象商品: いつかたこぶねになる日: 漢詩の手帖
¥1,980¥1,980
最短で3月21日 木曜日のお届け予定です
残り19点(入荷予定あり)
¥1,540¥1,540
最短で3月21日 木曜日のお届け予定です
残り14点(入荷予定あり)
総額:
当社の価格を見るには、これら商品をカートに追加してください。
ポイントの合計:
pt
もう一度お試しください
追加されました
一緒に購入する商品を選択してください。
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
商品の説明
著者について
1973年北海道生まれ。俳人。2013年「出アバラヤ記」で攝津幸彦賞準賞。2017年『フラワーズ・カンフー』(2016年、ふらんす堂)で田中裕明賞。2018年『カモメの日の読書 漢詩と暮らす』(東京四季出版)。
登録情報
- 出版社 : 素粒社 (2020/11/10)
- 発売日 : 2020/11/10
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 272ページ
- ISBN-10 : 4910413006
- ISBN-13 : 978-4910413006
- 寸法 : 13.2 x 1.9 x 18.6 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 221,951位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 543位ロシア・東欧文学研究
- - 3,828位日本文学研究
- - 4,496位日本のエッセー・随筆
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2023年12月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
寝る前に少しずつ読んでいます、色や香りを感じられる素敵な本です。
2023年1月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
友人におすすめされて読みました。出逢えて本当によかったと思います。
言葉たちが美しくきらきらと輝いていて心地よい…何度も読みたくなります。私はまだ20代ですが、年齢を重ねたらまた感じるものも変わる気がします。手元に置いてずっと大切にしたい一冊です。
言葉たちが美しくきらきらと輝いていて心地よい…何度も読みたくなります。私はまだ20代ですが、年齢を重ねたらまた感じるものも変わる気がします。手元に置いてずっと大切にしたい一冊です。
2023年12月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
読みやすく、漢詩を身近なものとして感じることができました。
2021年2月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
作者は「李白は遊戯性に優れ、杜甫は批評性が強みだよ」「李白は雰囲気と音色が素晴らしい反面、題材の幅がせまくて、どの詩も同じ曲を聴いているような退屈さがあるの。杜甫は発想が自由で、語彙が多く表現に厚みがあるけど、テーマ主義の面がとっつきにくいかな。ともあれ、どちらも読んでみれば、すごく個性的な人たちだってわかるよ」といった感じで説明しているそうである。
漢詩は漢字ばかり。日本語の詩や、英語がわかる人には英字の詩に親しむ人は多いだろうが、漢詩?というので敬遠されがちかと思われる。読めないし。
僕も敬遠していた。関係ない世界だと思っていた。
ここには31篇のエッセイがある。まず、作者の自然のことやら南フランスの話とかのエッセイがあって、それで連想した漢詩が紹介される。ページの上に読みやすくわかりやすい日本語の漢詩の訳文があり、その下に漢詩が並ぶ。その後、漢詩のそれぞれの語彙や内容についての解説があり、最後の締めの文章が載る。素晴らしい構成で、漢詩がこの本によって初めて僕の近くにわざわざ来てくれて、その素晴らしさを教えてくれたのだ。感謝しかない、この素晴らしい漢詩の入り口に来ることができて。
「虹をたずねる舟」
作者が高校生の時、北方領土からきた英語の教育実習生ユーリ先生と外でお弁当食べて話す。その後、一度も彼と会うことはない、当然のようだが、「生きていれば別れがあるし、もっとありのままにいえば、この世界ではうしなわれるものだけが目のまえにあらわれる」漢詩の紹介、解説、漢詩の作者の人生、そして感動。
一編一編がこの調子の短い10ページほどの長さのものが、輝くように散りばめられている。
この本を手にしたあなたは宝物を得ることになるだろう。かえすがえすも素晴らしい。
漢詩は漢字ばかり。日本語の詩や、英語がわかる人には英字の詩に親しむ人は多いだろうが、漢詩?というので敬遠されがちかと思われる。読めないし。
僕も敬遠していた。関係ない世界だと思っていた。
ここには31篇のエッセイがある。まず、作者の自然のことやら南フランスの話とかのエッセイがあって、それで連想した漢詩が紹介される。ページの上に読みやすくわかりやすい日本語の漢詩の訳文があり、その下に漢詩が並ぶ。その後、漢詩のそれぞれの語彙や内容についての解説があり、最後の締めの文章が載る。素晴らしい構成で、漢詩がこの本によって初めて僕の近くにわざわざ来てくれて、その素晴らしさを教えてくれたのだ。感謝しかない、この素晴らしい漢詩の入り口に来ることができて。
「虹をたずねる舟」
作者が高校生の時、北方領土からきた英語の教育実習生ユーリ先生と外でお弁当食べて話す。その後、一度も彼と会うことはない、当然のようだが、「生きていれば別れがあるし、もっとありのままにいえば、この世界ではうしなわれるものだけが目のまえにあらわれる」漢詩の紹介、解説、漢詩の作者の人生、そして感動。
一編一編がこの調子の短い10ページほどの長さのものが、輝くように散りばめられている。
この本を手にしたあなたは宝物を得ることになるだろう。かえすがえすも素晴らしい。
2021年2月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この本と、この本の作者に出会って漢詩に対する見方が変わった。
全く詳しくないのだがなんとなくだが漢詩に魅力を感じる理由は、日本語の和歌や俳句と違う漢字の羅列から受けるその岩のような固い印象、比喩の壮大壮麗さ、対句の心地よさ、きっぱりとした言いきりの文末、だったように思う。同じく漢字を使う言語を持つ国として返り点やレ点で日本語のように読み下す耳ざわりの快感も含めて。
作者はいう、「春夜の一服」の章で
…歴史上、日本人が漢詩というとき、いつでもそれは読み下し文を意味してきた。つまり漢詩は視覚的・観念的には定型でも、聴覚的・実際的には音の数に縛られないフリースタイルの表現として人びとに受け入れられ、愛されてきたのである。
漢詩をわざわざ定型詩のかたちに訳したり、ときに文語を使ったりするのは、もしかすると民族意識の高揚や古代への憧憬を背景として近代に流行した一種のロマン主義だったのかもしれない…
この本では、読み下し文は載っていない。どの漢詩(中国と日本の)も自然で伸びやかな日本語自由律で訳されている。この詩はこんなに共感できる柔らかな詩だったのと、漢詩の知らなかった味わい方を経験した。各章のエッセイも、作者の研ぎ澄まされた感性が感じられた。この人の指南でもっと漢詩を味わいたいと思った。
全く詳しくないのだがなんとなくだが漢詩に魅力を感じる理由は、日本語の和歌や俳句と違う漢字の羅列から受けるその岩のような固い印象、比喩の壮大壮麗さ、対句の心地よさ、きっぱりとした言いきりの文末、だったように思う。同じく漢字を使う言語を持つ国として返り点やレ点で日本語のように読み下す耳ざわりの快感も含めて。
作者はいう、「春夜の一服」の章で
…歴史上、日本人が漢詩というとき、いつでもそれは読み下し文を意味してきた。つまり漢詩は視覚的・観念的には定型でも、聴覚的・実際的には音の数に縛られないフリースタイルの表現として人びとに受け入れられ、愛されてきたのである。
漢詩をわざわざ定型詩のかたちに訳したり、ときに文語を使ったりするのは、もしかすると民族意識の高揚や古代への憧憬を背景として近代に流行した一種のロマン主義だったのかもしれない…
この本では、読み下し文は載っていない。どの漢詩(中国と日本の)も自然で伸びやかな日本語自由律で訳されている。この詩はこんなに共感できる柔らかな詩だったのと、漢詩の知らなかった味わい方を経験した。各章のエッセイも、作者の研ぎ澄まされた感性が感じられた。この人の指南でもっと漢詩を味わいたいと思った。
2021年4月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
書をやっています。作品にしたくなるような漢詩に出会えず悩みの種でした。初めて漢詩が好きになりました。槐の葉の冷麦を書きます♪
2021年4月23日に日本でレビュー済み
著者「小津夜景」さんのエッセイ集(随筆集)です。
単なるエッセイではありません。芸術論、世界文学史、人生哲学にもなっています。
漢詩の日本語翻訳は、特にすばらしい。読み下し文をはるかに超えた現代詩になっています。
どのエッセイも、水が流れるような自然のままの裸の文章です。
とらわれず、思うがままに水の中を跳ね回って書き綴っています。
自然の中で一滴の水がしたたり落ちて、流れとなり、
落ち着く場所を探し求めて、あちこちくねって流れ行くような文章です。
ときに部分的に過激な流れになっても、
軽々と書き記す文章のおおらかな流れの中に合流して、
落ち着くところに落ち着くのです。だから読者は安心して読み終われました。
そんな感じの、自然体の文章です。
テーマもなければ、目的もない。多くの人に読んでもらいたいという下心もない。
起承転結というお決まりの筋道なんてもってのほか、と言わんばかりの八方破れ。
打算も無ければ、規則もないし、流れもない。
勝手気ままな、ないないづくしのエッセイになってます。
そんな文章の、うまい下手ですか?
文字のうまい下手については、小津さんはこう言ってますよ。
「文字の巧拙についてはもうどうでもよくなった。というより、寝癖みたいな自分の文字が正直面白い」(196頁)
あちゃー。文字がこれだから、小津さんの文章も寝癖がひどい朝の顔みたい。面白くないわけがない。わはは。
自然が呼ぶまま、思いつくまま、連想につぐ連想で言葉をつなぐ。
結局たどりつくのは、いつも漢詩。そして、漢詩の翻訳、和訳。
漢詩に触発されて創作した漢字三文字の「三文字俳句」(161頁)までもあります。
三十一文字の詩から、十七文字の詩が生まれたように、
五言や七言の漢詩から、三言の漢詩が生まれるのは、必然かも。
「五・七・十七・三十一といった素数から構成されている点に、詩に内在する美の形式的および構造的根拠を思索する」(212頁)小説家ジャック・ルーボー。
漢字三文字の「三文字俳句」を創作する俳人「小津夜景」さん。
三も素数だからいいけれど、四行の詩はどうなるんだろう?
小津さんの、あまりにも自然で、残酷な「句の読み下し」に怖くなりました。
「はなさいてみのらぬ/むすめ/みなごろし」(160頁)
そんな、こんなんでお金になるのか? 食べていけるの?
マネー、マネー、マネー、の世の中だもの、無理でしょう。
そんなの無視、無視。
虫でもタコでも何でも食べて、今日を書いて生きぬく覚悟の詩人です。
たこぶねという名のタコの生き方にならい、身ひとつで生きたいと願う小津さんです。
「時の年輪がつくりあげた美しい殻を惜しげもなく脱ぎ捨て、人生の後半をたこぶねのように、さらなる未知の世界へ泳ぎだしたいという願い。一介のタコとして生き直したいと言う願い。この美しい願いが、しかし叶えるにはほんの少しむずかしいことをいまのわたしはよく知っている」(17頁)
「ほんの少しむずかしいこと」のひとつは、例えば、
繰り返される、新型コロナウイルス騒ぎ。これも、はや第四波。
「新型コロナウイルス騒ぎ」(26頁)
「新型コロナウイルスの感染拡大を抑え込むため」(187頁)
「いまこの時間も新型コロナウイルスと闘っている医療従事者の健闘をたたえる」(193頁)
「沖をながめながら、タコについて考えている」(11頁)小津さん。
沖をながめながら、イカについて考えている叔母さん、もいれば、
「ひどくいそがしそうにひまを謳歌している少女たち」(169頁)もいる。
人生残り少ないのに、
この本を読みながらひとごとみたいに昼寝してる老いた読者もいますよ。
悪ふざけの<おいた>はダメよ、と幼児をしかるおいた母親。
季語もなければ字余りも何もない、俳句らしくない詩を、
ハイ! 句、とばかり平然と差し出す自称ハイ人。
ドイツもこいつもフランス人も。漢詩に興味を持つご時世なのに、
「漢詩はまぎれもなく詩だ」(180頁)などとあらためて思う小津さん。
「鷹揚(おうよう)でふくらみのある味わいがあって、むずかしいことを語る人よりもずっと哲人めいている」(210頁)小津さん。
小津さんって、まぎれもなく哲人です。
本書の書名『いつかたこぶねになる日』には驚きました。
『いつか たこぶね になる日』
この一文字分の空白をとらずに文字数を節約するところが、俳人の小津さんらしい。
息継ぎに注意! いつかた こぶねになる日? いつ かたこぶねになる日?
かねおくれたのむ。 金送れ頼む? 金をくれ頼む?
「たこぶねという種類のタコ」(12頁)が実際にいるなんて、知りませんでした。
「おづ・やけい」さんが実際にいるなんて、知りませんでした。
「やけい」さん? 夜警さんと間違えられませんか?
「夜景」さんって、女性名なんですね。小野の妹子は、男性名だし……
名前から性別を推測したら、セクハラ? ですよね。
著者紹介欄を見ると、小津さんは「俳人」とあります。
俳句で食べてる、タコ好きの人らしい。
タコを食べてる、俳句好きの人では? ワシは、人を食った冗談ばかりの読者です。
本書の傍題は、「漢詩の手帖」。
この本は、読者を
「案内せず、干渉せず、ただ放っておくこと――それはタコがわたしに教えてくれた、あらんかぎりの他者へのもてなしです」(260頁)
タコさん、小津先生に変なこと、教えないでください。
読者をほったらかしにすることが、タコのもてなし、ですって?
タコへのもてなしだけにしてくださいませ。
イカでもいいよ。イカでもいかが、たこさん食べてね。
自由な読書こそ、小津さんから読者への最高の<お も て な し>というわけですね。
自由と言えば、この俳人、小津さんは、五七五の俳句の形式まで自由に扱い、
三文字の漢字で詠む、十九音の読み下し文的「俳句」を作り出したようです。
「漢詩に触発され、訓読みの長い漢字を組み合わせてつくった『三文字俳句』」(161頁)
「『勿論』は『もちろん』ではなく『あげつらうことなかれ』と読み下す」(207頁)
ひらがなの無駄遣いに注意しましょう。
百円ショップに隣接する<三百円ショップ>みたいで、楽しみです。
小津さんの次作が待ち遠しいです。
コロナ禍で食べてばかりなので、いつかたこぶたになる日が来そうで、心配です。
単なるエッセイではありません。芸術論、世界文学史、人生哲学にもなっています。
漢詩の日本語翻訳は、特にすばらしい。読み下し文をはるかに超えた現代詩になっています。
どのエッセイも、水が流れるような自然のままの裸の文章です。
とらわれず、思うがままに水の中を跳ね回って書き綴っています。
自然の中で一滴の水がしたたり落ちて、流れとなり、
落ち着く場所を探し求めて、あちこちくねって流れ行くような文章です。
ときに部分的に過激な流れになっても、
軽々と書き記す文章のおおらかな流れの中に合流して、
落ち着くところに落ち着くのです。だから読者は安心して読み終われました。
そんな感じの、自然体の文章です。
テーマもなければ、目的もない。多くの人に読んでもらいたいという下心もない。
起承転結というお決まりの筋道なんてもってのほか、と言わんばかりの八方破れ。
打算も無ければ、規則もないし、流れもない。
勝手気ままな、ないないづくしのエッセイになってます。
そんな文章の、うまい下手ですか?
文字のうまい下手については、小津さんはこう言ってますよ。
「文字の巧拙についてはもうどうでもよくなった。というより、寝癖みたいな自分の文字が正直面白い」(196頁)
あちゃー。文字がこれだから、小津さんの文章も寝癖がひどい朝の顔みたい。面白くないわけがない。わはは。
自然が呼ぶまま、思いつくまま、連想につぐ連想で言葉をつなぐ。
結局たどりつくのは、いつも漢詩。そして、漢詩の翻訳、和訳。
漢詩に触発されて創作した漢字三文字の「三文字俳句」(161頁)までもあります。
三十一文字の詩から、十七文字の詩が生まれたように、
五言や七言の漢詩から、三言の漢詩が生まれるのは、必然かも。
「五・七・十七・三十一といった素数から構成されている点に、詩に内在する美の形式的および構造的根拠を思索する」(212頁)小説家ジャック・ルーボー。
漢字三文字の「三文字俳句」を創作する俳人「小津夜景」さん。
三も素数だからいいけれど、四行の詩はどうなるんだろう?
小津さんの、あまりにも自然で、残酷な「句の読み下し」に怖くなりました。
「はなさいてみのらぬ/むすめ/みなごろし」(160頁)
そんな、こんなんでお金になるのか? 食べていけるの?
マネー、マネー、マネー、の世の中だもの、無理でしょう。
そんなの無視、無視。
虫でもタコでも何でも食べて、今日を書いて生きぬく覚悟の詩人です。
たこぶねという名のタコの生き方にならい、身ひとつで生きたいと願う小津さんです。
「時の年輪がつくりあげた美しい殻を惜しげもなく脱ぎ捨て、人生の後半をたこぶねのように、さらなる未知の世界へ泳ぎだしたいという願い。一介のタコとして生き直したいと言う願い。この美しい願いが、しかし叶えるにはほんの少しむずかしいことをいまのわたしはよく知っている」(17頁)
「ほんの少しむずかしいこと」のひとつは、例えば、
繰り返される、新型コロナウイルス騒ぎ。これも、はや第四波。
「新型コロナウイルス騒ぎ」(26頁)
「新型コロナウイルスの感染拡大を抑え込むため」(187頁)
「いまこの時間も新型コロナウイルスと闘っている医療従事者の健闘をたたえる」(193頁)
「沖をながめながら、タコについて考えている」(11頁)小津さん。
沖をながめながら、イカについて考えている叔母さん、もいれば、
「ひどくいそがしそうにひまを謳歌している少女たち」(169頁)もいる。
人生残り少ないのに、
この本を読みながらひとごとみたいに昼寝してる老いた読者もいますよ。
悪ふざけの<おいた>はダメよ、と幼児をしかるおいた母親。
季語もなければ字余りも何もない、俳句らしくない詩を、
ハイ! 句、とばかり平然と差し出す自称ハイ人。
ドイツもこいつもフランス人も。漢詩に興味を持つご時世なのに、
「漢詩はまぎれもなく詩だ」(180頁)などとあらためて思う小津さん。
「鷹揚(おうよう)でふくらみのある味わいがあって、むずかしいことを語る人よりもずっと哲人めいている」(210頁)小津さん。
小津さんって、まぎれもなく哲人です。
本書の書名『いつかたこぶねになる日』には驚きました。
『いつか たこぶね になる日』
この一文字分の空白をとらずに文字数を節約するところが、俳人の小津さんらしい。
息継ぎに注意! いつかた こぶねになる日? いつ かたこぶねになる日?
かねおくれたのむ。 金送れ頼む? 金をくれ頼む?
「たこぶねという種類のタコ」(12頁)が実際にいるなんて、知りませんでした。
「おづ・やけい」さんが実際にいるなんて、知りませんでした。
「やけい」さん? 夜警さんと間違えられませんか?
「夜景」さんって、女性名なんですね。小野の妹子は、男性名だし……
名前から性別を推測したら、セクハラ? ですよね。
著者紹介欄を見ると、小津さんは「俳人」とあります。
俳句で食べてる、タコ好きの人らしい。
タコを食べてる、俳句好きの人では? ワシは、人を食った冗談ばかりの読者です。
本書の傍題は、「漢詩の手帖」。
この本は、読者を
「案内せず、干渉せず、ただ放っておくこと――それはタコがわたしに教えてくれた、あらんかぎりの他者へのもてなしです」(260頁)
タコさん、小津先生に変なこと、教えないでください。
読者をほったらかしにすることが、タコのもてなし、ですって?
タコへのもてなしだけにしてくださいませ。
イカでもいいよ。イカでもいかが、たこさん食べてね。
自由な読書こそ、小津さんから読者への最高の<お も て な し>というわけですね。
自由と言えば、この俳人、小津さんは、五七五の俳句の形式まで自由に扱い、
三文字の漢字で詠む、十九音の読み下し文的「俳句」を作り出したようです。
「漢詩に触発され、訓読みの長い漢字を組み合わせてつくった『三文字俳句』」(161頁)
「『勿論』は『もちろん』ではなく『あげつらうことなかれ』と読み下す」(207頁)
ひらがなの無駄遣いに注意しましょう。
百円ショップに隣接する<三百円ショップ>みたいで、楽しみです。
小津さんの次作が待ち遠しいです。
コロナ禍で食べてばかりなので、いつかたこぶたになる日が来そうで、心配です。
2021年5月5日に日本でレビュー済み
『漢詩の手帖 いつかたこぶねになる日』(小津夜景著、素粒社)は、著者の好きな漢詩と、それを巡るエッセイ集です。
白居易が、無二の親友・元稹の死の8年後に友の面影を歌った「夢微之(げんしんのゆめ)」は、著者によって、このように訳されています。「よるはてとてを つなぎあい あなたとあそぶ ゆめをみた あさにめざめて はんかちで ふけどなみだは とまらない ショウホのほとりで としをとり さんどやまいを やしなった カンヨウのきに くさばなに はちどのあきが やってきた あなたはよみを さまよって ひきずるほねは どろとなる わたしはひとの すがたして ねんねんかみを しろくする アウェイ ハンラン あいついで かえらぬひとに なったけど よみのせかいは もことして だれのかおやら わからない」。
夏目漱石の漢詩「帰途口号(帰り道に口ずさむ)」は、こう訳されています。「暇だったので二十日間、人間界とおさらばした。 財布が空になったので、帰り道だと気がついた。 自称にすぎぬ隠者ゆえ、人づきあいは欠かせない。 お金も尽きたこの辺で、山から下りることにする」。23歳の漱石が箱根旅行の折に書いた作だが、彼の隠者生活は僅か20日で終わったとあります。
良寛の個性的な漢詩「僕はどこから来たのか」は、このように訳されています。「僕はどこから来て どこへ去ってゆくのか ひとり草庵の窓辺にすわって じっと静かに思いめぐらしてみる 思いめぐらすもはじまりはわからず ましてやおわりはもっとわからない いまここだってまたそうで 移ろうすべてはからっぽなのだ からっぽの中につかのま僕はいて なおかつ存在によいもわるいもない ちっぽけな自分をからっぽにゆだね 風の吹くままに生きてゆこう」。
著者の小津夜景は俳人であるが、漢詩に触発され、訓読みの長い漢字を組み合わせて「三文字俳句」の連作「いしをふみみずをわたる」に挑戦しています。「朧月砉(おぼろづき ほねとかわとがはなれるおと) 燕搏几(つばくらめ はりつけにする かぜがまえ) 英娘鏖(はなさいてみのらぬ むすめ みなごろし) 髏众甃(されこうべ ひとがあつまる いしだたみ) 瑳翠寓(あいらしくわらう かわせみ かりずまい) 而犇飄(しこうして うしがおどろく つむじかぜ) 砅夜漢(いしをふみみずをわたる よ あまのがわ) 醪答侠(にごりざけ あつくかさねた おとこだて) 秋虱痼(あき じらみ ひさしくなおらないやまい) 璡冬隣(ぎょくににたうつくしいいし ふゆどなり) 梟忌磊(ふくろうき いしのごろごろしているさま)」。
漢詩の魅力に気づかせてくれる一冊です。
白居易が、無二の親友・元稹の死の8年後に友の面影を歌った「夢微之(げんしんのゆめ)」は、著者によって、このように訳されています。「よるはてとてを つなぎあい あなたとあそぶ ゆめをみた あさにめざめて はんかちで ふけどなみだは とまらない ショウホのほとりで としをとり さんどやまいを やしなった カンヨウのきに くさばなに はちどのあきが やってきた あなたはよみを さまよって ひきずるほねは どろとなる わたしはひとの すがたして ねんねんかみを しろくする アウェイ ハンラン あいついで かえらぬひとに なったけど よみのせかいは もことして だれのかおやら わからない」。
夏目漱石の漢詩「帰途口号(帰り道に口ずさむ)」は、こう訳されています。「暇だったので二十日間、人間界とおさらばした。 財布が空になったので、帰り道だと気がついた。 自称にすぎぬ隠者ゆえ、人づきあいは欠かせない。 お金も尽きたこの辺で、山から下りることにする」。23歳の漱石が箱根旅行の折に書いた作だが、彼の隠者生活は僅か20日で終わったとあります。
良寛の個性的な漢詩「僕はどこから来たのか」は、このように訳されています。「僕はどこから来て どこへ去ってゆくのか ひとり草庵の窓辺にすわって じっと静かに思いめぐらしてみる 思いめぐらすもはじまりはわからず ましてやおわりはもっとわからない いまここだってまたそうで 移ろうすべてはからっぽなのだ からっぽの中につかのま僕はいて なおかつ存在によいもわるいもない ちっぽけな自分をからっぽにゆだね 風の吹くままに生きてゆこう」。
著者の小津夜景は俳人であるが、漢詩に触発され、訓読みの長い漢字を組み合わせて「三文字俳句」の連作「いしをふみみずをわたる」に挑戦しています。「朧月砉(おぼろづき ほねとかわとがはなれるおと) 燕搏几(つばくらめ はりつけにする かぜがまえ) 英娘鏖(はなさいてみのらぬ むすめ みなごろし) 髏众甃(されこうべ ひとがあつまる いしだたみ) 瑳翠寓(あいらしくわらう かわせみ かりずまい) 而犇飄(しこうして うしがおどろく つむじかぜ) 砅夜漢(いしをふみみずをわたる よ あまのがわ) 醪答侠(にごりざけ あつくかさねた おとこだて) 秋虱痼(あき じらみ ひさしくなおらないやまい) 璡冬隣(ぎょくににたうつくしいいし ふゆどなり) 梟忌磊(ふくろうき いしのごろごろしているさま)」。
漢詩の魅力に気づかせてくれる一冊です。