プルーストの『失われた時を求めて』の物語構造を解説した本。後世の小説家たちに与えた影響の大きさから、「二十世紀最大の小説」と称される『失われた時を求めて』。この小説の、“何が新しかったのか”や、“その新しい形式を支えるために、プルーストはどのような工夫を小説のなかで行ったのか”が、説明されている。この本を読むと、プルーストが戦略的に小説を構築していったことが、よく分かる。
『失われた時を求めて』は、“幼いころから小説家になることを願っていた主人公が、自分にはその才能がないのではないかと時に悩みながらも、中年期を経て、最終的に小説を書くことが天職であると自覚する”という物語である。この小説の主なテーマは、「時間」の二つの面である。一方は“流れゆくもの・変化をさせていくもの=失われていくものに対する哀感”であり、もう一方は“歴史的な遺物・喜びも苦しみも含めた個人的な記憶=人間に与えられたギフト(プルーストにとっては、芸術を生み出すエネルギーになるもの)”というものだ。
しかし、そのようなテーマを描ける形式が、当時の“19世紀の近代小説の形式”には無かった。“19世紀の近代小説の形式”は、“具体的な出来事や事件”を物語る。要するに、物事の因果関係を語るのに適したスタイルのことであって、推理小説がその典型的な形式とされている。結局、プルーストは自分の語りたいテーマのために、新しい小説形式を創造することになり、「その後の二十世紀小説の地平を変えてしまったのである。」
プルーストはこの構想を成り立たせるために、物語の中での視点を、過去・現在(物語の主人公の時点)・未来(主人公が小説を書いている時点)へと絶えず交錯させ、語り手が自在に時間軸を操る仕掛けを必要とした。
まずプルーストは、フランス語の時制である、単純過去(過去)・半過去(継続性と反復性を含む過去)・複合過去(現在も含む)を駆使して、“いま、小説を書いている私(=書き手)”を読者の前に浮かび上がらせながらも、“物語の中での私(=主人公)”を匿名的な(名前が出ない)人物としている。このように、「書き手」をはっきりと提示する反面、「物語の主人公」を曖昧な存在にするのも、“主人公の経験を、あなたの経験として読んでください”というメッセージなのである。そのために、印象・感覚の直接性を読者に味わってもらう装置として、隠喩(異なるものを等価でつなぐ比喩の形式)を駆使して経験に広がりを持たせる。そうして広げられた経験から、その時に知性によって把握していたことよりも、存外、感覚のほうが多くの情報をとらえていたことに後で気づかされる、というのが、プルーストのパターンである。そして、物語の中で流れる時間の長さ(プルーストの場合は、小説の分量の多さまでもが、時間コントロールの戦略として使われる)によって、「過去の(出来事の)本質」があぶり出されるのだが、その際に“以前の描写で使われた隠喩”が効果を発揮するのである。他にも、“時間の長さ”は、主人公の「記憶」の効果と、幼少のころから何度もあった芸術的な啓示を自分の手にとらえようとする「兆し」の効果を生むためにも使われているのである。
などと、プルーストが小説のために用いた技巧を知ることで、『失われた時を求めて』の理解が広がるし、何よりも読書の楽しみがさらに増すのが嬉しい。分析しつつ、解き明かしながら小説を読む、という面白さもあることを、この本は教えてくれる。
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謎とき『失われた時を求めて』(新潮選書) Kindle版
『源氏物語』にも比せられ、『ユリシーズ』と並ぶ二十世紀最大・最強の長篇小説。しかし一万枚を超す長さと、文章の複雑さゆえに読み通すのが容易でない本。その真の魅力と、作家が隠蔽しつつも書き残した謎を、ヌーヴェル・クリティックの第一人者が初めて説き明かす。プルーストの姿を追って旅したヴェネツィアで見たものとは?
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2015/5/29
- ファイルサイズ1077 KB
- 販売: Amazon Services International LLC
- Kindle 電子書籍リーダーFire タブレットKindle 無料読書アプリ
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登録情報
- ASIN : B017R192PI
- 出版社 : 新潮社 (2015/5/29)
- 発売日 : 2015/5/29
- 言語 : 日本語
- ファイルサイズ : 1077 KB
- Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) : 有効
- X-Ray : 有効にされていません
- Word Wise : 有効にされていません
- 付箋メモ : Kindle Scribeで
- 本の長さ : 269ページ
- Amazon 売れ筋ランキング: - 378,786位Kindleストア (Kindleストアの売れ筋ランキングを見る)
- - 72,106位文学・評論 (Kindleストア)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2016年2月25日に日本でレビュー済み
レビューを書くのは少々荷が重いが、最近「失われた時を求めて」(以後「失われた」と記す)を通読したので、タイトルに引かれたこの本のレビューに挑戦したい。まず内容の要約から。
1 十九世紀小説の基本的枠組は語り手が語る過去の「物語」であるが、「失われた」は「語り手の現在」との関係から過去の「物語」を語っている。つまり、「私」を主人公とする物語の水準と、その物語を語る語り手の水準(「書いているいま・ここ」という視点の浮上)という二つの水準がある。この点で、「失われた」から二十世紀の小説は始まったと言える。
2 知性ではなく印象・感覚を重視する。言い換えれば隠喩的な錯視(視覚的な錯覚)の重視。XはAのようでもありBのようでもある、と言う時、XはAでもありBでもある。例:エルスチールの絵は、陸が海であり、海が陸であるように描かれている。アルベルチーヌは「私」が祖母といっしょにいた日にすれ違った少女であり、それ以後の活発な少女であり、またゴモラの女でもある(錯視を広い意味で使っている)。印象・感覚の重視こそ真実に至る道だ。
3 無意志的想起により得られた二つの感覚を隠喩で結びつけることで、それらに共通な本質を引き出し、二つの感覚を時間の偶然性から免れさせる。そのとき偶然性に支配されない時間(時間の外)に身を置くことになり、歓びを得る。
4 ①バルベックのホテルでの糊の利いたタオルの硬さとゲルマント大公邸でのナプキンの硬さ、②列車の中で聞いた車輪をハンマーで叩く音とゲルマント大公邸で召使いがスプーンを皿にぶつけた音、③サン・マルコ洗礼堂での大理石のタイルとゲルマント大公邸の中庭の敷石など、無意識的想起により二つの異なるものどうしを隠喩関係でつなぎ、小説世界が広がっていく。
5 サン・マルコ洗礼堂こそプルーストの原点であり、小説を書こうと決心させたものである。どういう点で? プルーストが母親とでかけたヴェネツィア旅行に解明のカギがありそうだと推理して、私(著者)はヴェネツィアを訪れ、ついにその謎を解明した。
以上が(私にとって精一杯の)要約であり、すくなくとも私はこの本を読んで「失われた」をもう一度思い出すことができた。私の希望としては、この本のような全体の構成を解明する内容とともに、「失われた」の一文一文の皮肉やユーモアや人生訓にも焦点を当ててほしいと思った。なお「失われた」の引用ページは原作からであるようだが(著者が自分で訳している)、私は訳本しか持っていないので、引用の前後を見たいときに訳本から該当箇所を探すのに少し苦労した。
1 十九世紀小説の基本的枠組は語り手が語る過去の「物語」であるが、「失われた」は「語り手の現在」との関係から過去の「物語」を語っている。つまり、「私」を主人公とする物語の水準と、その物語を語る語り手の水準(「書いているいま・ここ」という視点の浮上)という二つの水準がある。この点で、「失われた」から二十世紀の小説は始まったと言える。
2 知性ではなく印象・感覚を重視する。言い換えれば隠喩的な錯視(視覚的な錯覚)の重視。XはAのようでもありBのようでもある、と言う時、XはAでもありBでもある。例:エルスチールの絵は、陸が海であり、海が陸であるように描かれている。アルベルチーヌは「私」が祖母といっしょにいた日にすれ違った少女であり、それ以後の活発な少女であり、またゴモラの女でもある(錯視を広い意味で使っている)。印象・感覚の重視こそ真実に至る道だ。
3 無意志的想起により得られた二つの感覚を隠喩で結びつけることで、それらに共通な本質を引き出し、二つの感覚を時間の偶然性から免れさせる。そのとき偶然性に支配されない時間(時間の外)に身を置くことになり、歓びを得る。
4 ①バルベックのホテルでの糊の利いたタオルの硬さとゲルマント大公邸でのナプキンの硬さ、②列車の中で聞いた車輪をハンマーで叩く音とゲルマント大公邸で召使いがスプーンを皿にぶつけた音、③サン・マルコ洗礼堂での大理石のタイルとゲルマント大公邸の中庭の敷石など、無意識的想起により二つの異なるものどうしを隠喩関係でつなぎ、小説世界が広がっていく。
5 サン・マルコ洗礼堂こそプルーストの原点であり、小説を書こうと決心させたものである。どういう点で? プルーストが母親とでかけたヴェネツィア旅行に解明のカギがありそうだと推理して、私(著者)はヴェネツィアを訪れ、ついにその謎を解明した。
以上が(私にとって精一杯の)要約であり、すくなくとも私はこの本を読んで「失われた」をもう一度思い出すことができた。私の希望としては、この本のような全体の構成を解明する内容とともに、「失われた」の一文一文の皮肉やユーモアや人生訓にも焦点を当ててほしいと思った。なお「失われた」の引用ページは原作からであるようだが(著者が自分で訳している)、私は訳本しか持っていないので、引用の前後を見たいときに訳本から該当箇所を探すのに少し苦労した。