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身体感覚で『論語』を読みなおす。: ―古代中国の文字から― (新潮文庫) 文庫 – 2018/6/28

4.2 5つ星のうち4.2 34個の評価

孔子が生を受けた紀元前 6 世紀、言葉は古代文字で書かれていた。後世に編纂された『論語』との異同を多く含む当時の文字で読むと、何が見えるのか。能楽師の著者が、膨大な文字史料と、自身の稽古で得た身体感覚を手がかりに孔子に向き合ったとき、現れたのは「心(自由意思)」という新しい概念で、「命(運命/宿命)」に挑む人間の姿だった。これが、世界初のこころのマニュアル=論語の真の世界。
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登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 新潮社 (2018/6/28)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2018/6/28
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 文庫 ‏ : ‎ 334ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4101214913
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4101214917
  • 寸法 ‏ : ‎ 14.8 x 10.5 x 2 cm
  • カスタマーレビュー:
    4.2 5つ星のうち4.2 34個の評価

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安田 登
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上位レビュー、対象国: 日本

2013年4月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
四十にして不惑

とは?
漢字を深く読み取れば、
言葉の意味も違ってくる。
言葉は面白い!と思わせてくれます。
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2013年8月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
 前から気になっていた本ですが、やっと読みました。確かに面白い。
 著者は能楽師なんだそうです。
 序章冒頭によれば著者がある大切な舞台を終えたとき、『論語』の「学而時智之不亦説乎」の章が「からだで実感」され、「すごい存在感を持って突然、迫ってきた」体験をし、「それまでは、学校で学んだいくつかの古典のひとつとして大して気にも留めていなかった『論語』という書物」に「しっかり向き合ってみよう」という気になったのだそうです(p4)。
 しかし、この導入部はそれほど素朴に、素直には受け取れないでしょうね。ちょっと小林秀雄のモーツァルトみたいなところがあります。

 まずそういう体験をする前提として、当たり前ですが、「大して気にも留めていなかった」と著者の言う『論語』の文章が一通り頭の中に入っていなければならなかった。ま、著者は能楽師ですから、それは必ずしも不自然ではないのかもしれません。でも経歴を見ると、著者は大学で中国古代哲学を専攻していますから、単なる出会いがしらではないワケです。

 しかも、さて『論語』を読もうとしたときの読み方が、これまた普通ではありません。著者は、孔子が生きていた当時の古代文字に遡って読もうとするのです。
 整理するとこれには2つの理由があって、1つは現在の『論語』には孔子の時代には未だ存在しなかった文字が相当数含まれていて、現行のテキストでは本来の意味を確定できないと考えられること。これと関連しますが、2つめに、文字ナルモノが持つ「価値」が当時は現在とは比較にならないほど重く身体的であったため、古代文字に直接あたって、その身体性から解釈を組み立てる必要があること(これが書名の由来です)。当然ながら著者は古代文字研究の蓄積に参照するのですが、もっとも頻繁に名前の挙がるのは、言わずと知れた白川静となります。
 うかうか読んでいると、いかにも当然の展開のように感じてしまいますが、少々白川静を齧っていたくらいでは、古代文字に遡って『論語』に取り組もうなんて気力は湧いてきません。でも再び経歴を見ると、何と著者は学生時代に湯島聖堂で甲骨文や金文の手ほどきを受けていて、20代前半で漢和辞典の執筆にも絡んだらしいではありませんか。この能楽師は只者ではないのです。

 そして話はさらに、驚くべき展開を見せます。著者は古代文字を身体文字として読むと宣言する一方で、『論語』の同時代における「心」に関わる文字の希少性を指摘します。そして、実は「心」という文字そのものが、孔子から遡ること高々500年ほどの歴史しかないと言うのです。ここで参照されるのがスティーヴン・ミズン『心の先史時代』であり、ジュリアン・ジェインズ『神々の沈黙』ですから、大胆極まりありません。著者は、特に後者の議論における「心」の発生と、古代文字における「心」の誕生との時代的符合を確認したうえで、『論語』という書物を、生まれて間もない「心」の使用マニュアルと位置付けて、順次読み解いていくワケです。

 「帝」や「天」、「命」と対比しつつの「心」をめぐる具体的考察は、皆さんが直接あたってみられたらよろしいと思います。ただ、理論的、論理的に追い詰めていくタイプの議論ではなく、『論語』のあちこちの章を渉猟しながら、いわば螺旋状に核心に迫っていく展開なので、人によっては少々もどかしさを感じるかもしれません。また公平に考えて憶測に憶測を重ねる内容と言わざるを得ず、白川静を受け付けない人は本書もダメでしょう。私は好きですけど。
 惜しむらくは、どうもこの著者は松岡正剛ときわめて近しい関係にあるらしく、あとがきに謝辞がありますし、松岡の千夜千冊にも本書が大推薦されていました。本来なら★10個出したいところですが、この点を考慮して★6つ減点としました。
34人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2013年3月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
心という漢字は 孔子の時代にはなかった・・・ 。  そして 人は 心というものを はじめから持っていたわけではないということなど・・

知らなかったことが いっぱいでした。 そして 漢字が 身体のうごきや 様子、 気持ちを表すことから できているものが多いことなど

読んで ますます 漢字を 大切にする気持ちになりました。 離せない一冊です。
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2013年2月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
当時あった漢字だけで孔子が本当に言ったことを推理するってのが斬新でした。たとえば「五〇にして惑わず」の「惑」。この漢字は孔子時代になかった漢字なので、後世誤って伝えられた可能性がある。そこで当時既に存在していた漢字に治すと……とこういう感じ。新たな論語世界が広がります
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2019年11月30日に日本でレビュー済み
能楽師である著者が古代中国文字から論語を読み解いた書です。
有名な論語の一節「四十にして惑わず」の惑という文字が孔子の時代には無かったとし、著者は惑を或と推測して「四十にして(自分の人生を)限定しない」という異なる意味の一節を導きます。慣れ親しんだ論語の言葉が当時の文字から読むと全く違う意味になることにまず驚かされます。
著者が論語に向き合うきっかけとなったのは冒頭の「学んで時にこれを習う、また悦ばしからずや」だそうです。学という文字を紐解くと学びとは机上の学問ではなく体を使って習得するものであり、能の稽古に共通するものを見出したからです。
孔子と弟子が学んだ「詩」と「礼」とはどういうものだったのか、著者はその二つを深く掘り下げます。孔子は詩と礼を学ぶことで心の安らぎを得られるとしたのですが、詩はただ詩経の読み書きだけでなく詩を謡い踊って神を呼び寄せる儀式の一面もあったこと、礼は神霊と交信する儀式から生まれたことなど、どちらも神の儀式に深く関わっていたことを初めて知りました。
心という文字がまだ世間に浸透していなかった時代に書かれた論語は、孔子が人々に「こころの使い方」を指南した書だと著者は言います。本書ラストは論語の中で心という文字が使われている章を一つずつ探求していきます。
論語を違う角度から見れば新たな知識が広がることを学ぶことができ大変勉強になりました。
4人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2011年5月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
論語は道徳の教科書だと認識していました。が、そんな浅いものではなかったのです。漢字は、人類の精神の歴史であり、それを知ったうえで、文字の意味が見えてくるのです。そして、その意味のある漢字を組み合わせた熟語が、重層に意味をなしているのです。その熟語が、孔子の経験と数千年の中国の歴史を想像させます。どんどん深みに入っていく「論語」を、見直しました。
6人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2014年1月15日に日本でレビュー済み
著者は、謡10年、舞3年と言われている世界で生きてきた能楽師である。身体感覚、漢字(身体文字)がキーワードとなっている。
漢字の起源は、約3300年前と言われているが「心」という漢字は、約3000年前の周の時代に登場する。
孔子は、その500年後に生まれた。そして、「心」の使い方を指南した。
論語は、孔子没後500年に本としてまとめられた言行録であるが、その中に思や惑はあるが恩や志など「心」が入る「心」グループはごっそり抜けている。それらはその後、創られたものであろう。

人は、「心」以前は「命」(=運命・宿命)に従い生きた。
その後、約3000年前に「心」(=自由意志)が生まれた。
「命」には、「心」で変え得るものと変え得ないものがあり、その方法論として孔子は、「学」を提案した。身体による学びである。
次の段階としては、「詩」を学ぶ。物事の本質に一瞬にして到達してまう力である。本質力を身に付ける。
しかし、「心」の発見は同時に苦しみや「心」の病という様々な副作用を齎した。それに対処する方法が「礼」である。
「礼」を有効に活用するには、「如」(=相手と同じような立場に立つこと、そのものに成り切ること)即ち相手と一体化する力を身に付ける必要があった。「如」も当然身体を使って学ぶ。

世阿弥に、男時(運が向いている時)・女時(裏目裏目と出る時)というのがある。それは、「時空間の集中」を一瞬のうちに行うのである。超トップアスリートは、これが出来る。
真似とは、本質だけを一瞬で抜き取ることでで表面的なものではない。

同様の結果を楔形文字により発見した人がいる。ジュリアン・ジェインズの「二分心」である。「心」、「意識」、「我」は奇しくも約3000年前に生まれたとする説である。人びとは、右脳で神々の声を聴きそれが左脳に伝達されていたとする。

禅に、「身心一如」という言葉がある。これは、分けることは出来ない。そして、実体はないという意味である。
「心」というのは、言語により生まれた錯覚であり、この事を隠蔽しるため尚更解らなくなっているという説もある。
「心」の誕生は、私秘性にあるという哲学者もいる。
日本は、伝統的に手足、全身・五感果ては内蔵感覚迄使って何かを真似する学びがあったが今やそれはマイナーとなってしまった。
頭で学ぶだけの学校教育、通過儀礼の廃れは、成熟した大人の不在を齎してしまった。運を天に任すという言葉も忘れられてしまった。これらの事は、日本だけではないのかもしれない。
孔子時代の漢字が載せてあるが、まだ具象が残っていて素晴らしい。
6人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2010年1月7日に日本でレビュー済み
『論語』の孔子ですが、正直、好きな人物ではありませんでした。

「四十而不惑」
四十にして惑わず。

いやいや、四十の自分を思い浮かべても、とてもそのような境地には辿りつけそうもありません。
『論語』は、神仙のような方の語録であり、私の生活とは関係のないものなのだ。
そんな気持ちを抱いていました。

しかし、この本、表紙からして、アンチ論語の私を惹きつけます。

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※表紙からの引用※
「四十にして惑わず」、漢字のみで書けば「四十而不惑」。字数にして五文字。
この五文字の中で孔子時代には存在していなかった文字があります。
「惑」です。五文字の中で最も重要な文字です。
この重要な文字が孔子時代になかった……
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そして、本文において、当時の文字から論語を紐解くという試みが成されています。
新たに私の眼前に現れた『論語』の文章にも驚いたのですが、著者である安田登の発想方法には脱帽せざる終えません。
当時の文字で考える、確かに言われてみれば当然のこと。
しかし、高校大学での漢文の授業ではそのような読み方は一度も紹介されませんでしたし、私も当時の文字で考えようとは思いつきもしませんでした。

読後、アンチ論語の私が宗旨替えをしたことは言うまでもありません。
24人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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