筆者は「弁護士とは、事故、犯罪などに交錯する多大な感情を解決する人間たるべき」と主張している。
法律はそもそも被害者感情の救済のため用意された制度ではないし、「人道的な」解決を得るための規定でもない。むしろ法はその意義を良く考えれば「非人道的」な存在である。その専門家たる弁護士も、被害者感情というこの世界で最大の難問を解決する専門家ではない。本来役割を持っていない法に別な役割を強制している点で、既に前提から破綻してしまっている。
結論から言えば、「弁護士が加害者を弁護するのは許せない」の念の元、弁護士の行う法律的行動全てを批判した内容と言ってよい。「なら弁護士はどうすれば良かったのか?」「被害者感情に強い憂慮さえ抱いていれば、加害者を弁護しても良かったのか、被害者を金銭価値へ転換しても良かったのか?」おそらく、NOだろう。つまりどうやっても、法律が金で解決しようとすることを許せないのである。そしてそれが、被害者感情というものである。究極的に、法律家の存在そのものを捻じ曲げて否定したと言ってよい。
根本的に、合理性が原理とされる世界において、存在そのものが非合理である「犯罪・事故」に対して、合理性(=法)を持って臨むのは不可能である。しかし被害者とはその非合理に最も大きく晒されてしまった人間のことであるため、被害者もまた合理性の通用しない人間と化してしまう。被害者感情は、被害にあったことのない人間には想像がつかないほど非合理で、深淵より暗く、地獄より深いものであることを意識しなくてはならない。
被害者が一様に思うのは、「加害者が土下座し、地獄の苦しみを味わい、死ぬ瞬間まで謝罪を続け、尋常でないほどのみじめさを味わいながら、惨殺されて欲しい」それだけである。窃盗被害者も、痴漢被害者も、事故被害家族もそれは同様と言ってよい。そしてそれを否定できる合理性など何も無いのに、それを押し通さなくては公平性が保たれない。
法律家を志すなら読んでおいてもよい。ただしそれは「筆者の言うような被害者感情を打ち消せる神様のような何か」になれという世迷言ではない。法律家の常識と一般人の常識がかけ離れていること、どうあがいても被害者感情の暗さと深さを解決できないことをかみ締め、余計な発言をしないよう常に寡黙な人間であれという意味である。

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交通死: 命はあがなえるか (岩波新書 新赤版 518) 新書 – 1997/8/20
二木 雄策
(著)
私たちはいつの間にか交通事故で毎年1万人以上の生命が失われるという現実を当たり前と感じるようになっている.しかし機械的な事故の処理,「生命の値段」の決めかたに異を唱えるのは非常識なのだろうか.交通事故で最愛の娘を失った著者が,事故当夜から刑事裁判,賠償交渉,民事訴訟に至る「人間としての死」を取り戻すための闘いを克明に綴る.
- 本の長さ231ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日1997/8/20
- ISBN-104004305187
- ISBN-13978-4004305187
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (1997/8/20)
- 発売日 : 1997/8/20
- 言語 : 日本語
- 新書 : 231ページ
- ISBN-10 : 4004305187
- ISBN-13 : 978-4004305187
- Amazon 売れ筋ランキング: - 423,825位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 26位交通事故・自動車保険
- - 1,896位法律入門
- - 1,977位岩波新書
- カスタマーレビュー:
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上位レビュー、対象国: 日本
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2009年1月6日に日本でレビュー済み
「交通死」で検索してみると、意外にも多くの書が出版されている。理不尽な交通事故で家族を失った人が、その後も次々に理不尽な目に遭っていく、というのは今やよく知られた話だ。
年間5000人が命を落とし、100万人が傷つくこの国で、こうした怒りや悲しみが奔流とならないようにうまく抑えてきたこの50年は、まさに警察・自動車メーカー・道路族等、人を殺しても自動車を売りたい・道路を作りたい産官複合体の圧勝であったと言える。もちろん、遺族の頑張りで飲酒運転厳罰化などが遅まきながら小出しに進められてきたのは事実だが、自動車の形・道路の形・交通取締の形・路上からの不適格者の排除方法等、何一つとして「人を殺さない交通システム」への方向修正が進まなかった。今でも自治体の「道路行政」とは、車がより高速度で走れることだけを考えている。
交通死に目を背けてエコカーで社会貢献もないものだが、いよいよ日本では自動車産業による道路支配は終わろうとしている。4年連続販売減は、景気の問題でも何でもないととっくに気づいているだろう。自動車が終わるまで後何年か。それまでに何人が犠牲になるのか。早く終わって欲しいものだ。
年間5000人が命を落とし、100万人が傷つくこの国で、こうした怒りや悲しみが奔流とならないようにうまく抑えてきたこの50年は、まさに警察・自動車メーカー・道路族等、人を殺しても自動車を売りたい・道路を作りたい産官複合体の圧勝であったと言える。もちろん、遺族の頑張りで飲酒運転厳罰化などが遅まきながら小出しに進められてきたのは事実だが、自動車の形・道路の形・交通取締の形・路上からの不適格者の排除方法等、何一つとして「人を殺さない交通システム」への方向修正が進まなかった。今でも自治体の「道路行政」とは、車がより高速度で走れることだけを考えている。
交通死に目を背けてエコカーで社会貢献もないものだが、いよいよ日本では自動車産業による道路支配は終わろうとしている。4年連続販売減は、景気の問題でも何でもないととっくに気づいているだろう。自動車が終わるまで後何年か。それまでに何人が犠牲になるのか。早く終わって欲しいものだ。
2009年11月26日に日本でレビュー済み
ご令嬢をなくされた著者にとって、
交通事故死でも、交通死でもなく、きっと「自動車殺人」という書名にしたかったに違いない。
現在の自動車に関連する死亡事案に対する思いが伝わってくる。
法律、経済に関する事項は、ひしひしと伝わってくる。
1997年の著作で、その4年以上前の事案であるため、15年を超えている。
現状はどうだろうか。
交通死亡事案に対する解決策が示されているだろうか。
法律、経済に関しては、少しづつ改善されているかもしれない。
技術、道路政策に関しては、それよりももっと遅いのではないだろうか。
著者が、経済学者であるため、経済から法律への広がりがあるが、
技術、道路政策への広がりがないため、読者が気がつかない可能性がある。
運転者の責任を問うのであれば、自動車に記録を義務付けることが大切である。
ドライビングレコーダという運転記録は、今では、安価に製造できるし、
カーナビがあれば、その機能を果たすことは容易だ。
タクシーなどは、昔からタコメータという運転記録があったし、
今では画像付のドライビングレコーダが普及している。
それにもかかわらず、一般車両は、タコメータに相当する運転記録が義務付けもない。
運転者の責任を追及していくと、道路設置者の責任が浮かび上がってくるかもしれない。
機械安全では、隔離の原則が重要である。
歩行者が自動車から隔離されるのは、道路設置者の義務であるはずだ。
歩行者道路と、自動車を隔離していないことが死亡の原因である可能性もある。
さらに一歩踏み込んだ議論があるとよい。
2008年の安全工学シンポジウムでは、死亡事案の遺族の方から、
運転記録の義務付けが話され、会場で否定する人は見当たらなかった。
それにもかかわらず、実現への道のりが見えてこないのはなぜだろう。
道路設置者の責任が余り問われないのはなぜだろう。
まだまだ、検討すべき事項があるのだろうか。
交通事故死でも、交通死でもなく、きっと「自動車殺人」という書名にしたかったに違いない。
現在の自動車に関連する死亡事案に対する思いが伝わってくる。
法律、経済に関する事項は、ひしひしと伝わってくる。
1997年の著作で、その4年以上前の事案であるため、15年を超えている。
現状はどうだろうか。
交通死亡事案に対する解決策が示されているだろうか。
法律、経済に関しては、少しづつ改善されているかもしれない。
技術、道路政策に関しては、それよりももっと遅いのではないだろうか。
著者が、経済学者であるため、経済から法律への広がりがあるが、
技術、道路政策への広がりがないため、読者が気がつかない可能性がある。
運転者の責任を問うのであれば、自動車に記録を義務付けることが大切である。
ドライビングレコーダという運転記録は、今では、安価に製造できるし、
カーナビがあれば、その機能を果たすことは容易だ。
タクシーなどは、昔からタコメータという運転記録があったし、
今では画像付のドライビングレコーダが普及している。
それにもかかわらず、一般車両は、タコメータに相当する運転記録が義務付けもない。
運転者の責任を追及していくと、道路設置者の責任が浮かび上がってくるかもしれない。
機械安全では、隔離の原則が重要である。
歩行者が自動車から隔離されるのは、道路設置者の義務であるはずだ。
歩行者道路と、自動車を隔離していないことが死亡の原因である可能性もある。
さらに一歩踏み込んだ議論があるとよい。
2008年の安全工学シンポジウムでは、死亡事案の遺族の方から、
運転記録の義務付けが話され、会場で否定する人は見当たらなかった。
それにもかかわらず、実現への道のりが見えてこないのはなぜだろう。
道路設置者の責任が余り問われないのはなぜだろう。
まだまだ、検討すべき事項があるのだろうか。
2008年7月18日に日本でレビュー済み
以下に筆者の訴えたかったこと(と私が思う)を記します。
本文第6章より「(前略)(かけがえの無い命に、望むと望まないとにかかわらず値段をつけなければならない矛盾を指摘した後)−解決することのできないこの矛盾が被害者にどれほどの精神的苦痛を与えるものであるかを、加害者が、弁護士が、保険会社が、裁判官が、そして車を運転する人が、思いやることではないのだろうか。そうすることによって、交通事故の多発が異常な事態だということを、我々が認識することではないのだろうか。賠償問題の新の解決への途は、そこから開かれるのではないのだろうか。もちろんこのような方途は・・(中略)異常なのは、それにもかかわらず大量に処理せざるをえないほど事故が発生するという現状である。その異常さに目をつぶって処理の効率性だけを求めれば、そのしわ寄せは人間性が無視ないしは蔑視されるという形で、ほかならぬ生命を失った被害者が受けることになる。わが国の現状がまさにそうである。」
本文第6章より「(前略)(かけがえの無い命に、望むと望まないとにかかわらず値段をつけなければならない矛盾を指摘した後)−解決することのできないこの矛盾が被害者にどれほどの精神的苦痛を与えるものであるかを、加害者が、弁護士が、保険会社が、裁判官が、そして車を運転する人が、思いやることではないのだろうか。そうすることによって、交通事故の多発が異常な事態だということを、我々が認識することではないのだろうか。賠償問題の新の解決への途は、そこから開かれるのではないのだろうか。もちろんこのような方途は・・(中略)異常なのは、それにもかかわらず大量に処理せざるをえないほど事故が発生するという現状である。その異常さに目をつぶって処理の効率性だけを求めれば、そのしわ寄せは人間性が無視ないしは蔑視されるという形で、ほかならぬ生命を失った被害者が受けることになる。わが国の現状がまさにそうである。」
2003年1月10日に日本でレビュー済み
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2007年11月4日に日本でレビュー済み
どうして,埋もれたままになっているのだろう,
時々,そう感じさせる名著に触れることがあります。
僕にとって,本書はその1つ。
法分野でいえば,不法行為法の端の方,議論のチャ
ンスは,それほど多くはありません。けれども,一度
立ち入ってしまえば,二木が紹介してくれた通り,透
明で,中立的であるはずの法と,誰もが持っているは
ずの素朴な倫理観とが鋭く反発し合う,深い,深い森
林であることに気が付くはずです。直ちに方向を見失
わせてしまうほど,困難な問題です。
二木は,経済学から,あるいは1人の父親から見た
法制度の歪みを淡々と指摘しているにすぎません。裁
判官,国会議員,法学者,ドライバー,幸運にも本書
に触れた一般読者,いずれのカテゴリーにある人に対
しても,彼は,この課題の解決策を求め,または自ら
提示するという拙速な試みには出ていないのです。本
書の価値は,そうした控えめな姿勢によって,下支え
されているように思います。
もっとも,このことは決して,二木自身が解決の方
向性を知らないことまでは意味していないのだと思い
ます。これほどの分析を積み重ねた訳ですから,その
過程で,彼は相応の糸口を掴んでいたに違いありませ
ん。それでもなお,勇み足で粗雑な議論を進めないよ
う,注意深く言葉を選んだ跡が窺えます。
二木が見付けたはずの,「ひと」を見失わない司法
へ,温かい司法で充たされた一歩先の社会へ,価値あ
る提言。
時々,そう感じさせる名著に触れることがあります。
僕にとって,本書はその1つ。
法分野でいえば,不法行為法の端の方,議論のチャ
ンスは,それほど多くはありません。けれども,一度
立ち入ってしまえば,二木が紹介してくれた通り,透
明で,中立的であるはずの法と,誰もが持っているは
ずの素朴な倫理観とが鋭く反発し合う,深い,深い森
林であることに気が付くはずです。直ちに方向を見失
わせてしまうほど,困難な問題です。
二木は,経済学から,あるいは1人の父親から見た
法制度の歪みを淡々と指摘しているにすぎません。裁
判官,国会議員,法学者,ドライバー,幸運にも本書
に触れた一般読者,いずれのカテゴリーにある人に対
しても,彼は,この課題の解決策を求め,または自ら
提示するという拙速な試みには出ていないのです。本
書の価値は,そうした控えめな姿勢によって,下支え
されているように思います。
もっとも,このことは決して,二木自身が解決の方
向性を知らないことまでは意味していないのだと思い
ます。これほどの分析を積み重ねた訳ですから,その
過程で,彼は相応の糸口を掴んでいたに違いありませ
ん。それでもなお,勇み足で粗雑な議論を進めないよ
う,注意深く言葉を選んだ跡が窺えます。
二木が見付けたはずの,「ひと」を見失わない司法
へ,温かい司法で充たされた一歩先の社会へ,価値あ
る提言。
2005年9月4日に日本でレビュー済み
まずは、娘さんを失うという悲劇に見舞われながら、
かくも有益な書物を著した著者に敬意を表したいです。
一般に法律書は、法律の理論家が、
法律に興味を持つ人、実務で用いる人向けに著しているといえます。
ゆえに論理の筋道はしっかりしているものの、
血が通っていない、また、生の事例である判例を取り上げていても、
どことなくクールな印象はぬぐえません。
その点、法律のアマチュアが、
自ら多大な努力と犠牲を払って取り組んだ事例を題材にした本書は、
法律家の気づかないような制度の不備、冷徹さを言い当てていると思います。
車を運転する方はもちろんですが、
特に、不法行為法、民事訴訟法を学んでいる法学部生は必読かと思います。
かくも有益な書物を著した著者に敬意を表したいです。
一般に法律書は、法律の理論家が、
法律に興味を持つ人、実務で用いる人向けに著しているといえます。
ゆえに論理の筋道はしっかりしているものの、
血が通っていない、また、生の事例である判例を取り上げていても、
どことなくクールな印象はぬぐえません。
その点、法律のアマチュアが、
自ら多大な努力と犠牲を払って取り組んだ事例を題材にした本書は、
法律家の気づかないような制度の不備、冷徹さを言い当てていると思います。
車を運転する方はもちろんですが、
特に、不法行為法、民事訴訟法を学んでいる法学部生は必読かと思います。