「奥のほそ道」は、私にとって「読書」という次元にとどまらず、一つの、
それも大きな衝撃的な「出来事」だった。
読み終え、圧倒され、このように人間を深く抉りえた、重厚な物語があるのだという事実に呆然となった。半世紀近く前に読んだトルストイの「戦争と平和」を思い起こしたが、それよりさらに切迫した力で「奥のほそ道」は、今、現在、この地上に生きている私を直撃してくる。
ダイナミックにかつ精妙に構築され、しかも時制と場面はたえず入れ替わる。その濃密さと鮮やかさにはめくるめくばかりだ。一度読んだだけではとても把握しきれなかった。登場人物のリストを作り、史実と地理を当たりながら再び読むことが必要だった。しかしそのようにして再読しても、読了というのには程遠いものがこの446ページには埋蔵されている。今どのページを開いても、そこからは前には読み取ることができなかった深い意味が新たに立ち現れてくる。ああ、この一言は、最後に向けてこのように繋がっていたのか、と思い知る。なんと迂闊な読者なのだろうかと、ある意味で絶望感を味わうが、読書人にとっては尽きせぬ快楽といっても良いのではないか。
主人公ドリゴ・エヴァンス、七十七歳、オーストラリア人。成功した外科医である。「詩」を愛し「詩」は常に彼の唯一無二の道連れだった。彼は第二次世界大戦中に日本軍の捕虜となり、インドへの道を開こうとしていた日本が、物資輸送のために建設を急いでいた「線路」(泰緬鉄道)の工事に千人の部下とともに使役させられる。ドリゴは捕虜であった期間、苛酷な労働、飢え、マラリア、コレラで苦しむ部下たちと共にあり、苦しむ彼らにとって副司令官としてではなく力になれる「兄貴」としてとして振る舞うことを自分に厳しく課しつづけた。医者として、瀕死の病人にも能うかぎりの手当をし、台所用のノコギリ、砥いだスプーンをも用いてまで手術を行う。冷静、沈着、勇敢で潔い頼もしい「兄貴」であるにもかかわらず、彼の透徹した知性と繊細な感受性は傷ついてやまない。豪雨、疫病の糞便が混ざった泥濘の日々。人間の肉体も精神も無惨に斬り裂く戦争の濁流に必死に抗いながら、愚行を重ね続ける人間の本性を見透さずにはいられない。それが全編を貫く彼の「すべては空しい」という思いに行き着く。
ドリゴは軍医として出立する直前にエイミーという女性を熱愛する。互いにこれを超えるものはないというほどの情熱を傾けあうのだが、彼女はドリゴの義理の叔父の二度目の妻だったし、ドリゴ自身もエラという有産階級の娘との結婚を意識していて自由な身ではなかった。その上に戦争という大きな障碍が二人にはのしかかっていた。しかも二人はお互いが死んだものと思わされる虚妄の人生を生きなければならなかった。
ドリゴを主軸に物語は語られるのではあるが、彼が外側からあるいは内面において深く描写されるように、他の数ある登場人物をも作者リチャード・フラナガンは内外両面から語り尽くす。その中にはオーストラリア人の男女はもとより日本軍の将校や兵卒まで含まれ、彼らの戦後の人生も追求される。作者の筆は迫力に満ちている。
収容所で日々捕虜たちは死んで行く中、隠れて絵を描き続けた同僚を荼毘に付す間際に彼のスケッチブックを残しておこうとした部下に、ドリゴは燃やせと命じるたいへん印象的な場面がある。拷問が描かれているページ、監視員に殴られている光景、骨と皮ばかりになった男たちが石を砕く姿。燃やせと言われても部下は言い募る。絵を描いた男は、自分は死んでも絵は生き延びると確信していたのだと。世界は知るだろうと。「記憶は真の正義です」と言い切る部下に、ドリゴは譲ることなく、記憶は正義に似たものだというだけだよ。記憶は人々に正しいと感じさせる、また一つのまちがった観念だから。―いずれすべて忘れ去られるんだ。なにもかも忘れ去られるものなのだ、とこたえる。
限界を超えるまでに愛したエイミーの顔が、収容所にいたときも、老年になってからも、浮かんでこない苦痛をドリゴは味わう。人間の記憶の儚さを彼は終生振り払うことができない。記憶だけではない。あらゆる人間の願望も所業も虚しい。みな忘れ去られる。消えて行く。日本帝国が数万の命の犠牲の上に建設した「線路」もまた、「涯もなく埋れたその巨大な残骸、荒涼として彼方へと広がる密林。帝国の夢と死者の跡には、丈高い草が茂るばかりだった」と、まるで芭蕉の奥の細道に詠まれた「夏草や兵共が夢の跡」さながらな戦後の光景が描かれている。主人公ドリゴが体現している「記憶は正義に似たもの、まちがった観念なのだ」ということを確認しているのだろうか。しかし、この本に鏤められているキプリングやテニスンの詩句、あるいは芭蕉、一茶、そのほかの俳句の数々に感動を覚えるたびに、私たち個人の記憶は簡単に消え去るだろうが、人類が刻んできた膨大な記憶は善悪を混ぜ合わせ、地球という容器の中で蒸留されて、一つには「詩」という形で私たちの生きる縁として変貌を遂げているのではなかろうか。そのように私には感じられる。それが作者の真の意図なのではないかと。
素晴らしい小説でした。
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奥のほそ道 単行本 – 2018/5/26
リチャード・フラナガン
(著),
渡辺 佐智江
(翻訳)
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ブッカー賞受賞作品
1943年、タスマニア出身のドリゴは、オーストラリア軍の軍医として太平洋戦争に従軍するが、日本軍の捕虜となり、タイとビルマを結ぶ「泰緬鉄道」(「死の鉄路」)建設の過酷な重労働につく。そこへ一通の手紙が届き、すべてが変わってしまう……。
本書は、ドリゴの戦前・戦中・戦後の生涯を中心に、俳句を吟じ斬首する日本人将校たち、泥の海を這う骨と皮ばかりのオーストラリア人捕虜たち、戦争で人生の歯車を狂わされた者たち……かれらの生き様を鮮烈に描き、2014年度ブッカー賞を受賞した長篇だ。
作家は、「泰緬鉄道」から生還した父親の捕虜経験を題材にして、12年の歳月をかけて書き上げたという。東西の詩人の言葉を刻みながら、人間性の複雑さ、戦争や世界の多層性を織り上げていく。時と場所を交差させ、登場人物の心情を丹念にたどり、読者の胸に強く迫ってくる。
「戦争小説の最高傑作。コーマック・マッカーシーの『ザ・ロード』以来、こんなに心揺さぶられた作品はない」(『ワシントン・ポスト』)と、世界の主要メディアも「傑作のなかの傑作」と激賞している。
1943年、タスマニア出身のドリゴは、オーストラリア軍の軍医として太平洋戦争に従軍するが、日本軍の捕虜となり、タイとビルマを結ぶ「泰緬鉄道」(「死の鉄路」)建設の過酷な重労働につく。そこへ一通の手紙が届き、すべてが変わってしまう……。
本書は、ドリゴの戦前・戦中・戦後の生涯を中心に、俳句を吟じ斬首する日本人将校たち、泥の海を這う骨と皮ばかりのオーストラリア人捕虜たち、戦争で人生の歯車を狂わされた者たち……かれらの生き様を鮮烈に描き、2014年度ブッカー賞を受賞した長篇だ。
作家は、「泰緬鉄道」から生還した父親の捕虜経験を題材にして、12年の歳月をかけて書き上げたという。東西の詩人の言葉を刻みながら、人間性の複雑さ、戦争や世界の多層性を織り上げていく。時と場所を交差させ、登場人物の心情を丹念にたどり、読者の胸に強く迫ってくる。
「戦争小説の最高傑作。コーマック・マッカーシーの『ザ・ロード』以来、こんなに心揺さぶられた作品はない」(『ワシントン・ポスト』)と、世界の主要メディアも「傑作のなかの傑作」と激賞している。
- 本の長さ454ページ
- 言語日本語
- 出版社白水社
- 発売日2018/5/26
- 寸法13.9 x 3.7 x 19.4 cm
- ISBN-104560096295
- ISBN-13978-4560096291
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商品の説明
著者について
オーストラリアのタスマニア州で生まれ育つ。高校中退後、リバーガイドなどさまざまな職業を経て、タスマニア大学、オックスフォード大学で文学を学ぶ。デビュー作Death of a River Guide(1994)で南オーストラリア州文芸祭文学賞をはじめ、オーストラリアの主要文学賞を受賞。3作目の『グールド魚類画帖:十二の魚をめぐる小説』の英連邦作家賞受賞(2002年度)で世界にその名を知らしめた。第二次世界大戦中に父親が生き延びた過酷な捕虜経験を元に12年の歳月をかけて書かれた本書は、2014年度ブッカー賞を受賞し、各国の書評子から「傑作のなかの傑作」と絶賛された。その他の作品に、The Sound of One Hand Clapping、『姿なきテロリスト』。(以上、邦訳はすべて渡辺佐智江訳、白水社)。
登録情報
- 出版社 : 白水社 (2018/5/26)
- 発売日 : 2018/5/26
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 454ページ
- ISBN-10 : 4560096295
- ISBN-13 : 978-4560096291
- 寸法 : 13.9 x 3.7 x 19.4 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 536,924位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 7,111位英米文学
- カスタマーレビュー:
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2018年6月24日に日本でレビュー済み
小説のテーマは「生と死」と言えるだろうが、そのテーマの底には、「父」という存在に対する作家の複雑な思いがあるようだ。それは、父と息子の関係の普遍性なのかもしれない。男にとって、父を通して見えてくる世界というものがある。(もちろん、これは「男」の読者としての感想であって、作品の普遍性とは別の話だ)。
小説を読み終わったときの高揚感と浮遊感。それに続く「読み終わってしまった」という墜落感。まぎれもない傑作として、読み継がれていくだろう。。──作者フラナガンは「すばらしい本を読むと、自分の心を読み直さずにはいられなくなる」と、主人公ドリゴ・エヴァンスに言わせている。自分の心を読み直すとは、すなわち私たちが「生きていることの奇跡」を確認する、ということではないだろうか。
主人公ドリゴ・エヴァンスのモデルは、オーストラリア・タスマニア生まれのフラナガンの父アーチー・フラナガン。アーチーは、1942年にジャワで日本軍の捕虜となり、「泰緬鉄道」敷設のための強制労働に従事させられながらも生還することのできた運のいい男である。
「泰緬鉄道」とは、タイとビルマをつなぐ415キロメートルの軍用鉄道であり、その過酷な労働環境(敷設をこばむ地形、雨期、栄養失調、マラリア、コレラ…)から「死の鉄路」と呼ばれた。この小説の舞台の中心は、連合軍の捕虜収容所と鉄道敷設の労働現場であり、作者は、その地獄のような光景と、主人公ドリゴ・エヴァンス他の捕虜、日本軍兵士、徴用された労務者といった登場人物の感情を、どこまでも覚めた筆致で、その「生」の一瞬と、それに続く「死」の一瞬を、細密に描写する──その酷さをつきぬけて、ときに詩のように美しいイメージを結びながら。
舞台は、主人公の現在(既に老い、戦争について語ることを求められるドリゴ)と過去(光りに満ちた幼時の記憶、愛した二人の女の官能的な記憶、そして捕虜としての地獄のような日々)と、日本軍将校の戦中・戦後の日々、その思いが織り交ぜられ、メルボルン、アデレード、シドニー、新宿、神戸、札幌を往還する。このような都市の名、あるいはその登場人物の名前を列記するだけでも、何かが伝わってこないだろうか。──ドリゴ・エヴァンス、ダーキー・ガーディナー、タイニー・ミドルトン、ラビット・ヘンドリックス、チャム・ファヒー、シープヘッド・モートン、ジョン・メナデュー、ジミー・ビゲロウ、ナカムラ、トモカワ、モガミ、コウタ、チェ・サンミン…
朝鮮人チェ・サンミンは、戦後、戦犯として絞首刑に処せられる。
「足元の床が突然消えたのを感じ、落とし戸がピシャリと落ちる砕けるような音が聞こえたときに彼が最後に考えたことは、鼻を掻きたいということだった。やめろ!彼は叫ぼうとした。どうなるんだ、おれの五十──」
彼が言おうとして言い切れなかったのは、日本からまだ受け取っていない月給「五十円」ということばだった。
原題THE NARROW ROAD TO THE DEEP NORTHは、芭蕉「おくのほそ道」の訳。章の扉には、芭蕉や一茶の俳句が配されており、作品の中でも、登場人物が俳句を吟じながら日本の精神について語るのだが、タイトルそれ自体が指しているのは「死の鉄路」であろう。そして恐らく、生と死からなる世界の極北をも暗示しているに違いない。想像力という磁石の針が指し示すTHE DEEP NORTH。その磁力ははかりしれない。最近の小説で、これほどの射程をもって生の全体を開いてみせた作品はないように思う。
「訳者あとがき」によれば、フラナガンは、父親の体験を題材にした作品を書きたかったわけではなく、なぜ書こうとするのかもわからなかった、と言ったそうだ。実際、父アーチーから聞いた話は断片的なもので、「泥の感触、熱帯性潰瘍に蝕まれていく肉の腐臭、饐えた米のにおい、竹に帆布を結びつける方法といった細部の事柄だった」という。その、わずかだったかもしれない細部から、作家はどれほどリアルで鮮烈なイメージの数々を産み出したか! 作家が作品を書き上げるのに12年という歳月をかけたというのもうなづける。しかも、2013年4月23日に最終稿を出版社に送信してから病床にある父を訪れるのだが、父アーチーはその日の夜、98年の生涯を閉じる。
父と息子とはそういうものなのではないだろうか。話せない何かが、心の底にある。それを辿っていくことが、フラナガンの作家としての業であり、彼はその業を、見事な華として咲かせた。
華。表紙カバーの花と文字のデザインの美しさに思わず手に取った次第。いわゆるジャケ買いです。「おく」ではなくて何故にか「奥」。「奥のほそ道」の文字の配置から、デザイン上の要請ではないか、と思うが如何?
さりげない一節が心に残る。
「なぜぼくらは雲をおぼえてることがないのかわかる?とドリゴが問いかけた
それにはなんの意味もないからさ。」
生の意味を問い続ける。フラナガンが言いたいことは、きわめてシンプルなのだ。
旅に病で夢は枯野をかけ廻る
小説を読み終わったときの高揚感と浮遊感。それに続く「読み終わってしまった」という墜落感。まぎれもない傑作として、読み継がれていくだろう。。──作者フラナガンは「すばらしい本を読むと、自分の心を読み直さずにはいられなくなる」と、主人公ドリゴ・エヴァンスに言わせている。自分の心を読み直すとは、すなわち私たちが「生きていることの奇跡」を確認する、ということではないだろうか。
主人公ドリゴ・エヴァンスのモデルは、オーストラリア・タスマニア生まれのフラナガンの父アーチー・フラナガン。アーチーは、1942年にジャワで日本軍の捕虜となり、「泰緬鉄道」敷設のための強制労働に従事させられながらも生還することのできた運のいい男である。
「泰緬鉄道」とは、タイとビルマをつなぐ415キロメートルの軍用鉄道であり、その過酷な労働環境(敷設をこばむ地形、雨期、栄養失調、マラリア、コレラ…)から「死の鉄路」と呼ばれた。この小説の舞台の中心は、連合軍の捕虜収容所と鉄道敷設の労働現場であり、作者は、その地獄のような光景と、主人公ドリゴ・エヴァンス他の捕虜、日本軍兵士、徴用された労務者といった登場人物の感情を、どこまでも覚めた筆致で、その「生」の一瞬と、それに続く「死」の一瞬を、細密に描写する──その酷さをつきぬけて、ときに詩のように美しいイメージを結びながら。
舞台は、主人公の現在(既に老い、戦争について語ることを求められるドリゴ)と過去(光りに満ちた幼時の記憶、愛した二人の女の官能的な記憶、そして捕虜としての地獄のような日々)と、日本軍将校の戦中・戦後の日々、その思いが織り交ぜられ、メルボルン、アデレード、シドニー、新宿、神戸、札幌を往還する。このような都市の名、あるいはその登場人物の名前を列記するだけでも、何かが伝わってこないだろうか。──ドリゴ・エヴァンス、ダーキー・ガーディナー、タイニー・ミドルトン、ラビット・ヘンドリックス、チャム・ファヒー、シープヘッド・モートン、ジョン・メナデュー、ジミー・ビゲロウ、ナカムラ、トモカワ、モガミ、コウタ、チェ・サンミン…
朝鮮人チェ・サンミンは、戦後、戦犯として絞首刑に処せられる。
「足元の床が突然消えたのを感じ、落とし戸がピシャリと落ちる砕けるような音が聞こえたときに彼が最後に考えたことは、鼻を掻きたいということだった。やめろ!彼は叫ぼうとした。どうなるんだ、おれの五十──」
彼が言おうとして言い切れなかったのは、日本からまだ受け取っていない月給「五十円」ということばだった。
原題THE NARROW ROAD TO THE DEEP NORTHは、芭蕉「おくのほそ道」の訳。章の扉には、芭蕉や一茶の俳句が配されており、作品の中でも、登場人物が俳句を吟じながら日本の精神について語るのだが、タイトルそれ自体が指しているのは「死の鉄路」であろう。そして恐らく、生と死からなる世界の極北をも暗示しているに違いない。想像力という磁石の針が指し示すTHE DEEP NORTH。その磁力ははかりしれない。最近の小説で、これほどの射程をもって生の全体を開いてみせた作品はないように思う。
「訳者あとがき」によれば、フラナガンは、父親の体験を題材にした作品を書きたかったわけではなく、なぜ書こうとするのかもわからなかった、と言ったそうだ。実際、父アーチーから聞いた話は断片的なもので、「泥の感触、熱帯性潰瘍に蝕まれていく肉の腐臭、饐えた米のにおい、竹に帆布を結びつける方法といった細部の事柄だった」という。その、わずかだったかもしれない細部から、作家はどれほどリアルで鮮烈なイメージの数々を産み出したか! 作家が作品を書き上げるのに12年という歳月をかけたというのもうなづける。しかも、2013年4月23日に最終稿を出版社に送信してから病床にある父を訪れるのだが、父アーチーはその日の夜、98年の生涯を閉じる。
父と息子とはそういうものなのではないだろうか。話せない何かが、心の底にある。それを辿っていくことが、フラナガンの作家としての業であり、彼はその業を、見事な華として咲かせた。
華。表紙カバーの花と文字のデザインの美しさに思わず手に取った次第。いわゆるジャケ買いです。「おく」ではなくて何故にか「奥」。「奥のほそ道」の文字の配置から、デザイン上の要請ではないか、と思うが如何?
さりげない一節が心に残る。
「なぜぼくらは雲をおぼえてることがないのかわかる?とドリゴが問いかけた
それにはなんの意味もないからさ。」
生の意味を問い続ける。フラナガンが言いたいことは、きわめてシンプルなのだ。
旅に病で夢は枯野をかけ廻る
2019年12月22日に日本でレビュー済み
かの「泰緬鉄道」の建設に、医師として捕虜として携わったタスマニア出身のオーストラリア人、ドリゴ・エヴァンスを中心に、彼と関わりのあった女性たち、数人の日本人将校、文字通り生死を共にした同僚オーストラリア人捕虜たちの戦前、戦中、戦後を描いた、ブッカー賞受賞の作品です。
時に詳細に過ぎるほどの細部の描写であったり、様々な人物の視点を借りることでの出来事や人物の関係性の奥行きであったりが小説ならではの余韻を残します。
特に年齢が近いせいか、物語終盤の戦後のエミリーとの件りが不思議な内省に誘われて、自分でもおかしかったです。
また、本作を読み始めたのがちょうど仕事でメルボルンを訪れた直後で、たまたま見学したメルボルン大学の医学部や、もしかしたら戦後にできたのかもしれませんがビクトリア・マーケット等々、ドリゴの戦前の麗しい思い出を彩るよすがになりました。
時に詳細に過ぎるほどの細部の描写であったり、様々な人物の視点を借りることでの出来事や人物の関係性の奥行きであったりが小説ならではの余韻を残します。
特に年齢が近いせいか、物語終盤の戦後のエミリーとの件りが不思議な内省に誘われて、自分でもおかしかったです。
また、本作を読み始めたのがちょうど仕事でメルボルンを訪れた直後で、たまたま見学したメルボルン大学の医学部や、もしかしたら戦後にできたのかもしれませんがビクトリア・マーケット等々、ドリゴの戦前の麗しい思い出を彩るよすがになりました。