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国家神道と日本人 (岩波新書 新赤版 1259) 単行本(ソフトカバー) – 2010/7/22

4.1 5つ星のうち4.1 55個の評価

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戦前、国家主義と結びつき日本人の精神的支柱として機能した「国家神道」。敗戦でそれは解体・消滅したのか。神道を神社とのかかわりのみで見るのは狭い捉え方。宮中祭祀や天皇崇敬の装置を視野に入れ、明治維新期の国家構想、民間宗教との位相、国民の関与などを丹念に追う。日本の宗教・精神史理解のベースを提示する意欲作。
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登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 岩波書店 (2010/7/22)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2010/7/22
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本(ソフトカバー) ‏ : ‎ 256ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4004312590
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4004312598
  • 寸法 ‏ : ‎ 11 x 1.1 x 17.5 cm
  • カスタマーレビュー:
    4.1 5つ星のうち4.1 55個の評価

著者について

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島薗 進
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上位レビュー、対象国: 日本

2023年1月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
宗教国家を作ろうとしている旧統一教会について見解を述べる島薗の記事を見て、本書を読んだ。
敗戦・ポツダム受諾前の日本は、国家神道を狂信する宗教国家であった。旧支配階級の薩長は宗教国家作りをめざしたのである。
島薗は、国家神道の3要素を、皇室祭祀(皇室神道。宮中三殿での祭祀が全国神社の祭祀の基準になる)、神社神道(儀礼、施設、組織の面をになう)、国体の教義(メンタルな思考の中で作った、戦争を完遂するための根拠理念)とする。なかでも皇室祭祀は天皇崇敬とその儀礼システムとして<社会統合システム>の基軸をなした。
庶民諸階層には、学校で教育勅語による教育、祝祭日システム、メディアを通して、身体的実践や儀礼行動の反復実践によって<思考の様式>を変えていった。
こうして、近代天皇制の原理である<国体の教義>、すなわち、天皇(宗教国家)への忠誠と死を、すべての国民のあらゆる行為の最終的な目標とする設定する排外的な集団原理を、信じさせたのである。島薗は、村上重良に対して、庶民が下から支えた面を指摘するが事例が少ないので説得力は弱い。村上の『慰霊と招魂』を読むことをお薦めします。
さて、天皇制を存続せてしまった日本は宗教国家の尾ひれをつけたままであった。それを告発したのは華僑青年闘争委員会の代表で、日中戦争33周年の70年7月7日の集会においてだった。
植民地戦争に関しては帝国主義の経済的膨張の問題としてのみ分析するのではなく、日本の侵略戦争を許したものは抑圧民族の排外イデオロギー(国家神道、とくに「国体の教義」のこと)そのものであった。ポツダム宣言を「天皇制」が受けいれたかたちになり、それを避けられなかった(人民が阻止できなかった)ところに、日本人民の排外主義への抵抗思想が築かれなかった原因がある、と告発したのである。告発を契機に集会に参加した人々は、侵略戦争の責任追及、宗教国家や国体の教義の批判を始め、それがようやく全国で大衆的になさるようになったのは、日本宗教国家の祭主兼現人神であり、統治権者かつ日本軍最高司令官であったの昭和天皇ヒロヒトが重体になった1988年からであった。
7人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2024年2月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
明治維新の情景がイメージしやすく、読みやすかったです。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2023年9月9日に日本でレビュー済み
なんだかトホホな本である。本書を読んだら、国家神道のイメージが、却ってボヤケてしまったのだ。
「なんもかんも封建主義が悪い。絶対主義が悪い」一辺倒の、講座派的「国家神道」観が良いとは言いませんけど。
まあ、(コミンテルン由来の)共産党さんの説明の方が、スパッとはしてましたよ。スッキリとはしてましたよ。
それが良いとは言いませんけど。

国体論は国体論、教育勅語は教育勅語、皇室祭祀は皇室祭祀で、別々に論じた方が良くはなかったか?
平田国学の事は平田篤胤センセエに、水戸学の事は水戸学に、直接、聞きに行った方が早い気がする。
「国家神道」と言う名の「水溶き小麦粉ベース」に、何もかもブチこんで、かき回して焼いた、まるで「もんじゃ焼き」みたいな本だと思う。
まあ、好きですけど、もんじゃ焼き。

何を、どう論じても、結局は「神道は宗教なりや否や」と言う振り出しに戻ってしまうような気がする。
これに明確な回答を出した人は(私の知る限り)いない。
明治政府の公式見解も、GHQも、葦津珍彦も、「ハァ、なんかなぁ↓」なのである。
江戸時代みたいに「ニッポンの神様は仏様の生まれ変わりである。だから偉いっ」と言う事にしておけば話は簡単だったのだ。廃仏毀釈で一番、損をしたのは、案外、オフェンス側の神道だったのではあるまいか?

なんか、不必要な遠回りをしてないか?この本。
皇居・二重橋に行きたければ、東京駅から歩けば良い。どんなに、ゆっくり歩いても、30分あれば着く。
山の手線をぐるぐる回っているだけでは、永遠に着かない。

この「中心が空虚」なカンジ、何かに似ている。
そうだ!大日本帝国憲法だ。例の「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」である。
憲法草案を揉んでる過程で、「こんな曖昧モコとした条文を、国の基本法の、しかも第一条に盛り込むな」と、外国人法律顧問(ボアソナアドだか、ロエスレルだか忘れましたが)が反対したと言う話を思い出した。
結局、「天皇とは何か」について、誰も答えを出していないのだ。
昔話じゃない。象徴天皇制を選んだ以上、「天皇とは何か」は今に続く問題なのだ。あの吉本隆明サンですら逃げたけど。

国家と宗教の関係って、どうしてもスッキリしない。一見、「王様と神様の棲み分け」がクリヤーになっているように見えるイギリスでもフランスでも、良く良く調べると、ドロドロした「家庭の事情」があるらしいし。

なんか、黄身のない目玉焼きを食わされたような気がするなぁ。決して本書の著者の責任ではないのだけれど。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2021年7月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
良い本でした。
国家神道は今も生き続ける。考えなければならない問いでした。
5人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2018年4月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
 本書は、近代の国家神道が、江戸後期からの国体思想(天皇尊崇)、明治初期からの皇室神道(宮中祭祀)、明治中期からの軍隊・学校教育(軍人勅諭・教育勅語)、明治後期からの神社神道、昭和前期からの天皇神格化を結び付け、国民生活を統制し、戦争へ突入したことを、偏見なく説明されています。
 敗戦後に、国家神道・神社神道は解体され、天皇は人間宣言しましたが、全国の大半の神社が、民間団体として神社本庁を設立し、皇室や伊勢神宮への崇敬を制度化しようと、政治運動を展開するとともに、宮中祭祀は継続されており、国家神道の要素は、現憲法での信教の自由のもと、現存しています。
 よって、筆者は、それらの要素が再度結び付き、国家神道が復活しないよう、注視すべきだと主張しているようで、その際には、現憲法での政教分離が阻止の根拠ですが、神道は、宗教儀礼と生活慣習の境界が曖昧なので、そこが議論の対象となりますが、押し込まれる危険があると指摘したいのでしょう。

 一方、本書は、近代の国家神道が、政治と密接に関係していたのに、明治中期の帝国憲法での天皇の規定・日清戦争、明治後期の日露戦争・不平等条約の撤廃、昭和前期の満州事変・国際連盟の脱退・日中戦争・国民精神総動員運動・大政翼賛会・アジア太平洋戦争等とのつながりが、説明不足といえます。
 近代には、世界大戦が2度あり、欧米諸国も参戦しており、当時は戦争自体が悪事ではなかったですが、私はなぜ、日本が戦没者約310万人もの、多大な犠牲となったのかに興味があり、それは政事・軍事と国家神道が要因でしょうが、その思想・制度等の詳細にまで、踏み込んでいないのが、大変残念です。
 ですが、筆者の思想が全面に押し出されておらず、国家神道の概略を把握するには最適なので、一読の価値はあります。

 近代の国家神道の思想内容の大半は、儒教道徳ですが、本書には、あまり取り上げられていないので、書き留めておきます。
 近代の国家神道は、教義面では儒教、儀式面では教義のない神道と使い分けられており、この二分は、近世神道の神儒一致思想に由来し、江戸初期から、武士・知識人達の間で、儒教研究が本格化した際、中国の儒教と日本の儒教の差異が顕著になっていきました。
 中国の儒教では、忠(忠義)と孝(孝行)、臣(臣下)と民(人民)が区別され、忠や臣は君臣関係で、主君には有徳、臣下には忠義が要求され、孝は親子関係で、親には養育、子には孝行が要求され、民は国王と人民の関係で、国王には保護、人民には納税が要求され、いずれも双務性が大前提です。
 そのうえ、忠義よりも孝行を優先すべきだとし、忠義は、契約的関係で、有徳でつながり、王朝を樹立した一方、孝行は、宿命的関係で、血統でつながり、家族を形成しましたが、家族は王朝に忠義はなく、納税するのみで、国家への依存も信用もありません。
 他方、日本の儒教では、孝行よりも忠義を優先すべきだとしたり、忠孝一致や臣民のように、2つを結合させがちですが、忠孝一致が適用できるのは本来、官僚・武士等、主君への忠誠が一家・一族の繁栄につながる場合のみに限定され、人民には適用外です。
 しかし、近世の垂加神道では、主君の有徳よりも臣下の忠義を重要とし、明治初期から、皇室以外の国民が皆平等に臣民とされ、明治中期の軍人勅諭・教育勅語で、臣民は天皇に絶対服従となったので、国民全員に忠義が要求された反面、天皇と国民の間の、政府・軍部の有徳の希薄化につながりました。
 明治後期の天皇を父(家長)・皇后を母・臣民を子とする家族国家観で、天皇と国民の直結が強固になり、忠義は、契約的関係なので、主君が有徳でなければ、契約解消できますが、孝行は、宿命的関係なので、親が悪徳でも、無条件に服従しなければならず、家長の天皇の命令で国民を統制しました。
 昭和前期の国体明徴運動で、立憲君主制(天皇機関説)から絶対君主制(天皇主体説)へと逆行したのをきっかけに、超監視社会になり、臣民は、天皇への忠誠から逃げ出せない状況となりました。
 戦況が悪化すると、天皇と国民を直結させたのは失敗で、敗戦となれば、戦勝国が主君の天皇を悪徳だと判断し、戦争責任が追及され、天皇制廃絶の危機を想定したので、なかなか降伏できず、戦争終盤には、軍部・政府が自死を強要し、多大な犠牲となってしまいました。
39人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2018年1月1日に日本でレビュー済み
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明治維新から第二次世界大戦までの間に
政府によって神道がどのように利用され
それがどのように戦争につながったのかが過不足なく描かれています

ただし文章は話があちらこちらに飛び、
同じことを何度も繰り返して書いたりなどしてあり、
内容を自分でノートに書いて整理しないと分かりません。

しかし、それだけのことをしてでも読む価値のある本です。
読まなければならないとすら思います。

戦前の日本史の本をいくつか読んできましたが
「なぜ日本人は戦争をしたのか」ということの
最も核心をついているのはこの本だと思っています。
21人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2023年11月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
国家神道とは漠然とした概念である。これまでも葦津氏が指摘してきたように、その定義がしっかりしていなければ、ただのお気持ち発表にすぎないのである。そもそも、この本の全ての論は根拠が薄弱である。

戦後の皇室祭祀にもそれが残っていることが問題だというが、神道指令ですら皇室祭祀を問題としなかった。国家神道が問題となるのはこれが契機ではある。
何をしたいのか。全てを破壊したいのか。過去の人間や精神を馬鹿にしているようにすら思える。百歩譲って、国家神道が戦後に残っていることを是としても、島薗氏の他の活動に対しては敬意を表するが、学者として国家神道を語る資格は無い。この本の内容は国家神道を名乗って語るべきものではない。

宗教が国家を破壊させる危険性があるように、それがなくなった現代にも金や名誉欲が同じ危険性を持っていることを知るべきである。