ただただ感動
このような子供が欲しい
母の気持ちも痛いほど分かる
とても感動しました

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お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい 改訂版 単行本 – 2002/6/1
向野 幾世
(著)
新聞・テレビで大反響!時を超えた愛と感動のノンフィクション
「お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい」
本書は、24年前にサンケイ出版で発刊されていた同書の復刊です。
なぜ、今、そんな昔の本が復刊されるのか?産経新聞の読書欄に載った
一つの投稿が、本書復刊のきっかけでした。石川県の美術館に展示されていた
本書に掲載されている詩に今どきの女子高生が感動して涙した、という内容です。
果たしてどのような詩なのか?という問い合わせ、投書が産経新聞に殺到しました。
それは、このような詩でした。
ごめんなさいね おかあさん
ごめんなさいね おかあさん
ぼくが生まれて ごめんなさい
ぼくを背負う かあさんの
細いうなじに ぼくはいう
ぼくさえ 生まれなかったら
かあさんの しらがもなかったろうね
大きくなった このぼくを
背負って歩く 悲しさも
「かたわな子だね」とふりかえる
つめたい視線に 泣くことも
ぼくさえ 生まれなかったら
ありがとう おかあさん
ありがとう おかあさん
おかあさんが いるかぎり
ぼくは生きていくのです
脳性マヒを 生きていく
やさしさこそが 大切で
悲しさこそが 美しい
そんな 人の生き方を
教えてくれた おかあさん
おかあさん
あなたがそこに いるかぎり
*詩の中に不適切ととられかねない用語がありますが、
障害児本人の作品であり、原文を尊重しました。
産経新聞記者が調べた所、この詩はサンケイ出版で発刊されていた
この『おかあさん、ぼくが生まれてごめんなさい』に掲載されていた
ものということが判りました。
これは養護学校で言葉も十分に話せず手足も不自由な子供たちに言語教育を
していた向野先生が、脳性マヒの「やっちゃん」と一緒に作った詩でした。向野
先生があげる言葉に対し、表現したいことと一致すれば、目をぎゅっとつぶって
イエスのサイン、間違っていれば舌を出してノーのサインを送るという方法で、
詩作はすすめられたといいます。
生まれたときから重度の障害を持ったやっちゃんが、一生懸命、明るく生きた
15年間。そして、その死後、この詩が世間に与えた感動の輪などを余すことなく
描いた愛と感動のノンフィクション。時を経ての復刊です。
「お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい」
本書は、24年前にサンケイ出版で発刊されていた同書の復刊です。
なぜ、今、そんな昔の本が復刊されるのか?産経新聞の読書欄に載った
一つの投稿が、本書復刊のきっかけでした。石川県の美術館に展示されていた
本書に掲載されている詩に今どきの女子高生が感動して涙した、という内容です。
果たしてどのような詩なのか?という問い合わせ、投書が産経新聞に殺到しました。
それは、このような詩でした。
ごめんなさいね おかあさん
ごめんなさいね おかあさん
ぼくが生まれて ごめんなさい
ぼくを背負う かあさんの
細いうなじに ぼくはいう
ぼくさえ 生まれなかったら
かあさんの しらがもなかったろうね
大きくなった このぼくを
背負って歩く 悲しさも
「かたわな子だね」とふりかえる
つめたい視線に 泣くことも
ぼくさえ 生まれなかったら
ありがとう おかあさん
ありがとう おかあさん
おかあさんが いるかぎり
ぼくは生きていくのです
脳性マヒを 生きていく
やさしさこそが 大切で
悲しさこそが 美しい
そんな 人の生き方を
教えてくれた おかあさん
おかあさん
あなたがそこに いるかぎり
*詩の中に不適切ととられかねない用語がありますが、
障害児本人の作品であり、原文を尊重しました。
産経新聞記者が調べた所、この詩はサンケイ出版で発刊されていた
この『おかあさん、ぼくが生まれてごめんなさい』に掲載されていた
ものということが判りました。
これは養護学校で言葉も十分に話せず手足も不自由な子供たちに言語教育を
していた向野先生が、脳性マヒの「やっちゃん」と一緒に作った詩でした。向野
先生があげる言葉に対し、表現したいことと一致すれば、目をぎゅっとつぶって
イエスのサイン、間違っていれば舌を出してノーのサインを送るという方法で、
詩作はすすめられたといいます。
生まれたときから重度の障害を持ったやっちゃんが、一生懸命、明るく生きた
15年間。そして、その死後、この詩が世間に与えた感動の輪などを余すことなく
描いた愛と感動のノンフィクション。時を経ての復刊です。
- 本の長さ277ページ
- 言語日本語
- 出版社産経新聞ニュースサービス
- 発売日2002/6/1
- ISBN-104594035930
- ISBN-13978-4594035938
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
お母さんへのすべての感謝を一篇の詩に凝縮させて2カ月後、やっちゃんは天国に旅立った。やっちゃんを見守ったすべての人の愛と涙に溢れた1冊。時を越えた愛と感動のノンフィクション。78年サンケイ出版刊の改訂。
登録情報
- 出版社 : 産経新聞ニュースサービス (2002/6/1)
- 発売日 : 2002/6/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 277ページ
- ISBN-10 : 4594035930
- ISBN-13 : 978-4594035938
- Amazon 売れ筋ランキング: - 406,843位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2016年8月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
38年前の本です。
この本の主人公の山田康文くんが作った詩です。
「ごめんなさいね おかあさん」
ごめんなさいね おかあさん
ごめんなさいね おかあさん
ぼくが生まれて ごめんなさい
ぼくを背負う かあさんの
細いうなじに ぼくは言う
ぼくさえ 生まれてなかったら
かあさんの しらがもなかったろうね
大きくなった このぼくを
背負って歩く 悲しさも
「かたわの子だね」とふりかえる
つめたい視線に 泣くことも
ぼくさえ 生まれなかったら
この詩をよんだお母さんは、やっちゃん(康文くん)に詩で返事しました。
わたしの息子よ ゆるしてね
わたしの息子よ ゆるしてね
このかあさんを ゆるしておくれ
お前が脳性マヒと知ったとき
ああごめんなさいと 泣きました
いっぱい いっぱい 泣きました
いつまでたっても 歩けない
お前を背負って 歩くとき
肩にくいこむ重さより
「歩きたかろうね」と 母心
“重くはない”と聞いている
あなたの心が せつなくて
わたしの息子よ ありがとう
ありがとう 息子よ
あなたのすがたを 見守って
お母さんは 生きていく
悲しいまでの がんばりと
人をいたわる ほほえみの
その笑顔で 生きている
脳性マヒの わが息子
そこに あなたがいるかぎり
以下は、それを受けてのやっちゃん(康文くん)の詩です。
ありがとう おかあさん
ありがとう おかあさん
おかあさんが いるかぎり
ぼくは 生きていくのです
脳性マヒを 生きていく
やさしさこそが、大切で
悲しさこそが 美しい
そんな 人の生き方を
教えてくれた おかあさん
おかあさん
あなたがそこに いるかぎり
生まれつき重度の脳性麻痺のやっちゃんは、体が動かせません、立つことも歩くこともできません、手足も指も動きません、話すこともできません、硬直した体を横たえるだけです。
食事は2時間かかります。噛むこと、口を動かすこと、舌を動かすことが困難なので食物は細かく刻んでゆっくり食べるのです。
車いすで移動するときは6本のヒモで体を支えなければ座った姿になれません。
でも心はあるのです。
気持ちはやさしいのです。
生きることが大好きなのです。
体が不自由な分だけ感受性は鋭敏で、感情は豊かです。
意思表示は、イエスの時はまぶたを閉じます、ノーの時は舌を出します。
それだけです。
やっちゃんは先生に手伝ってもらいながらこの詩を作りました。
先生の言葉に、気の遠くなるようなノーとイエスの繰り返しのあと数ヶ月かかって詩ができました。
残念ながらやっちゃんは昭和50年に15才で亡くなりました。
やっちゃんの詩はわたぼうしコンサートで発表され、テレビ、新聞で取り上げられ全国的な話題になりました。
詩は遠藤実さんが作曲し、森昌子さんが歌いました。
YouTubeでそれを見ることができます。
この本は、やっちゃんが生まれた時から、亡くなるまでの出来事が詳しく書かれています。
読んでて涙が止まりませんでした。
身体、動作、しぐさ、表情を使っての言語訓練により、やっちゃんの心の内が表現されるようになり、このような感動的な詩が生まれました。
人間には、多くの未知の可能性があることがわかります。
科学、医学の進展は日進月歩です。
かって死病と恐れられた結核は、適切な治療・療養で恐ろしい病気ではなくなりました。
今は軽い手術で治る盲腸炎は、かっては死の病で、罹患すればほとん死を免れませんでしたが、治療法の改善で劇的に死亡率が下がりました。
ガン、エイズもまた徐々に治癒率は上がっています。
脳科学、医療が進展すれば脳性マヒの治療法も開けていく可能性があるのです。
相模原障害者施設殺傷事件の犯人が、殺害した障がい者の中にはやっちゃんのような素晴らしい人間もいたことでしょう。
古びた障害者観と歪んだ思い込みから凶行に至った犯人は、許しがたく、とても納得も受け止めることもできません。
ヒトラーは精神障害者を20万人虐殺しました。
世の中の役に立たず、人の世話を必要とし、税金を浪費して社会的に生きる価値がないとの考えに基づく殺戮でした。
ヒトラーの社会的価値観、人間観のゆがみが原因です。
世の中は、社会に役立つ人のみが立派で、有用であるとの優勝劣敗・弱肉強食の考えが底流にあります。
古いですが昭和44年に毎日新聞が行ったアンケートがあります。
質問は「重度の障がい児を持つ親から”この子は死んだほうが幸せだったかもしれない”と聞かされたら、あなたはどう思いますか」です。
1400人から回答がありました。
25%の人は、「死んだほうが幸せだ」と言う意見に肯定的でした。
ハンセン病患者に対し堕胎、断種、不妊手術を強制していた優生保護法が廃止されたのは、わずか18年前です。
現代の日本でも出生前診断で胎児に異常があれば98%の女性は中絶しています。
アンケート実施から50年近い年月です。
今年、このアンケートを実施したら、どんな結果が出るでしょう。
高度成長期の日本で、マイカー時代が到来すると、日産サニーがライバルのトヨタカローラに語るテレビコマーシャルを放映しました。
日産がサニーを1200ccに改良し、カローラの1100ccを上回ったので「隣の車が小さく見えま~す」と自慢気に語るという内容です。
実に上手い、それでいて何ともいやらしいTVCMでした。
これは、「他人不幸は蜜の味」「あら、うれしい となりの蔵が焼け落ちる」「となりに蔵が立ちゃ わしゃ 腹が立つ」と同列です。
人間には、このような本性があると考えます。
やっちゃんの詩は、障がいを持つ子供に「ごめんなさい」と言わせている社会に問題があるのでは、と問いかけているとも言えるでしょう。
この本の主人公の山田康文くんが作った詩です。
「ごめんなさいね おかあさん」
ごめんなさいね おかあさん
ごめんなさいね おかあさん
ぼくが生まれて ごめんなさい
ぼくを背負う かあさんの
細いうなじに ぼくは言う
ぼくさえ 生まれてなかったら
かあさんの しらがもなかったろうね
大きくなった このぼくを
背負って歩く 悲しさも
「かたわの子だね」とふりかえる
つめたい視線に 泣くことも
ぼくさえ 生まれなかったら
この詩をよんだお母さんは、やっちゃん(康文くん)に詩で返事しました。
わたしの息子よ ゆるしてね
わたしの息子よ ゆるしてね
このかあさんを ゆるしておくれ
お前が脳性マヒと知ったとき
ああごめんなさいと 泣きました
いっぱい いっぱい 泣きました
いつまでたっても 歩けない
お前を背負って 歩くとき
肩にくいこむ重さより
「歩きたかろうね」と 母心
“重くはない”と聞いている
あなたの心が せつなくて
わたしの息子よ ありがとう
ありがとう 息子よ
あなたのすがたを 見守って
お母さんは 生きていく
悲しいまでの がんばりと
人をいたわる ほほえみの
その笑顔で 生きている
脳性マヒの わが息子
そこに あなたがいるかぎり
以下は、それを受けてのやっちゃん(康文くん)の詩です。
ありがとう おかあさん
ありがとう おかあさん
おかあさんが いるかぎり
ぼくは 生きていくのです
脳性マヒを 生きていく
やさしさこそが、大切で
悲しさこそが 美しい
そんな 人の生き方を
教えてくれた おかあさん
おかあさん
あなたがそこに いるかぎり
生まれつき重度の脳性麻痺のやっちゃんは、体が動かせません、立つことも歩くこともできません、手足も指も動きません、話すこともできません、硬直した体を横たえるだけです。
食事は2時間かかります。噛むこと、口を動かすこと、舌を動かすことが困難なので食物は細かく刻んでゆっくり食べるのです。
車いすで移動するときは6本のヒモで体を支えなければ座った姿になれません。
でも心はあるのです。
気持ちはやさしいのです。
生きることが大好きなのです。
体が不自由な分だけ感受性は鋭敏で、感情は豊かです。
意思表示は、イエスの時はまぶたを閉じます、ノーの時は舌を出します。
それだけです。
やっちゃんは先生に手伝ってもらいながらこの詩を作りました。
先生の言葉に、気の遠くなるようなノーとイエスの繰り返しのあと数ヶ月かかって詩ができました。
残念ながらやっちゃんは昭和50年に15才で亡くなりました。
やっちゃんの詩はわたぼうしコンサートで発表され、テレビ、新聞で取り上げられ全国的な話題になりました。
詩は遠藤実さんが作曲し、森昌子さんが歌いました。
YouTubeでそれを見ることができます。
この本は、やっちゃんが生まれた時から、亡くなるまでの出来事が詳しく書かれています。
読んでて涙が止まりませんでした。
身体、動作、しぐさ、表情を使っての言語訓練により、やっちゃんの心の内が表現されるようになり、このような感動的な詩が生まれました。
人間には、多くの未知の可能性があることがわかります。
科学、医学の進展は日進月歩です。
かって死病と恐れられた結核は、適切な治療・療養で恐ろしい病気ではなくなりました。
今は軽い手術で治る盲腸炎は、かっては死の病で、罹患すればほとん死を免れませんでしたが、治療法の改善で劇的に死亡率が下がりました。
ガン、エイズもまた徐々に治癒率は上がっています。
脳科学、医療が進展すれば脳性マヒの治療法も開けていく可能性があるのです。
相模原障害者施設殺傷事件の犯人が、殺害した障がい者の中にはやっちゃんのような素晴らしい人間もいたことでしょう。
古びた障害者観と歪んだ思い込みから凶行に至った犯人は、許しがたく、とても納得も受け止めることもできません。
ヒトラーは精神障害者を20万人虐殺しました。
世の中の役に立たず、人の世話を必要とし、税金を浪費して社会的に生きる価値がないとの考えに基づく殺戮でした。
ヒトラーの社会的価値観、人間観のゆがみが原因です。
世の中は、社会に役立つ人のみが立派で、有用であるとの優勝劣敗・弱肉強食の考えが底流にあります。
古いですが昭和44年に毎日新聞が行ったアンケートがあります。
質問は「重度の障がい児を持つ親から”この子は死んだほうが幸せだったかもしれない”と聞かされたら、あなたはどう思いますか」です。
1400人から回答がありました。
25%の人は、「死んだほうが幸せだ」と言う意見に肯定的でした。
ハンセン病患者に対し堕胎、断種、不妊手術を強制していた優生保護法が廃止されたのは、わずか18年前です。
現代の日本でも出生前診断で胎児に異常があれば98%の女性は中絶しています。
アンケート実施から50年近い年月です。
今年、このアンケートを実施したら、どんな結果が出るでしょう。
高度成長期の日本で、マイカー時代が到来すると、日産サニーがライバルのトヨタカローラに語るテレビコマーシャルを放映しました。
日産がサニーを1200ccに改良し、カローラの1100ccを上回ったので「隣の車が小さく見えま~す」と自慢気に語るという内容です。
実に上手い、それでいて何ともいやらしいTVCMでした。
これは、「他人不幸は蜜の味」「あら、うれしい となりの蔵が焼け落ちる」「となりに蔵が立ちゃ わしゃ 腹が立つ」と同列です。
人間には、このような本性があると考えます。
やっちゃんの詩は、障がいを持つ子供に「ごめんなさい」と言わせている社会に問題があるのでは、と問いかけているとも言えるでしょう。
2020年12月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
読めて良かったです。中古の本の割には綺麗でした。著者の温かさが伝わって来ました。
2020年2月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
Amazonのサイトをサーフィンしていて偶然出会った本でしたが、本を開いた直後、最初の一片の詩に強い衝撃を受けました。この本の主人公で重度の障害者の少年と、彼を支える母親の、これほど純粋で優しい気持ちが、こんなにもまっすぐに伝わってくる詩に心を打たれたのです。その後も読み進めるたび溢れる涙を止めることができませんでした。
優しさこそが 大切で
悲しさこそが 美しい
大きな優しさの隣には、深い悲しみがある。「悲しさ」を「美しい」と表現する感受性。
絶望の隣に希望がそっと腰掛けるように、人は心の在り様ひとつで人生を変えることができると教えてくれます。
この本を読み終えた時、失いかけていた人を信じる気持ちが再び顔を上げ、自分らしく生きようと力強く立ち上がる気持ちを感じていました。
心を打つ、すばらしい本に出会えたことに感謝しています。
優しさこそが 大切で
悲しさこそが 美しい
大きな優しさの隣には、深い悲しみがある。「悲しさ」を「美しい」と表現する感受性。
絶望の隣に希望がそっと腰掛けるように、人は心の在り様ひとつで人生を変えることができると教えてくれます。
この本を読み終えた時、失いかけていた人を信じる気持ちが再び顔を上げ、自分らしく生きようと力強く立ち上がる気持ちを感じていました。
心を打つ、すばらしい本に出会えたことに感謝しています。
2018年10月31日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
現在63歳、医療に携わるものです。
16年ほど、重度心身障害者の入院する病院に勤めたことがあり、身内に障害者はいないものの、仕事で関わって来たという自負があり、ある程度、障害者とその保護者、社会の見る目など理解しているつもりでした。
タイトルのお母さんぼくが生まれてごめんなさい、というフレーズも自分なりにその言葉の背景を理解しているつもりでした。
読み進めていくにつれ、自分の理解をはるかに超える障害者自身の思い、保護者や家族の思いに触れるにつれ、一言では語りつくせない思いに触れ、自分の理解の浅はかさを思い知らされました。
本文後段に、主人公の詩が記されいますが、胸の奥から熱いものがこみ上げ、読み進めることができなくなりました。
私が務めていた病院では、障害児とはいえ60歳を超えた方も入院していました。
こんな議論がされたことがあります。
障害者として還暦を迎えた入院患者と、若い時、汗水流して働き、還暦前に脳卒中などで重い障害を負って還暦を迎えたかた、社会に貢献してきて、今障害者となっている方と同じように扱うことはどうなのかと
真剣に議論したことがあります。
この本を読み終えて、一緒に議論してはいけないことだと、考えを改めることができました。
私たち健常者が生きていく上で大切なものをたくさん教えてくださっていると思います。
一人でも多くの方に本書に触れる機会を増やして頂ければと思う次第です。
15歳の短い生涯を全うした康文くん、神様から、もう十分すぎるほど社会に対して大切な役目を果たしたから、かえっておいでと召されたのかなあと思っているところです
16年ほど、重度心身障害者の入院する病院に勤めたことがあり、身内に障害者はいないものの、仕事で関わって来たという自負があり、ある程度、障害者とその保護者、社会の見る目など理解しているつもりでした。
タイトルのお母さんぼくが生まれてごめんなさい、というフレーズも自分なりにその言葉の背景を理解しているつもりでした。
読み進めていくにつれ、自分の理解をはるかに超える障害者自身の思い、保護者や家族の思いに触れるにつれ、一言では語りつくせない思いに触れ、自分の理解の浅はかさを思い知らされました。
本文後段に、主人公の詩が記されいますが、胸の奥から熱いものがこみ上げ、読み進めることができなくなりました。
私が務めていた病院では、障害児とはいえ60歳を超えた方も入院していました。
こんな議論がされたことがあります。
障害者として還暦を迎えた入院患者と、若い時、汗水流して働き、還暦前に脳卒中などで重い障害を負って還暦を迎えたかた、社会に貢献してきて、今障害者となっている方と同じように扱うことはどうなのかと
真剣に議論したことがあります。
この本を読み終えて、一緒に議論してはいけないことだと、考えを改めることができました。
私たち健常者が生きていく上で大切なものをたくさん教えてくださっていると思います。
一人でも多くの方に本書に触れる機会を増やして頂ければと思う次第です。
15歳の短い生涯を全うした康文くん、神様から、もう十分すぎるほど社会に対して大切な役目を果たしたから、かえっておいでと召されたのかなあと思っているところです
2020年11月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
障害のある子を産んだ母、障害のある身体で産まれた息子が、お互いを思いやる詩の内容に涙が溢れて止まりません。健常者として生まれた人達は老いることにより、あらゆる障害を抱えて生きてきた方々と、同じような不具合を抱えて日常生活を過ごすようになることを知らずに生きていたことだろう。この本を読めば、誰もが障害のある方が健常者とは違う厄介者だとは思わず、老いた自分の姿だと思える内容の本に感銘を受けた。教科書になればいい。
2019年12月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
私の息子も脳性麻痺です。
今の時代の私達がいかに恵まれた環境で暮らしているのかを改めて認識しました。
感謝
今の時代の私達がいかに恵まれた環境で暮らしているのかを改めて認識しました。
感謝
2022年6月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
表題の通りである。作者の背景として展開はあるが、いずれも支援者サイドの意見でしかない。
「ぼくが生まれてごめんなさい」の紹介があるが、作成された当時は優生保護法による強制不妊手術が「推奨」された時代でもある。さらに、別の書籍では60年代にそうした不妊手術により生殖機能を失った患者の詩が紹介されている。そうした時代背景に対する考察が欠けており、感情論で話が進んでいる点に注意を要する。
「ぼくが生まれてごめんなさい」の紹介があるが、作成された当時は優生保護法による強制不妊手術が「推奨」された時代でもある。さらに、別の書籍では60年代にそうした不妊手術により生殖機能を失った患者の詩が紹介されている。そうした時代背景に対する考察が欠けており、感情論で話が進んでいる点に注意を要する。