現代の儀式についても勿論ですが、歴史的な経緯について詳細に知る事が出来るのが
この本の隠れた魅力です。
例えば三種の神器はどの天皇で失われて、どのように代用されて作られてきたか?
意外と知らない事がかなり淡々とした書き方ではありますが読み取る事が出来ます。
平安時代の儀礼と歳事 (平安時代の文学と生活)
でも昔の宮中行事について知ることが
出来るのですが、時代を経ても変わらないものですね。
平家物語をよく読むと、こうした背景的な基礎知識も一通り勉強したくなるものです。

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宮中祭祀: 連綿と続く天皇の祈り 単行本 – 2010/8/1
中澤 伸弘
(著)
- 本の長さ150ページ
- 言語日本語
- 出版社展転社
- 発売日2010/8/1
- ISBN-104886563465
- ISBN-13978-4886563460
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登録情報
- 出版社 : 展転社 (2010/8/1)
- 発売日 : 2010/8/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 150ページ
- ISBN-10 : 4886563465
- ISBN-13 : 978-4886563460
- Amazon 売れ筋ランキング: - 111,015位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2019年10月15日に日本でレビュー済み
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ますます天皇に感謝を感じました。
2018年7月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
勉強になりましたが、個々の祭祀についてもう少し深く掘り下げた解説が知りたかったです。値段のわりには本が少し薄い気がします。
2013年4月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
茶色の部分は帯ではなくして表紙の一部です。帯希望な方は迷わずご購入ください。何故かこの書物の古書が500円以下で出回ることは少ないようだから。突っ込みどころ満載という意味では星4つだが、嘘を承知で邪な心で書かれているので、知識の無い人が読むと極めて危険です。『国体の本義』が刊行された時期に文部省教学局(「教学」とはおそれいった。かつて文部省は宗教団体の武門をもっていたようだ。日本史上最低最悪の文部大臣だった下村博文はそれを望んでいた。)が肝いりで多くのファッショ的な小冊子が有名学者に依頼して書かせたが、それと同種の部類に属する。神道学会の中のまともな研究者からみれば、彼のキャリアは終わったと見られるかもしれない。
しかし天皇は祭司王(人間でなくてもよいものという意味ではなくて神官王という意味で)でこの書物は始まる。この時点でこの書物は日本会議・神社本庁・神道政治連盟などのプロパガンダの書物であることがはっきりしている。
矢作直樹氏の一連の著作の中の『天皇』を読んだ方は検索でこの書物の存在に気がつくところです。
著者は国学院大學卒の近世和歌研究者で小学校の教諭をしておられるようだ。
国学の歴史について一般書とはいえ良質なものを書いているので、無知馬鹿ではないことは明らかです。
期待しつつ入手して最初の頁に「祭司王」という言葉が出てきて読む価値のないものであることが判った。
お決まりの『禁秘鈔』のつまみ食い引用(メモ書き的なこの書物の書かれた時代背景や、筆者である順徳天皇という人物など一切無視)が行われている。近世和歌ならば、霊元天皇と光格天皇の仏教信仰の深さについて知らない筈はないが、一切無視。
)
そもそも宮中祭祀などと巷で言われるが、そんなものは明治年間にでっちあげられた紛い物です。宮中三殿はそのよい例です。明治迄宮中祭祀を担当していた白川伯王家や土御門家や高徳井家(賀茂神社)の当主以下の神官たちは明治維新でお払い箱になったことも触れられていない。
平安時代の儀礼と歳事 (平安時代の文学と生活)をみても宮中三殿など何処にも出ていないことではっきりするでしょう。
賢所大前之儀などというのは仰々しい言葉で飾り立てた出鱈目もよいところ。
ところが個々の構成要素に関しては古いものもあるので、並べてかけば、さもそういうものであるかのように錯覚させられる。
明治維新で宮中に勤務していた様々な神官たちは追い出されてしまって東京には来なかった。歴代天皇や皇族で義務として神官の修行を行った人は皆無だし、引退後に神官となった例も皆無です。つまり連綿は嘘八百。
祭主として祭事に参加したり、神として扱われることは祭りのやり方を伝承している神官とは全く違うものです。
嘘の空間に生きたことを知らずに己の体験を述べているのが『宮中賢所物語』です。
天皇をこんな穢らわしい紛い物を行う神官などと思わせることは歴代天皇が果たして着た様々な役割や貢献に泥を塗るばかりか、天皇制そのものを廃止に導くことになりかねないことです。神官だということにされて国事行為を奪われて棚上げされることです。いい加減に目覚めてください。
しかし天皇は祭司王(人間でなくてもよいものという意味ではなくて神官王という意味で)でこの書物は始まる。この時点でこの書物は日本会議・神社本庁・神道政治連盟などのプロパガンダの書物であることがはっきりしている。
矢作直樹氏の一連の著作の中の『天皇』を読んだ方は検索でこの書物の存在に気がつくところです。
著者は国学院大學卒の近世和歌研究者で小学校の教諭をしておられるようだ。
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期待しつつ入手して最初の頁に「祭司王」という言葉が出てきて読む価値のないものであることが判った。
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)
そもそも宮中祭祀などと巷で言われるが、そんなものは明治年間にでっちあげられた紛い物です。宮中三殿はそのよい例です。明治迄宮中祭祀を担当していた白川伯王家や土御門家や高徳井家(賀茂神社)の当主以下の神官たちは明治維新でお払い箱になったことも触れられていない。
平安時代の儀礼と歳事 (平安時代の文学と生活)をみても宮中三殿など何処にも出ていないことではっきりするでしょう。
賢所大前之儀などというのは仰々しい言葉で飾り立てた出鱈目もよいところ。
ところが個々の構成要素に関しては古いものもあるので、並べてかけば、さもそういうものであるかのように錯覚させられる。
明治維新で宮中に勤務していた様々な神官たちは追い出されてしまって東京には来なかった。歴代天皇や皇族で義務として神官の修行を行った人は皆無だし、引退後に神官となった例も皆無です。つまり連綿は嘘八百。
祭主として祭事に参加したり、神として扱われることは祭りのやり方を伝承している神官とは全く違うものです。
嘘の空間に生きたことを知らずに己の体験を述べているのが『宮中賢所物語』です。
天皇をこんな穢らわしい紛い物を行う神官などと思わせることは歴代天皇が果たして着た様々な役割や貢献に泥を塗るばかりか、天皇制そのものを廃止に導くことになりかねないことです。神官だということにされて国事行為を奪われて棚上げされることです。いい加減に目覚めてください。