律令時代の算学から和算、そして維新後の西洋の科学の受け入れまで一気呵成
奈良時代には国家の運営に必要な程度の統計はできていたとか
和算は美学であったとか色々
数学教育のあり方とかも思わず考え込んでしまう、そういう良著
算数や数学を遣りたくもないのに勉強「しさされて」きたけど、なんとなく世の中との関係が見えてきたなあって思える人にお勧め

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「数」の日本史: われわれは数とどう付き合ってきたか 文庫 – 2007/6/1
伊達 宗行
(著)
- 本の長さ334ページ
- 言語日本語
- 出版社日経BPマーケティング(日本経済新聞出版
- 発売日2007/6/1
- ISBN-104532194008
- ISBN-13978-4532194000
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登録情報
- 出版社 : 日経BPマーケティング(日本経済新聞出版; New版 (2007/6/1)
- 発売日 : 2007/6/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 334ページ
- ISBN-10 : 4532194008
- ISBN-13 : 978-4532194000
- Amazon 売れ筋ランキング: - 595,622位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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2012年5月12日に日本でレビュー済み
縄文時代から現代までの日本の「数文化」の変遷をたどる異色の数学史。リズミカルに唱えることのできる我が国の九九の暗算、インド人の巨大数の単位「恒河紗」(10の52乗)[ごうがしゃ]、班田収受や平城京の設計など測量と土木に果たした数学の役割、金利計算や米の秤量と数学の関係、「そろばん」のルーツと計算機としての意義、円周率の変遷などいろいろな話が盛り込まれてい。
<第1ラウンド>、縄文時代には十二進法があったのではということを三内丸山遺跡大型掘立柱建造物から推測して話を始め、古代数詞の世界に分け入り、律令時代には算経、算術が官中心に進められたが、そこには大陸数文化の影響が認められたということが書かれている。
<第2ラウンド>、 平安、中世の数世界を探索するが、ここでは平安という安定期の貴族社会での一種「理科離れ」、算学、暦法の後退の対極に、民間の数常識の進展、僧侶集団の算学の展開があったことが指摘されている。中世後半からは数文化が育ってくる。これらは室町時代の貨幣経済の進展にともなう実務的な計算力に象徴されるという。
<第3ラウンド>は、江戸時代に入って数文化の興隆。凡下の者から算学が育ち始め、しだいに数理の世界への関心が高まり、和算(関孝和に始まり,建部賢弘、松永良弼、久留島義太によって展開され,安島直円、和田寧に引き継がれた)に結実。1592年に程大位の書いた「算法統法」が消化され「塵劫記」となって大衆に受け入れられ、急速に普及したことが大きかったようである。そして、数学の世界水準となった和算。著者は和算興隆の契機を3つあげている。第1は「塵劫記」などに見られる初等数学の確立、第2は「算学啓蒙」の天元術の出現、第3は「同文算指」などによる逐次近似法導入という「西洋数学効果」。
<第4ラウンド>、明治維新後から現代にいたる洋算の受容。ここでは菊池大麓(西洋数学の核心を最初に理解した日本人)の貢献、明治時代の教科書の内容、計算尺の盛衰、戦後の学習指導要領などについて触れられている。最後は「分数計算のできない大学生」の話題で終わる。全体に荒削りなのは否めませんが、日本の算文化を濃縮して纏めた点は見事。
<第1ラウンド>、縄文時代には十二進法があったのではということを三内丸山遺跡大型掘立柱建造物から推測して話を始め、古代数詞の世界に分け入り、律令時代には算経、算術が官中心に進められたが、そこには大陸数文化の影響が認められたということが書かれている。
<第2ラウンド>、 平安、中世の数世界を探索するが、ここでは平安という安定期の貴族社会での一種「理科離れ」、算学、暦法の後退の対極に、民間の数常識の進展、僧侶集団の算学の展開があったことが指摘されている。中世後半からは数文化が育ってくる。これらは室町時代の貨幣経済の進展にともなう実務的な計算力に象徴されるという。
<第3ラウンド>は、江戸時代に入って数文化の興隆。凡下の者から算学が育ち始め、しだいに数理の世界への関心が高まり、和算(関孝和に始まり,建部賢弘、松永良弼、久留島義太によって展開され,安島直円、和田寧に引き継がれた)に結実。1592年に程大位の書いた「算法統法」が消化され「塵劫記」となって大衆に受け入れられ、急速に普及したことが大きかったようである。そして、数学の世界水準となった和算。著者は和算興隆の契機を3つあげている。第1は「塵劫記」などに見られる初等数学の確立、第2は「算学啓蒙」の天元術の出現、第3は「同文算指」などによる逐次近似法導入という「西洋数学効果」。
<第4ラウンド>、明治維新後から現代にいたる洋算の受容。ここでは菊池大麓(西洋数学の核心を最初に理解した日本人)の貢献、明治時代の教科書の内容、計算尺の盛衰、戦後の学習指導要領などについて触れられている。最後は「分数計算のできない大学生」の話題で終わる。全体に荒削りなのは否めませんが、日本の算文化を濃縮して纏めた点は見事。
2002年9月1日に日本でレビュー済み
この本の大半は、「日本の数学史」です。わたくし「二一テンサクの五」ってどこかで耳にして何だろうなあ、と思っていたのですが、これ「一を二で割るときの、そろばんの玉の置き方」だったんです。かつての算術書でこういったそろばん指南書が含まれてて、九九と同様に玉の置き方を暗記していたのだそうです。今でもそろばん塾でやってるのかな。それにしましても、この本は、わが国の数学の歴史を縄文や、ことば(数詞)の分析から入り、奈良平安を経て江戸期という和算の頂点に至るお話、さらに明治からの洋学の取り入れ、教育における算数の完成(昭和10年の「小学算術」(緑表紙)は、現在のものよりずっと完成度が高いそうです。内容は本文参照)、戦後の「レベルダウン」に至ります(「円周率は3ちょい」というのがその到達点だそうです。納得ですね)。これまで「雑学」でしかなかった、「日本の数学」「和算」が「歴史」になって、ちゃんとしたものになったという感慨があります。著者の功績は多大です。この本では江戸期の和算学者についてかなり詳しく触れられていますが、今後この本に触発されて、各時代の数学の研究が掘り下げられていくのではないでしょうか。いくつかの例題も掲載されていますが、わたしの興味としては、「和算による解法」を詳しく知りたいです。別の本の出版に期待したいです。この文タイトルの「無数の模倣と・・・」の言葉は、終盤の「現在の教育の問題点と提案」について書かれたパートにあります。もう、本当にその通りです。たしか、狂言の野村萬斎氏も全く同じような内容のことを最近政府の審議会かなにかで述べておられたと思います(小泉メールマガジンに載っていました)。ここらへんがわからずに「ゆとり教育」とか言ってもそれはただのレベルダウンであるという著者の主張に大賛成です。著者は「九九だけはなくさないで」とたいへん控えめですが、暗記すべきものは山ほどあると思います。それから「現在は、かつての平安期のように、外来文化を大量摂取した後の、弛緩期にあたり、今後の独創への準備期間と思いたい」という「文明史観」も新鮮でなるほどでした。ぜひ学校の先生方に読んで欲しい本です。けどレベルの低い先生ほど、こんな本には手を出さないだろうなあ。