深さの肖像
憂鬱という淵源―デモクラシーへの問い、自己への問い
運動と停滞―平等の力学の帰結
切断と連続―アンシァン・レジームとフランス革命
部分の消失―分離する個と全体
群れの登場―新しい社会と政治の姿
形式の追求―人間の条件に向けて
トクヴィルと「われわれ」
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トクヴィル 現代へのまなざし (岩波新書) 新書 – 2010/9/18
富永 茂樹
(著)
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『アメリカのデモクラシー』『アンシァン・レジームとフランス革命』で知られるフランスの思想家トクヴィル(1805-59)。デモクラシーのもとで生じる政治と社会の本質的な変容を深く観察した彼は、人間の未来をどう考えていたのか。生涯いだいていた彼の憂鬱な感情を手がかりにして、トクヴィルの思想を読み解いていく。
- 本の長さ256ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日2010/9/18
- ISBN-10400431268X
- ISBN-13978-4004312680
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2010/9/18)
- 発売日 : 2010/9/18
- 言語 : 日本語
- 新書 : 256ページ
- ISBN-10 : 400431268X
- ISBN-13 : 978-4004312680
- Amazon 売れ筋ランキング: - 287,785位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,352位岩波新書
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2020年9月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
美本で気持ちがよいです。まだ未読ですが対応、商品、特に問題なく気に入りました。お世話様です。
2018年1月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
最近、トクヴィルに関する講演を行った際、「アメリカの民主政治」を読み返したうえ、この岩波新書を購入し参考にしたが、物足りな点がいくつかあった。
トランプ政権が誕生して以来もう1年あまりになるが依然としてポピュリズムが世界中で話題となっている。
しかし、日本ではあまり論じられていない論点がある。
それは、トクヴィが強調している「民主的な専制」の中の2つの問題であり、その核心は「精神にまで及ぶ権力」と「行政の中央集権化」である。
本書は、「精神にまで及ぶ権力」につき「文明の進歩は専制までも完璧にした」点については、簡単に解説しているものの、後者の問題「行政の中央集権化」については殆ど解説していないのが物足りない。
何故か?与党内の安倍一強によって、防衛問題などで日米連携の強化などよくやっているプラス面もあるが、国内的には、行政の中央集権化も水面下で深く静かに進行しているからだ。
トクヴィルは「平等の拡大に伴い行政における中央集権化が発動され、その濫用も起こってくる。」と度々指摘している。
そこで興味あるのは、トクヴィルが「公権力は個別的な私事に干渉すべきでないというのが一般原則として、多数の人々によって認められている。けれども、例外として各人はある特定の問題につき政府に助けてもらいたいと思っている。」という指摘である。
この指摘は的を得ている。
例えば、加計理事長が友人関係にある首相に暗黙の了解でヘルプを求めたという事実が存在したとしても、また、首相に近い行政担当者が「忖度をもって」応えたとしても、トクヴィルの視点から見れば十分ありうる話に思える。この点がトクヴィルによっても示唆されている点興味深いではないか?
トクヴィルは「多くの人々は多くの種々別々の物事について政府のヘルプを受けたいという願望を同時に持っているので、各人はそれぞれ中央権力を制限したいと思っても、中央権力の勢力範囲はあらゆる方面に感知されないままで拡大していくのである。」と表現している。
これは、安倍政権が議会運営上、安定的多数のメリットを生かしている実行力を強めている反面、行政官僚による「忖度」などによって静かに中央権力が拡大していく傾向を見事に示唆しているではないか。
トランプ政権が誕生して以来もう1年あまりになるが依然としてポピュリズムが世界中で話題となっている。
しかし、日本ではあまり論じられていない論点がある。
それは、トクヴィが強調している「民主的な専制」の中の2つの問題であり、その核心は「精神にまで及ぶ権力」と「行政の中央集権化」である。
本書は、「精神にまで及ぶ権力」につき「文明の進歩は専制までも完璧にした」点については、簡単に解説しているものの、後者の問題「行政の中央集権化」については殆ど解説していないのが物足りない。
何故か?与党内の安倍一強によって、防衛問題などで日米連携の強化などよくやっているプラス面もあるが、国内的には、行政の中央集権化も水面下で深く静かに進行しているからだ。
トクヴィルは「平等の拡大に伴い行政における中央集権化が発動され、その濫用も起こってくる。」と度々指摘している。
そこで興味あるのは、トクヴィルが「公権力は個別的な私事に干渉すべきでないというのが一般原則として、多数の人々によって認められている。けれども、例外として各人はある特定の問題につき政府に助けてもらいたいと思っている。」という指摘である。
この指摘は的を得ている。
例えば、加計理事長が友人関係にある首相に暗黙の了解でヘルプを求めたという事実が存在したとしても、また、首相に近い行政担当者が「忖度をもって」応えたとしても、トクヴィルの視点から見れば十分ありうる話に思える。この点がトクヴィルによっても示唆されている点興味深いではないか?
トクヴィルは「多くの人々は多くの種々別々の物事について政府のヘルプを受けたいという願望を同時に持っているので、各人はそれぞれ中央権力を制限したいと思っても、中央権力の勢力範囲はあらゆる方面に感知されないままで拡大していくのである。」と表現している。
これは、安倍政権が議会運営上、安定的多数のメリットを生かしている実行力を強めている反面、行政官僚による「忖度」などによって静かに中央権力が拡大していく傾向を見事に示唆しているではないか。
2014年10月3日に日本でレビュー済み
序章「深さの肖像」は、トクヴィルの経歴について。
第1章「憂鬱という淵源――デモクラシーへの問い、自己への問い」は、トクヴィル自身とその時代における「憂鬱な気質」を取り上げつつ、トクヴィルのアメリカ旅行について。
第2章「運動と停滞――平等の力学と帰結」は、『アメリカのデモクラシー』を取り上げ、「平等」と平等が生み出す「平等への愛着」との区別から、状態としてのデモクラシーと運動としてのデモクラシーとの2つを区別による平等の力学について。
第3章「切断と連続――アンシャン・レジームとフランス革命」は、『アンシャン・レジームとフランス革命』を取り上げ、「巨大な中央集権」と「社会の画一化」について。
第4章「部分の消失――分離する個と全体」は、個人主義とアソシアシオン論について。
第5章「群れの登場――新しい社会と政治の姿」は、「社会問題」の発見と「民主的な専制」について。
第6章「形式の追求――人間の条件に向けて」は、人間の「社会化」について、家族、教育、宗教などを取り上げる。
終章「トクヴィルと『われわれ』」は、日本におけるトクヴィル受容について。
以下、簡単な批評。
1) 本書は、トクヴィルの『デモクラシー』について、同時代に看取した諸問題に対する解決策を、旧大陸と比較しつつアメリカ社会に求めたものであるとする解釈を一面的であると批判しつつ、トクヴィルはそれだけではなく、人間を社会化する条件として「形式」の必要を説いたものであると論じるものである。
2) トクヴィルにおける植民地主義の問題が取り上げられていないのが残念に思える。また本書は、都市化と貧困の問題におけるトクヴィルの「限界」を指摘しているが、これに関連して、彼の「社会主義」に対する批判的な態度については論じてはいない。
3) しかし本書は、新書という紙幅の制限の中、単にトクヴィルのテクストのみを問題にするのではなく、デュルケームやモンテスキューとの関連や、フーコーの議論に依りつつ、重農学派を取り上げるなど、興味深い多くのものを含んでいる。一貫した視点から書かれており、文章も平易で読みやすい。一読を勧めたい。
Amazonで購入
序章「深さの肖像」は、トクヴィルの経歴について。
第1章「憂鬱という淵源――デモクラシーへの問い、自己への問い」は、トクヴィル自身とその時代における「憂鬱な気質」を取り上げつつ、トクヴィルのアメリカ旅行について。
第2章「運動と停滞――平等の力学と帰結」は、『アメリカのデモクラシー』を取り上げ、「平等」と平等が生み出す「平等への愛着」との区別から、状態としてのデモクラシーと運動としてのデモクラシーとの2つを区別による平等の力学について。
第3章「切断と連続――アンシャン・レジームとフランス革命」は、『アンシャン・レジームとフランス革命』を取り上げ、「巨大な中央集権」と「社会の画一化」について。
第4章「部分の消失――分離する個と全体」は、個人主義とアソシアシオン論について。
第5章「群れの登場――新しい社会と政治の姿」は、「社会問題」の発見と「民主的な専制」について。
第6章「形式の追求――人間の条件に向けて」は、人間の「社会化」について、家族、教育、宗教などを取り上げる。
終章「トクヴィルと『われわれ』」は、日本におけるトクヴィル受容について。
以下、簡単な批評。
1) 本書は、トクヴィルの『デモクラシー』について、同時代に看取した諸問題に対する解決策を、旧大陸と比較しつつアメリカ社会に求めたものであるとする解釈を一面的であると批判しつつ、トクヴィルはそれだけではなく、人間を社会化する条件として「形式」の必要を説いたものであると論じるものである。
2) トクヴィルにおける植民地主義の問題が取り上げられていないのが残念に思える。また本書は、都市化と貧困の問題におけるトクヴィルの「限界」を指摘しているが、これに関連して、彼の「社会主義」に対する批判的な態度については論じてはいない。
3) しかし本書は、新書という紙幅の制限の中、単にトクヴィルのテクストのみを問題にするのではなく、デュルケームやモンテスキューとの関連や、フーコーの議論に依りつつ、重農学派を取り上げるなど、興味深い多くのものを含んでいる。一貫した視点から書かれており、文章も平易で読みやすい。一読を勧めたい。
2012年5月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
民主主義、自由、平等に興味のある方へ!
おもしろかったー!
原典を読みたくなりました。
おもしろかったー!
原典を読みたくなりました。
2016年6月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
アメリカのデモクラシー(第1巻)を途中まで読んだが、いまひとつピンとこないので、本書をとってみた。後掲年表によれば、トクヴィル30才の時、アメリカのデモクラシー(第1巻)出版、その後34才の時、下院議員となる(44才の時には、外務大臣になっている)。よって、「アメリカのデモクラシー」は議員選挙のための政策提言のようなものを含んでいると考えられなくもない。徳富蘇峰はそのようなものとして読んだのではないかと推測される。
当時のフランスの人は「アメリカのデモクラシー」を読みながら、対比的にフランスのデモクラシーについて考えをめぐらしただろう。政策立案には社会学的なアプローチ(行政や税務の情報収集・分析等)やどのような社会を目指すのかという価値観(思想・歴史観等)が必要であろう。
このような観点から、読書を再開したいと思う。
当時のフランスの人は「アメリカのデモクラシー」を読みながら、対比的にフランスのデモクラシーについて考えをめぐらしただろう。政策立案には社会学的なアプローチ(行政や税務の情報収集・分析等)やどのような社会を目指すのかという価値観(思想・歴史観等)が必要であろう。
このような観点から、読書を再開したいと思う。
2011年11月17日に日本でレビュー済み
アリストクラシー時代の人間は身分の違う人間が何を感じているか理解できない。
「民主的な世紀には、人が人のために身を犠牲にする事は滅多にないが、人類全員に広く思いやりを示す」
民主化(諸条件の平等)が進んだ後の人間は、自身が所属する地点を人類に見出す。
万人を人類の一員と考える事で他者の苦痛を自身の苦痛と受け止める。
「世界に人間というものは存在しない」(メストル)
人類という全体の(それを超える)外部は存在しない。
人類は一般的同情・共感の対象となるが、その共感から具体的結合関係は生じない。
人類の一員である人間は日常生活では、社会から孤立し砂粒のような状態。
原子化した個人の感受性は人類まで拡大するが、関心は自身と周辺の少数の家族や友人にしか向かわない。
具体的人間関係や部分社会には無関心(アパシー)が広がる。
これが個人主義。(個人主義は1820年代後半で初登場)
利己主義:個人が利益を外部に過度に主張する傾向。
個人主義:外部から切り離され、自身の関心へ内向していく傾向。
デモクラシーでは人類としての義務は意識されるが、特定の人間に対する義務感は希薄になる。
「人間的感情の絆は広がり、かつ緩む」
「住民は既にいるが、社会はまだ存在しない」
社会が存在しないとは、住民の間に社会的紐帯が存在しないという事。
独立は孤立であり、そこに交流はない。
全体と個の中間=部分が存在していない。
人間は人類という全体と小さくて無力な個の間で引き裂かれているが、この意識を現実の社会の統治の次元に移し変えた場合、外部を持たない人類は社会集団になりえない以上、最大規模の全体社会は国民社会になる。その国という全体と個の間にある部分がタウンシップ。タウンを構成するのは2000人から3000人。
地域共同体の自治が尊重される限り、そこに州政府は介入しない。
州が関わるのは複数のタウンの間にわたる利害調整のみ。
この地域共同体は学問に対する小学校。
タウンはアメリカのデモクラシーの原点。
「一人一人が弱体で、しかもいかなる共通の利害による個人の結合もない国で、どうして圧制に抵抗できよう」
タウンの自治とは別に重要な中間領域であるのが、結社。
結社には民主化(諸条件平等)が進む事で相似化し、無力化し、砂粒や埃のようになった個人の意見が、より広い世界で充分に表明され伝達される機会を保証する事、個を全体へ媒介する経路となる事が期待されている。
このような経路確保は出版の自由などと共にデモクラシーの良好な発展に不可欠。
結社は孤立した無力な市民が何か事業をなすため不可欠。
アリストクラシーでは王権と臣民の中間にある貴族集団が社会の様々な事業を推進した。
デモクラシーではこの貴族集団が自由な結社となる。
結社は市民が多様な目的で自発的に形成するもの。
市民は政治に関与する事で私生活の外に出される。
私生活の外部に出る事で他者との協力を学ぶ。
アメリカ:社会の中で部分が大きな意味を担いつつ存在。
イギリス:部分はもはや単なる手段でしかなくなっている。
フランス:部分は消失。
スイス:部分はあるが残存しているだけで重要な役割を果たしていない。
シエイエスの三つの利益
'@市民全員に関わる共通の利益
'A限られた数の市民の結合から生じる団体の利益
'B孤立し自身のことのみを考える個人の利益
団体の利益は個人の自由な活動を阻み、全体に対しては分裂をもたらす。
成員に対して一般的だが国家に対して特殊。
ルソーもこれを批判し「部分社会の数を増やし、その間の不平等を防止」しようとした。
しかしシエイエスは中間団体自体を社会から除去しようとする。
「民主的な世紀には、人が人のために身を犠牲にする事は滅多にないが、人類全員に広く思いやりを示す」
民主化(諸条件の平等)が進んだ後の人間は、自身が所属する地点を人類に見出す。
万人を人類の一員と考える事で他者の苦痛を自身の苦痛と受け止める。
「世界に人間というものは存在しない」(メストル)
人類という全体の(それを超える)外部は存在しない。
人類は一般的同情・共感の対象となるが、その共感から具体的結合関係は生じない。
人類の一員である人間は日常生活では、社会から孤立し砂粒のような状態。
原子化した個人の感受性は人類まで拡大するが、関心は自身と周辺の少数の家族や友人にしか向かわない。
具体的人間関係や部分社会には無関心(アパシー)が広がる。
これが個人主義。(個人主義は1820年代後半で初登場)
利己主義:個人が利益を外部に過度に主張する傾向。
個人主義:外部から切り離され、自身の関心へ内向していく傾向。
デモクラシーでは人類としての義務は意識されるが、特定の人間に対する義務感は希薄になる。
「人間的感情の絆は広がり、かつ緩む」
「住民は既にいるが、社会はまだ存在しない」
社会が存在しないとは、住民の間に社会的紐帯が存在しないという事。
独立は孤立であり、そこに交流はない。
全体と個の中間=部分が存在していない。
人間は人類という全体と小さくて無力な個の間で引き裂かれているが、この意識を現実の社会の統治の次元に移し変えた場合、外部を持たない人類は社会集団になりえない以上、最大規模の全体社会は国民社会になる。その国という全体と個の間にある部分がタウンシップ。タウンを構成するのは2000人から3000人。
地域共同体の自治が尊重される限り、そこに州政府は介入しない。
州が関わるのは複数のタウンの間にわたる利害調整のみ。
この地域共同体は学問に対する小学校。
タウンはアメリカのデモクラシーの原点。
「一人一人が弱体で、しかもいかなる共通の利害による個人の結合もない国で、どうして圧制に抵抗できよう」
タウンの自治とは別に重要な中間領域であるのが、結社。
結社には民主化(諸条件平等)が進む事で相似化し、無力化し、砂粒や埃のようになった個人の意見が、より広い世界で充分に表明され伝達される機会を保証する事、個を全体へ媒介する経路となる事が期待されている。
このような経路確保は出版の自由などと共にデモクラシーの良好な発展に不可欠。
結社は孤立した無力な市民が何か事業をなすため不可欠。
アリストクラシーでは王権と臣民の中間にある貴族集団が社会の様々な事業を推進した。
デモクラシーではこの貴族集団が自由な結社となる。
結社は市民が多様な目的で自発的に形成するもの。
市民は政治に関与する事で私生活の外に出される。
私生活の外部に出る事で他者との協力を学ぶ。
アメリカ:社会の中で部分が大きな意味を担いつつ存在。
イギリス:部分はもはや単なる手段でしかなくなっている。
フランス:部分は消失。
スイス:部分はあるが残存しているだけで重要な役割を果たしていない。
シエイエスの三つの利益
'@市民全員に関わる共通の利益
'A限られた数の市民の結合から生じる団体の利益
'B孤立し自身のことのみを考える個人の利益
団体の利益は個人の自由な活動を阻み、全体に対しては分裂をもたらす。
成員に対して一般的だが国家に対して特殊。
ルソーもこれを批判し「部分社会の数を増やし、その間の不平等を防止」しようとした。
しかしシエイエスは中間団体自体を社会から除去しようとする。