本書を貫く方法的視座としての「宗教体験」とは、著者により、「宗教の持つ非日常的、神秘主義的な要素」が「人間の意識の深層に分け入る」ことにより与えられるものとされている。ところがここでの分析対象である8名の明治キリスト者のうち、このような「体験」を明白に得た者はひとり賀川豊彦のみであり、残る7名は上述のような非合理経験を、本書の説明の限りでは、経過していない。加えて賀川の例も、それが「病で危篤状態にある中」での出来事であることを考えるなら、その「体験」の真因をキリスト教とは別のところ(異常な体調による幻覚症状など)に求めることも可能である。明治に限らず、歴史上の有名・無名キリスト者の圧倒的部分が著者のいう「宗教体験」とは実に無縁の存在であった/あることを考えるなら、「宗教体験」を方法的に前提した上で、そこから「超越的立場」を導き出そうとする本書のアプローチには一定の修正が必要であると思われる。
宗教の本質は人間の思想に宿る。どのような神秘体験もそれが特定宗教に結びつけられるのは、人間の思想が持つ牽引力のゆえに他ならない。賀川の場合も、その事件が他の何者でもないキリスト教の神秘体験とされるのは、彼がキリスト教という思想体系を予め認知していたからである。このように見るなら、宗教において「体験」が思想から独立・先行して存在することはなく、形容を超えた〈非日常との遭遇〉としての純粋な「宗教体験」そのものなど、始めから存在しないとも言えるのである。
それでは、明治キリスト者の「宗教体験」はどう読み替えられるべきだろうか。信仰者の「超越的立場」とは ― それがあるとするなら ― 超常的宗教体験ならぬ何を媒介として得られるのだろうか。
私はその機会を、《世界認識の方法》としての思想の獲得とその自覚に求める。宗教の場合、教義の総体が《世界認識の方法》として有効であると思惟の上で確認されることが、その人物の「宗教体験」を構成することになる。これは人間による知的思弁活動のひとつの到達点であり、「非日常的、神秘主義的な要素」のむしろ対極に位置する。「宗教体験」とは実はそう名付けられた思想作用の断片なのである。
総体としての人間社会は常に整合的な理解を拒み、その理不尽は個人レベルでは自らのレーゾン・デートルへの疑問にすら結びつく。このアポリア ― 自分はどこからここに来て、これからどこに行くのか ― に答える思想としての宗教は、時として人を強く誘う。その中でも丸山眞男いうところの「世界経験の論理的および価値的な整序を内面的に強制する思想」であるキリスト教は、(丸山によるならマルクス主義と共に)その特性ゆえ俗世を超えた「超越的立場」を信仰者に課すことをやめることがない。著者により評価される内村鑑三の再臨信仰すら、その表見上の超越性にも拘わらず、内村が第一次大戦という具体的事件を具体的に思想した、その結果として獲得されたものである。
明治創生の混沌たる革命期に選ばれた知識人が見出したのが《世界認識の方法》としてのプロテスタンティズムであり、この理性的発見こそが、逆説的に、彼らの「宗教体験」の核心部分を構成している。
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近代日本キリスト者との対話 単行本 – 2017/9/21
鵜沼裕子
(著)
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近代日本においてキリスト教と出会い、その信仰を選び取った人々の、「宗教の体験」・「宗教の事実」に迫る。 信仰主体の信仰と思想・行動の内的構造連関を共感的に再把握することを試みた論文集。
- 本の長さ228ページ
- 言語日本語
- 出版社聖学院大学出版会
- 発売日2017/9/21
- ISBN-104909022651
- ISBN-13978-4909022653
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商品の説明
著者について
鵜沼裕子(うぬま ひろこ) 1934年東京生まれ。東京大学大学院人文科学研究科倫理学専攻課程・博士課程単位取得満期退学(文学修士)。元聖学院大学大学院アメリカ・ヨーロッパ文化研究科教授。聖学院大学名誉教授。 〔著書〕『近代日本のキリスト教思想家たち』(日本基督教団出版局、1988年)、『史料による日本キリスト教史』(聖学院大学出版会、1992年)、『近代日本キリスト者の信仰と倫理』(同、2000年)など。
登録情報
- 出版社 : 聖学院大学出版会 (2017/9/21)
- 発売日 : 2017/9/21
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 228ページ
- ISBN-10 : 4909022651
- ISBN-13 : 978-4909022653
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,494,077位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 29,641位宗教 (本)
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