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勉強できる子 卑屈化社会 単行本 – 2016/12/10
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ツイッターで大反響を受けた投稿「勉強できた子あるある」を発端に、教育史やメディア史を縦横無尽に
ひもときながら、日本のゆがんだ“逆学歴差別"の実態を分析。
国の将来を担うはずの「勉強できる子」たちが生きづらさを抱え続ける現状に、真っ向から警鐘を鳴らす!
巻末に著者と能町みね子との対談を収録。
- 本の長さ246ページ
- 言語日本語
- 出版社宝島社
- 発売日2016/12/10
- 寸法13 x 1.8 x 18.8 cm
- ISBN-104800259436
- ISBN-13978-4800259431
商品の説明
メディア掲載レビューほか
秀才でもダメなやつ、という呪いに気づく 『勉強できる子 卑屈化社会』に見る日本人の偏見とは
勉強ばかりして子どもらしくない。社会に出たら勉強なんて役に立たない――日本の「勉強できる子」には、こんな呪いの言葉が降り注ぐ。最近テレビ番組で東大生をよく見るが、彼らが(学力が低いことを公表している芸能人と討論等をしたあと)最終的に「いくら学力が高くても手に入れられない何か=愛情、友情、人間味、コミュニケーション能力等」を持ち合わせていないと指摘される役割を担わされていることからも、この呪いの持続性は高いと考えられる。
著者は「勉強できる子」の周辺地図を丁寧に解説していく。現状を分析するだけでなく、教育の歴史を振り返り、国際的な目線で他国と日本を比較し、最終的には著者なりの「勉強できる子」用の処世術を提示する。あることができるがゆえの悩みなんて贅沢だと言われそうだが、人間の感情は相対評価ではなく絶対評価だ。「こちらの立場のほうが辛い」「こちらの立場で悩んでいる人のほうが多い」なんて比較は意味がない。悩んでいるその人が辛いと感じたら、それは百%、きちんと辛いのだ。そんな真っ当な主張さえ許されないような場所に佇む人に、この本は優しく寄り添う。
印象的なのは、「勉強ができる」とは「足が速い」「絶対音感がある」と同じく、人格の一部ではなく才能の一つであるという指摘だ。学園ドラマに出てくる秀才は嫌なヤツとして描かれることが多いが、そいつは学力関係なく嫌なヤツなのだ。同様に、足が速いから元気で明るい、という論も成り立たない。そう考えると、このような呪いは「勉強できる子」以外にも、さらに言えば大人になった私たちにも降り注いでいることに気づかされる。
恋愛そっちのけで白球を追いかけた元高校球児と、女性経験のない東大生。彼らを同じように「自らの才能を追求した者たち」と捉えられる自分に出会うことは、この世界に降り注いでいるあらゆる呪いを解くことにも繋がるのだ。
評者:朝井 リョウ
(週刊文春 2017.2.9号掲載)著者について
1972年生まれ。北海道出身、仙台育ち。現在は上海在住。サラリーマン稼業のかたわら執筆活動を行う兼業文筆家。得意分野はテレビ、芸能、相撲、中国、角川映画、80年代カルチャー。著書に『八重歯ガール』(朝日新聞出版)ほか、トークイベントなどでも幅広く活躍する。
登録情報
- 出版社 : 宝島社 (2016/12/10)
- 発売日 : 2016/12/10
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 246ページ
- ISBN-10 : 4800259436
- ISBN-13 : 978-4800259431
- 寸法 : 13 x 1.8 x 18.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 313,984位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 38位子どもの文化
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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思い返すと中学、高校時代、中間期末試験当たりになると、「お前勉強しただろ?」「勉強していないよ合戦」という独特なコミュニケーションが生徒間で、繰り広げていたと思います。私は、少し変わっていて、「お前勉強しただろ!」っていう同級生の質問に「テスト前だから、勉強するの当たり前だろ!」っていう生徒でした。ある時、見せてもらってもいいと言われ、「好きにすればいいよ」と言い、友人とその他の友人は、私の国語のテストの答案を参考にしました。
私は1分も国語を勉強していませんでした。
よって、彼らは全員赤点。「ハハハ、勉強したんなんて嘘だよ!アホ!」と言って、
もう二度と「勉強しただろ合戦」には、参加させてもらえませんでした。
勉強できる子、できない子に関わらず、日本の独特の慣習を切り抜ける、必要な能力はユーモアと勇気だと思います。
勉強する意味はあるんですか?って、中高生、及び、大人でさえも、疑問に思うみたいですが、またその手の、自己啓発本は、山程ありますが、私にはその質問の意図が、よくわかりません。逆にいつの時代に、日本人が主体性を発揮して、楽しく、充実した勉強ライフを行ってきのか?教えてもらいたいです。〇〇して、意味がありますかってしたり顔で言う人は、バカなので、相手にしない方がいいと思います。
ただ、日本では、そういう人達向けの巨大な市場があります。英語と自己啓発とビジネス書です。これらが、日本人が大学卒業した後の学問になっています。成人になって、〇〇して意味ありますかと疑問があった人達は、この市場に吸収され、お金と時間を永久に搾取されるように、日本ではなっています。
中国では、小学生から大学生まで、勉強時間が皆ほとんど同じです。国から半ば強制されています。もちろん、勉強しないということも選択できますが、社会的に、どうしようもないクズだと思われます。
朝から晩まで勉強します。そうしないと大学入学試験で良い点数をとれないからです。日本のように死ぬ気で1年間勉強したら、難関大学に入ったということは、中国では、ほとんど起こりません。皆、死ぬ気で、勉強しているからです。生活時間の大部分を勉強時間に割かないと、良い大学には入れません。
良い点数をとれないと、良い大学に行けないので、職業、年収、結婚、全ての面で影響が出る社会構成です。私も中国には長い間いましたが、本当にシビアな社会です。大学受験で言えば、日本とは比較にならないぐらい過酷です。日本では、100万人の出生数で、3000人東大にいけますが、つまり300人学生がいたら約1人は東大に行けますが、中国では、7000人いて、約1人ぐらいしか北京大や、清華大にいけません。
世界でもっとも競争率が高い。日中比較でも20倍以上の激しい競争です。日本の勉強できる子は、確かに心理的な重圧を感じると思いますが、もし勉強できる子に対して、心理的圧力がないということ、できる、できないの価値観が単一的なので、もし、自分ができない側に回ってしまうと、かなり不利になると思います。
こういった単一価値観競争に参加したいでしょうか?
日本で中国人の方が沢山生活するようになっていますが、これは大陸の競争と比べたら、日本の競争は、遥かに楽だからという一面があるからです。近いうちに、東大をはじめとする難関大の何割かは、
確実に彼らの子弟が独占します。
これは、日本だけじゃなく、アメリカ、カナダやオーストラリアやドイツにも言えて、名門大学に入学する学生の何割かは、中国系になっていることから、わかります。その土地のエスタブリッシュメントになることが、中国と比べて遥かに楽だからです。
今やハーバード大、スタンフォード大、ケンブリッジ大の博士課程の半分は中国系です。東大に来る中国の留学生は、自国の第一線ではありません。
一番難しいのが中国国内の大学試験、大学院試験、次にかなり下がって欧米の名門大学、最後の方に日本です。何年前から、中国でも高校、大学から欧米の学校に行った人を、大陸の競争から抜け出した能力がない奴とする風潮がナショナリズムの高潮と共に出現しています。
中国の大学に入学すると、これまたシビアで、朝7時には図書館前に行列が出来、夜10時まで勉強します。良い論文を書くためです。これが中国の学生では「普通の生活」です。
私は一度、中国のあまり有名じゃない大学で日本観光経済論を教えたことがありますが、学生は、朝7時から、強制的に自習をさせられていました。日本の英検2級(大学英语四级)ぐらい試験に大学生は、みな合格しなくちゃいけないので、どんな馬鹿でも、死ぬ気でやります。日本では、be動詞がわからない大学生や四則演算が出来ない大学生が大量にいますが、中国の場合は、というか、世界では、「なぜそういう人が大学生に成れるの?」という疑問があるので、ほとんど存在しません。
私の個人的見解としては、勉強できる、できないは、本人の努力如何よりは、遺伝的特質に左右されると考えているので、このような中国の教育体制は、何か政治的意図があるに違いないと思いました。研究した結果、中国でも以前は、割と自由に勉強していた時期もあるとわかったり、また今ほど大学入学試験の圧力がなかったとわかりました。それが天安門事件をきっかけに変わったと思います。自由時間を与えると、人間は民主的な考えにいく傾向がある。それならば、小さい頃から、大量の知識を与えることで、自由な時間を与えず、教育をしていく、これが中国の教育の基本方針になっていると思います。
日本は逆で、教育の基本方針も、
意味不明、文科省並びに先生本人達も、
まともに主体性を発揮した学習をしたことがないので、世界で成功した教育モデルを、無理矢理、自国にあてはめています。
したがって、全て失敗します。しかし、失敗しても、失敗という概念が官僚にはないので、今度はこれをやろう!となります。
問題解決能力を培う教育がまさにその典型で、文科省自体が、問題解決能力が全くない組織や個人なのに、何でそれを提言するのか、、、皮肉としか言いようがありません。毎回、その下部組織である、教育委員会が生徒が自殺したりすると出てきて、イジメと自殺の因果関係を証明することが出来ませんなど、わけのわからない説明をしています。上が腐っているので、もちろん下も腐る。現場は、もちろん狂います。
今も昔もこれからも、日本人や組織に自浄で問題解決をする習慣も、能力もありません。
現場の教師の方は、さぞ絶望していると思います。ただ、若い教師の方も、いずれは、因果関係はありませんと、腹話術師が操る人間のように表情は、引きつり、気の抜けたコーラのような説明をするようになります。
たったの20年で、日本の大学はアジアでさえも存在感がなくなっています。四則演算もできない、新聞も読めない、日本語をまともに操ることが出来ない大学生が大量に出現するようになりました。日本の教育がなぜここまでズタボロかというと文科省がどうしようもない機関であること、強烈な安定志向と、一般社会でまともに稼ぐことが出来ない人を食わすために小中高大学の教育機関が現在存在してしまっているからです。そういう構造の社会なので、国際調査を見ると、日本の若者の悲惨な状況がよくわかります。
中国の話し戻ります。ただ、中国の教育はあまりに過酷なので、
私かいた大学でも、2ヶ月に1回ぐらいは学生が飛び降り自殺をしていました。
学歴、学力の差が社会的階級を構成している中国において、ほとんど死ぬ気で勉強をするのが当たり前の中で、
限界を感じ、様々なプレッシャーで命を断つ若者も沢山います。
なんてひどい社会だ!というかもしれませんが、日本は現在、いじめが原因で毎日1人、
中高生が自殺をしています。また、日本は、若年層の自殺率は、先進国で最も高い。
中国は若者の統計データーを公表でしていませんが、私の実感では、
日本の状況の方が、若者に過酷だと思います。
日本は、勉強できる子も、勉強できない子も、
ほとんどが、勉強が嫌いになります。
日本の大学生の勉強時間は世界最低です。
大学時代に専門知識を知る訓練は、ほとんど行われず、皆就活をします。
就活中、企業が採用者に対してもうける内定の基準は、大学で学んだことではなく、なぜなら採用担当自体が、勉強なんてまともにしたことがなく、したがって大学の成績などほとんど考慮せず、大学名と見た目ときちんと日本語がしゃべれて、英語少しできるかどうかで決まります。
2019年度の大学生が入社したい総合人気ランキングトップ10の内、半分が今倒産しかかっています。またアジアで最悪なコロナ対策を行った日本の政治家と官僚の下にいる国家公務員、地方公務員の職業が現在、もっとも人気のある就職先です。「こう考えてしまう」日本の教育って、一体何なのか?私は時代遅れのブラウン管テレビを必死に作る工場だと思います。
ははは、日本のコロナ対策は、FAXの台数にかかっている!中国やタイ、ベトナム、韓国のメディアが、この奇怪な日本の状況を大きな見出しで報道していました。日本にいる外国人の留学生も、今回で日本を留学先に選んだことを後悔したと思います。
まだギフテッドだとわからなかったので自分が生きずらいのは勉強が出来るからだと思っていました。この本は発達障害でもギフテッドでもなくただ勉強が出来る子どもに当てはまるのではと思いました。
日本はこういう社会だよなと思う所は私が小さい頃勉強が出来ていたので(私には発達障害もギフテッドでもない)すごく良くわかりました。この本はモヤモヤしてる子どもに読ませてあげたい本です。
多数の具体例を挙げて筆者の「感想」や「思い」を付け加えている本です。
このような試みはなかなか珍しく、興味深く感じた部分もあったのですが、
客観的なデータや論文の引用が皆無であり、記述のほぼ全てが主観的な意見に過ぎないと言わざるを得ません。
ほんの少し適当にページをめくっても、次のような表現が一切の裏付けなく多用されている様子が見て取れます。
・多くの子が(中略)モチベーションを失っているという事実もあるのです。(p45)
・世間的には、勉強ができる=(中略)従順な子というイメージを持たれることが多いのですが、そもそも大半の勉強できる子はそんなに従順ではありません。(p45-46)
・進学校の生徒は(中略)男女関係を意識すること自体が相対的に遅くなりがちです。(p54)
・勉強できる子にとっては、学ぶことは苦しいことではなく、わりと楽しいことだということです。(p61)
また、「戦後から一九九〇年頃までは一貫して世帯収入と大学進学率の格差というのは縮まっていました」(p93)
のような、データを調べたことを匂わせる文章もあるのですが、やはり引用は一切ありません
(巻末の参考文献の中にもこの情報が記載してありそうな本がありません)。
社会的な偏見を指摘する上で、データによる分析は必要不可欠だと思うのですが、筆者が行っているのは単に
「私はこう思う」「こういう事例もある」「実際はこうなのだ」
という趣旨の記述を繰り返しているだけで、これでは反論対象としているレッテルと大差がありません。
客観的な分析や論説というよりも、小論文やエッセイに近い軽めの本だと言えます。
テーマが珍しく、個人的には共感する部分もあっただけに、この点は本当に勿体なく感じました。
正直、つらすぎて涙が出てきて読むのをやめようかと思ったくらい。
ただのあるあるだけで終わらないのがこの本の良いところで、この風潮の根源を探ったり、勉強できる子としてどう生きるべきかの
示唆があった。そして結論が、勉強できる子のルサンチマンを吐き出すだけになっていないところがまたいい。
読後はなんとなく何か憑き物がひとつ落ちたような気がした。かつて勉強できる子だった人におすすめ。
海外のように、知能の高い子供向けの公的なプログラムがあれば、個人にとっても社会にとっても有益なのではないでしょうか。
本の中にも記述があるとおり、学校現場を変えようとしている人もたくさんいます。できる子といまできてない子がいっしょに取り組んで、どちらも成果を得ることができる課題とは何かを考えて実践する動きもあります。個人的には、飛び級よりこの方式のほうが子どもを解放すると思う。
話題のアクティブ・ラーニングというのは、単に課題を子どもたちが話しあいで解決するという意味ではなくて、子どもたちをアクティブにする学習法という意味で理解すべきことです。課題に取り組んだ子どもたちが元気になるということ。
人の元気を失わせるのは害悪なので、みんなでやめましょう。