20年以上前に書かれた本ですが、日本の真実が書かれています。
なぜ、働けど働けどわが暮らしよくならぬのか……これを読めばその答えがわかります。
ウォルフレンは日本を支配しているのは官僚であり、官僚が税金を投じる物事に説明責任
がないからだと言っています。昨今のオリンピックのスタジアム問題でも、諸外国では500億程度の予算
なのに、なぜ1500億円でなければならないのか、メディアでは誰も説明してくれません。
この本では小沢の失墜や、週刊誌記者の優秀さなど、現在の日本に通じる問題点をズバリと指摘しています
つまるところ、少なくとも20年前から日本は何も変わっていないということなのでしょう

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人間を幸福にしない日本というシステム 新訳決定版 (新潮OH文庫 8) 文庫 – 2000/10/1
- 本の長さ380ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2000/10/1
- ISBN-10410290008X
- ISBN-13978-4102900086
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2004年4月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この本は、日本社会に生きている人間を絶望とまではいかないが、無気力をこれまでもかっ!とあたえてくれる。
日本は官僚社会だといわれているが、官僚の存在自体を感じるまでの地位にいる人間はごく人数の地位に限られている。めぐりめぐって自身に仕事がふりかかってくるときには、その権力のにおいはうまいこと暗に隠されている。
日本人は日本のそのような社会を全く知らないほど無知ではない。それはそれで良いと、わりきっているのだ。体制をくずすにはそれ一点に集中してパワーを注ぎ込まなくてはいけない。敗者復活は残念ながらこの社会にはないのだ。今の社会にあわせていくこと、つまりは権力に自身を帰依させて仕事を遂行していくことが現在のどことなく不安定なシステムを保っているのだ。弱い力で皆がつながりつつ、大きな力を発揮する社会が日本社会である。
この本に書かれていることを知るうえで社会生活に変化がおきるかといえば、負の面が増えることだろう。変な理論・主張をもつよりも、その場に合わせることに集中したほうが、哀しいかな、合理的に幸せをえることができるのだ。出る杭は今は叩かれるどころか、引っこ抜かれてしまうのである。。
日本は官僚社会だといわれているが、官僚の存在自体を感じるまでの地位にいる人間はごく人数の地位に限られている。めぐりめぐって自身に仕事がふりかかってくるときには、その権力のにおいはうまいこと暗に隠されている。
日本人は日本のそのような社会を全く知らないほど無知ではない。それはそれで良いと、わりきっているのだ。体制をくずすにはそれ一点に集中してパワーを注ぎ込まなくてはいけない。敗者復活は残念ながらこの社会にはないのだ。今の社会にあわせていくこと、つまりは権力に自身を帰依させて仕事を遂行していくことが現在のどことなく不安定なシステムを保っているのだ。弱い力で皆がつながりつつ、大きな力を発揮する社会が日本社会である。
この本に書かれていることを知るうえで社会生活に変化がおきるかといえば、負の面が増えることだろう。変な理論・主張をもつよりも、その場に合わせることに集中したほうが、哀しいかな、合理的に幸せをえることができるのだ。出る杭は今は叩かれるどころか、引っこ抜かれてしまうのである。。
2016年2月15日に日本でレビュー済み
なかなか刺激的なタイトルです。
読むのにすごく時間がかかりました。
だいぶ前に勝間和代さんが紹介してて気になってたんです。
著者に言わせると、日本人は「富める国の貧しい国民」
官僚やマスコミトップ等、一部の管理者達の描いたシナリオを
「シカタガナイ」と、受け入れてしまう。
戦後の奇跡の経済成長も、バブル景気及びその終焉も
ほぼ日本の管理者達の描いたシナリオ通りだそうで。
そして、その負の部分(例えば奇跡の経済成長のため
父親は粉骨砕身して働き、家庭生活が犠牲となることで
引き起こされた女性の晩婚化や少子化、熟年離婚など)が
現在も日本に暗い影を落としている、とのこと。
特に心に引っかかった一節があります。
-政治のリアリティに関する史上最も「偉大」な発見の一つは
ローマ皇帝が吐いている。
「パンとサーカスを与えおけ。さすれば民は幸福であろう」
ローマ皇帝をはじめ歴史上多くの支配者は、人々が何かほかの
ことに気を奪われていれば、自分のしたい放題にやりやすいと
気づいてきた。テレビが提供する現代の大衆娯楽文化は、
たぶん古代ローマの「サーカス」以上の昨日を果たしている-
著者が言うには、一人一人が、現状について
無関心を決め込んだり、
「シカタガナイ」と諦めたりするのではではなく、
チームを作り、正しい情報を収集し、勇気をもって
より良い社会へと変えていく行動を起こすべき、とのこと。
読むのにすごく時間がかかりました。
だいぶ前に勝間和代さんが紹介してて気になってたんです。
著者に言わせると、日本人は「富める国の貧しい国民」
官僚やマスコミトップ等、一部の管理者達の描いたシナリオを
「シカタガナイ」と、受け入れてしまう。
戦後の奇跡の経済成長も、バブル景気及びその終焉も
ほぼ日本の管理者達の描いたシナリオ通りだそうで。
そして、その負の部分(例えば奇跡の経済成長のため
父親は粉骨砕身して働き、家庭生活が犠牲となることで
引き起こされた女性の晩婚化や少子化、熟年離婚など)が
現在も日本に暗い影を落としている、とのこと。
特に心に引っかかった一節があります。
-政治のリアリティに関する史上最も「偉大」な発見の一つは
ローマ皇帝が吐いている。
「パンとサーカスを与えおけ。さすれば民は幸福であろう」
ローマ皇帝をはじめ歴史上多くの支配者は、人々が何かほかの
ことに気を奪われていれば、自分のしたい放題にやりやすいと
気づいてきた。テレビが提供する現代の大衆娯楽文化は、
たぶん古代ローマの「サーカス」以上の昨日を果たしている-
著者が言うには、一人一人が、現状について
無関心を決め込んだり、
「シカタガナイ」と諦めたりするのではではなく、
チームを作り、正しい情報を収集し、勇気をもって
より良い社会へと変えていく行動を起こすべき、とのこと。
2019年3月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
経験的に官僚の在り方に疑問を持ち、好意的に手に取ったが、どこを探しても客観的裏付けがなく、ひたすら組織や国を擬人化した決めつけに終始している為、資料としての価値がゼロだった。例えば日本が真珠湾攻撃をしたのも経済発展したのも「アドミニストレーター」という独裁組織が江戸時代から続く因習で、果てしない名誉を求め続けた為、とか、経済発展は「保守連合」が遠い将来を見越して経済的征服の陰謀を巡らした結果、とか、組織が「口には出さないが心の奥で半ば無意識に」不意打ちされないように考えている、とか。 探してみてもいずれの意見も全く裏付けがない。今ならば完全にcultual racism に該当する記述がいくつもあった。この著者がジャパンバッシングに力を与え、多くの人の生活や人生に影響を与えた事を思うと、人間の無力さを思い知る。著書では、小沢一郎を支持し、官僚や検察ではなく政治家を支持する事が重要と位置付けている。
2005年7月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
オランダ人ジャーナリストのウォルフレンが10年前(1994年)に書いた日本論。
日本は「資本主義」でも「民主主義」でもなく、そのことが日本人が幸せでない理由であるという前提のもと、官僚(と経済団体)を批判し、(なぜか)政治家を擁護している。
官僚が国民に対して説明が不足している、自分の役所が所管する業界の利益を中心に施策を行っている等、的を射ている(少なくとも10年前は正しかった)指摘もある。一方で、混血児防止のために中絶を禁止した、大企業の設備改善のためにバブルを恣意的に起こした等、受け入れがたい推測も多い。
それでも、今、改めて本書を読むと、10年で大きく変わったと感じる。
この本がはじめに出版された後、多くの役人批判本が書かれ、いまや役人叩きは週刊誌でも一般的である。また、本書が声高に指摘した役人のアカウンタビリティー(説明責任)についても、徐々にではあるが改善されてきているように思われる。本書が日本の特質として取り上げた職の流動化がないという点も変わりつつある(それがよい事かどうかは別にして)。
もちろん、本書がこれらの変化の原因ではないだろうが、当時の日本にはこのくらいの劇薬が必要だったのかもしれない。
日本は「資本主義」でも「民主主義」でもなく、そのことが日本人が幸せでない理由であるという前提のもと、官僚(と経済団体)を批判し、(なぜか)政治家を擁護している。
官僚が国民に対して説明が不足している、自分の役所が所管する業界の利益を中心に施策を行っている等、的を射ている(少なくとも10年前は正しかった)指摘もある。一方で、混血児防止のために中絶を禁止した、大企業の設備改善のためにバブルを恣意的に起こした等、受け入れがたい推測も多い。
それでも、今、改めて本書を読むと、10年で大きく変わったと感じる。
この本がはじめに出版された後、多くの役人批判本が書かれ、いまや役人叩きは週刊誌でも一般的である。また、本書が声高に指摘した役人のアカウンタビリティー(説明責任)についても、徐々にではあるが改善されてきているように思われる。本書が日本の特質として取り上げた職の流動化がないという点も変わりつつある(それがよい事かどうかは別にして)。
もちろん、本書がこれらの変化の原因ではないだろうが、当時の日本にはこのくらいの劇薬が必要だったのかもしれない。
2008年11月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この本の初版が発行された1994年においては、官僚制度を批判したという点で、この本は画期的で、必読本だったのかも知れない。
しかし、この本のタイトルにある『幸福』に興味がある人にも、原著にある"ploliticized society"に興味がある人にとっても、この本を今更とりよせて読む必要はない。
まず、内容は、今となっては週刊誌や昼のワイドショーでやっていて、聞いたことのある主張ばかり。
そして、週間誌の記事とも下記の点でレベルは変わらない。
■タイトルと内容が不一致で、タイトルに興味を惹かれた人が欲しい内容が載っていない。
それもそのはず、元の書名が『the false realities of a ploliticized society』である。日本訳出版時に販売促進のため、タイトルをかなり歪曲されたのだろう。
■検証できるようになっていない。
・数字による検証がほとんどされていない。
そもそも、数字で検証できるほど厳密な定義をせずに、議論を進めている。
・参考文献リストがない。
先見の明に敬意を表して、星を1つ増やし、2つとした。
しかし、この本のタイトルにある『幸福』に興味がある人にも、原著にある"ploliticized society"に興味がある人にとっても、この本を今更とりよせて読む必要はない。
まず、内容は、今となっては週刊誌や昼のワイドショーでやっていて、聞いたことのある主張ばかり。
そして、週間誌の記事とも下記の点でレベルは変わらない。
■タイトルと内容が不一致で、タイトルに興味を惹かれた人が欲しい内容が載っていない。
それもそのはず、元の書名が『the false realities of a ploliticized society』である。日本訳出版時に販売促進のため、タイトルをかなり歪曲されたのだろう。
■検証できるようになっていない。
・数字による検証がほとんどされていない。
そもそも、数字で検証できるほど厳密な定義をせずに、議論を進めている。
・参考文献リストがない。
先見の明に敬意を表して、星を1つ増やし、2つとした。
2011年11月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
著者の斬新で的を射た日本社会への警鐘の力作が世に出て、15年を超えてもその輝きは増すばかりである。反面、変化を好まない島国根性を内包したままの日本の市民の症状は重篤である。2011年の3月11日の東電福島原発事故とこの名著を以て日本市民が永い眠りから覚める事を祈るばかりである。それにしても名著である。
2004年10月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
私ごとながら本著が書かれた1994年当時、私はヨーロッパのある国にいて、よくこう聞かれた。
「どうして日本の男の子は小さいときはあんなにかわいいのに、大人になるとヨレヨレになるのか」(本当にそう聞かれた)「どうして日本人はそんなに働くのか」「こっちに来てまで子供をあんな夜遅くまでジュクに通わせるのはなぜか」「子供は不平を言わないのか」「なぜみんな似たような言動をとれるのか」
私には答えることができなかった。しかたなく「日本文化」で片付けていた記憶がある。「美徳」という言葉で片付けていた他の日本人も多かった。
でも本当にそうなのだろうか?そんな疑問に、本著は政治的側面からひとつの答えを出す指針を示してくれる。「アカウンタビリティー(説明責任)を求める市民精神の欠如がもたらす弊害の数々」簡単に言ってしまうとそういうことになる。日本人である私たちの目を覆っている自明の理からは、まったく自由である立場からの分析と、批判と、具体的な行動指針―――日本を愛するがこそのヨーロッパの友人からのその苦言は、「日本文化」という私の逃げ口上を見事に封じ、新しい出口まで指し示してくれた。
正しい出口かどうかの判断は別にして、少なくともその後の日本を考えるのにも有効な視点に思える。
「日本文化」「美徳」といった思い込みの仮面がはがれた次に来るものは何か。私たちは無力感に陥って眠り続けるのか。強固に自己を保持するのか。変化を求めるのか。私たちはいったい何を望んでいるのか。私はいったい何を望んでいるのか・・・。
10年後の今でも十分に読み応えがあるという点が、実にアイロニカルではある。
「どうして日本の男の子は小さいときはあんなにかわいいのに、大人になるとヨレヨレになるのか」(本当にそう聞かれた)「どうして日本人はそんなに働くのか」「こっちに来てまで子供をあんな夜遅くまでジュクに通わせるのはなぜか」「子供は不平を言わないのか」「なぜみんな似たような言動をとれるのか」
私には答えることができなかった。しかたなく「日本文化」で片付けていた記憶がある。「美徳」という言葉で片付けていた他の日本人も多かった。
でも本当にそうなのだろうか?そんな疑問に、本著は政治的側面からひとつの答えを出す指針を示してくれる。「アカウンタビリティー(説明責任)を求める市民精神の欠如がもたらす弊害の数々」簡単に言ってしまうとそういうことになる。日本人である私たちの目を覆っている自明の理からは、まったく自由である立場からの分析と、批判と、具体的な行動指針―――日本を愛するがこそのヨーロッパの友人からのその苦言は、「日本文化」という私の逃げ口上を見事に封じ、新しい出口まで指し示してくれた。
正しい出口かどうかの判断は別にして、少なくともその後の日本を考えるのにも有効な視点に思える。
「日本文化」「美徳」といった思い込みの仮面がはがれた次に来るものは何か。私たちは無力感に陥って眠り続けるのか。強固に自己を保持するのか。変化を求めるのか。私たちはいったい何を望んでいるのか。私はいったい何を望んでいるのか・・・。
10年後の今でも十分に読み応えがあるという点が、実にアイロニカルではある。