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国富論 2 (中公文庫 D 20-2) 文庫 – 1978/5/10

3.9 5つ星のうち3.9 11個の評価

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登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 中央公論新社 (1978/5/10)
  • 発売日 ‏ : ‎ 1978/5/10
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 文庫 ‏ : ‎ 516ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4122005418
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4122005419
  • カスタマーレビュー:
    3.9 5つ星のうち3.9 11個の評価

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アダム・スミス
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カスタマーレビュー

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上位レビュー、対象国: 日本

2018年12月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
有名な「見えざる手(invisible hand)」が出てくるのは本巻の第四編。文脈を大まかにまとめると「私的な利益を追いかけると、それが見えざる手に導かれて公益に繋がることがしばしある。」となっている。スミスと言えば「見えざる手(invisible hand)」というほど有名な言葉だが、出てくるのはたったの一文だけである。ちなみに「神の」は付いていない。
この巻ではスミスの自由貿易に対する論考が多く出てくる。基本的には政府が産業に対して介入をするよりも、放っておく方がプラスになる、といった説明が多い。一方で、輸出振興策や植民地貿易の独占といった重商主義政策への批判も進んでいく。貿易黒字を増やせば貿易商人達は儲かるが、大ブリテンの国内産業を豊かにすることには繋がらないと言うのだ。自由にしておくことで、農業>工業>貿易という自然な流れで富が増えていくのが望ましいと説明されている。特に農業の重要性は何度も強調されており、大事なのは貨幣を蓄積させることではなく物資の豊かさの方であると説明されている。
スミスの生きた時代の後、農業から工業へ産業構造がシフトのしたため、現代ではスミスの生きた時代ほど農業が富の基盤になるかは分からない。しかしながら国内の物資の豊かさが大事であるという考え方は、現代でも十分に通用するはずだ。
現代ではスミスが自由貿易のイデオローグとして持ち出されることが多々ある。しかしながら当のスミス本人は貿易を優先させることを批判している。なぜスミスが自由貿易イデオロギーの権化のような扱いを受けてきたのか、本書を読むと甚だ疑問になってくる。
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2019年7月19日に日本でレビュー済み
第二巻の第四篇で「見えざる手」という言葉が出てくる。他のレビューの方も指摘している通り、「神の」という言葉は一切ない。この本をきちんと読んでいるかどうかの、客観的な判断基準に出来るだろう。アダム・スミスも「見えざる手」を「神」の仕業とは全く考えていなかったのは、この本を読んでいくとわかってくる。意外にアダム・スミスは、経済を人間の心理分析や構造分析から読み解こうとする節があちこちにあって、文化論や行動心理の枠組などの多角的に分析しようとしている。

但し残念ながら成功しているとは個人的に思えない。だが、第三篇で農民が、領主から都市に逃げ込んで1年間だけ身を隠すことに成功すれば自由民になれた、といった指摘があっさりと挿入されてことは驚いた。これは、日本では故・阿部勤也氏や網野善彦氏らが指摘した、中世ヨーロッパ及び中世日本でも横断的に文化構造として見受けられる「アジール」と呼ばれるものだ。「アジール」とされた地域には、教会、神社、仏閣などの宗教的聖地の要素を持つ場所市場など複数の権力が入り混じる自由領域・交易場所などが挙げられる。実は一般経済学の分野で、この現象を全く指摘されていないが、唯一指摘しているのが、海外では経済人類学者のカール・ポランニー位しかなく、「交易港」は「不可侵性」が古来からあったことを指摘している。ヨーロッパでの都市は、形成の過渡期に「アジール」性が持たれたことはもっと指摘されてもいい。中世の頃は、余剰の財や生産物は隷属者や使用人などに酒宴や祝祭の場で、再分配される習わしだった。これもカール・ポランニーが指摘している「再分配」と呼ばれる財の配分である。歴史の資料としては所々に価値があるが、他の著書を読んでからこの本を読むと、アダム・スミスがこの行動に疑問に全く感じていないことが、かえって不思議でならない。

大航海時代を過ぎて、植民地統治による輸出入がおびただしくなる近代で、アメリカの「独立戦争」が勃発した頃にこの本が出版されているので、アメリカでの人民が搾取されたり、抑圧されたかの様な話を錯覚していたかと思うが、読むとそのことは事実と全く違うことがわかる。これこそ思い込みのバイアスの際たるものだ。アメリカの人民が怒ったのは、植民地にも「自由に貿易を認めて欲しい」ということで、「独占貿易」に対しての憤りこそ指摘しなくてはいけないのだ。アダム・スミスはそのことをしっかり指摘している。従ってアメリカ植民地をイギリス本土が搾取していたのではなく、搾取されていたのは「黒人奴隷」である。それも歴史を細かく調べると、優遇された黒人も多かったことは今では知られているし、通り一辺倒のステレオタイプを嫌うなら、こういう本はきちんと読んだ方がいいと思う。

あと、植民地統治に関しての「歴史的資料」としても価値はある。あと西洋型の重商主義的な経済と、<東洋>的な重農主義的な経済の違いの対比はちょっと考えてみる価値がある。そこには何等かの文化的な行動だけでは済まない社会構造の問題が潜んでいると思われる。あと、アダム・スミスの時代ではさすがにわからなくなっている様だが、古代のイギリス本土はかつては、森林だらけの国土だったのだ。それを建築木材として主にオークを伐採して草原地帯にしてしまったのは他ならない人間たちなのだ(ヨアヒム・ラートカウ「
木材と文明 」参照)。さらに製鉄、パルプからの製紙、やがて本土の木材を切り尽くしてしまったがために、海外から原材料を輸入するしかなくなったのだ。さらに、イギリス本土で石炭の発掘が成功した故に、近代に製鉄業は一層盛んになるが、一方で大気汚染による問題も引き起こした。石炭燃焼による黒鉛からの窓ガラスの汚れは、ヨーロッパ広域まで及び、フランスやドイツでも記録される程だった。

あと捕鯨に関しては乱獲をしたのは、過去ではイギリス人やアメリカ人が圧倒的に多いことを忘れてはいけない。無尽蔵に資源があると錯覚させたことは、アメリカ人に潜在的に残る「呪い」であり、一向に銃規制が進まないのは、この本を読むとその潜在的な理由がはっきりする。この本の313頁で「豊穣な土地がたくさんあること、自分の問題を自分で自由に処理することの自由、これがすべての新植民地繁栄の二大原因」と指摘しているが、これ以上の理由を思い当たらないほど鋭いと思う。勿論それも当時のヨーロッパの人々の大自然を軽視しているからこそ起こった「歴史的転換」である。ディビッド・モントゴメリー「
土の文明史 」を読むと、大自然を軽視していたからこそ、農業の失敗を歴史で繰り返していることを指摘している。重農主義もここまで徹底的に現代の科学をもって分析しないといけないだろう。単に化学肥料でどうにかすればいいという「程度」の知性では駄目なのだ。微生物学や土壌学から歴史を見直していく根性が必要だろう。

★を3つにしたのは注意して現代の視点から色々と注意深く読んで欲しいからだ。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2011年6月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
 第二巻は、経済発展の経路についての第三篇と、重商主義批判を主にした経済政策論の第四篇を収録。全巻通して小見出しがあって読みやすく、注が適切に付されて内容を把握しやすい。特に第四篇は論争的な内容なので、注の説明にずいぶん理解を助けてもらえた。

 第三篇は他の人のレビューにもあるように、農業・製造業・外国貿易それぞれの産業の発展の順序について各国を比較するという趣向になっていて、70ページちょっとで簡潔にまとめられていて便利だ。そして第四篇、この部分こそが「国富論」を書かせるきっかけになったと思われる鋭い経済政策批判のセクションで、まさに全巻の中でも白眉の出来だと思う。議論の大枠としては外国貿易に対する政府の施策や植民地経営が、国内の富を増加する方向に繋がっていないということなのだが、貿易の独占や植民地経営に携わる人たちは儲かっているということは否定していないし、事実として否定できないのは当然として、それが国富を増加させ国益を増分させていないという視点が、当時新しかったのではと思う。その批判が出来るためには機会費用のアイディアが必要だが、その論法を駆使して、外国貿易や植民地経営に向ける資本を農業や製造業に振り分けていたら国富はもっと増加するだろうという指摘を行っている。今でいえば内需の拡大論議になるか。ある個人やある企業が最適化行動することが必ずしも国富の増加には繋がらないという合成の誤謬がここで示されているのが興味深いし、国富という視点が国家の存在とそのあり方を一段と意識させる仕掛けにもなっているのも面白い。また、ここでの記述を追っていくと、戦後日本の経済政策は一貫して重商主義だったのでは、と思う。

 三巻本で最後に読んだが、一番読んでいて刺激的な一冊だった。
8人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2004年3月15日に日本でレビュー済み
 農業、製造業、外国貿易の順に発達していくのが、国富にとっての自然的順序。しかしヨーロッパではこれが逆転してきた!
 経済学における古典中の古典が,富のミステリーを解き明かす。
6人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート