民俗学や歴史学研究のため、戦後すぐに借り受けた本を30年ほどした後に返却するまでの過程を書いた本である。文献から得られた情報や関わり合った研究者の紹介の他、文献を借り受けた戦後すぐと返却の際に訪れた1980年頃の地域や環境の変化も描かれている。
文献や標本などを借り受けたりする分野の方には特に読んでもらいたい本である。
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古文書返却の旅: 戦後史学史の一齣 (中公新書 1503) 新書 – 1999/10/22
網野 善彦
(著)
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- ISBN-104121015037
- ISBN-13978-4121015037
- 出版社中央公論新社
- 発売日1999/10/22
- 言語日本語
- 本の長さ199ページ
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登録情報
- 出版社 : 中央公論新社 (1999/10/22)
- 発売日 : 1999/10/22
- 言語 : 日本語
- 新書 : 199ページ
- ISBN-10 : 4121015037
- ISBN-13 : 978-4121015037
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上位レビュー、対象国: 日本
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2013年12月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2023年8月18日に日本でレビュー済み
新書判を何度も読んでいますが、だんだんと目が衰えてきて読みにくくなりました。内容については☆5ですので、是非Kindle化していただきたい。
2015年6月17日に日本でレビュー済み
戦後まもなく全国の農漁村に眠る古文書を集めて、社会資料館をつくるという
壮大な国の事業があった。若き日の宮本常一や著者たちも調査員として参加。
残念ながら計画は財政難で頓挫。所有者から「一年」の約束で借りた古文書が
返却もされぬまま段ボールの山のなかに放置され残ったという。
30年後、著者は大学を辞し、不義理を詫びつつ古文書返却の旅に出た。
これはその旅の記録である。
叱られて当然の憂鬱な旅であったが、はからずも各地で歓待される。
そればかりか新たな古文書の調査なども依頼され、そこから新しい発見も生まれる。
読んでいて、まさに宝物さがしの物語のようにわくわくする本である。
例えば、奥能登の時国家。古文書返却を喜んだ時国家はさらに2万点の調査を
依頼。著者たちは10年をかけて近世の古文書を読み解いていく。
最初、著者たちは、能登は古代から中世にかけて罪人の流される「辺境」の地で
あり土地の少ない貧しい地方であると思いこんでいた。また時国家も農奴主的
豪農だと思いこんでいた。しかし実際の時国家は大船をもち、その船は松前で
昆布を仕入れ、大津、京、大坂で売っていた。いわば時国家は多角的経営者
(交易、鉱山、塩浜、漁業、農業、金融)であったのである。
時国文書の中から、百姓=農民、水呑=貧農という従来の概念が否定される事実が
あきらかになり、江戸時代は「農業社会」ではなくかなり高度な「経済社会」だった
こともわかった。
・・近世社会を理解するキー・ワードとなっている「士農工商」はまったくの
虚像であり、社会の実態を著しく見誤らせる最大の原因・・・
と著者は言っている。
当書を農漁村を旅する紀行文としても楽しめるが、こころに残るのは、
戦後すぐの旅と30年後の旅をくらべて、戦後の地域開発のせいで多くの美しい風景を
日本が失ったという事実も記述されていることである。
壮大な国の事業があった。若き日の宮本常一や著者たちも調査員として参加。
残念ながら計画は財政難で頓挫。所有者から「一年」の約束で借りた古文書が
返却もされぬまま段ボールの山のなかに放置され残ったという。
30年後、著者は大学を辞し、不義理を詫びつつ古文書返却の旅に出た。
これはその旅の記録である。
叱られて当然の憂鬱な旅であったが、はからずも各地で歓待される。
そればかりか新たな古文書の調査なども依頼され、そこから新しい発見も生まれる。
読んでいて、まさに宝物さがしの物語のようにわくわくする本である。
例えば、奥能登の時国家。古文書返却を喜んだ時国家はさらに2万点の調査を
依頼。著者たちは10年をかけて近世の古文書を読み解いていく。
最初、著者たちは、能登は古代から中世にかけて罪人の流される「辺境」の地で
あり土地の少ない貧しい地方であると思いこんでいた。また時国家も農奴主的
豪農だと思いこんでいた。しかし実際の時国家は大船をもち、その船は松前で
昆布を仕入れ、大津、京、大坂で売っていた。いわば時国家は多角的経営者
(交易、鉱山、塩浜、漁業、農業、金融)であったのである。
時国文書の中から、百姓=農民、水呑=貧農という従来の概念が否定される事実が
あきらかになり、江戸時代は「農業社会」ではなくかなり高度な「経済社会」だった
こともわかった。
・・近世社会を理解するキー・ワードとなっている「士農工商」はまったくの
虚像であり、社会の実態を著しく見誤らせる最大の原因・・・
と著者は言っている。
当書を農漁村を旅する紀行文としても楽しめるが、こころに残るのは、
戦後すぐの旅と30年後の旅をくらべて、戦後の地域開発のせいで多くの美しい風景を
日本が失ったという事実も記述されていることである。
2004年12月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
網野さんの学者人生において、漁村から集められた膨大な古文書の整理と、その返却の旅は、自身の学問をより強固なものにしていく裏打ちのようなものだったに違いない。これまでの他の本でさかんに語っていた、日本共産党時代に学会で行った観念的な発表というものが、霞ヶ浦を入り合いの湖として管理していた「霞ヶ浦四十八津」が、水戸城主の定めに抵抗していたという文書を、「他の調査で採訪された多くの文書を十分に調べもせずに『軍事基地設定に抵抗する人民』にイメージを重ねた『物語』をつくりあげ」たものだということをこの本で初めて知った(p.17-18)。
あと、他の本でも何回か書いているが、佐渡で丁寧な「境迎え」を受けた際に、「長旅でズボンの尻がやぶれた上に、私はボール紙に革のごときものをはりつけた粗悪なカバンを持っていたが、『お持ちしましょう』と丁寧に言われ、恥ずかしく、恐縮するのみだった」(p.154)というのは、昭和30年代までの日本で背広を着て旅をしなければならなかった人の悲しみが良く出ていると思う。
ニュースフィルムや文章だけでしか知らないが、当時は座席も悪いし、背広も一張羅しか持っていない人が多かったせいか、日本のサラリーマンは、長距離列車に乗ると、ズボンを脱ぎ、ステテコ姿になって座っていた。その理由というのが、前まではシワになるのがイヤだったんだろうぐらいに思っていたのだが、より具体的に、穴があくのを防ぐためでもあったんだろうな、と感じた次第。
あと、他の本でも何回か書いているが、佐渡で丁寧な「境迎え」を受けた際に、「長旅でズボンの尻がやぶれた上に、私はボール紙に革のごときものをはりつけた粗悪なカバンを持っていたが、『お持ちしましょう』と丁寧に言われ、恥ずかしく、恐縮するのみだった」(p.154)というのは、昭和30年代までの日本で背広を着て旅をしなければならなかった人の悲しみが良く出ていると思う。
ニュースフィルムや文章だけでしか知らないが、当時は座席も悪いし、背広も一張羅しか持っていない人が多かったせいか、日本のサラリーマンは、長距離列車に乗ると、ズボンを脱ぎ、ステテコ姿になって座っていた。その理由というのが、前まではシワになるのがイヤだったんだろうぐらいに思っていたのだが、より具体的に、穴があくのを防ぐためでもあったんだろうな、と感じた次第。
2018年8月1日に日本でレビュー済み
戦後間もなく水産庁が計画した漁業資料収集の国家プロジェクトが頓挫し、全国から集められた借用古文書が膨大に未返却のまま残されることになった。
若き日に調査員だった著者は、1980年代以降、古文書返却の旅に出る。
その過程で、古文書に隠されていた様々な発見をしてゆく。
著者が狙い撃つのは、稲作中心史観とでも呼ぶべき農本主義的な日本の歴史像だ。
例えば茨城県霞ヶ浦の古文書からは、霞ヶ浦四十八津や北浦四十四津と呼ばれる中世の自治組織の存在を発見する。
石川県能登では、時国家という農家が、じつは北前船を所有し、廻船業を行い、製塩、漁業、林業、酒造を営み、さらには鉱山経営にも手を伸ばし、多角的な活動を展開していたことが明らかになる。
往時と現在との地域の変貌を、著者は映画『舞踏会の手帖』に例えて慨嘆している。
著者が親交を持った宇野脩平、河岡武春、宮本常一といった人物の印象記も貴重だ。
若き日に調査員だった著者は、1980年代以降、古文書返却の旅に出る。
その過程で、古文書に隠されていた様々な発見をしてゆく。
著者が狙い撃つのは、稲作中心史観とでも呼ぶべき農本主義的な日本の歴史像だ。
例えば茨城県霞ヶ浦の古文書からは、霞ヶ浦四十八津や北浦四十四津と呼ばれる中世の自治組織の存在を発見する。
石川県能登では、時国家という農家が、じつは北前船を所有し、廻船業を行い、製塩、漁業、林業、酒造を営み、さらには鉱山経営にも手を伸ばし、多角的な活動を展開していたことが明らかになる。
往時と現在との地域の変貌を、著者は映画『舞踏会の手帖』に例えて慨嘆している。
著者が親交を持った宇野脩平、河岡武春、宮本常一といった人物の印象記も貴重だ。
2018年7月12日に日本でレビュー済み
著者が若かりし日に勤めていた東海区水産研究所月島分室では、1950年代に全国から膨大な古文書を借り集め、翻刻や研究、公刊が企図された。しかし、短期間での解散を余儀なくされたこともあり、多くの文書が返却されないままになってしまった。
それを30年ほどたって返却しはじめることになるのだが、さまざまな苦労や困難があった。それを対島、霞ヶ浦・北浦、二神島、奥能登、佐渡、備中真鍋島など地域別にまとめたのが本書である。
「返却」を通して、戦後の日本史学の流れが透けて見える良書である。また研究者の抱える問題点/ジレンマのようなものも見えてきて考えさせられる。
歴史資料を扱う人間なら、かならず読んでおくべき一冊だろう。
それを30年ほどたって返却しはじめることになるのだが、さまざまな苦労や困難があった。それを対島、霞ヶ浦・北浦、二神島、奥能登、佐渡、備中真鍋島など地域別にまとめたのが本書である。
「返却」を通して、戦後の日本史学の流れが透けて見える良書である。また研究者の抱える問題点/ジレンマのようなものも見えてきて考えさせられる。
歴史資料を扱う人間なら、かならず読んでおくべき一冊だろう。
2008年8月7日に日本でレビュー済み
1950年から1955年にかけて東海区水産研究所月島分室にて日本常民文化研究所の一員として全国各地の漁村の古文書を蒐集していた網野氏。しかし月島分室解体、水産庁水産資料館への移管、月島分室の代表者であった宇野脩平氏の死去といったゴタゴタの中で、借用していた古文書のうち少なからぬものが返却されぬまま放置されてしまった。網野氏は月島分室時代の後始末をする必要を感じ、1980年、神奈川大学に異動し、日本常民文化研究所を招致、文書の返却作業に取りかかる……
史料調査・整理・保存のあり方を考える上で貴重な実例紹介であることはもちろんだが、現地における文書伝来の実態、返却作業の過程で網野氏が得た新たな学問的発見(海民世界の豊穣)なども提示され、日本史を捉え直す意味でも勉強になる。
また、古文書を借用して回った若き日の思い出と、古文書返却の旅が共に語られることで、網野氏の学問的軌跡、歴史学者としての成長が明瞭に浮かび上がる。そして本書で網野氏が強い筆致で述べる、目先の利益のみを追い求めた高度経済成長期以降の土木工事によって「湖川や海の世界」が破壊されていくことへの憤りは、氏の歴史観の根底を成すものであり、「網野史学」を正確に理解する上でも必読の文献であろう。
網野氏の誠実な返却行脚を通じて、返却先と新たな交流が生まれ、新史料が発掘される、という部分も感動的。
史料調査・整理・保存のあり方を考える上で貴重な実例紹介であることはもちろんだが、現地における文書伝来の実態、返却作業の過程で網野氏が得た新たな学問的発見(海民世界の豊穣)なども提示され、日本史を捉え直す意味でも勉強になる。
また、古文書を借用して回った若き日の思い出と、古文書返却の旅が共に語られることで、網野氏の学問的軌跡、歴史学者としての成長が明瞭に浮かび上がる。そして本書で網野氏が強い筆致で述べる、目先の利益のみを追い求めた高度経済成長期以降の土木工事によって「湖川や海の世界」が破壊されていくことへの憤りは、氏の歴史観の根底を成すものであり、「網野史学」を正確に理解する上でも必読の文献であろう。
網野氏の誠実な返却行脚を通じて、返却先と新たな交流が生まれ、新史料が発掘される、という部分も感動的。
2007年3月16日に日本でレビュー済み
期間を過ぎて長期間借用していた古文書を返却する旅を通じて、筆者の歴史や社会の観念的な理解が現実的な理解へと変わっていく様が描かれていました。
筆者のような社会や歴史に対する慧眼の持ち主も、こうした現地・現物の地道な調査を通じて知見を深められたことがわかり、現場の大切さというものを改めて認識しました。
古文書を通じて現実の社会像を残そうという意思が筆者の訪れる旧家の方々にも見られ、古文書があたかも社会の実像を後世に伝えるDNAのように思えてきました。
筆者の情熱や方法論が垣間見える筆者の他著作の「あとがき」的好著でした。
筆者のような社会や歴史に対する慧眼の持ち主も、こうした現地・現物の地道な調査を通じて知見を深められたことがわかり、現場の大切さというものを改めて認識しました。
古文書を通じて現実の社会像を残そうという意思が筆者の訪れる旧家の方々にも見られ、古文書があたかも社会の実像を後世に伝えるDNAのように思えてきました。
筆者の情熱や方法論が垣間見える筆者の他著作の「あとがき」的好著でした。