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ポスト資本主義社会: 21世紀の組織と人間はどう変わるか 単行本 – 1993/7/1
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- 本の長さ363ページ
- 言語日本語
- 出版社ダイヤモンド社
- 発売日1993/7/1
- ISBN-104478371024
- ISBN-13978-4478371022
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
登録情報
- 出版社 : ダイヤモンド社 (1993/7/1)
- 発売日 : 1993/7/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 363ページ
- ISBN-10 : 4478371024
- ISBN-13 : 978-4478371022
- Amazon 売れ筋ランキング: - 495,067位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 945位社会と文化
- - 70,623位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
著者について

ピーター・F・ドラッカー
Peter F. Drucker
1909年11月19日-2005年11月11日
1909年、オーストリア・ウィーン生まれ。フランクフルト大学卒業後、経済記者、論説委員をつとめる。1933年ナチス・ドイツの不興を買うことを承知の論文を発表して、ロンドンへ移住。マーチャントバンクでアナリストをつとめた後、37年渡米。ニューヨーク大学教授などを経て、71年、ロサンゼルス近郊のクレアモント大学院大学教授に就任、以降この地で執筆と教育、コンサルティング活動を続けた。
ファシズムの起源を分析して、イギリスの後の宰相ウィンストン・チャーチルの絶賛をうけた処女作『「経済人」の終わり』、GMのマネジメントを研究した『企業とは何か』をはじめ、40冊近い膨大な著作群は、「ドラッカー山脈」とも呼ばれる。
ドラッカー教授の専門領域は、政治、行政、経済、経営、歴史、哲学、心理、文学、美術、教育、自己実現など多方面にわたっており、さまざまな分野に多大な影響を及ぼした。
東西冷戦の終結、高齢化社会の到来、知識社会への転換といった社会の根源的な変化をいち早く示した現代社会最高の哲人であるとともに、マネジメントの体系を確立し、「分権化」「自己目標管理」「民営化」「ベンチマーキング」「コアコンピタンス」などマネジメントスキルのほとんどを生み出したマネジメントの父である。
GEのジャック・ウェルチ、P&Gのアラン・ラフリーなど、ドラッカー教授を師と仰ぐ世界的経営者は多い。『エクセレント・カンパニー』のトム・ピータース、『ビジョナリー・カンパニー』のジム・コリンズといった著名な著述家たちも、ドラッカー教授の薫陶を受けている。
親日家としても知られる。1934年、ロンドンの街角で雨宿りに偶然入った画廊で目にした日本画の虜となり、室町水墨画などのコレクションを有する。
2005年、あと8日で96歳の誕生日を迎えるという日に永眠。「20世紀の知的巨人」「マネジメントの父」など、ドラッカー教授を称する言葉はたくさんあるが、本人は自らを社会生態学者と規定した。
生涯を通じた最大の関心事は「社会的存在としての人間の自由と平等」であり、そのために社会、組織、企業はどうあるべきか、一人ひとりの人間は何をなすべきかを問い続けた。その思想は、モダン(近代合理主義)を超えて、21世紀を支配するポストモダンの旗手である。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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■マネジメントの神様と呼ばれるドラッカーは、自らのことを「社会生態学者」と呼ぶ。人間社会に対する幅広い知識と分析力をもって書かれた本書は、歴史や社会に対する新たな視点を提供し、ドラッカーがなぜ自らそのように名乗ったのかを、読者に納得させるに十分な根拠を与えている。
■本書が17年前(1993年)に書かれたということに驚きを隠せない。サービス労働の外部委託化、ばらまき国家の問題、グローバリズムと地域主義、テロの問題、非営利組織の必要性、企業の社会的責任など、ここに書かれていることは、昨今主要な問題として語られていることばかりだ。
■本書は『社会』、『政治』、『知識』の'V部からなっており、いずれも密接に関連しあって来るべき時代のパースペクティブを提示している。上記3章の順番は、予測の容易性の順位に従ったとのことである。
■確かに、『社会』においては、企業を中心に「生産性」の追求から、「責任型組織」化など、「ポスト資本主義社会」への移行が進みつつある。一方、『政治』の世界では、現実的にグローバル化や地域主義(EUの実現)などが進んでいるが、「巨大国家(メガステイト)」は依然存続し、いたるところで機能不全を呈している。租税国家、ばらまき国家、福祉国家、冷戦国家(軍事費に多くの予算を割く)、経済の主人たる国家。さまざまな機能を総合的に持ち合わせた国家において、いまだ「市民性」や“本当の”愛国心は培われていない。そして、『知識』についての課題は、もっとも重要でありながら、まだそれらへの問いを発することしかできないという。歴史の次の段階とされる「知識社会」の到来に向けて、「知識の経済学」を確立させ、「教育ある人間」による「人間が中心的な存在となる社会」を実現させることができるのだろうか?これら来るべき社会への課題を並べて、ドラッカーは読者に行動を呼びかけている。
概要の通りに実際に社会情勢が変化しているのかは不明である。
個人的に面白いと思ったのは、製造業を負債と考えるかどうかという点である。
日本は製造業は負債の一種であると考えるために海外に持っていこうとしているとしていた。
途上国に低い労働コストで生産すればよいというものである。
現実問題、この時代には工場の海外移転が進んで産業の空洞化が進んだとされている。
今もその兆候は変わらないだろう。
その中で多くの人員はサービス業についたのだが、本当に生産性を高くできているのかに興味を持った。
果たして本当に日本は高い生産性を持っているのだろうか。
調べるとわかるが、現在の日本の生産性の低さは他の先進国と比べてかなり低い。
調べてみると戦後から先進国の中ではかなり低い水準である。
これは全産業推計であり、製造業の割合を低くしてしまえばさらに向上するのかもしれない。
しかし現在でも変わらずの順位であるという点から、産業の移動の影響はあまりないように思える。
もしくはデスクワークの生産性がものすごく低く、工業を海外に追い出してやっとその水準というのも考えられる。
どちらにせよ、サービス業の生産性は満足のいくものとはなっていなさそうである。
サービス業では成果の測定が難しい面もあるが、ここを改良できれば日本の再成長もあるかもしれない。
一方アメリカでは今も工業は重要な産業である。
WASPの工業労働者の立場を確保するためにも、トランプ大統領はメキシコとの国境に壁を作ろうとした。
アメリカの様子はドラッカ―の指摘とあまり変わってなさそうである。
まだまだ読むほどに味の出る内容であると思う。
ドラッカーの指す2020年になり、答え合わせがどこまでできるのかはわからないが、一つの指針として物事を考えるきっかけになったように思う。
今日の世界不況の引き金は倫理観を失った米国の強欲資本主義と見做され始めています。米国への憧憬や敬意は薄れかけています。本書は、それらがまだ輝いていた頃に書かれています。
ドラッガーさんの理想社会は、アテネ、ローマの市民社会のようです。たしかにローマは文化の感化力があったようです。蛮族の血を引く者さえ皇帝につき、優れた資質ゆえに賢帝となりました(トラヤヌス、ハドリアヌス(ベルベル人)、ディオクレティアヌス(スラブ人))。
驚いたのは、米国成人の二人に一人は、非営利組織のボランティアとして週に3時間以上働いているという記述です。何が米国社会の変貌を招いたのでしょうか。仮説としては、ドル紙片を無限感覚で印刷し過ぎたことが根本原因かも知れません。
本書では、ポスト資本主義社会は知識およびそれを担う人が中心となるという予見は当たっています。ただし、ドラッガーさんは、良識を暗黙の前提としていたのと違ってきたということでしょう。
もっとも感銘を受けたのは、ひとつの福祉政策です。第二次大戦直後のアメリカの復員兵援護法。米国のすべての復員兵に対して、大学で高等教育を受ける道を与えたと。
今日の日本に照らし合わせると、派遣切りされた労働者が復員兵に対比されます。付加価値を生み出せる本物の教育を受ける道を与えれば、日本も「災い転じて福となる」であろうという素晴らしい示唆になっています。生かせれば、ドラッガーさんの遺産となると思います。
ビジネスだけではなく、会社の外での自分の社会的貢献の必要性と大切さ (著者の言う「第二の人生」の必要性) についても、私はこの本から多くを学んでいます。 この著者が提供している歴史的な視点 (第二次大戦以降の上司-部下の意味の変化、知識労働と生産性の関係の変化、それにともなう人々の人生設計の変化) は、日々接する社会生活の意味を理解するための大きな助けになると思います。
知識労働者は、上司よりも自分の仕事についてはよく知っているために、上司は知識労働者に対して「指揮・命令」を行うことはできません。 また、知識そのものが現代では生産手段であり、それは一つの会社が所有できるものではないので、知識労働者には組織の壁をこえて移動していく自由があります。 たとえ部下がいなくても (いわゆるヒラ社員であっても)、知識労働者は自分の仕事と周囲との関係を自分でマネジメントしていく必要があります。
これはすでに古典的な資本主義 (資本家-労働者) の社会とは大きく異なる社会であり、ドラッカーが「断絶の時代」(1968年)やこの「ポスト資本主義社会」(1992年) を通じて描いたこの現実は、著者の言うとおり「すでに起こってしまった変化」、今後もますます広範化していくと思います。 日本の企業がさらに生産性を向上し、近年深刻化する国際競争に伍していくためにも、この本の内容は非常に重要だと思います。 一読をお勧めします。
洞察は古びていません。先進国が労働者の楽園か
ら格差に苦しむに至る現状は必ずしもはっきりと
予見されていたとは言えないと思いますが、今から
見て明らかに違うのではないかと思える箇所は
見あたらなかったです。