これは、もう一つの「神獣聖戦」の物語である。並行世界に生きる人類とスパイラーの戦いは、虚空間での鏡人=狂人と悪魔憑きの戦いでもある。(スーパーキャット ニーチェのような猫も出てくる。)
それを1800年代のオーガスタ.エイダ女史を中心にして、分からない世界を分からないなりに分かったかのような気にさせる物語である(何のこっちゃ。でも多くの読者もそうだろう)。
丁度、山田正紀も受賞したSF大賞の発表誌であるSFアドベンチャーが休刊になり、SFというジャンルが消えて行ってしまうという危惧があったのだろう。それに抗うかのような渾身のSF力作である。

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エイダ (ハヤカワ文庫 JA ヤ 2-5) 文庫 – 1998/5/1
山田 正紀
(著)
- 本の長さ525ページ
- 言語日本語
- 出版社早川書房
- 発売日1998/5/1
- ISBN-104150305994
- ISBN-13978-4150305994
登録情報
- 出版社 : 早川書房 (1998/5/1)
- 発売日 : 1998/5/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 525ページ
- ISBN-10 : 4150305994
- ISBN-13 : 978-4150305994
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,083,964位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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2023年12月19日に日本でレビュー済み
1994年発表だがそれほど古臭さは感じない。
むしろ扱っているネターーー量子論、並行世界、量子コンピュータ、ヴァーチャルリアリティ、宇宙論、人間原理、神さまと神話世界の俗人化、ディファレンス・エンジン、フランケンシュタインーーー等々は現代だからこそラノベ並にポピュラーになり(陳腐化ともいうが)、誰でも気軽に読める作品になっていると思う。
作中で入れ子構造になったメタフィクションを扱っているが、この作品自体が著者によるメタフィクションとなっている箇所もあり、ギミックとして面白い。
ただ、様々な要素を詰め込んだ割には物語にはあまり関係がなく、結局のところ光と闇、ビッグバン宇宙論とプラズマ宇宙論の戦いというシンプルな構造の装飾品に過ぎないことに気付く。
いや、それぞれの要素に関連性はあるのだが、よくよく考えると必要性は無いと言ったほうが正確だろうか。
この作品を恐ろしく完結に要約すると、ーーー人類が量子コンピュータを用いたことにより並行世界に干渉することが出来るようになり、ビッグバン宇宙論的存在である人類と、相容れないプラズマ宇宙論的存在であるスパイラーがそれぞれの存在を賭けて戦うことになったーーー
それだけである。
よくよく考えるとバベッジのディファレンス・エンジンが出てくる必要はないし、フランケンシュタインの物語もオーガスタ・エイダもバイロンもシャーロック・ホームズも間宮林蔵も同じである。
ただ、「必要は無い」というのは構造上の話であって、エンタメ要素としては必要であったのだろう。
実際これらの話はそれぞれ面白い。
このごちゃまぜ感を素直に楽しめるかどうかで賛否は分かれそうではある。
個人的には、この作品は中長編の力作ではなく、ワンアイデアを生かした短編であった方がより心に残る佳作と成り得たのではないかなあなんて思ったりもする。
むしろ扱っているネターーー量子論、並行世界、量子コンピュータ、ヴァーチャルリアリティ、宇宙論、人間原理、神さまと神話世界の俗人化、ディファレンス・エンジン、フランケンシュタインーーー等々は現代だからこそラノベ並にポピュラーになり(陳腐化ともいうが)、誰でも気軽に読める作品になっていると思う。
作中で入れ子構造になったメタフィクションを扱っているが、この作品自体が著者によるメタフィクションとなっている箇所もあり、ギミックとして面白い。
ただ、様々な要素を詰め込んだ割には物語にはあまり関係がなく、結局のところ光と闇、ビッグバン宇宙論とプラズマ宇宙論の戦いというシンプルな構造の装飾品に過ぎないことに気付く。
いや、それぞれの要素に関連性はあるのだが、よくよく考えると必要性は無いと言ったほうが正確だろうか。
この作品を恐ろしく完結に要約すると、ーーー人類が量子コンピュータを用いたことにより並行世界に干渉することが出来るようになり、ビッグバン宇宙論的存在である人類と、相容れないプラズマ宇宙論的存在であるスパイラーがそれぞれの存在を賭けて戦うことになったーーー
それだけである。
よくよく考えるとバベッジのディファレンス・エンジンが出てくる必要はないし、フランケンシュタインの物語もオーガスタ・エイダもバイロンもシャーロック・ホームズも間宮林蔵も同じである。
ただ、「必要は無い」というのは構造上の話であって、エンタメ要素としては必要であったのだろう。
実際これらの話はそれぞれ面白い。
このごちゃまぜ感を素直に楽しめるかどうかで賛否は分かれそうではある。
個人的には、この作品は中長編の力作ではなく、ワンアイデアを生かした短編であった方がより心に残る佳作と成り得たのではないかなあなんて思ったりもする。
2004年1月25日に日本でレビュー済み
よく言われるように、人は幻想(ファンタジー)の中に生き、物語として語られる。その物語の作る世界が、量子論的な確率世界と交わっていく様子をミステリー的な手法を用い描き出した長編SF。
SF作家のぼやきもあり、山田正紀の過去の作品のタイトルなども出てきてファンであればにやりとさせられる所もある。
SF作家のぼやきもあり、山田正紀の過去の作品のタイトルなども出てきてファンであればにやりとさせられる所もある。
2007年11月2日に日本でレビュー済み
今回のモチーフは、暗黒物質というか量子宇宙論というか並行世界で、
テーマは、物語の物語というか物語が崩壊する物語というか、
物語の現実への侵略というか、SFが消滅する物語である。
とんでもないメタフィクション。
並みの作家なら長編四冊というか、
無限に書けるネタを一冊に封じ込めてしまった傑作。
並行世界ものはなんでもありだが、
天才山田正紀は、他人の書いた小説世界も実体化させてしまったのだ!
フランケンシュタインの怪物に襲われるメアリー・シェリー。
フランケンシュタインの怪物に依頼された事件の顛末を、
ワトスンではなくてコナン・ドイル本人に語るシャーロック・ホームズ。
物語世界の架空人物も実在人物として絡み合う。
ある世界の実在は、別の世界ではシミュレーションゲームのシミュクラでしかなかったり、
ゲームの世界が本物になったり、並行世界同士が複雑に絡み合う。
根本は二元論の戦い。
ハードSF世界では、直径0.4光年のクェーサー生物と人類の戦いであり、
それはゾロアスター教の神話の光と闇の戦いでもある。
プラズマ宇宙論で観測するクェーサー生物と、
ビッグバン宇宙論で観測する人類は、
異質過ぎて、お互いの存在に気づく筈がなく、
本来は戦争にもならないのであるが、
量子宇宙論のコペンハーゲン解釈は同じだったため、
宇宙の観測者として確率を収斂させるために、
相手を消そうとする。
相手が宇宙を観察して、相手の波動関数が勝つと、
相手の宇宙論の宇宙が観測事実として確定してしまい、
人類は存在しなかったことにされてしまうのだ。
人間原理に基づく我々の宇宙と、
クェーサー生命原理に基づく彼らの宇宙との無限の戦いの物語である。
矮小な人間原理を否定した見事なSFである。
コペンハーゲン解釈と交流解釈の戦いも読み取れる。
我々の並行世界が勝つのか?
それとも並行世界など無かったことに収斂されるのか?
結末が知りたくて一気読み出来るが、
結末は残念ながらそれしかないというあれで、
イマイチではあった。
SFが消滅した並行世界も出てくるのが凄い!
物語が世界を変革する物語なので、
SF物語のパワーは宇宙一かと思うと、
SFはセンスオブワンダーにこだわって、
物語性が少ないので、現実世界に影響するパワーが顕現しないのは凄い皮肉で面白かった。
実体化出来るエネルギーを持たないSFは誰にも必要とされなくなり、
読まれなくなる、観測されなくなるということは、
量子論的宇宙では存在しないということである。
SFという単語も世界から消滅し、小松左京は失意の貧乏暮らしの果てに死に、
失業者と成り下がった山田正紀は、
量子コンピュータ「エイダ」に襲撃をかける!
ん、これは俺の小説「襲撃のメロディ」の実体化現象なのか?
山田正紀の物語世界はパワーを持つのか?
登場人物の山田正紀の正体はやはりアレであった!
メタフィクションの好きな人には本書は楽しく読めるであろう。
山田正紀の小説論として読んでも面白いかもしれない。
例によって数学ネタの不備に突っ込むと、
虚数iは人間の想像世界の中にしか存在しないと書かれているが、
0の左右にマイナスとプラスがある一次元の数直線世界で考えると虚数が存在出来る地点はないが、
二次元の座標軸で、虚数がどこにあるか図示した数学者はいるよ。
テーマは、物語の物語というか物語が崩壊する物語というか、
物語の現実への侵略というか、SFが消滅する物語である。
とんでもないメタフィクション。
並みの作家なら長編四冊というか、
無限に書けるネタを一冊に封じ込めてしまった傑作。
並行世界ものはなんでもありだが、
天才山田正紀は、他人の書いた小説世界も実体化させてしまったのだ!
フランケンシュタインの怪物に襲われるメアリー・シェリー。
フランケンシュタインの怪物に依頼された事件の顛末を、
ワトスンではなくてコナン・ドイル本人に語るシャーロック・ホームズ。
物語世界の架空人物も実在人物として絡み合う。
ある世界の実在は、別の世界ではシミュレーションゲームのシミュクラでしかなかったり、
ゲームの世界が本物になったり、並行世界同士が複雑に絡み合う。
根本は二元論の戦い。
ハードSF世界では、直径0.4光年のクェーサー生物と人類の戦いであり、
それはゾロアスター教の神話の光と闇の戦いでもある。
プラズマ宇宙論で観測するクェーサー生物と、
ビッグバン宇宙論で観測する人類は、
異質過ぎて、お互いの存在に気づく筈がなく、
本来は戦争にもならないのであるが、
量子宇宙論のコペンハーゲン解釈は同じだったため、
宇宙の観測者として確率を収斂させるために、
相手を消そうとする。
相手が宇宙を観察して、相手の波動関数が勝つと、
相手の宇宙論の宇宙が観測事実として確定してしまい、
人類は存在しなかったことにされてしまうのだ。
人間原理に基づく我々の宇宙と、
クェーサー生命原理に基づく彼らの宇宙との無限の戦いの物語である。
矮小な人間原理を否定した見事なSFである。
コペンハーゲン解釈と交流解釈の戦いも読み取れる。
我々の並行世界が勝つのか?
それとも並行世界など無かったことに収斂されるのか?
結末が知りたくて一気読み出来るが、
結末は残念ながらそれしかないというあれで、
イマイチではあった。
SFが消滅した並行世界も出てくるのが凄い!
物語が世界を変革する物語なので、
SF物語のパワーは宇宙一かと思うと、
SFはセンスオブワンダーにこだわって、
物語性が少ないので、現実世界に影響するパワーが顕現しないのは凄い皮肉で面白かった。
実体化出来るエネルギーを持たないSFは誰にも必要とされなくなり、
読まれなくなる、観測されなくなるということは、
量子論的宇宙では存在しないということである。
SFという単語も世界から消滅し、小松左京は失意の貧乏暮らしの果てに死に、
失業者と成り下がった山田正紀は、
量子コンピュータ「エイダ」に襲撃をかける!
ん、これは俺の小説「襲撃のメロディ」の実体化現象なのか?
山田正紀の物語世界はパワーを持つのか?
登場人物の山田正紀の正体はやはりアレであった!
メタフィクションの好きな人には本書は楽しく読めるであろう。
山田正紀の小説論として読んでも面白いかもしれない。
例によって数学ネタの不備に突っ込むと、
虚数iは人間の想像世界の中にしか存在しないと書かれているが、
0の左右にマイナスとプラスがある一次元の数直線世界で考えると虚数が存在出来る地点はないが、
二次元の座標軸で、虚数がどこにあるか図示した数学者はいるよ。
2006年5月4日に日本でレビュー済み
評判の高い作品ですが、いまひとつ楽しめませんでした。
例えば、歴史上の人物がいろいろと出てくるあたりも、実在/架空の有名人を次々と出てくるばかりで、伏線にはなっているものの、単に目撃者Aに過ぎない扱いが多く、何のために使ったのか分からないケースがほとんどでした。また、彼らをあえて使った遊び心もあまり無い様です。はっきり言えば、これら著名人を中心とした最初の100-150ページぐらいは、無くとも成立する物語だと思います。
また、いろいろと広げた大風呂敷を力技でまとめていくのですが、その力わざというのが、「量子宇宙」と「波動関数」を連呼していくだけ。量子力学は理論であって呪文ではないので、繰り返せば説得力が生まれるというものではありません。嘘でも良いから、もう少し整然とした理論体系(説明の筋立て)が必要だったと思います。
多くの要素が含まれていますが、ただ並べただけで消化不良を起こしている物語です。
例えば、歴史上の人物がいろいろと出てくるあたりも、実在/架空の有名人を次々と出てくるばかりで、伏線にはなっているものの、単に目撃者Aに過ぎない扱いが多く、何のために使ったのか分からないケースがほとんどでした。また、彼らをあえて使った遊び心もあまり無い様です。はっきり言えば、これら著名人を中心とした最初の100-150ページぐらいは、無くとも成立する物語だと思います。
また、いろいろと広げた大風呂敷を力技でまとめていくのですが、その力わざというのが、「量子宇宙」と「波動関数」を連呼していくだけ。量子力学は理論であって呪文ではないので、繰り返せば説得力が生まれるというものではありません。嘘でも良いから、もう少し整然とした理論体系(説明の筋立て)が必要だったと思います。
多くの要素が含まれていますが、ただ並べただけで消化不良を起こしている物語です。
2004年5月23日に日本でレビュー済み
メアリ・シェリーにコナン・ドイル、間宮林蔵、杉田玄白など歴史上の実在の人物たち、さらにはシャーロック・ホームズ、フランケンシュタインの怪物など想像上の人物たちによって語られるさまざまなエピソード。何のつながりも持たない人々の、まるでバラバラに見えたこれらの挿話が実は根本でつながっていることに気付いたとき、現実とフィクションとが奇妙に混在した世界で、人類の存亡を賭けた神と悪魔、光と闇の戦いが見えてくる。質量ともに長大で壮大なスケールのSFです。
あっちに飛びこっちに飛びの話、SF特有のカタカナ語や科学の専門用語がこれでもかとばかりに並べられ、読みにくく理解しにくいところもありましたが、果たして無事に終わらせることができるのかと心配になるほど大きく複雑になって絡み合っていく個々のエピソードを見事に一つにまとめ上がっていくあたりはさすが、読んでいて鳥肌がたつほどゾクゾクします。
著者のSFの代表作と成りうる、腰を落ち着けてジックリゆっくりと読みたい1冊です。
あっちに飛びこっちに飛びの話、SF特有のカタカナ語や科学の専門用語がこれでもかとばかりに並べられ、読みにくく理解しにくいところもありましたが、果たして無事に終わらせることができるのかと心配になるほど大きく複雑になって絡み合っていく個々のエピソードを見事に一つにまとめ上がっていくあたりはさすが、読んでいて鳥肌がたつほどゾクゾクします。
著者のSFの代表作と成りうる、腰を落ち着けてジックリゆっくりと読みたい1冊です。